第28話 『坂本龍馬の支援者・小曽根乾堂の父、小曽根六左衛門』(1838/2/9)

 天保九年一月十五日(1838/2/9) 長崎


「お慶よ、石けんじゃが、お前に聞くのもどうかと思うが、このまま商いを続けても大丈夫なのか?」


 父の太平次はお慶の事を、九歳にして商いにおける神童と感じてはいたが、やはり長年営んできた油問屋に未練があるようだ。それになにより、お慶はまだ九歳なのだ。


 自分の商才のなさと、将来の不安を感じていたのかもしれない。


「大丈夫です父上。それに油も今以上に買ってくれて、銭も安定して入ります。これからどんどん売れていきますよ」


 にこやかに笑いながら話をするお慶に対して、不安があるものの、安心が日に日に膨らんでいくのも事実であった。


「父上、今日はどこか出かけるのですか?」


「うむ。これまで以上に商いを手広くするのなら、紹介しておきたい人がいる」


「ああ、それなら少し待って貰えますか? 大村藩の太田和様が今日はお見えになるのです」


 誰を紹介してもらえるのか心配するお慶であったが、次郎との約束が先約である。


「そうか……まあ問題はなかろう。先方は今日一日いるとおっしゃっていたから、太田和様と話をしてからでも良いだろう」





 <次郎左衛門>


 石けんの利益の見通しをたてるために、俺は長崎にやってきている。長崎聞役の西国14藩への売り込みは済んだ。


 これからは九州全域と全国だ。


 御家老の邪魔、まあ藩のためになるのだから邪魔ではないが、こちらの販売先を奪われるのはいい気がしない。


 一之進は薬草や医療の研究、信之介はゲベール銃にその他の研究、そしてお里は翻訳と、みんな役割が確立してきた。


 専用の部屋がいつの間にか俺んちに出来ているのだ。


「御免候!」


 大浦屋の前で俺たちはお慶ちゃんを呼ぶ。


「はあい!」


 明るく大きなお慶ちゃんの声が聞こえる。


「ああ次郎様! 会いたかったです」


 うん、誤解を生むような発言はやめようか。


 商売上ですよ! カラカラと笑う彼女に調子が狂う。


「中へどうぞ」


 勧められて中に入ると父親の太平次さんがいたのでみんなで挨拶をする。


 太平次さんは人の良い感じで、笑いながら出迎えてくれたが、実際人が良すぎるのだろう。


 商人としては人が良すぎて損をする事もたびたびあったようだ。


 うーん、天は二物を与えないんだなあ。


「次郎様」


 一通り打ち合わせが終わった後で、お慶ちゃんが急に俺の名前を呼んだ。


「え? どうしたの?」


「今日は父と一緒にこれから出かけて、父の商売仲間の方を紹介していただくんです。一緒にいきませんか?」


 ……という事は商人? 紹介するって事は同等かそれ以上の規模の商人だろうか。


 一体誰だ?


「そうだね。俺が一緒に行ってもいいのなら、行くよ」


「はい! 何の問題もありません」


 お慶ちゃんはニコニコ笑う。そして父である太平次さんにそれを伝え、俺たちは万才町へ向かった。





「ほえええー」


 というのが俺の正直な感想だ。大浦屋は正直、賑わっているようには思えなかった。歴史どおり、さびれていたのだ。


 しかしこの家はどうだろう? 丁寧に手入れの行き届いた塀に瓦、庭の木も植木職人にしっかり手入れされている。


 外からでも賑やかな商いのやり取りの声が聞こえる。


「御免候!」


 太平次さんが大きな声で呼びかける。


 俺はかけられている表札をよく見た。庶民の表札は一般的ではなく、江戸時代は長屋の入り口に住人の名が羅列されていたくらいだ。


(小……曽、根……屋?)


 達筆過ぎてやっとの事、こうかな? という風に読めた。


「ねえお慶ちゃん、これ何て……いや、小曽根屋であってるの?」


「うん。長崎でも指折りの豪商、小曽根六左衛門様のお屋敷です」


「六左衛門? ……六左衛門……。小曽根六左衛門! 乾堂の父親やん! うっぷ」


 俺はあわてて口を押さえた。


 小曽根乾堂といえば坂本龍馬や勝海舟と親交があった幕末の豪商だ! その父親の六左衛門も、佐賀藩や福井藩の御用商人を務めているやり手の商人!


「はーい。少々お待ちを」


 丁稚でっちが門の前にきて用件を聞いたあと、すばやく中に入ってまた戻ってきた。


「どうぞお入りください。旦那様がお待ちです」





 小曽根家の歴史は戦国時代の武田勝頼の家臣まで遡る。


 しかし家祖は江戸時代初期の平戸道喜であり、博多や平戸に移り住んでは、最終的には慶長年間に長崎市本博多町に定住した。


 古物商と外国貿易を営んでいたようだ。


 出島の南蛮屋敷を建てたり眼鏡橋の修復、瑞光山永昌寺の建立など、いろいろな事業を行っている。


 それ以降に小曽根姓になったようだが家運が衰え、乾堂の祖父、今の六左衛門の父だが、かなりの財政難だったようだ。


 それでも六左衛門は一代で家業を復活させ、長崎屈指の豪商になった。


「これはこれは、よくおいでなさいました太平次さん。どうそこちらへ。おや、その子は? そして後ろの御武家様も初めて見ますね」


「六左衛門さん、こちらは娘の慶にございます。そしてこちらは、手前どもとお付き合いのある、大村藩士の太田和次郎左衛門様にございます」


「ほう。左様にございましたか。ささ、では皆さんで。お茶など進ぜましょう」


 六左衛門さんはそう言って俺たちを家の中へ招き入れ、お茶を用意してくれた。うむ、うまい。


「それで太平次さん、今日はどのような御用向きで?」


「実は油の他に新しく商売を始めまして。その商売の紹介と娘のお慶なんですが、この子が私と違ってなかなかに商才があるようなので、今のうちに六左衛門さんに面通ししておこうかと思いまして」


 ニコニコと太平次さんは話し始めた。


「これは可愛らしい。うちの六郎太と同い年くらいでしょうか。これ、六郎太はどこじゃ?」


 しばらくすると、お慶ちゃんと同い年くらいの男の子がやってきて挨拶をした。


 ああ、小曽根乾堂。今のうちから仲良くなっておこう。


 挨拶をすませた六郎太はすぐにいなくなった。


「話がそれました。それでその新しい商売は……何を扱うので?」


「これにございます」


 風呂敷包みを開けて石けんを見せる太平次さん。


「これは……しゃぼんではありませんか。しかも、かなり上等な……箱に入って和紙で綺麗につつんである。おや、これは何ですかな?」


 六左衛門さんは石けんを箱から取り出して匂いを嗅ぎ、添付してある説明書きを読んでいる。


「ほほう、初めて使う人にもわかりやすいように、使い方と注意点などを書いているのですな。素晴らしい。れどこれは、相当に値が張るのではありませんか? 仕入れはもちろん、売り先も限られてきますぞ」


「四百五十文です」


「なんと!」


「ひとつ四百五十文です」


「……たったの四百五十文でこのしゃぼんが手に入るのですか?」


「はい。わしらはその値で売っておりますが、たいそう評判がいいんです。今では長崎に聞役を置いている十四の藩すべてに販売しております。そのどこからも、次はいつ売ってくれるのか、との催促をいただいております」


「ほほう、それはすごい。然れどこのようなしゃぼん、いずこから仕入れたのですかな?」


 六左衛門さんは驚いていたが、商人である。仕入れ先が気になるのは当然だろう。


「こちらの、太田和様にございます」


「なんと! 御武家様ではございませんか」


 六左衛門さんはさらに驚き、俺の方を見た。


「はじめてお目にかかります。大村藩士の太田和次郎左衛門にございます」


「ああ、これはこれは。わたくし、小曽根六左衛門と申します。早速ですが次郎左衛門様、そのしゃぼん、私どもにも卸していただくことはできますか?」


 さっそく食いついてきた。売れると確信があるのだろう。しかも石けんは耐久品ではない。使えばなくなる消耗品なのだ。


「ありがたきお申し出なれど、この『石けん』については大浦屋さんと専属で契約を結んでおります。大浦屋さんから仕入れていただくのであれば問題ありませぬ。なに、大浦屋さんも小曽根屋さんで暴利を得ようなどとは思っていますまい」


 六左衛門さんは少し残念そうな顔をしたが、それでも仕入れ値はお慶ちゃん次第。なんだったらお慶ちゃんに1個350文で卸していたのを300文くらいに下げてもいい。


 どのみち50文は多く仕入れ値を計算していたんだ。そんなに差はでない。


「よろしいでしょう。四百五十文と言われましたが、これならば六百文、七百文でも売れるでしょう」


 うーん、適正価格がいくらかわからん。なんせ競合他社がいないんだから。でも売るのは小曽根屋さんなんだから、そんな心配しなくてもいいや。


 それに佐賀藩はすでに販売しているけど、六左衛門さんは佐賀藩の御用商人みたいだし、越前福井藩の御用商人でもある。


 遠方の商人とのネットワークができればさらに良し!


 人脈は半端ないだろうな。


 博多なら釜屋宗右衛門。それから大阪の淀屋清兵衛に大阪屋、鴻池……三井に住友とがんがん行こう!





 次回 第29話 『幕府最後の巡検使とゲベール銃の完成』

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