悪役の動きしかしていないのに、なぜか溺愛される悪役令嬢の顛末

村沢黒音

第1話 悪役に徹しますわ!


「ふふふ……とうとう完成しましたわ!」


 公爵令嬢エクシリーヌは、大窯おおがまを前にして、腕を組み、ふんぞり返っていた。


 彼女が今いるのは、公爵家の自室だ。

 やたらと暗い。カーテンを閉め切っているのだ。

 室内には黒魔法の本が転がっていた。


 とても公爵令嬢の自室とは思えない有様だ。


 そして、極めつけには――。

 彼女の前の大窯である。

 謎の黒い液体が、ぐつぐつと煮えたぎっていた。


 その様子をエクシリーヌは満足げに見つめていた。

 扇を口元に当てて、「おーほっほっほ!」と高らかに笑う。

 ちなみに、この謎の液体、ものすごく刺激臭を発している。エクシリーヌは高笑いしたせいで、それを大量に吸いこんでしまい、「げほごほげほっ!」と咳きこんだ。


「おーっほっほっほ!」


 しきりなおして、黒い液体からは距離をとって、高笑い。……よほどその笑い方にこだわりがあるのか、もう一度やらなきゃ気が済まないようである。


「これで、あの憎き女はお終いですわ! この呪いで、けちょんけちょんの、めっためたの、ボロボロにしてさしあげますわよ!」


 彼女は勝利宣言と共に、誰もいない虚空に向かって、扇をびしりと突き出した。





 エクシリーヌは公爵令嬢だ。

 偉いのである。

 高貴な身分なのである。


 そのために、彼女はとんでもなくプライドが高かった。どれくらいの高さかというと、「高度」ではなく、「天文単位」で表現しなければならないほどであった。大気圏突破は余裕。


 そんな彼女は最近、腹に据えかねていることがあった。自分のプライドが粉々に砕かれてしまうような、大事件があったのである。


 エクシリーヌは公爵令嬢で、高貴な身分なので、当然のように婚約者がいる。当然、彼も身分が高いので、この国の第二王子であった。

「2」という数字がエクシリーヌは大嫌いだったが、婚約者の顔も性格も大変自分好みであったので、許容することにしていた。


 第二王子ルシアン・グディルセ。


 そんな彼に近付こうとする不届き者が現れたのだ。

 それが平民の女、ジゼルであった。


 ルシアンとジゼルは、学園で同じクラスだった。「1組」だ。

 エクシリーヌは「2組」なのである。憎き数字「2」。


 なぜ婚約者と別のクラスにならなければならないの!? と、彼女は一時騒ぎまくった。「殿下と婚約者を同じクラスにしなければ、学校を爆破しますわ」と脅迫状を送ったこともある。……結果、父親と教師に死ぬほど怒られた。差出人名は書かなかったのに、なぜ犯人が自分とバレたのか。解せない。


 ……閑話休題。


 ルシアンと別クラスのため、エクシリーヌは様々な辛酸を舐めさせられることになったのである。


 たとえば、グループで課題を行う授業がある。ルシアンとジゼルは同じグループになっていて、一緒に図書室で課題をしていた。許せない。その光景を見て、エクシリーヌはハンカチを噛んだ。(その時、彼らは別に2人きりではなく、他のメンバーも同席していたのだが、エクシリーヌの視界には入っていなかった)


 また、魔法の実技授業では、ルシアンとジゼルが対戦していたことがある。あの女、死にさらせ! その光景を見て、エクシリーヌは地団太を踏んだ。(授業をさぼって別クラスの見学をしたので、後で教師に死ぬほど怒られた)


 エクシリーヌはジゼルが憎かった。

「ジゼル」という紙を何度、破り捨てたことか。……「ジゼル」という字は自分で書いていたので、その名前だけやたらと美文字で書けるようになった。


 ――ジゼルを絶対に破滅させてやる!


 エクシリーヌは決めた。

 この世界には「黒魔法」というものがある。相手を呪うための術だ。


 その手の識者に尋ねてみたところ、学校の図書館に黒魔法に関する本があることを知った。

 その日からエクシリーヌは寝る間も惜しんで、黒魔法の勉強に励んだ。エクシリーヌは大変プライドが高いので、大変な努力家であった。

 何事も自分より上に誰かがいるのが許せないのだ。そのため、常に猛勉強していた。その熱量が、黒魔法の習得にも向けられていた。


 そして、今日……呪いは完成したのである。


 ジゼルを破滅させるための呪いが!


 エクシリーヌは黒魔法の本を開いて、最後の確認をする。


「①薬が完成したら、呪いをかける相手の名前を呼んで、薬を渡します。②その相手に薬を飲むように指示しましょう。③24時間以内に相手が薬を飲めば、呪いは発動します。

 ふふん、なるほど。後は簡単ですわね!」


 その瞬間を想像して、エクシリーヌはほくそ笑む。

 あの泥棒猫め……! もがき苦しむがいいわ!

 彼女は上機嫌にその液体を小瓶に移した。


 真っ黒の液体。

 瓶の中でも気泡が湧き出ている。

 その上、とんでもない刺激臭……。


「いったい誰がそんな気味の悪い液体を飲むのか!?」ということまで、エクシリーヌは考えが至らなかった。



 彼女が机に置いた本は、ページが開かれたままだ。

 呪いについて記載されている。



「※なお、24時間以内に相手に薬を飲ませることができなかった場合、呪い返しにあうので、注意しましょう――」




「ジゼルさん!」


 翌日。

 エクシリーヌは学校の廊下で、ジゼルを呼び止めていた。

 高慢な口調だったが、エクシリーヌは高貴な身分で、ジゼルは平民なので問題はないのである。


「あ、エクシリーヌ様。おはようございます」


 ジゼルはこちらを向いて、にこりと笑った。

 なぜか友好的な笑顔である。


 ――私に憎まれて、呪われるとも知らずに、何て能天気な女なのかしら!? と、エクシリーヌは思った。


 ジゼルは素朴な風体の少女だ。亜麻色の髪に、同色の瞳。ほんわかとした笑顔は温かみがあって、見る者に癒しを与える。

 一方で、エクシリーヌはきつい雰囲気の美人であった。黒い巻き毛を背中まで伸ばしている。顔立ちは美しいが、プライドの高そうなつんとした空気をまとっている。


 エクシリーヌは紫色の瞳で、ジゼルを見据えた。


 さて、彼女に薬を渡して、それを飲んでもらえば呪いは発動する。

 問題はこの気味の悪い液体を、どのような口実で彼女に飲ませるのかということであったが……。


「ふふ、こちらを差し上げますわよ」


 何と――ど直球であった。

 何の作戦も存在しなかった。


 エクシリーヌは小瓶をジゼルに押し付ける。ちなみに、「このままだと地味かしら!?」と、思ったので、ピンク色のリボンを結んでいた。……妙な気遣いだけはできる。それがエクシリーヌ。


「え? こ、これは……? 何でしょうか?」


 ジゼルはその液体を見て、思い切り顔を引きつらせた。

 当然の反応である。


「いい? 飲みなさい。絶対に飲むのよ。24時間以内に飲むのよ! 絶対ですわよ!」


 何かの前フリなのか、と怪しまれるほどに、しつこくエクシリーヌは言った。

 口実は何も用意していない。

 ただのごり押しである。


 そして、エクシリーヌは颯爽とその場を去った。


 残されたジゼルは気味の悪い液体を見つめながら、「え……ええ~……?」とうめいていた。




 その日の放課後。


(どうしてですの……?)


 エクシリーヌは頭を抱えていた。

 ジゼルの呪いがまだ発動していないのだ。それはジゼルを見ればわかる。彼女にはまだ何の変化も起こっていないのだから。


(どうして、飲んでくださらないの……!?)


 エクシリーヌはハンカチを噛みながら、地団太を踏んだ。

 そうしていると、


「エクシリーヌ。どうかしたのかい」


 低いけれど、心地よい声が響く。

 その声にエクシリーヌは硬直した。


「で……殿下……!?」


 婚約者のルシアン・グディルセだ。

 金髪に、翡翠のような美しい瞳。穏やかな眼差しをエクシリーヌに向けている。気品のある佇まいといい、惚れ惚れとするほどの美声といい、端整な顔立ちといい――まさに「理想の王子様」という存在だ。


 ルシアンはエクシリーヌのそばにやって来ると、気遣うように頬を撫でた。美が眼前に。刺激が強い! エクシリーヌはわなわなと震えながら、頬を熱くした。


「もしかして、また学校に脅迫状を出そうとか、考えていないだろうね」

「ちがいますわ! そうではなく、私は呪……っ」

「………………のろ?」

「の、の……ノロマの練習をしていたんですのよ!」


 あまりにもお粗末な誤魔化し方であった。

 ルシアンがおもしろそうに噴き出している。


「ふふ。それはまた……。成果はあったかな?」

「それが……まだですの」

「そう」


 エクシリーヌはしょんぼりと答えた。

 ジゼルの呪いはまだ発動していない。だから、落ちこむのもやむなしである。

 ルシアンはエクシリーヌの髪を一房手にとり、そこにキスを落とす。


「何のことかは、わからないけど。上手くいくといいね。応援しているよ」

「ふぁ……!? あ、あの、……あぅ……!」


 エクシリーヌは沸騰寸前なほどに赤面する。

 彼女の羞恥は限界突破、逃亡一択、さらば殿下。


「そそそ……、それではごきげんようですわよ~~~!」


 彼女は喚きながら、その場から逃げ出した。

 その後ろでルシアンが、おかしそうに「ふふ」と笑っているのが聞こえた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る