第14話 十四

 頼方が清二を見据えた。


「奄美屋の番頭清二、そなたは、取り立て屋市蔵の理不尽な要求に耐えきれず、市蔵を殺そうとして腹を刺し、川に突き落とした。市蔵は死ななかったとはいえ、その行為は決して許されるものではない」


 場が静まっている。


「更に、小田原においては、お菊の亭主である政吉の行き倒れに遭遇し、何とか政吉を助けようとしたもののそれは叶わず、政吉が亡くなると、持っていた金品を仲間と共に奪った。この行為も、当然ながら許されるものではない」


 頼方が、場の反応を確認するように周囲を見回した。


「とはいえ、市蔵の理不尽な要求に追い詰められ、やむに止まれなかった気持ちも理解できる。そして、小田原でも政吉を必死の思いで看病した事は、十分に酌量する理由に値する」


 頼方が間を取るように一呼吸置いた。


「よって、一年の謹慎として、その身は越後屋預かりとする」


 ドッと歓声が上がった。


 清二は耳を疑った。越後屋預かり、しかも一年限り。

 これ程の温情ある裁きを受けるなど、誰が予想しただろう。


 情状が酌量されたとはいえ、人を殺そうとし、腹を刺して、川に突き落としたのは確かだ。市蔵がそれで死ななかったのは、幸運だったという他ない。


 小田原での行いも、仲間の誰が語ったかは定かで無いが、あまりに美談にされている。自分たちの罪を軽くしようと取り繕ったのだろうが、あそこまで看病した覚えはなかった。


 しかし、それを否定する気もなかった。清二にとって、望んでも無い状況となっていたからだ。

 隣にいるお菊の視線から感じるのは、一緒に暮らしていた時のような自分へ寄せる熱い心だった。それを、もう決して放してはならないと思った。


 清二は、権兵衛から言われた言葉を思い出した。

 時として逃げずに立ち向かわねばならない。そうすれば必ず得るものがある。


 寛大な裁きとお菊の心が戻った事が、自分が逃げずに、必死に立ち向かったことで得られた、褒美のように思えた。


 その褒美を与えてくれた男を、清二はジッと見据えた。


「お奉行様・・、あ・、ありがとう・・」


 言葉が出てこないほどの感情の昂りが全身を支配している。込み上げる気持ちを抑えることができず、肩が震えて、涙が止まらなかった。

 崩れるように両手をついて、深々と頭を下げた。


 その清二の肩に、お菊がそっと手を添えた。その顔も涙でくしゃくしゃになっている。


 お菊が清二の告白で気持ちが揺らいだのは、瀕死の状態の政吉を見殺しにした、と受け取っていたからだ。状況から察するに、遅かれ早かれ死んでいたとは思ったが、やはり、一抹の受け入れがたい暗い蟠りが残っていた。


 その心のしこりを、頼方の言葉が霧を晴らすように消してくれた。何を言っても言い訳にしかならないと、詳細を語らなかった清二の気持ちも理解できた。

 お菊は、前にも増して、清二への思いを深くしていた。


 権兵衛もまた頼方を見詰めている。そして、頼方への印象が大きく変わっていた。


 確かに、町奉行という権威を前面に出してはいる。が、それは、自分や奉行所の存在意義を強調するような、形式的な威圧のためではない。


 無論、それも全く無い訳ではないが、何処かに、江戸の民が安心して暮らしを営める支えの役割を意識した、奥深い配慮だった。

 清二の預かり先が自分の店の越後屋と聞いた時は、そこまで配慮するのかと、思わず唸ってしまった。


 権兵衛は懐に手を当てた。これでは、やや少なかったと反省した。


 お白洲を囲む周囲が騒然としている。

 役人が群衆の騒ぎを治めようとするが、喜びと称賛の歓声は、なかなか鳴り止まない。


 やがて、歌舞伎の大向こうを意識したような掛け声まで飛び出す。

「播磨屋!」

「いよっ、名裁断!」

「後家殺し!」


 何処かで猫が鳴いている。


 頼方はお真美の茶屋に居る。


「お疲れさま」

「全て、上手く行ったよ」


 頼方が安堵したように微笑むと、お真美が銚子を差し出した。

「世間じゃあ、その名裁断で持ち切りよ。ふふ」


 頼方が注がれた酒を旨そうに一気に飲み干した。

「お前のおかげだ」


 頼方がジッとお真美を見詰めた。お真美が嬉しそうな笑顔になり、手酌で酒をあおった。

「まあ、あたいとしても、そこまで上手くいくとは思わなかったけどね」

「そうだなぁ、こっちも、準備に結構大変だったよ」


 お真美が、うんと頷いた。

「特に、適当な財布が見つかるかが気になっていたの」


 頼方が懐から、市蔵の財布を取り出した。

「そう、これなぁ、浅吉親分が駆けずり回って、何とか見つけてくれたよ」


 お真美が財布を手にして、感心したようにじっくりと見た。

「さすが親分、それらしく見えるわね」


 頼方が猪口を持ったまま、深いため息を吐いた。

「それよりも、俺は清二の野郎が、市蔵が川を流れて行くのを見ていました、とか言ったらどうしようかと、ハラハラしていたよ」


 お真美が頼方をキッと睨んだ。

「あらぁ、だから前もって、そこは番頭に確認しなさいと言ったじゃない」


 頼方が上目遣いにお真美を見た。

「それがなぁ、越後屋が急に会いたいと言って来てね、そんな余裕が無くなった」

「全く、商人のくせに空気が読めない奴ね」

「江戸の商売がどうのとか、清二の野郎の商才がどのとか、くどくど長話をしてなぁ。まさか、お前のところに預けるから早く終われとも言えないし」


 お真美が軽く首を振った。

「確かに、越後屋みたいな豪商を敵に回すと厄介よ。仕方ないわねぇ」


「御礼の金を出そうとしたが、とりあえずその場では断った。まあ、落ち着いたら、ゆっくりと、ご相伴に預かるよ」

「あたいにもお裾分け、お願い」


 頼方が、お真美を見ながらゆっくりと頷いた。

「そうだなぁ。これは、全てお前の考えだからな」


 お真美が胸を張った。

「あたいの言うことを聞いていれば、全て良しね」


 頼方がアッと、嫌な事を思い出したように顔をしかめた。

「一つ、筆頭与力に嫌味を言われた」

「何て」

「奉行は講釈師ではない、と」

「どう言うこと」

「見て来たような嘘はいただけない、という事かな」


 何処かで猫が鳴いている。

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