第12話 十二

「皆の者、おもてを上げよ」


 お白洲に頼方の声が響くと、一同が顔を上げた。


 正面には清二が座り、右にはお菊が座っている。更にその隣には越後屋の主人の権兵衛の姿があった。


 権兵衛は清二の裁断の場に同席するように呼び出しを受けていた。


 特段の理由は告げられていなかったが、清二が越後屋に勤めていた事や奄美屋に金を都合した事などを聞かれるのだろう、とは想像がついた。


 権兵衛としても、清二が奉行所に出頭したと聞いた時は驚きがあったが、よくよく考えると、それが真っ当な行為なのだろうと思えてきた。そして、今度こそ、何としても清二を守り抜く覚悟を固めた。


 それ故、これ幸いと、今日は早々と奉行所を訪れた。清二に対する寛大な処置を願い出るためである。そして、奉行への直々の面談を申し入れた。


 自分が頼んだところで、下される沙汰にどれほどの影響が出るかは分からないが、奉行とて人の子、気持ちは通じるはず、との思いもあった。


 そして、いざという時に備えて、小判を服紗に包み懐に入れていた。


 控えの間に通されてしばらく待つと頼方が現れた。席に付くのを見計って、権兵衛が両手をついて頭を下げた。

「お奉行様、これから裁断を控えてお忙しいところ恐縮です」


 頼方が首を振って微笑んだ。

「こちらこそ、天下の越後屋さんに、忙しいところをわざわざ足を運んでもらい申し訳なく思っている」


 権兵衛が低い姿勢のまま軽く首を振った。

「いいえ、呼ばれなくても押し掛けるつもりでした」


 頼方が驚いたように目を見開いた。

「ほう、というと」


 権兵衛が軽く頷いた。

「実は、清二に対して下される御沙汰について、特段のご配慮をお願いしようと思っておりました」


 権兵衛は、清二の商才が如何に優れているかと、それがこのまま埋もれてしまうことが江戸における商業が発展する上での大きな損失である事を、切々と語った。


「やってしまった事は致し方ありません。その罪は当然ながら負うべきです。しかしながら、本人も反省し、今後は真っ当な生き方をしようと改心しております。江戸の商売を今以上に繁盛させるためにも、清二の早々の商人としての復帰が必要です。ここは、是非、寛大なご配慮をお願いする次第です」


 権兵衛が深々と頭を下げた。


「越後屋さんよ、そう心配するな」


 権兵衛が顔を上げると、頼方がニヤリとした。

「天下の越後屋さんを敵に回すほど、俺は野暮じゃ無い」


 権兵衛が懐に手をかけた。


 即座に頼方が右手を上げて止めた。

「おっと、いくらなんでも、この場ではまずいだろう」


 権兵衛が困惑した顔で姿勢を正した。

「はい、では、いずれ・・」


 頼方が大きく頷いた。

「それに、あんたが礼をしたいというほどの裁断なのか否か、まだ分からないだろう」

「はあ、確かに・・」

「仮にそう思ったのであれば、借りが出来たということで、いつか、相応の礼をしてもらえれば、それで良い」


 頼方の、任せておけというような意味深な表情に、権兵衛は大きな手応えを感じた。ジワリと大きな安堵の気持ちが湧いてきた。


「期待いたしております」

 権兵衛がまた深々と頭を下げた。


 それが二刻ほど前である。


 そして、お白洲の間である。


 場の誰もが頼方に目を向けている。


 その威厳に満ちた姿からは、自分が江戸の治安を仕切っているのだ、という誰もが平伏すような、神々しいほどの威光が放たれていた。


 その男が口を開いた。


「この度の、取り立て屋市蔵殺しの件につき吟味致す」

 ドスの効いた声が周囲に響いた。


 頼方が清二を見据えた。

「奄美屋の番頭清二、そなたは自ら奉行所に出頭し、市蔵を殺した事を申し出ただけでなく、その殺しに至った経緯についても述べている。この件について、何か付け加える事、あるいは、違っていたとして訂正する事は無いか」


 清二が視線を上げて頼方を見た。

「いいえ、ございません。全て申し上げました通りです」


 頼方が頷いた。

「そうか、しかしながら、そなたが申した事は奉行所が調べた事と概ね一致しているが、細部ではあるが食い違う事柄が散見される。そこを、これから吟味する」


 驚きと不安が交錯するような低いざわめきが起こった。


「まず、市蔵を殺した時の状況である。そなたは、市蔵の腹を刺して川に突き落としたと述べたが、その時の様子を、もう少し詳しく述べてみよ」


 清二が不安そうに表情を曇らせた。

「はい、その・・あの日、料理屋を出て神田川沿いを歩いて行きました」


 この時、清二は市蔵を殺そうと覚悟は決めていた。

 しかし、出来れば人殺しなどしたくないという気持ちは、当然持っていた。市蔵が少しでも譲歩してくれれば、我慢する余地はあった。そこを道すがら何度も市蔵に頼み込んだ。


「・・ですが、市蔵は私の頼みを鼻で笑い、額の増額まで言い出したのです。もう、殺すしかないと思いました」

「それで、腹を刺して、川に突き落としたのか」

「はい」


「市蔵が川に落ちるのを見たのか」

「いいえ、突き落としたあとは、もう無我夢中で逃げました」


「最後に市蔵を見たのは、どういう状態のときだ」

「はあ、土手を、転がり落ちるところは、チラリと見ましたが・・」


「それでは、市蔵が川に落ちるところも、流されていくのも見ていない、ということだな」

「そうです・・」


 頼方が大きく頷きながら、懐に手を伸ばし、財布を取り出してサッとかざした。

「これに見覚えはあるか」


 灰色の蛇皮の上等な財布だ。


「いいえ・・」

 清二が首を振る。


 頼方が財布をポンと軽く叩いた。

「これは、先日捕まえた、スリが常習の小悪党が持っていたものだ。この野郎には似つかわしくない財布なので、問い詰めたところ、あるヤクザ者からスったものだと白状した」


 頼方が間を取るように、ゆっくりと場を見渡した。


「このスリ野郎は、ヤクザ者が賭場でこの財布を見せびらかしていたのに目を付けて、その男が賭場から出るとその後をつけ、首尾よくスったという」


 この意外な展開に、驚きと何が起こるのだという期待が混じった、ザワザワとささやく声が、場を包んだ。


「問題は、そのヤクザ者が賭場で財布を見せびらかしながら語ったことだ」


 頼方がまた財布を高々とかざした。

「そのヤクザ野郎は、この財布を、ある男から奪ったと言った」


 その話はこうだ。

 その日、俺は、博打で負けて、むしゃくしゃしながら神田川沿いを歩いていたのよ。そうしたら、フラフラと川から土手を上がってくる奴がいるじゃあねぇか。

 着物が濡れていて足元もふらつき、腹から血も出ていた。

 これは喧嘩でもして川に突き落とされたのだと思ったさ。

 そしたら、そいつが土手を上りきったところで立ち止まって、懐から財布を取り出し、中身を確かめ出したのさ。

 おう、おう、遠目からでも相当金が入っているのが分かった。こんな美味しい話はない。周りには誰も居ねえ。

 俺ぁ、そいつに近付いて、財布を奪うと、頭ぶん殴って、川に突き落としてやったのさ。

 それが、この財布よ。


「とまあ、そういう事を言っていたそうだ。ヤクザ野郎の話を、スリ野郎が語るという、信憑性など微塵も無い話ではあるが、まあ、念のためだ。当然ながら、奉行所としても確認は取った」


 頼方が清二を見据えた。

「この財布は、何と、市蔵のものだと分かった」


 オオッという地を這うような低いどよめきが、お白洲に響き渡った。


 頼方が表情を和らげながら頷いた。


「つまり、この状況からすると、そなたが腹を刺して川に突き落とした市蔵は、その時点では死んではおらず、その後に這い上がって来て、このヤクザ者に財布を奪われたうえに殺された、という事になる」


 清二が茫然と頼方を見た。

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