第99話 『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』(1848/7/28)

 弘化五年六月二十八(1848/7/28) 江戸城





 オランダ国王兼オラニエ・ナッソウ家、ルクセンブルク大公であるウィルレム二世は、謹んで江戸の幕府の最高権威である殿下に書を心から捧げる。

 

 願わくは殿下の一読を賜り、お役に立つ事を祈る。

 

 貴国からの要請を拝受し、国王として深く感謝している。貴国とわが国の長きにわたる友好関係を大切に思うとともに、今後もその関係が継続されることを願ってやまない。


 大村、佐賀、福岡の三領主に対する貿易の許可と技師の招聘しょうへい、書籍の購入等の許可については、わが国は喜んでこれを承諾する。わが国は、これまで通り日本との貿易を独占的に行えることを光栄に思う。


 しかしながら軍艦や大砲などの軍備の提供については、現状では応じかねる状況にある。わが国が他国に先駆けて日本に軍備を提供することは、安全保障上、他の列強との関係を損ねる恐れがあるためである。


 わが国は日本の安全と繁栄を心より願っている。ご要請の内容は十分に理解するが、軍備の提供については、国際情勢の変化を見極めつつ、慎重に判断いたしたい。


 今後とも、日本とわが国の友好関係が末永く続くことを祈念する。


 西暦1847年7月7日 オランダの都ハーグにて記す。

            

 オランダ国王 ウィレム二世

           

 オランダ植民地事務大臣 マーダ





「なんだこれは! 軍艦も買えぬ、大砲も買えぬでは、大村や黒田、鍋島に貿易を許した意味がないではないか!」


 松平乗全のりやすが怒りを露わにした。


 阿部正弘も困惑した表情を浮かべるが、理解できない事もないのだ。


和蘭おらんだも他国との関係を考えねばならぬのでしょう。メリケンやエゲレス、オロシアやフランスの開国を断り、和蘭のみこれまで以上の付き合いをするとなると、和蘭も益ばかりではなく害もあるのでしょう」


「それでは、我が国をいかにして守るのですか? 幕府の威信はいずこに?」


 青山忠良は阿部に食ってかかった。青山は幕閣にありながら、阿部正弘と対立している。


「落ち着きなされ、青山殿。今は心を静め、いかに処するかを考えねばならぬ時だ」


 牧野忠雅がなだめるように言う。


「されど我が国のみの技では、軍艦も大砲も自力で製造するのは難しい。さりながら祖法を守り、夷狄いてきに備えるには……そうするより他に、選択肢はあるまい」


 青山は拳を握りしめ、無念そうに答えた。蒸気船はもとより、同規模の帆船すら造る能力もなければ、動かすノウハウもないのだ。西洋式の帆船を動かすには、西洋式の知識と技術がいる。


 これには阿部正弘も同意し、提案した。


「そうですね……ならば幕府の直轄事業として、長崎や大坂に製鉄所や造船所を建設し、必要な技術を習得する他はないでしょう」


「それには莫大ばくだいな費用と時間がかかる。本当に間に合いましょうや?」


 と松平乗全が疑問を呈した。


「いつまでに、という事もありましょうが、諸大名に協力を求めて優れた人材を登用すれば、不可能ではないでしょう。幕府の威信にかけて、この事業を成功させねばなりませぬ」


 と、戸田忠温ただあつが力を込めて言った。


「異国の動きに気を配りつつ、着実に備えをしていくことが肝要だ。方々、十分に考えて取り組んでいきましょう」


 阿部正弘はそう言って続けた。


「さて、そうなりますと、各大名にいかほどの負担を強いるかという事と、誰を責任者に据えるかでござるが……」


 阿部は全員を見回し、言う。


「高島秋帆を海防掛として任命し、大砲の鋳造や西洋式の帆船を建造いたしましょう。また、いかに動かすかにございますが、これも一朝一夕にはまいりませぬ。いかがでしょう? 有望な若者を選び、和蘭船に乗せて学ばせるというのは」


「な! それはなりませぬぞ! わが国の民が異国へ行くのは禁じられております。祖法を犯すおつもりか?」


 青山忠良が反論し、これには他の3人も同意した。


「さよう、急いては事をし損じまする。ここは腰をしっかり据えて日ノ本の民だけで、いや、和蘭の造船技師は招聘しましょう。その上で造らせ、学ばせましょう」


「さようにございますか。方々がそう仰せならば、そうする他ございませんな」


 阿部正弘はそれ以上の反論ができなかった。


 しかし、今年招聘の意思をオランダに伝えても、来日するのが2年後の嘉永三年なのだ。はたして間に合うのであろうか?


 そして高島秋帆はどうするのだろう。





 ■大村藩 精煉せいれん方 蒸気機関製造方


「さて、まずはこの錬鉄からだな。これを使って、シリンダーとピストンを製造しよう」


 ドライゼ銃を製造した経緯がある。時間はかかったが小銃は量産体制に入っていて、その加工器具を複製して用いたのだ。


 久重は旋盤を用いてピストンロッドの加工を開始した。素材を回転させながらバイトで少しずつ削っていく。径の精度は改良を重ねる毎に上がっている。

 

 次に、シリンダーの加工だ。中ぐり盤に錬鉄のシリンダー素材をセットし、ボーリングバーを慎重に送り込む。バイトが素材の内側を削り、真円度の高い内壁が現れてくる。


 久重は加工の様子を見守りながら、手を動かす。

 

 ピストンの加工にも気を配る。寸法を細かく測定し、シリンダーとのクリアランスを調整する。パッキンの材質や構造も吟味し、蒸気漏れを防ぐ工夫を施す。

 

 フライホイールやクランク、バルブ機構など、各部品の加工が進む。久重は、部品の精度や強度を確認しながら、丁寧に組み立てていく。


 ……。


 ……。


 ……。

 

「ようし! !」


 ついに、小型の蒸気機関の模型が完成した。久重は、蒸気を送り込み、試運転を開始する。ピストンが上下に動き、フライホイールが回転し始める。


 滑らかな動きに、久重の顔がほころぶ。

 

「ようし! できた! できたぞ! ああ、できた、できた……」


 久重は数名の助手と一緒にこの1年間、本だけを頼りに試行錯誤をしてきたが、やっと成功したのである。あるものは立ち尽くし、ある者は座り込み、それぞれが感動を露わにする。


 感無量であった。





 次回 第100話 (仮)『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』

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