第五話その3「謝れ! オリンピックに謝れ!」

「今日はスケッチをしないんだな、許嫁」


「だから許嫁じゃねえっす」


 土曜日の午後も柔道部は部活で、例によってちーちゃんが見物にやってきている。でも今日はその半身と言うべきスケッチブックを持っていなかった。ただゆうくんがトレーニングに汗を流すところを、じっと見つめ続けている。でもそれだけじゃなく、何か考え事をしているようにも見受けられたけど。次の作品に何を描くか、それをどう表現するか、それを思い悩んでいるんだろうか?

 そしてその日の帰り道。ゆうくんは約六キロの道のりをランニングで帰り、わたしとちーちゃんはエイラの運転する自動車に同乗して帰路に就いた。わたしも免許は持っているけど運転が好きじゃないので大抵はエイラの自動車に乗せてもらっている。ちーちゃんは時間が合わなくても学校で時間を潰す等して、同じくエイラの自動車で帰宅していた。バスで帰るという手段もあるんだけど、極度に面倒くさがりなこの子がわざわざそれを選ぶはずがない。

 わたしとエイラがおしゃべりをする中、後部座席のちーちゃんは景色の流れる車窓を見つめ、でも心ここにあらずといった風情でずっと考え込んでいるようだった。


「一旦帰ってから蓮ちゃんのところに行くけど、ちーちゃんも行くでしょ?」


「今週はこっちに来ないの?」


「ちょっと仕事が立て込んでいて来る余裕がないって」


 何の気なしに告げたことだけど、ちーちゃんは何故か愕然としているような顔である。


「そんな、明日……? こっちにだって都合ってもんが」


「どうしたの?」


 ちーちゃんは思いつめた顔で何やらぶつぶつと言っていて、わたしが声をかけると慌てて、


「何でもない! 何でもないから!」


「そう?」


「うん。あと、わたしは行かない。家にいる。夫婦水入らずでゆっくりしてきて」


「だから締め切りがきついんだって」


「帰ってるのは?」


「明日の夕方かな」


 わたしの答えにちーちゃんは「そう」とだけ言い、一心に車窓の外を眺めている。その目は何らかの覚悟と決意を内に秘めていて――本当に隠しごとが下手だなこの子は! 何かやらかします、って顔に書いてるようなもんじゃないの!

 でもここで問い詰めたところでこの子が素直に白状するなんて、絶対にあり得ない。下手をすると今週その何かをしないとしても、わたしの目の届かないところでその何かをやらかす可能性が非常に高くなってしまう。それよりも今は泳がせておいて、油断したところで現場を抑えた方がいいだろう。横を見ると、一瞬だけわたしに顔を向けて小さく頷くエイラ。エイラも同じ判断なのは言わずとも伝わることだった。

 一旦姫宮のお屋敷に戻ったわたしとエイラはちーちゃんを置いて、すぐに自動車で出発した。そのまま一路金沢へ――と思わせておいて、学校に自動車を停めた上でタクシーで宮前町へと戻ってくる。


「ちーちゃんに動きは?」


「ありません。お屋敷から外に出た様子も、外から誰か入った形跡も」


 エイラがスマートフォンを手にそう報告。姫宮のお屋敷はグループ内の警備会社によって厳重にガードされている。塀の上には赤外線センサーが張り巡らされているし、正門にも通用口にも防犯カメラや電子錠が設置されていてその開閉は全て警備会社に記録され、把握されているのだ。警備会社には人の出入りがあればすぐに連絡するようエイラが命じているんだけど、今のところは動きなし。


「さすがにこの時間から動くことはないのでは?」


「そうね。動くとしたら明日か」


 それでも何か動きがあったときに即対応できるよう、わたしとエイラは姫宮一動さん・三代さん宅にお邪魔する。そうして遅い時間まで様子をうかがっていたんだけど、結局何も動きなし。もし人の出入りがあれば夜中でも連絡するよう警備会社には言っているからそれでよしとし、わたし達はそのまま姫宮さん宅で日付が変わる頃に就寝したのだった。






 そして翌日曜日。早い時間に朝食を終えたわたしとエイラは、姫宮さん宅の二階からお屋敷の様子をうかがっている。ここからじゃお屋敷の門すら見えはしないんたけど、正門につながる階段や通用口につながる坂道はちゃんと見えている。その上警備会社への命令は継続中だ。仮にわたし達に見落としがあっても警備会社から連絡が入るはず……


「奥さま、エージェントIです」


「彩羽ちゃんが?」


 窓から外を見れば、正門の階段を上がっていく彩羽ちゃん。その姿はすぐに見えなくなったけどそれから間を置かずにエイラのスマートフォンに電話が入った。


「警備会社からです。女の子が一人お屋敷に入ったと」


「ちゃんと仕事しているみたいね。後で寸志くらい出しておいてね」


 さらにエイラがSNSで彩羽ちゃんにメッセージを送る。例の盗聴……じゃなく、会話を聞かせてもらうアプリに着信音があったのはそれから少し経ってからだった。

 それから少しばかりの時間を経て、時刻は午前一〇時を過ぎた頃。今度は二人の男の子がお屋敷の階段を上がっていった。一人はゆうくん、もう一人は唯月君。もしちーちゃんが先週の再演を目論んでいるのなら役者はこれで揃ったことになる。


「行くわよ」


 わたしエイラを引き連れてお屋敷へと向かった。ちーちゃんが自分の部屋にいるのならまず気付かれることはないだろうけど、それでも見つからないよう細心の注意を払い、経路を選んでお屋敷の中に侵入する。部屋数だけは無闇に多い家なので鉢合わせをしないよう息をひそめるだけなら簡単な話だった。

 さて、とわたしとエイラはスマートフォンに耳を傾ける。そこから聞こえてくるのはゆうくんと唯月君の声である。


『……あの、ゆうくん。やっぱりこんなの間違ってるよ』


『ああ、間違いなく間違っている。そんなこと百も二百も承知だよ。でも譲れないだんだよ、この思いは!』


『ゆうくん……』


『すまない、唯月。お前の気持ちを無視してこんな真似を……どれだけでも恨んでくれていい』


『ううん、それでも構わないって言ったのは僕だから……』


「な、な……何なのよ妖しいやり取りは!!」


 思わずスマートフォンを握り潰しそうになるわたし。エイラは「おおっと……」などと言いつつ鉄面皮を装うけど顔は真っ赤で、今にも鼻血を噴き出しそうだ。


『ゆうくん、怖いよ……』


『安心しろって言うのも変だが、俺だって怖い。手が震えている』


『あの、できるだけ優しくしてくれると嬉しいかな』


『判っている。……それじゃ脱がすぞ』


『は、恥ずかしいよ』


『あ、頭がおかしくなりそうだ。俺も脱ぐぞ』


「聞いてるわたしもおかしくなるよ!! なんで?! どうして!? 何があったの?!」


 ていうかもう頭がおかしいとしか思えないよ! ゆうくんに同性愛の趣味なんかなかったじゃないの! 少なくてもわたしにはなかったわよ絶対に!


『ええっと、どうしよう……何をするんだ?』


『……えーと、普通はキスからじゃ?』


『そ、そうか……それじゃ』


「それ以上はだめーーっっ!!」


 絶叫したわたしが隠れていた部屋から飛び出し、階段を駆け上がり――その寸前でかろうじて理性と計算を取り戻し、台所に立ち寄ってから改めて跳び上がるようにして階段と廊下をダッシュ。ちーちゃんの部屋の前へとやってきて力任せに襖をぶち開けて、


「何してんのよあんた達は!!」


 部屋の中にはゆうくんと唯月君と、ちーちゃんと彩羽ちゃん。男子二人はちーちゃんのベッドの上でトランクス一枚だけの裸で抱き合っていて、女子二人はそれを最前列で、かぶりつきで見つめているところだった。

 ……さて。それから少しばかりの時間を経て。わたしの前では四人の子供達が神妙な顔で、横に並んで正座をしている。パンツ一枚では色々とあれだったのでゆうくんと唯月君にはちゃんと服を着せた上でだ。腕を組んだわたしが仁王立ちになって彼等を睥睨し、エイラはわたしの後ろで、この場はわたしに任せる姿勢で控えていた。


「……なんでお母さんがこんな時間に」


「蓮ちゃん本当の修羅場だったから邪魔しないように早めに出てきたのよ。そうしたらゆうくんや彩羽ちゃん達がちーちゃんのところに集まっているみたいじゃない。わたしもみんなとおしゃべりしたいなー、中に入れてもらえないかなーって思って聞き耳を立てていたのよ!」


 わたしはガラスのコップを掲げて大威張りで説明し、ちーちゃんは呆れながらもそれで納得したようだった。……よし、上手くごまかせた! 大人としての威厳とか立場とか、いろんなものを犠牲にしたような気もするけど!


「そんなことより! 何してんのよあんた達は! なんでゆうくんと唯月君がホモセックスしようとしてるのよ! あんた達いつから同性愛に目覚めたわけ?」


「ホモじゃない、俺はストレートで、普通に女の人としかそういうことはしたくない!」


 ゆうくんが断固としてそう主張し、唯月君もまた強く頷いている。


「じゃあ今やろうとしていたことは何なのよ」


 わたしの詰問にゆうくん達は「その……」と気まずそうに目を逸らした。それはちーちゃんや彩羽ちゃんも同じである。わたしは大きくため息をついて見せ、


「……ちーちゃん、夏コミの漫画を描くのに行き詰まったよね。内容は冬コミのときと同じくゆうくんと唯月君をモチーフにした恋愛もの。先週ずっとゆうくんに貼り付いてスケッチをくり返していたけど、結局それでは現状打開はできなかった。だからモデルの二人を実地でからませようとした――間違っている?」


 無表情を装い黙秘を守るちーちゃんだけど、冷や汗をだらだら流している。


「沈黙は肯定と受け止めるわよ」


 ちーちゃんはわずかに身体を震わせるだけで何も言わない。いや、何も言えないというべきか。……しかし、ことの是非を一旦置いておくとしても、


「アナルセックスを実地でさせようとするなんて、準備はちゃんとしたわけ? ローションはどこにあるの? 唯月君、トイレには入ってきた?」


 その問いに首を横に振る唯月君。


「ローションもなしじゃ痛くてまともにできるわけないし、浣腸もしてないんじゃ内容物が逆流して大惨事になるわよ。判ってるの?」


「でもやおい穴ならそんなことは」


「ねえよ。そんなもんねえよ」


 何現実とファンタジーをごっちゃにしてんの?! 比喩じゃなく頭腐っちゃったとしか思えないよ!


「くっ、これが教育の敗北……授業でちゃんとアナルセックスのやり方を教えていれば!」


「いやー、いくら百佳さんでもそれはさすがに問題になりそうな」


「……確かにそうね。主語を大きくするべきじゃなかった」


 問題なのは日本の保健体育ではなくこの子の脳の具合である。一方ゆうくんと唯月君は顔を青ざめさせ、また同時に心底安堵の様子だった。わたしは追及の矛先を彼等へと向ける。


「でも、いくらちーちゃんに頼まれたからってストレートの二人がそれだけでアナルセックスをしようとするはずがない。どういうわけで引き受けたの? 脅された? それとも何かの交換条件?」


 ゆうくんの反応からしてどうやら後者が正解のようだった。それは予想通りだけど問題は、


「一体どんな交換条件を出されればそんなことができるのよ」


 わたしの問いに四人は沈黙を守り続けている。唯月君と彩羽ちゃんは「言わないの?」と言いたげな視線をちーちゃんとゆうくんに向けており、主犯格がこの二人なのは確実だった。わたしが二人を名指しにして何度もそれを問い、二人は無茶苦茶気まずそうな顔で、それでも黙秘を貫こうとしている。……想像もできないけど、よっぽどろくでもない交換条件なのは間違いないな、これは。

 四人に正座をさせて、もう一〇分以上。ゆうくん達は大丈夫そうだけど唯月君はかなり辛そうにしていた。それでも黙秘する二人に対し、わたしはことさらに大きくため息をついて見せた。


「……はあ。これだけはやりたくなかったんたけど、仕方ないわね。どうしても白状しないならエイラと交代を」


「ごめんなさいそれだけは勘弁してください」


「話しますしゃべります」


「正直に言うから早まらないで」


 打てば響くがごとくに即座にそう言って、正座のまま土下座するゆうくんと彩羽ちゃんとちーちゃん。そんなにエイラが恐いか、あんた等……いや、気持ちは物凄くよく判るけど。

 ちーちゃんは言うまでもなくゆうくんもわたしとエイラが育ててきたも同然なわけだけど、子供達をどうしても甘やかしてしまうわたしに対し、しつけや処罰を担当したのがエイラなのである。滅多にあることじゃなかったけど本気でこの子達を叱らなければならなかったときの折檻では、傍で見ていたわたしが「お願いだからもう許してあげて」と何度も何度もくり返して、やっとの思いで恩赦してもらって……多分あれが未だにトラウマになっているんだろうね。

 彩羽ちゃんに対するエイラの接し方は、実際のところはわたしからじゃよく判らないことではあるんだけど、ちーちゃんとゆうくんへの姿勢よりも甘いものとはちょっと考えられなかった。


「それじゃちーちゃん。二人を実地でからませるためにどんな交換条件を出したわけ?」


 完全に観念するちーちゃんだけどそれでもその口は重く、かなりの時間を経てようやく自白を始めた。


「……その、このでかいのには、わたしの目の前で唯月君とえっちするならわたしのことを好きにしていいって」


 でかした―――じゃなく!! ホモセックスの交換条件で自分の身体を許すのはどうなわけ!? それは青春と言っていいの?


「あんたね……」


 わたしは頭痛をこらえきれない顔を手で抑え……といった体で下を向いて表情を隠した。色々と混乱はしているけど親としてはここは怒るのが正解だろう。


「わたしは一六であんた作ったくちだからあんまり偉そうなことは言えないけど、少なくてもわたしはそれに何一つ後悔はないわよ。あんたはどうなの? そんな交換条件で初めてをあげちゃって、それで後悔しないって言えるの?」


「でも、お母さんはわたしをこいつとくっ付けるつもりなんでしょ」


 わたしはそれに何も応えないけどちーちゃんは答えを必要としていないようだった。まあ、幼稚園の頃はちーちゃんにも「大きくなったらゆうくんのお嫁さんだね!」ってくり返し言ってきたからなぁ。小学生以降はあえて言わないようにしてきたけど、わたしが未だにそう思っているのは二人にだって丸判りなんだろうね。


「わたしは『大歳の巫女』になれないって話だけど、それならなおさらいずれは結婚して子供を産まなきゃいけない。お母さんがその相手としてこいつを選んだのならわたしはそれに従うだけで、だったらもう早いか遅いかの違いしか」


「わたしはそんなこと望んでないっ!!」


 わたしの剣幕にちーちゃんが口を閉ざした。怒りと悲しみで頭がぐちゃぐちゃになり、涙がこぼれそうになったのを必死にこらえる。


「『大歳の巫女』なんてただの呪いよ! あんたの代で姫宮の血が絶えるならそれで全然構わないわよ! わたしが二人に求めるのは、誰よりも幸せになることよ! あんた達は世界で一番幸せにならなきゃいけないのよ!」


「お母さん……」


「百佳さん……」


 と殊勝な顔となる二人。判ってくれた? わたしのこの愛を! わたしは固く握り締めた拳を突き上げて、


「そのための青春! そのための恋愛! 恋愛なくして何が青春かー! あんた等真っ当に、ちゃんとした恋愛をしなさいよ!」


 わたしのその指弾に、何故かちーちゃんとゆうくんは呆れたような顔となり……なんで? どうして? 確かにわたしはこの二人にくっ付いてほしい。でも強制された関係やレールの敷かれた恋愛なんて青春じゃないからこっちは必死に自重して、二人の自由意思を何よりも尊重して、裏工作をするだけで我慢しているっていうのに!


「恋愛? こいつと? は」


 とちーちゃんは鼻で笑い、ゆうくんはむっとした顔。わたしは首を傾げて、


「恋愛はできないけど結婚するのに文句はないわけ?」


「相手が誰でも恋愛なんかできるとは思えないし、する気もない」


「『愛の形』を表現するのにあんなに一生懸命なのに?」


 わたしの疑問にちーちゃんは答えようとしない……いや、ちーちゃん自身にも判らないことなのか。もしかしたら意識はせずとも「恋愛」というものに強く惹かれていて、それでも理解できないそれを理解するべく色々と頑張っているのかも。まあ、その努力の一環がホモセックスの強要なのは人として完全に間違っているし、その交換条件で自分の身体を許すのは本末転倒の極みとしか思えないけど。

 わたしはちーちゃんを一旦置いておいてゆうくんの方を向いた。


「それで、ちーちゃんはこう言っているけど」


「いや……昔から百佳さんが姫をお嫁さんに、って言い続けてきたからそういうもんだと思っていて、知らない誰かと恋愛して結婚するって想像もつかないけど相手が姫なら今と大して変わらないし特に文句は」


 ……なるほど。そういうスタンスか。その表情から察するにちーちゃんも全く同じように思っているようだった。でもそれは……なんか、こう、違うんだよ!! わたしが望んでいるのはそうじゃない! 将来結婚するって思っているんだったらもっとイチャイチャしろよ! なんでそんな、付き合って何年も経ってお互い気心も知れた二人がラーメン屋で「そろそろいいだろう」で結婚するような空気を出しているんだよ! 過程が抜けてるじゃないの! ラブコメで一番大事なそれが!

 ……と、それはともかく。思いがけずちーちゃんとゆうくんの、お互いに対する感情や恋愛に対するスタンスを知ることができたのは収穫だった。今後はそれを前提に作戦を練っていくとして、


「興味深くはあるけれど将来の話はまた今度。それで、ちーちゃんの身体に釣られて唯月君とえっちすることにしたわけ?」


「いや、それはない」


 とゆうくんは即座に否定する。


「いくらなんでも条件がしょぼ過ぎで割に合わないだろ」


 ゆうくんは真顔で心底からそう言う。怒ったちーちゃんがゆうくんの手に噛みつき、わたしが二人を引き離した。でもゆうくんの言いたいことは理解できる。ちーちゃん超絶美少女ではあるけれど線が細すぎで、ゆうくんの好みからは大きく外れているし。


「それじゃ何でこんなことになっているのよ」


「その……多分それだけじゃこいつも引き受けないだろうってわたしも予想はできたから」


「何か追加の条件を出したわけ?」


 ちーちゃんの口はさらに重くなるけど、わたしがエイラの方に一瞬だけ視線を送ったらそれで観念したようだった。


「えと……お母さんとえっちさせてあげるからって」


「何言ってんのあんた???」


 どうしよう、何を言っているんだろうかこの子は。おかしくなったのはわたしの耳かこの子の頭か、どっちだ?


「あのー……わたしには蓮ちゃんという愛する旦那様が」


「何のかんの言ってもお母さんあんたにはだだ甘だから、わたしが許可した上で押して押して押しまくれば『しょーがないわね』とか言って結局は身体を許してくれるはずだから……って」


 おかしいのはこの子の方だったよちくしょう! 何勝手なこと言ってるのよ! そりゃゆうくんは生まれたときから知っていておむつを替えておっぱいをあげてきた子で、結局は自分でもあるわけだからえっちしたところで自主トレと変わらない……じゃなく! なんでそんな期待に満ちた目をしているのゆうくん?!


「それでゆうくんも信じちゃったの? そんな話を」


「姫もこう言っているしもしかしたらワンチャンあるかも、って」


「ねえよ!」


 どうしよう、泣きたい。一五年かけて育ててきた子供達がなんでこんな形にとち狂っちゃったの?


「わたしに断りなくそんな条件を出す方も出す方だし、それを飲む方も飲む方よ! ちーちゃんはちょっと失敗したかもだったけどゆうくんはちゃんと育ってくれたって、信じていたのに! ワンチャンに賭けてホモセックスができるくらいに親子丼がしたかったの!?」


「したい」


 ゆうくんは一片の迷いも躊躇もなく即座に断言する。


「ずっとオリンピックを目指してきたのと同じように、親子丼は幼稚園の頃からの俺の見果てぬ夢なんだ」


「オリンピックと親子丼を同列にするな! 謝れ! オリンピックに謝れ! あと嫌すぎるわそんな幼稚園児!」


 怒鳴りすぎて酸欠となり、頭がくらくらする。倒れそうになったわたしを後ろからエイラが支えた。わたしの眩暈が収まってちゃんと立てるようになるまで多少の時間が必要だった。でもその時間の分わずかなりとも冷静さを取り戻している。


「彩羽ちゃんはちーちゃんの計画の尻馬に乗っただけで積極的に何かしたわけじゃないだろうけど、止めなかった以上は同罪よ?」


 はい、と殊勝な顔を俯かせる彩羽ちゃん。さて、問題は最後の一人。


「それで、唯月君には何を言ったの? どんな条件を出したわけ?」


 まさかとは思うけどこの子にまで身体を許すとか親子丼とかの条件を出したんじゃないだろうな、と思いながらちーちゃんをにらむと、ちーちゃんは心外そうに首を横に振った。


「特に何も。ただお願いしただけ」


「……? 何にもなしでホモセックスしてくれることになったの?」


「うん」


 ちーちゃんの頷きにわたしは唯月君へと視線を向ける。彼は透明な、今にも消え入りそうな笑顔で、


「……姫が僕にどうしてもお願いしたいことがあるって……僕、何でもするよって言っちゃって、何をするかは後から聞かされて……でも自分で言い出したことだし、姫の役に立ちたかったから」


 それはまるで微笑みながら涙を流しているかのようで……いや、うん。君の献身はこの上なく貴く、その健気さは泣けてくるくらいなんだけど、手段と相手は選んだ方がいいと思うんだ……。わたしもこの子をこのままゆうくんとくっ付けていいものかどうか迷っているくらい……いや、ある意味お似合いかも。割れ鍋に綴じ蓋ってやつで。


「あんた、これを見て何とも思わないの?」


 そう問われたちーちゃんはさすがに気まずそうな顔をし、


「いや、最悪はお金で埋め合わせをするつもりだったけど」


「その発想が最悪だよ!」


 ものの考え方が酷すぎると思わないの? 一体誰に似たんだか……エイラは何がしたくてスマートフォンを手鏡モードにしているの? その顔は何か言いたいことでもあるわけ? ともかく、この四人の中で唯月君だけがほぼ一方的な被害者と言っていい立場だった。


「とりあえず、唯月君は今日はこれで帰ってくれる? 本当にごめんなさい、うちの子がとんでもない迷惑をかけて」


「いや……軽々しく何でもするって言った僕も悪いから」


 深々と頭を下げるわたしに対して逆に謝ろうとする唯月君。確かに君に落ち度がないわけじゃないけど、変な結婚詐欺とかに引っかからないか君の将来にちょっと不安を覚えるけど、でも今回はうちの子の方がはるかに責任が重いからね。この埋め合わせはいずれまたするから! お金じゃない何かで。

 ……で、唯月君が帰っていって、残されたのはちーちゃんとゆうくんと彩羽ちゃん。でもわたしはもう精根尽き果ててこれ以上怒る気力もなくなっている。


「だからエイラ、あとのことはお願い」


「はい、お任せください奥さま」


 三人が無言の悲鳴を轟かせるけどわたしの知ったことじゃない。自分の部屋に戻ったわたしは布団に潜り込み、その日一日をふて寝で過ごしたのだった。まあ冥福くらいは祈っておこう、なむなむ。

 ……その日の深夜にまで及んだ折檻により、ちーちゃんと彩羽ちゃんは翌日学校を欠席。ゆうくんはずたぼろのふらふらになりながらも何とか通学していた。とりあえずこれだけお仕置きされたんだからさすがに凝りて、今後は人様に迷惑をかけることはないだろう。

 他人を巻き込まずにちーちゃんとゆうくんの二人だけで何かする分にはわたしが口を挟むことじゃない。それもまた青春……青春なんだろうか? お願いだから真っ当に青春ラブコメをしようよ、二人とも。野望への道ははるかに遠い……。

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