第195話 『対談、老中首座堀田正篤』
安政二年十二月二十五日(1856/2/1)~の数日前 <次郎左衛門>
「あーもう面倒臭えなあ、あそこ息が詰まるんだよ。
「なに21世紀の人間が非科学的な事を言ってんだよ」
「いや、いま令和じゃねえし、21世紀でもねえし……」
信之介達と次郎のとんちんかんなやり取りの後、四人は真剣な話に入る。
「で? ジロちゃん、何て言ってきたの?」
「別に何も。色々と聞きたい事があるゆえ登城せよ、としか聞いていない」
お里の言葉にげんなりしながら次郎は答えた。
「うーん、意味深だな? やっぱり北海道の開発が関係してるんだろうか」
「可能性大だろうな。そもそも領地って何なん? 幕府が勝手に取り上げたり変えたりできるん?」
一之進の問いかけに信之介も続く。
「うーん、まあ何だろう。地方自治を任せているだけで、将軍の物? 的な意味あいが強いのかも知れんな。じゃなきゃ改易や転封、減封なんて出来ないし、自治をさせる代わりに忠誠を誓わせたのかもな。いずれにしても、北海道の事は言われるだろう」
「じゃあもし、阿部さんじゃなく、その堀井さんも奉行所の件や上知? 領地没収を言ってきたらどうするの?」
お里が心配そうに聞いてきた。
「もちろん、突っぱねる。じゃなきゃ前に反抗した意味がない。阿部さんも俺達を敵に回すよりも味方につけた方が、後々いいって判断したから、苦渋の決断かもしれないけどOKしたんだよ」
「戦争になっても?」
「……ならないよ。幕府だってこんな時期に戦争なんてやってる暇はない」
重苦しい雰囲気が四人を包んだ。
■江戸城 老中御用部屋
「大村家中、筆頭家老、太田和次郎左衛門にございます」
「うむ。堀田備中守である。苦しゅうない、面を上げよ」
はは、と次郎は答え、礼に則って正篤と正対する。
向かって右手に阿部正弘がいる。どちらかというと凜とした中にもふくよかさのあった顔立ちだったが、少しやつれたように次郎には見えた。
堀田正
「……さて、太田和殿。色々とやっておるようだが、少々聞きたい事がある。よいか」
「は、ご随意に」
淡々と言う正篤に対し、次郎も無表情で答えた。
「うむ。ではまず蝦夷地についてであるが、昨年より
正篤は次郎をみて、一呼吸置いて続けた。
「遠国奉行たる箱館奉行は、そもそも公儀の差配で営み、公儀に命じられた者がその役目にあたるのが筋である。伊豆守殿が公儀の奉行としてその任にあたるならともかく、松前家中が全てを差配し、公儀から目付の如き役人のみを遣わすとは、
正篤の言葉にしばらく次郎は沈黙したが、その間にも部屋の空気が緊張感で満ちていく。阿部正弘は無言のままだ。
次郎は静かに口を開いた。
「松前家中の長年の験と知を活かすことが、蝦夷地を安んずる事、ならびに栄えさせる事になると判じたゆえにございます」
「うべな(なるほど)。然れど
正篤は目を細めて言った。
次郎は一瞬だけ目を伏せ、再び正篤と視線を合わせる。
「仰せの通りにございます。異国船の来航が頻繁になる中、速やかに処さねばなりませぬ。公儀の命を仰ぎながらでは、時に機を逸する恐れがございました」
「それは、公儀の采配を疑っているということか」
「決してそのような不遜な考えではございませぬ。然れど、現地の事様(状況)に即した判が要る事が多々あると存じます」
「ふむ……」
正篤は腕を組み、しばらく考え込む。
確かに長崎と同様に遠隔地である蝦夷地では、幕府の指示をいちいち聞いていたのでは機を逸する可能性がある。長崎から江戸は40~45日かかるし、飛脚でも一週間から十日、二週間はかかるのだ。
蝦夷地も同程度かかるだろう。
しかし、それは松前藩が奉行所を運営して良いという理由にはならない。
「では聞くが、奉行所を差配するのが松前家中でも公儀でも、江戸への伺いにかかる時は同じではないか? ならば、公儀の役人としての奉行の判は、松前家中で任ぜられた奉行の判よりも劣ると申すのか」
次郎は再び正篤に向かって、慎重に言葉を選びながら答えた。
「決して然様な意味ではございませぬ。むしろ、松前家中が現地の始末(事情)を熟知していることが、速やかなる判による行いを能うものとし、それが公儀の益につながると考えております」
正篤は次郎の言葉を無言で受け止めた後、手に持った扇子を何度か叩き、考えている。
「ふふふ……(
正篤は短く言った。
「
次郎は正篤のこの質問を想定してはいたが、核心を突いた質問に部屋の空気が一変する。言質をとられないように次郎は息を整え、発言に矛盾が生じないように答えを組み立てる。
「確かに遠く離れております。然れど我が大村家中は長崎の備えを通じて、異国船の動向や異国人に処する知見を積み重ねて参りました。その知見が蝦夷地の備えにも活かせると考えたのです」
「ふふ……ふふふふふ……もうよい。もう良いぞ、太田和殿。然様な取り繕った様な答えは聞きとうない。異国への処し方ならば、松前家中も公儀も心得ておる」
正篤は扇子をトントンと叩きながら続ける。考え事をするときのクセなのだろうか。
「……まあ良い。蝦夷地交易の件であろう? 松前家中との蝦夷地交易にて大村家中に利があり、その奥地の草分け(開拓)を行っておるゆえ、箱館に奉行所を設ける事に反対いたしたのではないのか?」
次郎は正篤の言葉を冷静に受け止めるが、正篤の『お見通しだ』と言わんばかりの鋭い視線が次郎に注がれる。
「……仰せの通り、我が家中が、松前家中を通じた蝦夷地交易や草分けによって利を得ているのは確かにございます。それゆえ、わが家中にとりて重きものである事は否めませぬ。然れど奉行所の件に口入れいたしたのは、単に家中の利のためではございませぬ……」
次郎はその先を言おうかどうか迷った。一線を越えてしまえば、一触即発の
「ふむ。それで……?」
「彼の家中の知見を用いた備えこそが……」
「……太田和殿。表向きの答えはいらぬ、と申したはず」
……。
……。
……。
沈黙は金なり、という言葉があるが、隠し通せないようだ。次郎は観念して、勝負にでた。
「……では、
わずかに、正篤の顔に笑顔が見えた。
「然れば御公儀は、箱館の奉行所を設け、いずれは全ての蝦夷地を上知し、松前の御家中を転封なさろうとお考えではございませぬか? そこまでつぶさには決まってはおらぬやもしれませぬが、そうならぬと言い切れますか? そもそも心血を注いできた所領を奪われ、
次郎の言葉が部屋に響くと、堀田正篤はじっと次郎を見据えた。
緊張が一段と高まり、空気がさらに重く凍りつくように感じられた。正篤と正弘は顔を見合わせ、驚きと戸惑いの表情を浮かべる。
次郎のあまりの発言に、開いた口が塞がらないのだろう。
しばらくの沈黙の後、正篤が口を開いた。
「太田和殿、そのような憶測は無用である。松前家中の未来を決めるのは、あくまで公儀であり、貴殿ではない」
正篤の声は静かだが、その中に含まれた警告は明確であった。次郎はその圧力を感じながらも、少しもたじろぐことなく、続けた。腹を決めたのだ。
「その点にございます。何故なんの
「……」
「……ここまで申し上げましたので、最後まで申し上げますが、正直なところ、然様な事となれば、わが家中としても大いなる失となるのです。蝦夷地の備えが大事として箱館奉行所や上知をお考えであれば、我ら二つの家中で、抜かりなく執り行いますのでご心配には及びませぬ。何卒ご容赦願います」
「本音が、でたな」
次回 第196話 (仮)『一触即発、大村藩改易か?』
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