第122話 『吉田松陰、平戸から大村へ。鋼板切断機、ロール成形機、溶接機、プレス機、運搬機器の開発』

 嘉永三年二月十九日(1850/4/1) 


「初めて御意を得ます。長州より参りました、毛利家中、吉田寅次郎と申します」


 松陰は長州藩主毛利敬親の命を受け、平戸藩への遊学と、一年間の長崎を含めた西国見聞の旅の最中であった。まず平戸藩主に挨拶をし、その後1年間の見聞を行い平戸に戻り、遊学する。


 隣には門司の旅籠で意気投合した肥後の宮部鼎蔵がいた。


「壱岐守である。面を上げよ。ほう、さすがに秀才の誉れ高い麒麟きりん児ときいておったが、なかなかの顔つきであるな」


 平戸藩第十一代藩主である松浦てらすはこのとき39歳。


 幕末の動乱のなかで海防の重要性を強く認識し、軍制の改革に尽力している。また、財政再建を目指して農業や土地政策に積極的に取り組み、藩主としての手腕を発揮していたのだ。


「その方、山鹿流に長沼流の兵学を会得しておるそうだな。わが家中では左内(葉山左内)について学びたいと聞いておる」


「は、御意にございます」


「左様か。……で、あれば大村の御家中のほうが良いかもしれぬな。我が家中も大村御家中から学び、海防を進めておる所なのだ。左内は無論の事、取り寄せたる書物にて皆が学んで居る。家中の若い者を学ばせにいこうかとも考えておるくらいだ」


 松陰は狐につままれたような顔をしていた。


 大村藩、大村家中の存在は知っていても、それほど影響を及ぼしているものとは知らなかったのだ。実際に大村藩は、平戸、五島(福江)、対馬、島原藩と水面下で同盟を結び、経済支援等で親交を結んでいた。


「その方が求めるならば、わしが紹介状を書いて進ぜよう。御家中の家老とは見知っておるでな」


 次郎は当然の事ながら、近隣諸藩の藩主とは面識がある。秘密同盟の立役者なのだから当たり前だ。


「は。有り難き幸せに存じます」





 こうして松陰は宮部鼎蔵と一緒に大村藩へ向かう事となった。





 ■大村藩


 田中久重が本だけを頼りに、見よう見まねで蒸気機関の模型を作ったのが、2年前の弘化五年六月二十八(1848/7/28)である。そして、去年の嘉永二年六月十四日(1849/8/2)には実用化して、鉱山に設置している。


 久重はその機関に改良を加えつつも、蒸気動力の様々な工作機械を開発しているのだ。それにはオランダから招聘しょうへいしたハルデスの力が大きい。


 研究所の久重の傍らには、常にヘルダムの『応用機械学の基礎』とともに、3年前に執筆されたばかりで、なかばフライング気味に注文したホイヘンスの『船舶蒸気機関説案内』がある。


『応用機械学の基礎』は日本語訳だが、『船舶蒸気機関説案内』はオランダ語の原書である。


 そのため久重は読めないが、例の如く通訳者がいて、これこれについて調べてくれ、何々は載っているか? などを毎回聞いて確認していたのだ。


 ハルデスと久重、そして通訳の三人の熱いやり取りが連日続いているが、今では新たに前原功山と大野弁吉が加わった。通訳には彼らほどの熱量があるのかわからないが、四人の目標は船舶用の蒸気機関の製造である。


 鋼材の加工に必要な機械類に関しては、ハルデスの指導の下で、鉱山用の蒸気機関を製造するために開発した。鋼板の切断機やロール成形機、溶接機、プレス機等々である。


 現代のものと比べるとおよそ原始的な物ばかりであるが、当時としては画期的で、作業の効率と精度を飛躍的に向上させるものであった。


『では御家老様、ハルデス殿のご指導があれば、必ずや二年で作り上げまする』


 久重が蒸気機関一式の輸入が決まる前に、言った言葉である。

 

 現実的に考えると厳しい状況であり、自分のエゴで藩の歩む道を遅らせてはならぬと、苦渋の決断で蒸気機関の輸入に納得した久重であった。


 今年の夏には去年着工した2,400石船(360トン)が竣工する。目指すべきはそれに搭載する蒸気機関であるが、現状で完成しているのは34馬力の機関である。


 これであれば今の川棚型につければ、カタログ上は6ノットである。しかし後付けであるし、それ用の船体ではない。おそらく4~5ノットではないだろうか。


 360トン級で6ノットを出そうと思えば131馬力が必要であるし、5ノットでも58馬力である。5ノットで航行できれば良いが、まずは川棚型の試運転である。


 すでに艤装は終わり、岸壁に着岸している。





 ■岸壁


 岸壁ではその日は朝早くから準備に追われていた。船員たちは石炭を運び込み、機関士は蒸気機関の点検を行う。そして、ボイラーに水を注ぎ、いよいよ着火の時を迎えた。

 

「点火!」

 

 久重の号令とともに、火夫たちが石炭に火を点ける。オレンジ色の炎が燃え上がり、ボイラーを暖め始めた。

 

「これから2時間ほどはかかるでしょう。その間に最終点検を済ませておくように」


 ハルデスは正直驚いていた。まさかわずか二年で、蒸気船を実用化させるとは。機帆船として設計されていないため、見た目はとってつけたように不格好である。


 しかし、まがりなりにも完成したのだ。仮にこの試運転、そして処女航海が失敗に終わったとしても、次の2,400石船の蒸気機関の製造の糧となる。

 

「承知!」

 

 ハルデスの指示を受け、久重と前原、大野らは機関の各部を入念にチェックしていく。前原功山は去年の五月に大村藩にきてからは勉強の毎日であった。


 年齢や肩書きなどは関係ない。


 そしてようやく、久重の助手のような立ち位置である。最初の久重と同じように、和訳の『応用機械学の基礎』を何度も読み直したのは想像に難くない。


 大野弁吉にいたっては、蘭学の素養はあったものの……である。歳が近い久重に対するライバル心は相当なものだ。


 しかしそれは、良い意味で、である。





 ようやくボイラーの蒸気圧が高まってきた。いよいよ出港の時が近づいてきたのだ。

 

「もうそろそろ、いいでしょう」


 各部の総点検をしたハルデスの指示でレバーを操作すると、次第にゴトゴトと機関の音が大きくなっていく。

 

「前進!」

 

 艦長ライケンの指示とともに、川棚型の船体が波を切って進み始める。黒煙を上げる煙突、白波を上げる船首。岸壁に集まった人々から、歓声が上がった。


「素晴らしいな。感無量であろう?」


 次郎が久重、そして功山や弁吉に向かって言う。


「はい……」


 全員が涙を必死にこらえている。特に久重は感無量だろう。速度は……やはり6ノットは出ていない。しかし、4.8ノット。後付けの蒸気機関と蒸気船にしてみれば、上出来も上出来だ。


 次郎も本当に、泣きたいくらい嬉しかった。


 ペリー来航まで、あと3年である。




 次回 第123話 (仮)『缶詰の改良とドラム缶』

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