5
風香の趣味は僕を困らせることだった。
いくつかある彼女の趣味、読書や音楽を聴くことといったものとは全く異なり、非常に理解に苦しむものだった。
例えば彼女はよく僕に質問を投げかけてきたが、そのどれも、答えがそもそもないものか、あるいは答えにくいものかのどちらかだった。
僕が悩み、答えに窮すると彼女は全てを見透かすような大きな丸い目を細め、意地の悪い笑みを浮かべ、楽しそうに僕を観察していた。
そのくせ、たまに僕が反対に質問したり、君はどう思っているのかと聞けば、意味深な言葉ではぐらかす。
いつも僕は彼女に敗れていた。
でも僕は、彼女との会話が好きだった。
普段、周囲が話すような学校の噂、誰と誰が付き合ったとか、誰が誰を嫌いだとか、他にも進路の話なんかも、僕にはどれもこれも退屈で価値を感じられなかった。
風香と交わす言葉の数々、その特異な会話だけが、僕を心から満たしてくれていたのだ。
※
示し合わせたかのように一斉にのしかかってきた複数のレポート課題と、急に人が辞めてしまった穴埋めのためにアルバイトのシフトを増やされたことなどがあって、あっという間に大学二年の6月は過ぎ去っていった。
珍しく多忙な日々。そこに加えて、今年からやってきた後輩と、今年知り合った友人との交流もあって、傍から見れば充実していると言われそうな時を過ごした。
それらがある程度片付いて、日々が落ち着いてきた7月のある日、僕は鈴野に呼び出された。携帯でやり取りをしたり、何度か電話をしたことはあったけれど、直接会うのは随分久しぶりのことだった。
彼女の用件は、月末にある試験について教えて欲しいとのことだった。基本的に人と一緒に勉強ができない僕は、貴重な一日を彼女に捧げてしまう覚悟を決めて、なんとかなるかなという楽観的でアバウトな、日向のような思考を持つことにして誘いを承諾し、昼下がりのご機嫌な太陽の下に繰り出した。
待ち合わせ場所は理恵子さんの喫茶店になった。指定したのはもちろん僕。彼女は相変わらず誘うだけ誘って具体的なプランは決めない。そういうわけで、理恵子さんのところにお邪魔することにした。
じわりとした暑さにやられながら、喫茶店までの道のりを行く。すれ違う学生や、反対の歩道を行くサラリーマン、誰もが暑さと眩しさに顔をゆがめていた。まだ7月の頭だぜという言葉が聞こえてきて、僕は本当にねと心の中で勝手に同意をした。
やっとの思いで店にたどり着き、幾分か重く感じる木製の扉を開くと、まるで道中の頑張りを認めてくれて祝福するかのように冷気が僕の体を包んだ。
「やあいらっしゃい青年」
偶然扉の近くで作業をしていた理恵子さんが、笑顔で出迎えてくれた。
「どうも」
「なーんか久しぶりじゃない?」
「そうですね。珍しく忙しかったものですから。生意気なことに」
「へー、彼女でもできた?」
楽しそうに茶化す理恵子さんに僕は頷いた。
「ええ。レポートとバイトっていう情熱的な彼女です」
「あらあら、学生だねえ。あれ? てか君バイトしてたんだっけ?」
「ええ、定食屋で。まあ、そんなわけで理恵子さんの期待に添えるようなものは何も」
彼女じゃなくてとびきり厄介な友人とはこれから会うわけだけれど。
「輝かしい時代はあっという間なんだよー。恋しなきゃ」
「はあ、善処します」
軽く会話して、理恵子さんに席まで案内された。鈴野からの連絡はないので、まだ来ていないのだろう。理恵子さんに後から1人くることを告げると性別を問われたので、正直に答えると驚いていた。ただの友達だと言うとそれ以上追及はしてこなかった。したそうだったけど。
僕は喉が渇いていたのでアイスコーヒーを注文した。そうして一息つくと、ふと視界の端に見覚えのある人物を見つけた。
他でもない鈴野凛だった。
いたのかよと心の中でつっこんで、僕は気が付けと視線を送る。やがて念が通じたのか、彼女が顔を動かした拍子に、ばっちり目があった。僕は立ち上がって彼女の前の席に移動した。
「いるなら連絡してよ」
僕の第一声に彼女はわけのわからないといったような顔を浮かべた。
「あ、ああ、ごめん」
いまいちピンと来ていないのか、それとも暑さにでもやられたのか反応が鈍い。まあいいかと僕は諦める。
「それにしても珍しい。君の方が早いなんて」
「まあたまにはねえ」
「あれ、青年。待ち合わせしてたのはその子?」
理恵子さんが注文していたコーヒーを持ってきてくれたようだった。
「あ、はい。そうです。すみませんがこっちに移ってもいいですか」
「もちろん。ね、君、名前は?」
理恵子さんはコーヒーを僕の前に置き隣に座ってきた。肘をついて顔をずいっと鈴野に近づける。彼女が少し身を引いたのが見えて、いつかの逆だなと思いながらアイスコーヒーを一口。
「え、あ、えと。すずの、りんです」
鈴野はもじもじと指をせわしなく動かし目が泳いでいる。顔も赤い。
「へえ、凛ちゃんか。かわいいねえ」
「あの、ナンパならやめてもらえます?」
どうにも様子がおかしいので、助け船を出すつもりで理恵子さんに釘を刺す。
「まあまあ、固いこと言うなよ青年」
「真さん呼びますよ」
「えー、もう、意地悪だなあ」
しぶしぶ理恵子さんは席を立った。
「他に注文決あったら呼びますから」
「はいはい。あ、凛ちゃんもオレンジジュースだけじゃなくて、どんどん注文してね。最優先で持ってきちゃう」
「あ、ありがと、ございます」
「ほら、混んでるんですから」
「はーい、じゃ、ごゆっくりー」
理恵子さんはにやにやしながら、店の奥へと戻っていった。鈴野は力が抜けたようにへなへなと背をもたれた。
「店員さんと仲良いなんてすごいね」
「凄くはないと思うけど、まあ結構来てるからね。良くしてもらってはいるかな」
「いきつけってやつか」
「まあ、うん。でも僕としてはいきなり初対面のやつに街中で話しかけるよりハードル低いと思うんだけど」
「それは、うん。きっとそうだねえ」
いつもの嫌味を言ったつもりだったけれど、想定していた反応がない。もしかすると本当に暑さにやれてしまったのだろうか。
「で、今日はテストの話だっけ」
「そうなのよ。やばい気がするの」
「勉強、苦手なんだっけ」
「うーん、得意ではないね、確実に。記憶力には自信あるんだけどなあ」
「そうなの」
「うん。樹は? 勉強」
「僕も得意ではない。嫌いだし」
「なんで大学きたの」
「モラトリアムを。いや、この話前にしたよね。自慢の記憶力どこいった」
「オレンジジュースに溶けちゃった」
言って、彼女はオレンジジュースを一口飲んだ。
「なんだよそれ」
「んで、樹先生。先生は去年全部とれたの? 単位」
「まあ」
「じゃあ大丈夫だね、樹の真似をすれば」
「といっても、去年僕がとったのじゃないのもあるでしょ」
「そうね。それはなんとかするよ」
僕達はだらだらと現状についての確認をした後、ようやく単位取得のため勉強を開始した。とはいえ、僕の方は勉強する気がなかったので、彼女の疑問にひたすら答え続ける形になった。どうやら本当に危機感を持っているのか、想像していたよりも真面目に取り組んで、気が付けば一時間以上経過していた。
勉強は得意でないと言いつつ、彼女の質問は的確で飲み込みも早かった。むしろどういう意見を持っているのか、どういう方法で解いたのか僕の方が聞くこともあって、意外と有意義な時間だった。僕が素直に感想を述べると、彼女はぎこちなく笑った。その表情の真意として、きっと褒められ慣れていないのだろうという結論に至り、それを口にすると、また同じように笑った。
「にしても、モチベーションがないと言っていた割には熱心だね」
2杯目のコーヒーに僕はミルクとガムシロップを2つずつ入れてかき混ぜる。
「そう? でも勉強は君に会うためのただの口実だよ。定期的にあっておかないとほら、逃げられたら困るでしょ」
「え、まだ信用されてないの?」
驚いてコーヒーが喉にひっかかって、咳が出た。鈴野はけらけらと笑う。
「だいじょぶ? 冗談だってば、そんなに慌てないで」
「慌ててはいない」
「こう見えても感謝してるんだよ? 私の目的に付き合ってくれて」
いやに涼し気な表情を目のあたりにして、僕はまた新鮮な気持ちになる。
「そういう言い方をすると、何かろくでもない企みがあるように聞こえる」
またぎこちない下手くそな笑顔に戻る。色んな意味でおかしな奴だと思う。
「最初はそっけなかった樹も、すっかりちゃんと雑談に付き合ってくれるようになったよねえ」
その言葉に僕は黙して、一瞬否定しようと思ったけれど、いまさらだと嘲った。
「諸行無常だねえ」
「さて、そろそろ再開しようか」
「えー、もう少し休みたい。」
駄々をこねる彼女をたしなめ、僕は資料を開かせた。しかし一度休憩を挟んだせいですっかりやる気がなくなってしまったのか、すぐに手を止めてしまった。
おまけに人生でこれまでに彼女はいたのかとか、好きな子はいなかったのかとか、何に触発されたのか知らないけれど、珍しく面倒くさい質問をしてきた。
普通なら既に交わしていそうな話だったけれど、僕たちは一度もしていなかった。少なくとも僕の方は意識的に避けていたわけではなく、自然な流れだった。
きっと僕たちは共にずれている。
どこか欠けている。
だからこそ、僕たちは出会ったのだと最近思う。
僕は彼女の質問にまともに取り合わず全部適当にあしらって、本題に集中するよう促した。
「あ、ねえねえ。なにか食べ物とか頼んだ方がいいよね」
不意に彼女が言った。ぽつりと水滴をたらしたような小さな声だった。
「え? ああ、なに、腹減ったの?」
「そういうわけじゃないけど」
彼女の顔には困惑が浮かんでいたけれど、たぶん、僕も同じだ。
「じゃあやめなよ」
「でもさっき」
「さっき?」
「あの店員さん。どんどん注文してって。だから何か頼もうかと」
一瞬間をおいて、僕は思わず噴き出してしまった。
「いやいや大丈夫だよ。頼まなくたって」
「え?」
「あれは、なんで言うのかな、店員としての癖というか性でしょ? リップサービスみたいなものというか」
「あ、あー、そう、だよね」
絵にかいたような作り笑いに、僕は何かまずいことを言っただろうかと不安になった。色々と理解が追い付かなかった。
「でもまあそうだね。僕としては疲れたから甘いものを食べたいんだけど、君はどう」
なんとなく追求するのは躊躇われたので、僕は僕なりに気を遣ってそう提案した。
「え、ああ、うん。わたしも少しだけ」
「ん、チーズケーキとかどう」
「うん。それで」
意見が一致したので、僕は傍らに置いてある呼び鈴をならした。あっという間に理恵子さんが飛んできた。
「はいはーい! おまたせ」
「早いですね。チーズケーキを一つください。仲良く分け合って食べたいんで」
「大胆だな! 私へのあてつけか」
「そうです」
ぐぬぬ、と悔しそうに僕を睨んでから「凛ちゃん、すぐ作るから待っててね」と彼女に笑顔を向けて、軽やかな足取りで理恵子さんは立ち去った。
「すごい人、だね」
「同感」
「良い人みたいだし」
「それも同感。僕としては少なくとも卒業まで通い詰めるつもり」
「そっか」
チーズケーキを待つ間、僕たちはちょこちょこと勉強したり、ゲームやテレビの話なんかをした。
「おまたせー!」
いったいどういう仕組みかわからないけれど、理恵子さんはこれまたあっという間にチーズケーキを運んできてくれた。
「さて半分にしよう。前と後ろ、どっちがいい?」
「前で。少しでいいからさ」
「わかった」
「あ、わたし割る」
「そう? よろしく」
彼女はフォークを手に取って、大体真ん中のあたりでケーキを割った。理恵子さんがもってきてくれた小皿に自分の分を取り分けようと、僕もフォークを手に取る。そしてケーキに向き合うと、なぜか彼女が自分のケーキをフォークで刺して僕の顔の前に持ってきた。
「あーんってやつ、してあげるよ」
「は?」
「あーんだよ、あーん。知らない?」
知らないわけがない。いったい人生のどのタイミングで学ぶのかは定かじゃないけれど、きっと、僕くらいの年齢の人間はみんな知っているはずだ。
「正気?」
僕が問うと、彼女はフォークを自分の方へと向けてケーキを口に運んだ。「おいしっ」と感嘆の声を漏らす。
「ざんねん。正気に戻っちゃった。惜しいことしたね」
「・・・・・・・単位落とせば良いんだ」
怒りを鎮めるために僕はチーズケーキを一気に頬張った。とてもおいしかった。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
僕の提案に少々疲れた様子の鈴野は頷いた。食休みの雑談に興じているうち、窓からはいつの間にか夕陽が注いでいて眩しかった。そんなに長い時間ここで過ごしていたのかと、驚きと申し訳なさを抱く。
僕たちはテーブルに並べた筆記用具を片付け席を立った。会計を済ませる間、理恵子さんはあれこれと聞きたそうだったけれど、店が混んでいたこともあってその余裕はなかったらしい。
ただそれでも店を出るときに「また来てねー! 凛ちゃーん、樹ー」と少し恥ずかしいくらいに叫んだ。僕と彼女は顔を見合わせて笑った。
※
夜、僕は机に向かい黒いノートを開いた。スタンドライトは確かに僕の黒いノートを照らしているはずなのに、柔らかな明かりは今日の帰路を思い起こさせる。指でノートの表面をさすりよく見えるようにと思いながら、追憶を辿るあてのない旅をしようとする。
けれど今日はなんだか胸のざわめきが邪魔をして、集中できなかった。
僕は黒いノートを閉じて、眠ることにした。
※
テストの手ごたえはぼちぼちといったところで、問題はなさそうだった。最後の科目が終わり、明日からやってくる夏休みに柄にもなく胸が躍った。
呪縛から解放されて軽くなった体は猛暑をものともせず、友達の家に向かう小学生さながらの推進力で僕は帰宅した。
エアコンをつけ、ベッドに寝転がり、いざ怠惰を貪ろうというその前に、初めての試験となった鈴野と日向に出来栄えはどうだったかとメッセージを送った。
日向からはすぐに返事が来た。『大丈夫っす、元気っす』と、どうとったらいいのか非常に迷う回答だったので『夏休み満喫しなよ。言うまでもないだろうけど』と送ると、律儀にもお礼の言葉が返ってきた。
一方で、鈴野からは一向に返事がなかった。
とっくにすべての試験が終わっている時間になっても、結果報告はなかった。よほど出来が悪かったのだろうかと少し心配になった。それから思い切って電話をかけてみたけれど、応答はなかった。
僕が鈴野と久しぶりに話すことになったのは、夏休みが始まって一週間が経った頃だった。
おそらくもう誰もテストのことなんて考えていないだろうという時に、いつも以上に白い顔をした鈴野と僕はいつもの喫茶店で向かい合っていた。珍しく場所を指定してきたのは彼女の方だった。
「大丈夫・・・・・・には見えないね」
「まあ、なんとか」
マスク越しに聞こえてくる声には力がなかった。
「見事に鼻声だねえ」
店内に他のお客さんがいないからと、自然と僕の隣に座って一緒に話を聞いていた理恵子さんの指摘に、彼女は苦笑いのような、なんともよくわからない表情を浮かべたことがマスク越しにもわかった。
彼女の身に何が起こったのかというと、テストが終わって自由を謳歌しようとした矢先に風邪をひいてしまったらしかった。
試験期間中、薄々体がおかしいことには気が付いていたらしい。なんとか栄養ドリンクやエナジードリンクを大量に摂取して無理やり乗り切ったはいいものの、張っていた気が解けたせいもあってか、テスト終了と同時にとうとう限界を迎えたらしい。
僕からの連絡にも気がついてはいたけれど、とても応答する元気はなく、遂には高熱に見舞われて数日間ほとんど眠っていたらしい。
その後なんとか熱が下がったものの、体のだるさが抜けきらず声が出なかったこともあり、なおも家で療養に専念。ようやく快復してきたので、お詫びもかねて直接会おうと今日僕を呼び出したとのことだった。
「痩せたよね」
理恵子さんは僕に向かって言った。
「ええ。どう見ても」
僕は頷く。
「・・・・・・・はかってないですけど多分痩せました。ほとんど飲み物しか口にしてなくて」
以前はあれだけ挙動不審だったのに、熱に浮かされているのか理恵子さんと向かい合っていてもいつものように話している。これはこれで良かったのだろうかと、複雑な気分だ。
「どのくらい熱でたの?」
理恵子さんは心配そうに訊く。
「39度です」
「あちゃー・・・・・・・それは辛かったね」
「よく御無事で」
理恵子さんに続いて僕はため息混じりに言った。
「いやあ、結構じょうぶだよね。にんげんって」
鈴野はおどけて言った。
「他人事か。無事だったから良かったものの」
「あはは・・・・・・・寝ていればなんとかなるもんだよ。昔から慣れっこだし」
「やれやれ。にしても、去年僕も熱を出したんだけどさ、一人暮らしの熱って本当につらいよね」
「そうだよねえ」
経験があるのか、真っ先に理恵子さんが反応する。
「自分でご飯つくらなきゃいけないですし。飲み物がなくなったり、薬がなかったりしたら買いにいかなくちゃならないし、親のありがたみが身に染みましたよ」
鈴野は乾いたように笑って咳をした後、リンゴジュースを飲んだ。
「今度からは私が看病してあげるから、二人とも体壊したら真っ先に私に言いなよ」
僕は笑った。鈴野は多分へたくそな笑顔をしている。
「とにかく。君が無事でよかったよ」
「お、さすがの樹も病み上がりの美少女には優しいね」
「まるで普段僕が優しくないみたいだね」
「え、間違ってる?」
「自慢の記憶力も熱に持っていかれたのかな」
「あたりがきついよ、病み上がりの友人に」
久しぶりの歓談を楽しんでいると、鈴野が「おなかが減った」と言い出した。しばしの検討の後、パフェを理恵子さんにお願いした。理恵子さんは張り切って作ると言って厨房に向かった。
「樹はこの後の夏休みはどう過ごすの?」
「あと何日かゆっくりしたら、実家に帰るつもりだよ」
「ほほー、バイトは大丈夫なの?」
「たっぷり休めって言われたから、お言葉に甘えて一週間休みもらうことになってる」
「へー、良かったじゃん」
「そっちは?」
「私はバイトもないし、こっちでやることといえば樹とこうやって会うくらいだけど、実家に帰っちゃうならいよいよやることないね。
鈴野にはどうやら僕以外に交友関係を築く気が全くないらしい。それに関してとやかく言う資格は、僕にはない。
「君も実家に帰るなら、向こうで会う?」
鈴野は高校のある隣街に住んでいるらしかったので、帰省しても簡単に会えるだろうと思い、僕は提案する。
「え? あー、そうねー。私も実家に帰るかー。うーん」
腕を組み、また熱が出るんじゃないかと心配になるくらい考えていた。どうせ彼女のことなので、実家に帰るまでのせいぜい二時間くらいのバスが面倒なのだろうと思った。
「まあゆっくり考えなよ。基本暇だから、連絡くれたら行くよ」
言った後、とても僕が口にするセリフだとは信じられなくて心の中で笑った。彼女の言うとおり、病気を患っている人間に対しては優しくなってしまうのかもしれない。いつも以上に。
結論が出ずになおも彼女が唸っていると、特大のパフェが運ばれてきた。そのタイミングでお客さんが来たので理恵子さんは接客に向かった。
「しょうがない、帰省は前向きに検討しておくよ」
口調も表情も前向きな人間のものではなかった。
ふと、彼女から家族の話を聞いた事がなかったと気がついた。でも親しき仲にも礼儀ありと言うし、この迷う様子からも、もしかすると何か複雑な家庭事情を抱えている可能性も考慮して僕は深く聞かなかった。
「樹のご両親って、どんな人?」
黙々とパフェを食べ勧めていた鈴野が唐突にそう言った。僕は携帯をポケットにしまい、ぬるくなったコーヒーを飲み干した。
「どんな? サラリーマンと主婦だけど」
「兄弟姉妹は?」
「いないよ」
「へー、そうなんだ」
「どうしたの急に」
「ん? んーと、挨拶に行こうかなって」
「・・・・・・は?」
「彼女ですって挨拶に行こうかと」
困惑して固まっていると、鈴野はみるみるうちに意地の悪い笑顔を浮かべる。
「おもしろい顔。ね、本気にした?」
「・・・・・・まさか」
挨拶の部分に関しては本気なんじゃないかと思ってしまった。腹が立つので絶対に口にしないけど。
「さすがにね。それにしても・・・・・・さっきのぽかんてした顔」
腹をおさえて鈴野は笑っていた。僕はこの屈辱をどう晴らそうかとそればかり考えていたけれど、特大パフェを見事に食べ終えた鈴野の満足そうな顔を見ると、復讐心も消え失せてしまった。僕は随分彼女に甘くなってしまったらしい。
その後もたっぷりといつも通りの雑談を延々と繰り広げるだけの、くだらない時間を僕たちは過ごした。
テストが終わったその日よりも、夏休みの始まりを感じるような一日だった。
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