第18話 震災の一風景───パーラーアポロ
つい最近まで震災の帯という言い方を知らなかった。被害が集中した場所と活断層が重なって帯のように連なっているのだ。
確かに、被災体験を語り合った時に、あまりにも温度差があると感じてはいたが、一つの言葉になると重みが感じられる。
実際、帯の中でも道路一本隔てて生死を分けた例がいくつもある。
同じ町内でも一丁目は全壊家屋ばかりだが、二丁目は窓ガラスが割れただけで済んだとかある。
わずか何メートルの差が俺の大切な知り合いの命を奪った。
天は容赦ない。俺は神の慈悲など信じない。なぜ、温厚な善人が死ぬ必要があるのか?
弔いにパーラーアポロ(仮名)の思い出を語ろうと思う。
今では児童虐待として大事件になるかもしれないが、俺は小学校に上がるまで親に放任されていた。
幼稚園に入れてもらえるのはセレブのお坊ちゃまだけだった。
低所得者の幼児教育は、両親や祖父母の責任だった。
俺の親は守銭奴だったので物心ついたばかりの俺を労働力として扱っていた。
小学校一年生の一学期に俺は担任教師に定規で思いっきり殴られたものである。
「こんな怠け者は見たことが無い! ひらがなも数字も書けないなんて人間として情けない。幼稚園で何をやってたんだ?」と激怒された。
俺は「いえ、行ってません」と正直に答えたが、「言い訳に嘘をつくとは最低な奴だ!」と廊下に正座させられた。
本当に行ってないものは行ってないのである。
「じゃあ、どこへ行ってたんだ?」と聞かれて「パーラーアポロです」と答えたら、逆切れした教師にバケツの底で鼻血が出るほど殴られた。
パーラーアポロというのは地元の大きなパチンコ店だ。俺の産まれる前から存在しており、震災から二十年たった今でもしぶとく営業している。
今で言うコーヒーレディを何人も雇っており、店の裏に女子寮があった。
そこは従業員食堂も兼ねており、俺は両親のいいつけで毎日、惣菜を配達していた。
従業員は俺を可愛がってくれた。
とくに、西野さんという二十歳そこそこの女性は景品のお菓子(明治のアポロチョコ)をよくくれた。
俺は西野さんを「アポロのおばちゃん」と呼んで慕っていた。
もう一人、俺の従姉妹(いとこ)おばで信子(しんこ。のぶこではない)という人が住み込んでいた。
女子高を出て銀行員になったが、今で言うアスペルガーが災いして、すぐに解雇されたようだ。
信子さんは経済観念が少し狂っていて、当時高価だったカラーテレビを分割払いで買っていた。そのせいか衣食が貧しかった。
テレビが観たさに俺は信子さんの部屋に配達のついでによく出入りしていた。
「昼は雄ちゃん(俺)が持ってきてくれるおかずがあるけど、晩はモヤシとか梅干しやねん」と言いながら麦飯を食べていたり、
「ストッキング早う伝線するから、わたし買われへんねん」と言って制服のスカート姿に生足で接客したりして店長によく叱られていた。
店長も最後は諦めたのか、障害者を福祉のために仕方なく雇ってやっているというスタンスだった。
「あの人はクルクルパーやから、お嫁にも行かれへんし、しゃあないねん」
今ならブラック企業の経営者が差別発言をしたとして大ニュースになりかねない発言をしていた。
もし信子さんが解雇されるようなことがあれば、俺はカラーテレビを見られなくなる。そう思って子どもなりに信子さんを弁護していた。
「おっさん、何言うてんねん。おばちゃんは教育テレビも観てんねんぞ。勉強してんねんぞ」
「この糞ガキャ、ウルトラマンばっかり見くさって!」
「おっさん、二十一世紀になったらなぁ、俺はアポロのパイロットなってんねんぞ! 英語しゃべれるねんぞ。
アメリカ人がおっさんの店に来ても通訳してやらへんからなあ」
「ガキが偉そうなことぬかしやがって! 帰れ!」
そんなやりとりを毎日のように繰り返していたのを昨日のことのように思い出される。
西野さんと信子さんは俺の保母さんのような存在だった。
信子さんは非番の時は自慢のカラーテレビを眼を皿のようにして見ており、俺が「子ども番組を見たい」と言えば、
嫌な顔をせずチャンネルを変えてくれた。
俺の実家は裕福でなかったので怪獣の玩具やプラモデルなどは買って貰えなかったが、
アポロのおばちゃんに古新聞を貰って紙飛行機を折ったり、丸めて剣を作ったりして遊んだ。
信子さんはチャンバラごっこや怪獣ごっこの相手になってくれた。
優しいだけでなく厳しい面もあった。
ある時など、俺が路上でパチンコ玉を見つけて転がして遊んでいると二人にものすごく叱られた。
パチンコの出玉は換金できる。お金と同じ価値があるので粗末に扱ってはいけない。そんな事を陽が沈むまで延々と説教された。
一週間ほどテレビも見せてもらえず、俺にとっては、この世の終わりに等しい責め苦であった。
俺の両親もパーラーアポロの店長も、女子従業員二人が俺の教育役として機能していることを知っていたらしく、
寮への出入りは黙認してくれていたようである。
幼児教育は受けられなかったが、保育士の資格を持っていない二人にそれを求めるのはお門違いだろう。
とにかく、二人が姉のような存在であったのは間違いない。
俺が小学校へ上がってからは、同級生同士の遊びが忙しくてパチンコ屋から遠ざかっていった。
小学生がパチンコ屋に出入りしているというPTAの苦情もあったのだろう。
両親も俺に配達を言いつけることはなくなった。
そういう思い出のいっぱい詰まったアポロが全壊した。
俺が写真館の惨劇に疲れてへとへとになっていると「材木屋の兄ちゃん」と呼び止める人がいた。
火付け用の角材を商っているうちに俺はいつの間にか、そういう通り名がついた。
「材木屋の兄ちゃん呼んで来てって頼まれたんや」
俺は老人に言われるままに付いていった。
道端で何人か男性が集まって相談している。
「材木屋の兄ちゃん連れてきたで」
老人が俺を紹介した。
「おう、雄ちゃんか。大きゅうなったなぁ!」
見知った顔の男が俺に声をかけてきた。
「わしや! 覚えとるか? 『船の大工さん』や」
「良造のおっさん!」
記憶にある顔とは、かなりかけ離れて老いさらばえていたが、どことなく面影があった。信子さんのお父さんであった。
良造さんは商船大学を出て長い間外国船員をやっていたが、オイルショックでリストラされた。陸に上がって大工になった。
俺の父親とは同郷であり、よく酒瓶をかかえて実家に遊びに来ていた。
象牙海岸とかいう聞いたこともない遠い国の話を俺にいろいろ聞かせてくれたりした。
俺も「船の大工さん、船の大工さん」と懐いていた。
その良造さんがなぜここにいるかといえば、理由は一つ。嫌な予感がした。
「雄ちゃん、大変やったな」
彼は大きな包みを俺にくれた。中にはサランラップで包んだおにぎりが詰まっていた。奥さんと二人で一生懸命に握ったのだという。
呼び集められた男達にも配られた。
「どうも、おおきに。尼崎からどうやって来られたんですか?」
「西宮から歩きで、来た。道路も何もムチャムチャや!」
良造のおっさんは歩き疲れたという風に道端に腰をおろした。何か言いたげだが言いにくそうな顔をしている。
俺は先手を打って質問した。
「もしかして、信子さんのことですか?」
「助けたってくれ!」
良造は俺に泣きついた。
「アポロ……二階も一階もペシャンコですねん」
さっきの老人が深刻そうに言った。
「えーっ!?」
俺にはアポロの崩壊より信子さんがまだそこに勤めていたことに驚いた。
経緯を整理すると、俺が小学校にあがってしばらく後に信子さんは神経症を患い、入退院を繰り返していたようだ。
その後はパチンコ店の掃除婦をしたりして結婚もせず細々と暮らしていたようだ。
アポロのおばちゃんが信子さんの世話係を担っていたようだ。
「お願いや! あの子は、あんな風になってもわしの娘や。助けたってくれ!」
父親にとっては、娘がいくら老いようとも若いころの可愛らしい姿が目に焼き付いているのだろう。
俺は鹿児島堂の件や、アイリーンさんの事や、写真館の惨状で参っていたので本気で断った。
もう、ぐちゃぐちゃになった人間を見るのは沢山だ。
「すんませんけど、おにぎりは他のお腹がすいている人にあげてください」
俺は包みを突っ返した。
これだけ被災地に人がとどまっているのだ。おにぎりを餌に幾らでも人を集められるはずだ。
それに、俺だけが信子さんを探し当てる特別な能力を持っているわけではない。
「……あれだけ世話になっておいて、恩を仇で返すちゅうのか? それでもお前は人間か?」
案の定、良造は逆恨みを始めた。
別に子守をしてくれと俺や俺の両親が頼んだわけではない。
そう言い返そうと思ったが、俺もゲスな人間なので、ムカついたついでに最高の嫌がらせを思いついた。
恩返しを求められているなら、その通りにしてやろう。
震災から四日も立てば、この酷寒の中で死んでいるか、ぐちゃぐちゃの冷凍ミンチになっているはずだ。
実際、レスキュー隊もパーラーアポロの付近で活動していない。
『現実を見せる』という最高の恩返しを差し上げよう。
俺は、気を取り直した振りをして良造に反撃した。
「え? 人間ですわ。俺、人間ですよ。腹も減りますがな。そやけど、ちょっと無茶な注文なんで、お断りしようと思うたんですわ」
「何やと?」
「こんな暗い中で助けるちゅうても無理でっせ。灯りもないし……」
「照明なら何ぼでも持ってきたらぁっ! 何ぼでもあるわぁっ! 要るだけ持って来たらぁっ!」
良造はチンピラのように吠えた。
彼は建築業者である。投光器の手配など造作もないと言いたげだった。
「待っとれっ。夜九時や、九時までにどうにかしたる。アポロの裏で待っとれ」
良造はそう言い捨てて、立ち去った。
あと五分で午後九時になる。俺たちは、ぺちゃんこにつぶれたパーラーアポロの裏で握り飯を頬張っていた。
久々にありついたまともな食事である。
人間は生存欲求が満たされると少しは高次の思考を取り戻す。
俺はアポロのおばちゃんや信子さんの思い出を反芻して自然に涙を流した。
おばちゃんたちと一緒にバッタやダンゴムシを捕まえた駐車場の草むらが焼けて黒焦げになっている。
新聞紙を丸めて斬り合った路地が瓦礫に埋もれている。
仮面ライダーやウルトラマンの似顔絵を落書きして遊んだ寮のガラス窓が枠ごと外れて地面に落ちている。
俺の人生の工程表では、この駐車場にアポロ宇宙船で颯爽と乗りつけて、アメリカ人観光客を流暢な英語で案内し、
店長をギャフンと言わせてやるはずだった。
跡形もなく潰れた瓦礫の下には俺を応援してくれた二人の女性が埋まっている。
できれば、夜のとばりで永遠に覆い隠してしまう事を願った。
「雄ちゃん、おるか!」
俺の前に軽トラが止まった。荷台にガソリン式発電機と電球一個だけの投光器が積んであった。
スコップやネコ(資材運搬用手押し式一輪車)や懐中電灯やヘルメットも準備されていた。
俺たちは軍手をはめ、懐中電灯とスコップを手にして捜索を始めた。
重い柱を担いでは、よけるという重労働を繰り返した。深夜の厳寒にも関わらず、汗が噴き出してくる。
女子寮跡の一角だけ真夏の昼間のように煌々と照らされていた。カラーテレビから高校野球の歓声が聞こえていたあの夏を思い出す。
良造が小休止を宣言し、暖かい十六茶のペットボトルをくれた。
そういえば、信子さんは少ない収入をやりくりして俺にパチンコ店の自販機で五十円のジュースを買ってくれた。
当時の時給は三〜四百円ぐらいだったはずだから、けっして安くはない。
その自販機は代替わりしているが、あいも変わらずパチンコ店の裏口に無残な姿で佇ずんでいた。
女子寮は一階が食堂や洗い場や共同風呂などがあり、二階が個室になっていた。
俺たちは、押し潰された一階は後回しにして二階から捜索を開始した。
壁が崩れ、土砂が積もった瓦礫をスコップや手で取り除いていく。もうもうと埃が立ち込め、照明に浮かび上がる。
無事でいて欲しい、生きててほしい。良造の想いが念仏のように口から自然と発せられていた。
まるで、砂漠の遺跡発掘作業だ。スコップでガツガツと瓦礫を除去し、混ざっていた日用品を取り出す。
独身女性の部屋らしい、可愛らしさ溢れる食器や婦人服が散乱している。
俺たちは押し入れやトイレなど真っ先に避難しそうな場所を探してみたが、人間のパーツらしきものは見つからなかった。
「もしかして、一階か? あんな早朝にまさか風呂に入ったり飯くわんやろ」
東の空が明るくなる頃、疲れ切った俺たちは信子さんたちがここにはいないのではないかと考えつつあった。
「あかんわ。もし一階やったら、重機使わなラチがあかん。続きは明日や」
作業者の一人が良造に中断を提案した。
良造は諦めようとしなかった。無理矢理にでも続けようとした。
「わしらも、もうしんどいですわ。階段も廊下も探しましたしね。押し入れや炬燵やタンスの下にも、おらんかったし。
まだ掘ってないとこちゅうたら各部屋の玄関ですわ」
揺れが来た時に誰もが飛び出すか、家の奥に引っ込むはずで、玄関に留まる愚か者はいない。
「そこじゃ! 信子はそこにおる!」
狂信者そっくりの形相で良造がスコップを握った。めちゃくちゃに壊れた下駄箱をノコギリで切っていく。
崩れ落ちた天井の残骸を俺と良造の二人がかりで取り除いた。
果たせるかな、そこには砂埃にまみれ全身真っ白になった女性が寄り添っていた。
アポロおばちゃんが信子さんを抱きかかえるようにして冷たくなっていた。
二人は救いを求めるように手をのばしていた。
五本の指は瓦礫にのめり込み、爪はすべて剥がれ、力任せに引きずった跡が残っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます