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自身が書き残した文から伝わる自意識過剰さと維新の嵐を生き残った人々が彼の我の強さばかりを言い残した為に後世の読者たちにも今話で描かれる殊勝っぷりが『誰ですか、この人』に感じられる象山せんせ(^皿^;)だけど風雲急なあの時期に時代を変えようと闊歩した人物なら誰でも自分を大きく見せる為に多少の風呂敷は広げて語らうのが当然で吉田松陰•勝海舟すら教導した佐久間象山は若い志士たちにはそーゆー面しか見えて無かったと思うと師として天下国家を語らう場面では無く、当たり前な“恩人に対しての態度”として考えたら納得の振る舞いですな(それでも“天下の秀才”と自分を尊敬の眼差しで見る大島高任さんの前では少ーしメッキが剥がれてるとこがニヤリとしちゃう)
釜石製鉄所はあまり大きく語られないけど日本史の教科書に明治期の殖産興業の例として必ずのってる八幡官営製鉄所が実は言われるほど鉄の増産に寄与していない事(最先端とは言え日本の風土に合わないドイツ式高炉のため操業開始から事故多発、何度も改良を重ね安定操業までほぼ20年かかっている)を考えると日本の近代化のスタートアップに貢献した偉大な施設だともっとクローズアップされても良い筈なんですけどねー( ̄∀ ̄)こーゆーところに明治維新の勝ち組に乗り遅れた東北諸藩の哀しみを感じちゃう読者。
スカウト行脚の隼人さん、緻密に訪ね歩いては蝸牛の歩みとなる為にアバウト大雑把に突き進む(^◇^;)この調子でどんどん巻いて行っちゃいましょー♪
作者からの返信
コメント有難うございます^^
人としての道と、なんと言いますか国のためを考えて大きく振る舞うのとは、また違う、という事ですねえ^^w
まあ、高任の言葉で「ふふふ~ん」となっているところが伝えられる象山像でしょうかw
釜石製鉄所は……これに限らず、やぱり薩長土肥なんですよねえ。明治維新後の評価って。佐幕藩が冷や飯くったようなかんじになってますね。
大薩長土にするか、はたまた大佐薩長にするか大大大佐にするか?
すべては次郎達にかかってます^^
過去の日本は名前がコロコロ変わるからなぁ。
作者からの返信
コメントありがとうございます^^
諱はなんらかの偏諱で1回以上変わるケースが多いですしね。
通称や官途名もありますね::