第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17)

 弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門>


 2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆にら山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。


 もうどこにも耀蔵はいないね!


 3月に入ってからは小笠原諸島の巡視を指示している。うーん、着々とやってるねえ。これはアメリカに対する領有宣言というか牽制けんせいだろうか。


 それはそうと金が掛かる。毎日、毎月、毎年、金が掛かる。


 まず新規のソルベー炉(と呼ぶ石灰石とコークスの燃焼炉)に8,000両かかった。


 第1回目から13回目の鉄の使用量は19,080kgで代金は5,088貫。501両34匁と6分9厘。

 

 コークスが9,540kg。……13,250kgの石炭が必要で×2(高炉と反射炉)でコストは3両12匁。


 ※1862年(文久二年)の長崎の石炭販売価格をもとに、弘化三年にレートを計算して、1tあたり2.28両。原価7割(三菱高島炭鉱基準)で計算して1.596両。

 

 石灰石が250kg……4,770kg必要。で79.5俵で159匁。


 これで考えたら、設備投資に金はかかるものの、材料費はそこまで高くはない。ただメンテナンス費に年間1万両ほどかかるようだから、ランニングコストにはなるな。


 人件費は各炉で8名必要で1日32名。日給は銀4匁で年間659両。多分これが1番きつい? 320人なら6,590両で3,200人なら65,900両……。


 単純な日雇い人夫なら、稼動日だけでいいかもしれないが、蛎浦かきのうらの炭鉱(将来的には松島と池島も)に鉄鉱石の鉱山、採算がとれないと、どう考えてもまずい。


 ああそうだ! ペリーが来航して各藩が鉄の需要に気づき始めると、間違いなく暴騰する! 今のうちに各藩にある砂鉄や鉄鉱石の鉱山を、権利を抑えるべきか?


 ※収益


 ・石けんと椎茸しいたけ収益(13万3,562両)

 ・真珠収益(778両)

 ・捕鯨収益……未定

 ・塩(4,000両)

 ・ガス灯事業……未定

 ・石炭販売事業……収益見込み

 

 石けんと椎茸が収益の柱である事は間違いない。

 

 ※支出


 ・京都活動費……1万2,266両

 ・江戸活動費……8,192両

 ・溶鉱炉人件費……659両

 ……。

 ……。


 やべえ頭痛くなってきた。嫌だ、収支報告書の支出欄みたくない……。5年前の長英さん赦免の費用は、それこそ予算かつかつだった。多分、これから京都・大坂での金もいる。





 大村湾の東側、川棚川沿いと沿岸部に、コークス炉や高炉と反射炉による製鉄と大砲の鋳造工場。それからソルベー法による炭酸ナトリウム生成工場。


 雷管製造に必要な雷酸水銀の生産工場の他に、ガラスの製造工場や石けんの製造工場。石炭ガス精製工場と石油精製工場……造船所とそれを造るための高炉セメント製造工場……etc。


 東彼杵工業地域ができつつあったのだが、もちろんまだ初歩的な段階で、敷地を買っただけのものや、簡単な建屋のようなものも多かった。

 

 小規模な実験を行い、成功したら次の段階へと進む。





 ■佐賀城


「殿、やはり大村藩の、あの煙と煙突は鉄を溶かす炉に間違いございませぬ」


「なに? 炉を作っておるとな? それはもしや、反射炉ではないのか?」


 佐賀藩主鍋島直正は、長崎防備のために海防強化の必要性を強く感じていたのだ。それを書面で建白するのではなく、使者を名代として江戸に遣わし、老中首座の阿部正弘に伝えようとしていた。


 



 一つ、西洋式の反射炉を起こし、鉄を溶かして巨大な砲を鋳造する事。


 一つ、長崎海門(海峡・瀬戸)にある伊王島と神ノ島との海面を埋めて、堅を新築する事。


 一つ、巨船の建造を許して、西洋式の堅艦を建造する事。


 一つ、肥後の天草島を軍港として、我が藩の所管となす事。





「我らが未だ幕府に伺いを立てようとしておる時に、すでに大村藩では反射炉ができあがって、操業しておると申すのか!」


 直正は気が気ではない。青天の霹靂へきれきとはこの事である。


「こうしてはおれん! 伺いなどたてて、幕府や諸藩が動くのを待っていては遅い!」


 直正は執政の鍋島茂真しげまさに叫んだ。


「では殿、まずはいかがなさいますか?」


「……義兄上、武雄の義兄上と平山醇左衛門じょうざえもんを呼んで、いかにすべきか問おうではないか。それから長崎から確か……反射炉の書物があったであろう。あれを翻訳させればよい。まずはそれからじゃ」


 鍋島茂義は直正の義兄で、武雄鍋島家の第9代当主である。配下の平山醇左衛門を高島秋帆へ弟子入りさせ、自らも門下生となって免許皆伝を取得している。


 平山醇左衛門は、史実では高島秋帆のえん罪による投獄によって同じく捕らえられ、1843年に斬首されている。しかし今世では秋帆は捕まらず、醇左衛門も生きているのだ。


「おおそうじゃ。二人が弟子入りしておった高島秋帆という者がいたであろう。その者も招聘しょうへいして、いかにすればよいか聞くとしよう」


「殿、恐れながら……」


「なんじゃ」


「その高島秋帆にございますが、すでに大村藩に招聘され、藩内にてしかるべき地位にて働いておりまする」


「なんじゃと? 長崎の町年寄、会所調役はいかがしたのじゃ?」


「それは息子の浅五郎が家督をついでおりますゆえ、秋帆殿は隠居というかたちにございます」


「なんと! 大村藩は秋帆殿まで召し抱えておるのか?」


俸禄ほうろくを与えて召し抱えるというよりも、客分として在藩しているようにございます。また大村藩には、調べたところによりますと、先だっての恩赦にて獄中から放免された、らん学者の高野長英もいるそうです」


「……」


「医学においても、かのシーボルトに師事した二宮敬作や石井宗謙といった秀才が集まっております。さらに……」


「さらに、なんじゃ」


 直正の顔から苛立ちともとれる表情が垣間見えた。


「出島のオランダ商館より取り寄せた牛の種痘にて、天然痘の防止に成功しているようなのです」


「ええい!」


 直正はそう叫んで立ち上がり、息を大きく吸って、吐いた。そしてしばらくの静寂の後、静かに言った。


「反射炉の製法は伊東玄朴とその弟子、杉谷雍介と池田才八に翻訳させよ。その他に関連する書物は取り寄せるのだ。……ああ、それから玄朴には種痘の段取りも組ませよ」


「はは」


 大村藩が諸藩に先んじて近代化をすれば、佐賀藩もまた、史実より早く種痘を施し、反射炉の建造に動くのであった。





 次回 第76話 『アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル、浦賀に入港し通商を要求する』

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