第3話 『胡蝶の夢と従五位下大村丹後守純顕』(1837/1/8) 

 天保七年 十二月二日(1837/1/8) 暮れ七つ(0405) 肥前大村藩 玖島城下


「ぎゃああ! ぐああ! ぐはあ! はあ、はあ……」


 玖島城下の旅籠で、信之介と一部屋ずつ借りて泊まった俺は、隣室から聞こえてきた断末魔のような叫び声で、鐘の音よりも早く起きてしまった。


「若様! いかがなさいましたか! ?」


 助三郎と角兵衛と同じ部屋に三人で泊まっていた信之介の従者の十兵衛が、ドタドタと廊下を走って障子をあけ、信之介の部屋に入っていく。


 おい。おいおいおい。


 勘弁してくれ、ただでさえ眠くないんだ。


 旅籠にしたって暮れ四つ(2136)、遊郭ですら暮れ九つ(2346)頃には消灯だ。やっと眠りについていたのに、何だ!


 自分のせいで生活サイクルが狂うのは許せるが、他人が邪魔するのは許せない。別に、理不尽じゃないよね?


「大事ない! 大事ないのだ! ……すまぬ、大事ない。下がってよい」


「は……」


 会話がダダ漏れ。十兵衛のスタスタという部屋へ戻る足音が聞こえる。彼は彼なりに、主人を守る役目を果たそうとしたのだ。


 まったく……。いったいどうしたのかねえ。お主次第じゃ! だって? それ以前の問題じゃねえか。


 これは、確かめねばなるまい。もう眠れないしな。





「入るぞ」


 俺はそう言って隣の信之介の部屋に入る。消灯しているといっても、厠へ行くためや不測の事態に備えて、廊下や最小限の場所にはあかりが点してある。


 ロウソクではない。行燈あんどんだ。


 部屋に入ると、信之介は体育座りから足を伸ばした状態で、空中をぼーっと眺めていた。ブツブツと独り言のようなものも聞こえる。


「……い」


「お……い」


「おい! ! いい加減にせぬか! 正気に戻れ!」


 俺は思いっきり信之介の頬をひっぱたいた。


「……あ痛あ! 何をする!」


 時間差かよ。何をする! じゃねえし。すごい剣幕で俺を睨む信之介に、俺は告げる。


「お主、昨日それがしに言うたであろう。気でも触れたのか? と。同じ事をそのままお主に返すぞ。気でも触れたのか?」


「気など触れておらぬ! れど……」


 少しの沈黙の後、俺は聞いた。


「……然れど、なんじゃ?」


「……すまぬ。戯れ言じゃと思うて、笑うて聞き流してくれ。今の、今のこの我が身が、誠の我が身なのか、分からなくなるのだ」


 信之介は半笑いだ。昨日は気づかなかったが、目に隈があり、やつれている。


「笑わぬ。つぶさに申せ」


 実はの……と、信之介は自分の身の上に起こった事を語り始めた。支離滅裂だった描写が徐々に鮮明になっていく。


「いつからだ?」


「一年ほど前だ。はじめは二十日に一度、月に一度程であったが、次第に増えて七日に一度、このごろは毎晩だ。それもまともな夢ではないのだ」


「どんな夢だ?」


「あるときは駕籠よりも大きな鉄の箱が馬も使わず、それも何十も連なって、音を鳴らして往来を我が物顔で行き来しておった。人はそれを避けるかの如く道の端を通り……そもそも、その人も多いのだ。玖島の比ではない」


 うん、車だね。どこだ? 長崎? 佐世保? 福岡? 東京?


「あるときは大きな鳥の形をした鉄の塊に、この、それがし……俺が乗っているのだ。飛ぶのだぞ! 空を! 信じられるか?」


 あー、飛行機だね。


 ……いや待て、こんな事ってあるのか? 


 普通は夢というのは自分の経験や、不可能だとしても理解できる範囲のものじゃないのか? 


 例えば大金持ちになるとか、総理大臣になるとか。好きな子と付き合うとかエッチするとか……。


 可能性の有無や大小にかかわらず、理解はできる。しかし、この時代の人間が車や飛行機を想像できるか? 二宮忠八でさえ、明治になってからだぞ?


「毎晩のように見るものだから、次第にどちらが夢か現か、どちらが誠の我が身なのか、わからなくなる時があるのだ。次郎よ、このような話をしてすまぬ。得心できぬであろう」


「……」


「で、あろうな。すまぬ、心配をかけた。もうじき夜も明ける。支度をして城に向かわねばな」


「……わかるよ」


 一瞬信之介の顔に、安堵とも疑念ともわからぬ表情が浮かんだ。


「どういう事だ?」


「俺もお主と同じだよ。……堅苦しいから俺、お前、でよいか? 俺は然う呼ぶぞ」


「同じとは、お主、いや、お前も夢を見るのか?」


「見る、いや、見ていたという方が正しいかもしれぬな。昨夜と一昨日は見ておらぬ。三日前の夜が最初で最後、それもとてつもなく長い夢だ。産まれてから五十までのな。父上より年上だぞ」


「なんと……」


「その夢にお前も出ていたのだ。山中信一郎として、俺の竹馬の友として、だ。そこでお前は大学、そうだな、五教館(ごこうかん・大村藩の藩校)のような学び舎のもっとも高みにある学府で学び、そして修めたのだ」


「そのような事があるのか……。そういえば鉄の車も鉄の鳥も、よくわからぬ数字の羅列や原理原則が頭の中を流れて、なぜそうなるのか、わかるようながある」


 俺は転生者という話は伏せておくことにした。


 おれの直感なんだが、今後は『夢で見た』という風にすれば、面倒くさい事もなく、信之介も理解できるような時がくると思う。


 しかし、今はその時ではない。


「まるで神隠しのような出来事ではあるが、先の世の事であれ、オランダやイギリスのような異国の事であれ、この先役に立つ事がある。そうは思わぬか?」


 肥前には長崎がある。


 そして九州の福岡藩や佐賀藩は長崎警備の任にあたっている。また、常勤と非常勤をあわせて十四の藩が、長崎聞役として情報収集や警備にあたっていた。


 信之介との会話の中で、イギリスやオランダが不自然でなかったのもそのためである。





 登城を命じられていたのは明け五つ半(0901)であったが、謁見が叶ったのは昼過ぎの明け九つ半(1241)であった。


 なんだこの4時間近い時間のムダは? アホなのか? 


 謁見の間の控え、そのまた控えの間で待たされた俺は、怒りが爆発する寸前だ。信之助にいたっては城の外、陣所のようなところで待たされている。


 昔読んだ竜馬がゆくではないが、上士と下士、郷士という身分制度がなせることなのか? 俺はイライラを抑えて謁見の間に向かった。





「こたびの家督ご相続、誠に祝着至極にて喜びに耐えませぬ。それがし、当主太田和左兵衛にかわり謁見賜りましたこと、誠にありがたく存じます。この上は新しき藩主様のもと、幾久しくお仕えいたしたく、ここに伏してお願い申し上げまする」


 あーでもないこーでもないと、色々と心配して考えていたのだが、不思議とスラスラと言葉になった。


 これも現世(この時代)の記憶と教養が身についているからだろうか。


「久しいの、次郎よ。苦しゅうない、面をあげよ」


「ははっ」


 上体を上げて顔を上座に向ける。なんというか、色白の整った顔立ちだ。今で、いや令和でいうとなんだろうか。何系? 体つきはシュッとしている。


 見渡すとスラスラ名前が出てくるのだが、まずは両村と呼ばれる一門の大村彦次郎友彰(彦右衛門系)に大村五郎兵衛昌直(五郎兵衛系)がいる。


 その他にも家老の北条新三郎昌盛・渋江右膳昌邦・稲田又左衛門昌廉、城代の冨永鷲之助など藩の重鎮がジロリと俺を見ている。


 半分睨んでいるといった方が正しいかもしれない。


 なんだこのアウェイ感は? 上から目線をビシバシ感じる。


「そなたが藩校にて学んでおる頃は、ともに学んだ事もあったであろう? 後の藩主としては、担い手の顔を覚えておかねばならなかったでな」


「はっ。無論覚えておりまする」


「そなたは藩校では極めて優秀で、神童とまで言われておったのだぞ? 十五、六から二十歳で卒業するところを、元服前に成した。それからは江戸へ遊学しておったのであろう? ……ふふふ、まあよい。……人払いを」


「……と、殿。今、なんと仰せになりましたか?」


「叔父上、聞こえませんでしたか。人払いをお願いしたのです」


「なりませぬ殿。一国の藩主たるものが、人払いにてかような卑しい……いや、家格の低い者とお二人で話をするなど、あってはなりませぬ」





「叔父上、家督をついで初めての命なのです。どうか、聞いてはいただけませぬか?」


 純顕は静かに、しかしはっきりと一門である大村五郎兵衛に伝えた。


 



 次回 第4話 『転生早々いきなりの無茶振りと、大村藩の影のフィクサー誕生』

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