第47話 『渡辺崋山は自刃し、江川英龍は韮山で西洋銃を鋳造する』(1841/12/22)
天保十二年十一月十日(1841/12/22)
次郎と昭三郎が大村藩久原で西洋式軍備の調練を行った五月に、高島秋帆も江戸の西にある徳丸原で、門弟百数十人とともに演習を行った。
これにより幕閣の欧米に対する危機感は高まるのだ。
すでにこの時点でアヘン戦争は序盤戦が終了しているが、オランダ船は暴風のために長崎に寄港できず、翌年の天保十三年に十二年分とあわせて2隻が来航した。
つまり、この時点ではオランダ風説書によるアヘン戦争の推移は日本側に知らされていない。
高島秋帆は長崎会所調役という立場上、幕閣よりも先に情報を知り得た。
しかしそれでも1840年から1841年3月頃まで(天保十二年に長崎到着予定のオランダ船)は入手できなかったのだ。
すでにこの時、清とイギリスとの間で川鼻条約(広東貿易早期再開、香港割譲、賠償金600万ドル支払い、公行廃止、両国官憲の対等交渉等)が締結されていた。
『不忠不孝渡辺登』
十月十一日に蛮社の獄にて自刃した、渡辺崋山の遺書ともいうべき最後の書である。
華山の門人である福田半香が華山の生活苦を救うため、江戸における華山の書画展での販売益を生活の足しにしようとしたのだが、これが幕閣の目にとまったのだ。
『生活のために絵を売っている』という事が問題視され、藩に迷惑がかかることを恐れた華山は、自刃という道を選ばざるを得なかった。
次郎は渡辺崋山と高野長英が蛮社の獄で死ぬ事のないように、最大限働きかけ、藩主である純顕も、同じように手を尽くした。
しかし、華山の命を救うことはできなかったのだ。
生活費の融通や必需品の差し入れも厳重に監視されていた。可能な限りの根回しも行ったが、一度決まった沙汰は覆す事は無理だったのである。
予想はしていた事だったが、歴史を変えられない無力さを、感じずにはいられない次郎であった。
<次郎>
「死んだらしいな。その、なんだ……」
「渡辺崋山な。そりゃ、
次郎は、そのくだらなさに憤りを覚えていた。そしてあの時、草案を燃やすように言っていれば、もしかすると捕まらなかったかもしれない。そんなタラレバも考えていた。
「悪くねえな。この時代の価値観に、怒りを覚えている人は多いはずだよ」
信之介のその言葉に、一之進が答える。
「そのために俺たちが今、ここにいるんじゃねえか? 歴史は正直詳しくない。だけどその……ペリーが来た時に蒸気船があればっていう、そういう歴史の改変が、人が死んだりするのを防げるんじゃねえかって事だよな」
「そうだ。俺たちがここにいる意味が、必ずあるはずだ。今はその目標のために頑張ろう」
「うん、頑張ろうね」
■
韮山代官の英龍さんが、西洋式銃の製造を行ったという話を耳にした。
英龍さんは幕府の天領である韮山の代官なんだけど、徳丸原の先生の演習のあと門下に入る事を願い出ていたようだ。
本当は一名限定のところ、下曽根金三郎も申し込んでいたから、結局二人が同門で学ぶことになった。
その後、その知識と技術でつくったわけだ。
しかし、5月に先生が演習を行って、即入門したとしても半年だよ? 恐るべき吸収量だ。もしかすると、先生や他の門人の手伝いがあったのかもしれない。
どっちにしても、アヘン戦争がかなり影響を及ぼしている。
本当ならここで、開国とまでは言わないけど、オランダから積極的に学ぶべきなんだ。その上で船や蒸気機関、その他諸々を勉強すべきだったんじゃないの?
せめて攘夷をするなら(したらいかんけど)、それ相応の軍事力はいるやろ? まあ1853年まで13年頑張っても、追いつくのは至難の業だろうけどね。
今の交易状態なら、情報量が少なすぎるからな。
「さて一之進。ペニシリンはどうだ?」
「どうだって……そんな簡単にはできないよ。今培養するカビをいろんなところから採取して、別々に管理している。青カビがペニシリンの元だって事はわかっているから、試行錯誤だよ」
「だよね~」
俺は分かってはいたが、80~90年先に発見される20世紀の発見を早く見てみたい。漫画のJINではないが、救える命があるかもしれないからだ。
「お里はなに? 今暇なん?」
「はあ? 暇じゃないよ」
一之進の言葉にちょっとキレ気味のお里である。やんちゃとかヤンキーとか、そんなんではなく、自分の意見をはっきり言う性格の女の子なのだ。
うーん。変わってない。
「確かに
「ごめんごめん」
ただ、信之介だけがちょっときつそうだ。
「大丈夫か、信之介」
「問題ない。船にしてもコークスにしても、任せるところは任せているからな」
ブラックだなんだと、悪態をつきながらも、努力しているところを見せようとはしない。何でもさらっとできてしまうのが天才だと、いつも信之介は言っている。
でも一番の努力家だということを、俺は知っているぞ。
ちなみに、藩校での昭三郎のオランダ語の授業は、賛否両論というか、乗り気の生徒とそうじゃない生徒の差が激しいようだ。
だとしても、藩校は厳しい。
一定の学力まで達しないやつは、嫡男なら相続の時に家
親の家老でも、勉強できなきゃ一生無役のケースにもなりかねない。
だから、必要最低限は勉強する。しかし、試験にでないものは勉強しないという風にあからさまだった。
昭三郎自体が城下給人でも小給だから、下に見ているのかもしれない。まあ、そんなくそみたいな考えの人間は後でぶち抜けばいい。
優秀者は卒業したら適塾にでも入学させよう。
5年後には立場逆転してるかもよ? 1853年以降なら間違いない。ああ、オランダ語から英語に変えなくちゃいけないけどね。
次回 第48話 『耐火レンガの確保と高炉ならびに反射炉の試作炉製造へ』
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