第22話  饂飩(うどん)

 ガスタンク爆発騒ぎから夜明けまで、まるで氷河期の終わりを待つような気持ちだった。




 住吉川の護岸は、ゴツゴツして座り心地が悪い。


 かといって、冷え切ったコンクリートに寝れば、二度と目覚める事はないだろう。


 俺は爆風がいつ来るかと身体を低くしてギュッと目をつむり、両耳を指でふさいだ。


 不自然な体勢のまま、まどろんでは起きるを繰り返した。


 冬の夜は長い。空は、煙って薄明かりを覆い隠してしまう。




 時計もラジオもないまま、無間地獄を過ごした俺は、再び精神を病んでいった。


 ドカンという破裂音に驚き、顔を上げると真っ赤な光がまぶしかった。


「うわーっ」


 俺は、護岸の斜面を転がりながら川辺を目指した。


 目の前にキラキラと輝く照り返しがあった。


 いつの間にか夜が明けていた。


 どうやら、余震と朝日をガス爆発と勘違いしていたようだ。


 後で聞いた話では、さいわい、現場では夜を徹した放水作業が奏効してガスタンクの爆発は免れたそうだ。




 そんな情報も孤独な被災者には、一切届かない。


「もういやや。もういやや。どこまで逃げたらええんや!」


 あまりの悲惨な最期、多すぎた知人との死別、大量の遺体、俺の心は、すみやかな安らぎを求めていた。


「死にたい。死にたい。誰か俺を殺してくれ。もう結構や。何で俺が生き残らなあかん」


 やり場のない焦燥感に居ても立っても居られない。俺は、やみくもに走った。




 遠くに見慣れない車と人の列を見た。全員が分厚い防寒具を付けて、肩から何か長い物をさげている。




 軍隊だ!




 俺は、ついに気が狂ったかと歓喜した。願ってもないことだ。


 このまま幻覚に蝕まれて凍死するのもよい。脳内麻薬は、断末魔の死の恐怖を和らげるというではないか。




「殺してくれーっ! 鉄砲でバーンっと撃ってくれーっ! プリーズキルミー! 万歳!」




 俺は、諸手を挙げて兵隊の列に飛び込んでいった。優秀な軍隊ならば躊躇なく発砲するだろう。




「ギェーーー!!」




 俺は不思議な高揚感に酔いながら全力疾走した。


 平和ボケが慢性化したこの国で銃弾に倒れるなんて最高に「おもろい」死に方じゃないか。




 銃の代わりに人間の手と足が出てきた。兵士たちは訓練が行き届いていた。俺は、たちまち組み伏せられ、毛布を被せられた。




「どうしました? 大丈夫ですか? どっかお怪我はありませんか?」




 俺を迎えてくれたのは黄色人種の顔だった。訛りのない流暢な日本語が聞こえた。




 自衛隊だ。


 陸自といえば、土砂災害や火山灰の撤去というイメージが定番だった。


 自衛隊と聞けば、それらのニュース映像を反射的に思い浮かべるだろう。日常から遠い存在。


 はっきり言って平和な神戸には、場違いな組織だ。


 実際、地元では共産党系の議員が声高に違憲を叫んでいた。


 目の上のたん瘤と思う市民も多かった時代。俺も自然と周囲に感化されて反感を持っていた。


 この瞬間までは。




「大きな怪我は、無さそうですね。よかったーっ!」




 自衛隊員は、我が事のように俺の無事を喜んでくれた。


 俺は、へなへなと力が抜け、自然に涙がこぼれた。なんと立派な人たちだろう。


 俺は、たいした根拠もなく植え付けられたイメージだけで彼らを嫌っていた。


 自衛隊は、戦争をするための組織ではなく、本来ならば俺のような人間のクズですら平等に護ってくれる人たちだ。




 俺にとっては、神のような存在だった。俺にアツアツのビーフカレーを振る舞ってくれた。


 うまい。


 レトルトでなく本物の煮込みカレーである。牛肉の脂で舌がとろけそうだった。






「私達は阪神基地隊の状況を調べに来たんです。残念ながら海に沈んでムチャクチャな事になってますけどね」




 リーダー格の人が言うには、東灘の岸壁に自衛艦が上陸しているという。




 やっと、やっと逃げ回る生活に終わりが見えてきた。だが、同時に怒りも覚えた。


 なぜ、もっと早く来れなかったのか?


 重機がないばかりに生き埋もれたまま焼け死んだ人々。救急医療が間に合わず冷たくなった子ども達。思い浮かべればきりがない。


 何で、何で、この俺「だけ」がカレー を食っているのだ。俺自身がこの世に存在する不条理に腹立ちをおぼえた。






 出来る事はないかと聞かれ、俺は震災の孤独の中の被災者を助けてくれと答えた。


 詳細を聞きたいと言うので、俺は自衛隊の車で送ってもらう間、これまでの惨状を訴えることにした。




 六甲道を南北に貫く道路は桜口交差点の手前でパンダ六甲ビルに阻まれている。


 所有者に無断でビルを撤去できないので自衛隊の車両は六甲道駅の北側から進入し、ビルの手前で迂回して国道に入ることになる。




 自衛隊員たちは、桜口四丁目にある御旅所(おたびしょ)に駐屯することになった。


 そこは八幡神社の御輿が、祭りで巡回する際の休憩所になっている。


 広い砂地の中央に御輿を載せる御影石の台座がぽつんとある。


 俺が子どもの頃、近隣のガキたちは、この御旅所の意味がわからず、台座の由来に陰謀論を重ねて空想し合ったものだ。


 ある者は台座の下に秘密基地が埋まっていると言い、ある者は、地球防衛軍のヘリポートだと断言した。


 夏休みの深夜などに仲間と示し合わせて家を抜け出して、防衛軍基地の歩哨が台座を警備しているのではないかと見に行ったこともあった。




 その思い出深い場所に自衛隊がやってきた。こんな空想未来は来てほしくなかった。




 自衛隊の手腕は素晴らしく、二、三時間の内にテントが張られ、仮の救護所や炊き出しの準備が整った。


 大量の食材が運び込まれ、給水車もやってきて暖かい食事がいつでも食べられるようになった。




 先ほどのリーダーさんが誇らし気に言った。




「僕たちは、被災者の皆さんが冷たい思いをしているのを慮って、温かい食事を我慢しているんですよ。


 船に戻れば食べられるんですが、あえて冷えた食事を食べています」




 違う!


 何かが違う!


 ずれている! そんな斜め上の配慮をしてもらってもちっとも嬉しくない。




 俺が、被災者が望んでいるのはそんなことじゃない。


 救助活動にベストを尽くしてもらうことだ。その足を引っ張るような自虐をしてもらっても何も嬉しいことはない。




 俺は声を大にして「そんなん嬉しいことないです!ちゃんと暖かい物食べて、コンディションを整えて、

救助にベストを尽くしてください!」と叫んだ。




 リーダーさんは、雷に撃たれたような顔をしていた。


 こういうショッキングなことには耐えるよう訓練しているのだろう。


 すぐに当惑した表情を引っ込めて「では、ありがたい配慮に感謝します」と言って部下に指示を出した。




 このエピソードは、ニコニコ動画富士火力総合演習の生放送で読まれ、粗品を貰っている。






 山のような義援品も届いた。俺は、抱えきれないほどのお菓子や缶詰を受け取り、全壊した自宅跡へ凱旋した。




 家の前では頼もしい部隊が駐留していた。今度こそ俺は、枕を高くして眠れそうだ。






 その日の夕方近く、きつねうどんが振る舞われることになった。




 俺は、家一軒ほど吹き飛ばせそうなくらいのカセットボンベとコンロを配給されていたのだが、

自衛隊の作るきつねうどんを味見したいと思った。


 他にも、ビーフカレー、おでん、雑炊の配給所ができている。




 そこには俺にとって太古の昔に置き忘れてきた秩序が戻っていた。被災者たちは行儀よく並び、汚らしい関西弁で喚く者もいない。






 俺が油揚げの甘美を想像しながら待っていると、目を血走らせた老人が割り込んできた。俺は無用な争いを避けるために割り込みを許してやった。


 自衛隊の眼前で騒ぎを起こせば結果は火を見るよりも明らかだ。




「こんなうまいウドンは何年振りや」


「うまいうまい」


「ありがたいことや」




 既に丼を受け取った老人たちが嬉しそうに麺をすすっている。




「ほんまに助かるわ」


「ありがたいことやなあ」




 中年の夫婦が自衛隊にぺこぺ こお辞儀をしている。




 割り込み老人は蔑むような目でそっちを睨んだ。




 彼の順番が来た。




「はい。熱いから気を付けてくださいよ。お腹も心も満たして元気になってください」




 自衛官の手からホカホカのどんぶりが手渡された。






 老人は、ひったくるように受け取り、しばらく鉢を眺めていた。




 死んでいった家族を弔っているのだろうか。


 順番待ちをしている人々も同じ思いをしているのだろう。咎める者はいなかった。




 老人は、何を思ったのかいきなり鉢を高々と差し上げた。




 そして、言い放った。




「こんなもん!」




 べちゃっ!


 うどんを自衛官に投げつけたが、さいわい自衛官には当たらず、地面に叩きつけられた。




「こんなもん!」




 もう一度、浸透するように絶叫した。




「こんなもんで俺が救われるかーっ!」




 自衛官があっけにとられている。




「俺の嫁も娘も死んだんじゃーーー。こんなもん、こんなもんで俺が救われるかーっ!」






 こんなもん……。




 発泡スチロールの丼から投げ出されたホカホカの饂飩(うどん)が、


 生暖かい湯気を立てて、地面に横たわっていた。

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