第66話 『一度目の試射』(1845/5/23)

 弘化二年四月十八日(1845/5/23) 玖島くしま城下 <次郎左衛門>


「お前様、もう、よいのではありませんか……。わたくしはもう、構いませんよ」


「え? 何が?」


 どうしたんだ? 静。怒っているようには……見えないけど……んん?


「何が、ではありません。お里さんの事です」


「ああ、お里ね。お里がどうかしたのか?」


「はぁ……。お前様、私が知らぬとでもお思いですか? もう、良いのですよ。めかけの一人や二人。私は私を一番に、子供の事を考えていただければ、それで良いのです。それにお里ならば、千代丸をかわいがってくれますし、怜や竜王丸が生まれた時も良くしてくれました。異論はありません」


 え? え? ええ――――!


「一之進さんとおイネさんの事もそうです。お前様はこういう事は本当に疎いのですね。あの二人が想い合っていることは知っているのでしょう? 祝言の段取りを組んであげるのは、お前様のお役目でございますよ」


 ! あー、それもあるのかあ!


 



 後日、吉日を選んで一之進とおイネの結納と祝言を行った。……お里は、現代人である。本人の意思もあるから聞いてみないとわからない。


「いいよ、それで」


 うわ! え? いいの?


 どうやら結婚式とかそういうのには、前世の時から関心が薄かったようだ。それに1番とか2番とか、そういう感覚もない。もちろん、静を立ててくれている。


 これは……コンプラ的にはどうなんだ? いや……まあ……じゃあ、そうしよう。





 ■久原調練場


 5回目の操業でできた核鋳砲(中子方式・大砲の鋳型の中に円柱を入れて円筒をつくる方法)の試射を、玖島城南にある久原調練場で行った。


 1~4回目の操業は高炉で溶かし、その後反射炉で再溶解するというプロセスを経たため、溶解度が低く炉内に鉄が残留するという事は、史実に比べ少なかった。


 残留の度合いは少なかったのだが、鉄の流動性という部分では不安が残り、安定するまでには時を要したのだ。


 久原調練場は正確には北東から南西へ1kmで、北西から南東が500mの広さである。以前ここで、純あき臨席のもと西洋式調練が行われ、大砲の試射も行われた。


 しかし使われた大砲は青銅製のモルチール砲とホーウィッスル砲である。念のため海側に向けて発射したが、海までは届かなかった。


 今回は違う。


 商船や漁船を含む全ての船を、久原沖合において航行禁止にして臨んだのだ。


 初めての試射のため、研究員のみ参加の試射である。次郎を含め信之介や昭三郎など、火器に関連する者は出席した。全員が注目するなか行われたのだ。


 

 

 

 正午と同時に発射されたが、結果は散々であった。けたたましい音と白煙を残したのみで破裂したのだ。


 破裂のあと、信之介が破面を見て言う。


「おそらくは、鉄成分の結合と強弱が均等ではないからだろう」


 鉄の成分の結合度合いが砲身の箇所によって違うから、圧力に耐えきれない部分から破裂を起こしたのだろう、との予測だ。


 ヒュゲーニンの『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法』によれば、下記の記載がある。



 


『鉄中許多の炭素を含むときは、脆弱にしてその質疏造そぞうとなり粘ちょう力を失する』


『すでに鉱鉄より高炉にて鋳解せる鋳鉄を、また反射炉に入れてさく解すれば、その強き火度によってほとんどよく鋳解し、その鉄中含むところの雑物自ら流動して炭素と合し、鉄の上面に浮び~中略~ 反射炉で再錯解した鋳鉄は高炉で精錬しただけの鉄に比べてはなはだ強剛にして粘稠力を増加す』





 正直なところ、幕末人はもちろんの事、信之介も困惑した。鉄の成分分析などできないし、要するに試行錯誤で調整してやってみてくださいね、的な記載しかない。


 どんな鋳鉄が大砲製造にむいているかの記載も、破面の色によって5種類に分けられ、簡単な説明があるだけである。それによる分析結果は以下のとおり。


 ※火薬七百銭(匁・2,625g)をかや栓八尺(2.42m)をてんするに至って破裂、断面灰色濃淡錯布して気孔多し。鉄分結合の強弱不せい


 茅栓を使ったため、実弾発射のために海上を封鎖したのが無駄になってしまった。不具合があり、装薬しての空砲実験に留まったのだ。


「出だしは好調、という訳にはいかないようだな」


 次郎が信之介に言う。


「そりゃそうだ。いくら俺が天才だといっても、ここは幕末。計測機器もなければ、素地になる科学技術がない。手探りだよ」


「おお? お前にしちゃあ弱気じゃないか。ああ、そうだ。例の冷蔵庫の件はうまく進んでいるか?」


「ああ? うん? 当たり前だ。いやいや、高炉ありきの……(ん? 高炉はジエチルエーテルには関係ないか。まあ、いいや)だぞ」


「それはわかっている。いやあ、楽しみだなあ」


 最近はお里、信之介、一之進それぞれが独立して得意分野で研究開発をやっているが、おおもとの基本設計図を書いているのは次郎である。


 専門的な事が分からない分(歴史と軍事はチート級だが)、おおまかな道筋を作っている。





 ■精れん方 


「おい、できたか」


「ああ、できた」


 廉之助と隼人は、長英とともに蘭引で焼酎を蒸留して、エタノールをつくるのに成功していた。


「さて、後は、これをいかにしてじえちるえーてるなるものに変えるかですが……」


 長英は信之介の残したメモをもとに、硫酸の生成手順を確かめる。


「硫黄と硝石にござるが、これは……火薬の製造場にいかねばなりませぬな。まずは少量から」


「そうですね。まずは硫黄と硝石、ともに百目(100匁・375g)ほどからでいかがでしょうか」


 隼人が答えると廉之助も続く。


「されど、これでいかほどの氷ができるのでしょうか。あまりに少なければ、硫黄も硝石もタダではありませぬ。その、冷蔵庫とやらをつくるのに、城ひとつ分ほどの銭がかかるやもしれませぬ」


 隼人が心配そうにつぶやくと、長英が答える。


「そうですな。されど、それを考えるのはわれらの役目ではござらぬ。先生や御家老様が考える事、我らは我らの役目をやりましょう」


「「はい」」


 長英がまとめ役となって、3人は人里離れた極秘の火薬製造工場へ向かうのであった。





 次回 第67話 『大村藩、全国に先駆け、種痘を推奨す(コレラ・麻疹ましん・天然痘撲滅へ!)』

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