第73話 『開明塾、初等部、中等部、高等部。五教館中等部、高等部』(1846/3/11)
弘化三年二月十四日(1846/3/11) 京都<次郎左衛門>
孝明天皇が即位した。
結局、20万両は大金だったし、よくよく考えればいくら幕府が関与しない『奥』の収入だとしても、西国の小藩が20万両もの大金を献上金としたなら、大騒ぎになるはずだ。
そのため、崩御から即位にかけての費用は、
じつはこの800両、20万両に比べたら数桁違うほど少額なんだが、それでもちょっとした騒ぎになったのだ。
それもそのはず。
朝廷の財源は禁裏御料と献上金(将軍・大名・寺社)なのだが、その献上金を奥が管理する。禁裏御料の内訳は10万石のうち、6万石は
※公卿……太政大臣・左大臣・右大臣を『公』、大納言・中納言・参議・三位以上の朝臣を『卿』。あわせて『公卿』と呼ぶ。
残りの4万石で上は関白議奏
その余った約3万石で賞典
到底足りるはずはない。
もともと皇室は質素だったが、それでも日常の御料供御(衣食住その他生活費)には事欠く有り様だった。歴史を勉強した事がある人(歴史で習った?)なら、イメージがわくと思う。
800両というのは『奥』へ決められた年間取替金(無利子・無期限の貸付金)の上限だったのだから、ちょっとした騒ぎになる。
これにはもちろん、関係した公家や役人に対して
もっとも制約がないのだから、幕府に文句を言われる筋合いはない。俺は生前、いや生きてはいるが(転生前)、田舎の農家で育った。典型的な保守派の家系である。
仏壇の横には天照大神と明治天皇の御真影の掛け軸があり、昭和天皇と上皇さま、今上天皇陛下をはじめとした皇室の方々の御写真が掲げられていた。
なので、幕末人ではないにしろ、生粋なんですよ。生粋の尊皇(?)。
そんな時、京の街を歩いていたら、妙な歌(和歌?)をうたっている男に出会った。
『青井家の
なんじゃこりゃ? 何の歌だ? こんな歌、幕末の京都ではやったか?
「もし……もし? そこのお人」
「何ですか?」
(京都の言葉はわかりませんのでご容赦を)
「さっき歌を歌ってましたが、もしや……ではありませんか」
「ば! 馬鹿な事を……」
青井家は『あおい』の家で、『あおい』は『
つまり徳川将軍家の事ね。その徳川が贅沢しているのに、朝廷への予算は全く足りない。嘆いてもどうにもできない事をうたっているのだ。
その男は否定していたが、俺は根気よく説得し、納得させて詳しく話しを聞くことができた。
・幕府の定額支給のせいで、物価が上がってもどうにもできず、商人は粗悪品を卸すようになった。
・
※代銀4分は、1分銀4分で1両の事ではない。代銀なので1分は1/10匁である。塩鯛の値段が大一匹で銀6匁であり、つまり相場の銀6匁の1/15である。
鮮魚であるはずがない。
相場の違いがあるにしても、ひどすぎる。ちなみに1分銀4分を1両として計算した場合、1両は銀で約65匁である。10匹以上買えるので、こちらはあり得ない。
たたき売り同然の価格で買うしかないのだ。
・役人への賄賂のために質はさらに下がって、魚は腐敗して食膳に供えられない事もある。
・『御箸遊ばされまじく(お召し上がりにならないほうがいいでしょう・できないでしょう)』の紙符を附して奉る事もあった。
・所司代の役人がたまたま御上の御酒をいただく機会があったが、悪臭と酸味を帯びて飲み干せない。あまりの質の悪さに『御上がお召し上がりのお酒は御料のものと同じか?』と侍給に尋ねた。
・『もちろんそうだ』と答える侍給に対し、自らが管理する御料からの酒がこのようなものかと、嘆き、涙を流した。
とまあ、散々な有り様だ。若干誇張が入っているとしても、これはまじで、なんとかせんといかん。
俺は京都の下京区、泉水町にある大村藩邸でその男の話をじっくり聞いた後に、決意を新たにした。
この男、名を岩倉具視という。
正五位下、昇殿を許された身分である。そんな人がなんで一人でフラフラしてるんだろう?
岩倉家は羽林家の家格を有しているが、村上源氏久我家から江戸時代に分家した新家なのだ。
そのために当主が叙任される位階・官職は高くない。代々伝わる家業も特になかったので、家計は大多数の堂上家同様に裕福ではなかった。
……これは、使える。
■
旧暦ではあるが、3月の末を年度末として、開明塾と五教館に初等・中等・高等の3学部制を発足させた。教育内容は順次五教館に、次郎達転生組の制度を取り入れたものだ。
五教館の卒業年齢を18歳までとし、留年もありとした。天保十一年に開塾してから6年の歳月が経っている。
この制度の導入は次郎が藩主である
高島秋帆や立石昭三郎のおかげで陸軍はなんとかなりそうだが、海軍はそうもいかない。船がないのだ。いまだに捕鯨船で航行演習をしている。
航海術に関しては問題ないのだが、帆船から蒸気機関への移行に際して、再び学習しなければならないし、1分隊(甲板・砲雷要員)は陸上での操作しか経験がない。
それに機関科(3分隊)というものがそもそも存在しない。
艦砲であるから野戦砲より小型になるし、操作方法も変わってくる。様々な課題があるが、すべては蒸気機関が実用化してからの事になる。
深澤勝行とともに航海術と操船術を学んだ海軍士官のタマゴは50名ほどだ。
■大砲鋳造方
13回目の操業を2 炉による同時溶解にて行った。反射炉内に装入した銑鉄は、合計3,600kg。鉄湯の流動性はさらに高まっている。
次回 第74話 『過マンガンカリウムの生成とコカインの単離』
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