第192話 『第12代アメリカ東インド艦隊司令長官ジェームス・アームストロング』
安政二年八月二十四日(1855/10/4)
ようやく涼しくなってきた十月(旧暦八月)の四日、大村藩庁海防掛に驚くべき電信が入った。
発 瀬戸台場 宛 海防掛
我 異国船 発見セリ 指示ヲ願フ
大村藩領内の瀬戸村の台場からの電信である。
来年の5月に領内全域の電信敷設が完了する予定であったが、西彼杵半島は外海地区から敷設がはじまっており、瀬戸村はすでに完了していたのだ。
海防掛総奉行である江頭官太夫は次郎へ報告するとともに、川棚の艦隊司令部に指示を出して出港を命じた。同時に瀬戸台場に返信し、臨戦態勢をとらせたのだ。
「次郎殿、
「さすがです、官太夫殿。今の段階では何ともいえませぬ。長崎は近いゆえ、測量が目的やもしれませぬ」
官太夫から報せを聞いた次郎は、すぐに川棚へ向かった。
官太夫が電信を受けたのは午前9時過ぎであったが、次郎達二人が川棚に到着したのは昼前であった。
艦隊は出港準備にかかっていたが、指令を受けてすぐに出港できるものではない。まずボイラーに点火して高温・高圧の水蒸気を出せるようにしなければならないのだ。
これに4時間かかる。次に蒸気管や蒸気弁を温めるのに4時間かかり、その後に試運転になるのだが、半日は要するのである。岸壁では10月の海風が心地良いが、ひたっている場合ではない。
幸いにして5隻の艦艇のうち、旗艦の至善のみ習熟航海のために日出前から出港準備をしていたので、次郎達が着いた頃にはようやく出港できる
旗艦である至善の艦橋は緊張感が漂っており、将兵が忙しそうに行き来している。
艦橋では江頭兄弟が待っていたが、二人は次郎にむかって敬礼をし、次郎が答礼をする。官太夫は二人の父親であるが、ここでは上官と部下である。
「艦長、すぐに出港できるか?」
「はい。概ね準備は終わっており、30分後には出港可能です」
「うむ」
次郎の言葉に、艦長である江頭隼人助は即座に返答した。ライケンは兵学校の校長であり、各艦に座乗しつつ適性者を見いだし、それぞれの艦長を任命していたのだ。
次郎から見れば艦長の経験など自分にもないのだから、400トン足らずの掃海艇と同じくらいの艦ではあるが、かなりのスピード出世である事は間違いない。
パラパパンパラパパンパラパパンパパンパパーン!
「出港用意!」
出港用意のラッパが鳴り響き、至善は出港した。
瀬戸台場までは海路で約46km(約28マイル)であったが、出港後は逆風で、汽走6㏏で航行した。早岐瀬戸を通過して佐世保湾に入り、高後崎を過ぎたあたりで帆走に切り替える。
北西の風10㏏で航行して南下したのだが、瀬戸の台場付近まで3時間半もかかってしまった。
もっと早く、10㏏、15㏏、20㏏と高速の船は造れないのか? 地団駄を踏むが、技術的な事なのでどうにもできない。
「艦橋-見張り、前方に艦影認む。船籍、艦籍不明」
見張りからの報告を受けて、次郎と官太夫は双眼鏡をのぞき込み、確認する。まだ遠いので旗は見えない。徐々に近づいていくと、やがて旗から艦籍を知ることができた。
「イギリスです!」
再び見張りからの報告である。次郎と官太夫の双眼鏡からもユニオンジャックを掲げたイギリス船一隻が確認できた。頭島付近を低速で航行しており、錨泊はしていない。
何の目的でこの海域を航行しているのか?
それが次郎が知りたい事だったのだが、この頃になると、アメリカと対峙して和親条約を修正させ、ロシアとも一歩も退かない交渉をした大村艦隊の情報が、少なからず中国滞在の列強艦隊に伝わっていたのだ。
・日本政府の要人ではないようだが、サー・タンゴノカミとは何者か?
・その腹心であるジロウ・オオタワとは?
・日本には大砲も乏しく小銃は火縄銃という事であったが、江戸湾には警戒に足る
・長崎の防衛は江戸ほどではないものの、タンゴノカミの領地はその近くだという。
・小規模ながら蒸気軍艦を擁した海軍を所持している。
イギリスと日本は、アメリカやロシア、オランダと同様に和親条約を結んでいるが、次郎は直接関与していない。つまり、日本の情報は持っていたが、次郎や大村藩の情報は風聞程度にしか持っていなかったのだ。
メインマストに通信求むの『K』の旗を掲げ、次郎はゆっくりと至善をイギリス軍艦へ接近させた。イギリスは和親条約の締結国である。お互いに下手なことはできない。
日没まであまり時間はなかったが、結論から言うと、やはり情報収集が目的だったようだ。
もちろんイギリス側に敵意はなく、上海から北上し、長崎はこのときまだ開港されていないが、大村藩領の沿岸部を航行して砲台その他の武装を確認するのが目的であった。
ただ、和親条約を結んでいるとはいえ軍艦である。商船ならまだしも、軍艦が無断で領内に立ち入り、何もしなかったとしても正当化できるような振る舞いではない。
次郎は厳重に『
■下田
「だから、領事館がないと何かと不便だと先ほどから何度も言っている!」
声を荒らげているのは、ペリーの後任であったジョエル・アボットが香港で死亡したためにアメリカ東インド艦隊の司令長官に任じられた、ジェームス・アームストロングである。
まずアームストロングは、日本人で英語を話せる人間がいない(少ない)事に、かなりの不便を感じていると告げたのだ。これでは意思の疎通もままならない。
日用雑貨やその他を購入するにしても、日本側の役人を通じなければならず、その際に不都合があり、逆にトラブルが発生するというのだ。
アームストロングからの要求はその後も続いたが、その場で結論はでなかった。日米和親条約の11条は次郎によって修正されたため、言葉の
史実ではタウンゼント・ハリスが来年、安政三年七月二十一日に来日するが、今世ではゴリ押しとは行かないようだ。もっとも、次郎としては開国に反対ではないから、理不尽でなく、平等な内容であれば領事館の設置は問題ないと考えていた。
むしろ必要だと思っていたのだ。
次回 第193話 (仮)『技術革新と安政の大地震』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます