第65話 『もう一つの高炉と石炭乾留、そして実際に冷蔵庫をつくる!』(1845/4/18)

 弘化二年三月十二日(1845/4/18) 江戸城


「やはり長崎に向かわせるべきでしょう」


「いやいや、ここでさらに長崎へ向かわせれば、異国の心証も悪くなり申そう」


「なに故に異国の顔色をうかがうのですか? 漂流民の救助の礼を述べ、薪水しんすい食糧を渡して長崎へ向かってもらえばよい」


「異国にへり下っている訳ではない。そもそも、民を助けてもらったのはこちらの方ではありませぬか。それを厄介払いのように、さらに長崎へ向かわせるなど言語道断。ここは丁重に礼を述べ、浦賀にて引き渡しを受けるべきです」


「通商を求めているのは、いかがなさるのですか?」


「それとこれとは別問題。交易はできぬ」


 これに先立つ2月にアメリカの捕鯨船マンハッタン号が、22人の漂流民を乗せて房総半島へ到着、そのうち4人が事情を説明するために上陸し、浦賀奉行へ連絡が入っていたのだ。


 問題がなければマンハッタン号はそのまま浦賀へ向かったのであろうが、嵐に遭って北海道より北のカムチャッカまで漂流し、戻ってきたのが3月であった。 


 幕閣の間で議論は紛糾したが、長崎へは行かせずに引き渡しを受け、薪水食糧を渡して通商は拒否したのである。


 



 ■大村藩 精煉せいれん


「はあ? 高炉をもう一基? 馬鹿じゃねえの! できるわけねえじゃねえか! いくらすると思ってんだ! ?」


「いや、だから、同じもんじゃねえよ! もっと小型でいい。石灰石をコークスと一緒に燃やすための高炉だよ!」


 研究所の所長室で、次郎と信之介が口論している。


「ん? 石灰石をコークスと一緒に燃やす? 何するんだ?」


「そしたら二酸化炭素と生石灰がでる。んで石炭を乾留して、これはコークスをつくる時だな。その時発生した石炭ガスを水でくぐらせて、消石灰とまぜて熱するとアンモニアができるから……」


 信之介はアンモニアの生成から炭酸ナトリウムの生成・循環の工程を説明しようとした。


「いや、いやいや。ちょっと待って。生成方法とか工程とか、化学式はわからんけど、その装置一式で何ができるんだ?」


 いくつもの物質の合成の組み合わせで、次郎の頭はパニックになる。

 

 要するになんのための高炉なのか? 設備投資なのか? という事を聞きたいのだ。


「石けんの材料の灰、あれが大量にできる。海草を燃やさなくても、薪を燃やさなくても、できる。除湿剤(乾燥剤)も副産物でできるし、それからガラスの原料にもなる。パルプなんかも将来的には可能だ」


「まじか!」


「それからもう一つの設備だけど……」


「嘘やん! まじか! 本当にできるんだろうな? ?」


「男に二言はない」


「分かった。金はなんとかする。必要な物は言え。用意する。その代わり、必ず作れよ!」


「ああ!」





「先生、いかがでしたか? 高炉をもう一つ作るとなると、かなりの金が要るでしょう。それに加えて別の設備など、御家老様は得心なされたのですか?」


 隼人が心配そうに聞いてきた。廉之助と長英、そして久重が心配そうに信之介を見る。


「なーに、心配はいらぬ。俺は天才なのだ。じろ……御家老様も御得心の上、すべてを用意するゆえ、速やかに研究に入れとの仰せであーる」


 おおお、と全員がざわめいた。


「儀右衛門どの、あなたは今との高炉を、波佐見の石炭窯の近くに作っていただきたい。いくつもの工程が重なる故、全体的な設計図は俺が書く。よいですか?」


「はは。この儀右衛門、このように壮大なからくり作り、今までやった事はございませぬ。身命を賭して成し遂げまする」


「身命はかけなくても良い。気持ちだけいただいておこう。これからもやってもらう事は多数あるゆえ」


 田中久重は、大砲鋳造方と一連の設備建設の監督責任者となった。

 

 高炉・反射炉のある川棚村と石炭窯のある波佐見村、そして研究を行き来する日々が始まるのだ。





「よし、では長英殿と隼人、廉之助」


「はい」


「「はは」」


「君たち3人には、冷蔵庫を作って貰う」


 3人は以前から何度も冷蔵庫という言葉を聞いていたので、その言葉自体には驚かなかった。


 しかしその原理は、まだ理解できずにいたのだ。長英をはじめとして、信之介の蔵書を読みあさったが、不十分である。


「先生、その冷蔵庫なるものの原理を、今一度教えてはいただけませぬか。浅識ゆえ、理解がおいつけませぬ」


 長英が正直に言うと、隼人と廉之助もうなずく。


 信之介はわくわくしていた。

 

 人が多いとこうもはかどるのか、と。確かに教える手間は増える。しかし作業量は格段に減り、その分研究に充てられるし、マルチタスクが可能になるのだ。


「ではまず、打ち水。夏に暑さをまぎらすために、庭に水をまくであろう? あれはなぜだ?」


 3人は顔を見合わせていたが、廉之助が答えた。


「暑さをまぎらわすためでは? 水は冷たいゆえ、風鈴とともに夏の風物詩となっております」


「うむ、それで昨年夏、実験をしたであろう? 温度は下がったか?」

 

 温度計はすでに長崎の出島から取り寄せ、複製している。廉之助と隼人は、ほぼ同時に答えた。


「はい! 確かに下がりました! 地面の温度は約59℃、打ち水の結果、39℃程度まで下がりました」


「うむ、多少涼しくなった様で、実際には20℃前後地表の温度は下がっている。ではなぜか? わかるか?」


 3人が真剣に考えている。


「熱の度合いが下がるという事は、何かが熱を奪ったという事ではないでしょうか?」


 廉之助の答えである。


「水をまけば乾き、蒸発します。その蒸発する際に熱を奪うのでは?」


 続いて隼人だ。


「察するに……冷蔵とは、物を冷やすゆえ、つねに熱を奪わなければならない。水が蒸発して涼しくはなっても、寒く冷たくはならない。ゆえに……なにか別のものを蒸発させる、のですかな?」


「素晴らしい!」


 信之介は手を叩いて喜んだ。

 

 自分はすでに知っている基本中の基本の、基礎の基礎であるが、気化熱を江戸時代の人間が理解するのにどれくらいの時間がかかるだろうか。


「そう! そこで使うのがこれだ」


 信之介は焼酎が入った徳利と、らん引を持ってきた。


「まず、この蘭引で蒸留して、エタノールをつくる」


 信之介は研究のフローを説明した。


 ①蘭引で蒸留してエタノールをつくる。


 ②エタノールと濃硫酸を混ぜ、130℃で熱してジエチルエーテルをつくる。


 ③ジエチルエーテルの気化熱(減圧)を利用して水を凍らせて氷をつくる。


 ここまでが第1ステージである。ちなみに硫酸は硫黄と硝石を熱して生成。


 連続して氷を作る機械装置をつくるのが第2ステージであるが、全部を信之介がやっていたのでは勉強にならない。

 

 ヒントを伝えて、3人に作らせるようにする。


 そうは言っても、8割教えて、残りの2割を考えさせる。そして徐々にその割合を変えていくのだ。実はこのしくみによる製氷機は、すでに開発されている。


 1834年にヤコブ・パーキンスが、エーテル気化熱による製氷を発見したウィリアム・カレンのアイデアをもとに製作している。

 

 しかし、残念ながらその原理や書籍は、日本に入っていなかった。


 目標は、夏。


 弟子達に託し、信之介はライフリングと蒸気機関の研究開発にいそしむのであった。


 やるべき事はたくさんある。





 次回 第66話 『一度目の試射』

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