第17話 『大村藩の食糧事情とその改善。全国平均ってどうなんだ?』(1837/5/19)

 天保八年 四月十五日(1837/5/19)


 サツマイモ(唐芋)はサツマ(薩摩)、つまり今の鹿児島県に、江戸時代に琉球王国(現・沖縄県)を経て伝来したと言うのが定説だ。


 そしてその後、広く栽培されて全国に広まった。


 しかし実はそれよりも10年前に、平戸の英国商館長リチャード・コックスが、中国伝来の芋の種を琉球から持ち込み、商館の畑に植えたのが始まりなのだ。


 その後またたく間に肥前全域に広がって作られるようになった。 


 医食同源とはよく言ったもので、生命活動に必要な栄養素を食物から摂取するしかない人間にとっては、食は生きる上で切っても切れない要素である。


 そういう意味では、大航海時代に船乗りを悩ました壊血病が柑橘類の摂取で防げたり、江戸や大坂などの大都市に多く発生した脚気(江戸患い)も、玄米を食べることで改善可能である。





 <次郎左衛門>

 ■自宅


 俺は正直、幼少期の事を話すのが好きじゃない。社会人になって、気の置けない仲間たちとの笑い話で何度か話題にしただけだ。


 なぜか?


 貧乏だったからだ。単純に。友人が持っている物を持っていない。友人が食べている物を食べていない。友人がする事をしたことがないし、できなかった。



 


「次郎、おれはここに来て間もないが、どうやら食事は裕福ではないにしろ、栄養バランスはいいみたいだぞ」


 一之進が言う。


「は? これで?」


 この時代に転生してからも思ったが、芋が多い。


 主食じゃないかってくらい芋、いも、イモだ。そういえば、転生当日のあの日、一汁一菜ではあったが、菜の代わりに魚が出た。


 毎日米よりも芋が多いが、味噌汁や野菜類、そしてひえあわきびなどの雑穀類や魚介類を食べている。


「厳密に言うと満点じゃない。でも、動物性タンパク質の不足以外は、みた感じなんとか釣り合いが取れているんだ」


「身長が低いのは?」


「それは大村藩に限った事じゃない。江戸時代の日本人に共通している。肉だよ。肉を食べないから動物性タンパク質が摂取できない。結果的に骨の成長を阻害したんだ」


「ふーん。まあ、なんかしらんけど。この貧相な飯をどうにかしたいよな」


 居候の身である一之進もお里も何も言わない。俺だって当主じゃないから、親父やじいさんの前では言えない。


 俺はもう貧乏はいやなんだ。


 そしてこの時代、二百九十石取りっていったら、そこそこの高給取り? のはずだ。それなのに、なんでこんな昔を思い出させるような飯なんだ?


 もちろん、さすがに白米はあったよ。


 農家だったから、米はさすがに毎日食ったさ。でも芋は、正直買って食べようとは思わない(思わなかった)。石焼き芋とか、コンビニの芋ね。


 あれ、ときどき食べるから甘くてうまいんだぞ?


 毎日毎日毎日毎日、食べたらそりゃ嫌いにもなるさ。


「でも、その動物性タンパク質も、イワシなんかの魚肉を多くとっているよね? だから例えば江戸や大坂、それから山間部に比べたら摂れている方なんだ」


「ふーん、ああそう……」


 とりあえずの最低限の目標は白米を毎日食べる事。これをなんとかしたいけど、冷静に考えると無理っぽい。


 その理由は大村藩の領内の地形にあった。


 うすうす気づいている人もいるかもしれないが、長崎は坂が多い。そしてこの大村藩のある彼杵地方も山ばかりだ。


 大村湾の東岸にはちょっと平野があるけど、それ以外は山岳地帯なんだよね。


 昔、なんかの資料で見たけど、明治期の記録で、一人あたりの米摂取量が全国平均の半分だ。


 全国平均が年間で0.92石(約138kg)なのに、平野部ですら0.44~0.92石(66kg~138kg)の低さ。


 太田和村やその他の村は、0.44石(66kg)未満で1日に180gにしかならない。


 茶碗3杯分とちょっとだ。カロリー的に言うと513kcalだけど、どんだけ芋や他のもん食ってんだって話だよ。


「で、結局?」


 平地不足=米不足=米が食えないって事が判明して絶望感を覚えた俺は、無気力に聞いた。


「うーん、ざっくりだけど、芋を5個、イワシ1匹にアジ1匹。それから豆腐とわかめの味噌汁2杯に白菜とたくあん。これで……1,800kcalはあるから、カロリー的にはOKだよ。でもやっぱりタンパク質と脂質、カルシウムにビタミンAにB2が不足だね」


「ふーん(脂質って、肉食わんと無理やん。あー食いたい)」


 無気力だ。平野がないから米がとれない。絶対に無理だけど、移住するしかないのか?


「次郎?」


「うん?」


「米食えないからどうでもいいやって思ってる?」


「え? いや、そんな事はないけど」


 図星だ。あからさまに俺の態度に出ていたんだろう。


「作れないなら買うしかないよ。幸い隣は米所の佐賀藩。天保の大飢饉で苦しんだとはいえ、農業政策に力を入れれば(佐賀藩を助ければ)取れ高も増えるし、安く買えるかもしれないよ」


 うーん、佐賀藩か……。


 いや、好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないんだよね。おれたち未来人(転生人)の存在が知れたら、下手をすれば命が危ない。


 開明的で聡明な純顕公だから、今の俺たちがいるけど、もし愚鈍で保守的なやつだったら、今ごろ獄中だったかもしれない。


 だから、そのへんは慎重になっちゃうんだよなあ。


 ここは米を買い、蓄えてもなお潤沢な資金が残るほど、藩を儲けさせないといけないか……。


「でも次郎、考えようによっちゃ、いいことだぞ。主食を米に頼ってないから江戸患いもないし、東北みたいに米を主体に作ってないから、飢饉で餓死者もでてない」


 それは確かにそうだ。大村藩は餓死者どころか、人口が毎年増えていったもんだから、人口抑制策のようなものも行われた。


 仕方ない、芋をなんとか味変して、我慢しよう。


「あとは、A不足の夜盲症、B不足の脚気、C不足の壊血病、D不足のクル病なんかだね。A不足は……にんじんだね。Bは麦とか魚介に卵や海藻類。Cはみかんだから心配ないね。Dも魚だからね、バランスが取れてるんだよ」


 本当に心配ない、ほぼパーフェクトやん。


 全部畑で作ってるし、海にある。ああ、そういえば昔、ばあちゃんが採ってきたあおさの味噌汁飲んでたなあ……。


 肉食を奨励したいけど……維新まで待つしかないか。はあ……。





 次回 第18話 『そのころの日本は?』

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