第四話その3「生まれてきてごめんなさい」
さて。翌五月八日日曜日。柔道部も日曜日は休みにしていて、わたしもゆうくんもフリーである。で、この日曜日にわたし達が何をしているかと言えば、
「ゆうくん、これ切り終わったよ」
「それじゃ冷蔵庫に入れておいてください」
「んー、でももうスペースがないけど」
「整理します」
わたしがキャベツや玉ねぎ等の野菜をざくっと切ってお皿に盛ってラップをかけて、ゆうくんがそれを一旦冷蔵庫に片付ける。七輪の用意を終えたゆうくんはお好み焼きのネタを用意しているところだった。卵を加えたお好み焼きの素をミキサーみたいな勢いでかき回すゆうくん。なおわたし達がいるのは姫宮のお屋敷ではなくゆうくん宅だ。時刻は正午まであと三〇分くらい。
「お母さん、でかいの」
玄関ではなく庭の方からちーちゃんの声がした。わたしとゆうくんが居間に回ると、開け放たれた掃き出し窓の外にちーちゃんが立っている。ちーちゃんは手に提げていた風呂敷包みをゆうくんへと突き出し、
「はい、これ」
「ああ、さんきゅ」
ゆうくんはそれを受け取ってひとまずはソファセットのテーブルに置いた。一方わたしは、頭痛のする額を指で押さえている。
「……ちーちゃん」
「なに」
「着替えてきなさい」
ちーちゃんが着ているのは寝間着代わりの中学時代の体操服。でもこの子は「えー」と不服そうな顔で動こうとせず、仕方ないのでわたしはこの子を引きずって一旦お屋敷へと戻り、まともな私服を選んで着させた。ゆったりしたパーカーとロングスカートの上下セットで、ちょっと地味すぎるかとも思ったけどデートに行くわけじゃないんだからそこまで気合を入れなくてもいいだろう。そして脱がせた体操服は、すぐに処分する、絶対!
わたしとちーちゃんがゆうくん宅に戻ってきて庭の方に回ると、そこには今日の集まりのメンバーがもう揃っていた。ゆうくん、唯月君、彩羽ちゃん、ラーナちゃん、山武君、そして最後がちーちゃん。
「それじゃ、楽しんできなさい」
わたしはちーちゃんの背中を押して送り出し、みんなから背を向けて、
「あれ、ももちゃん先生は参加しないんですか?」
「子供の集まりに大人が加わったら楽しくないでしょ」
「えー、そんなことないですよ! 一緒に遊びましょーよ!」
山武君が強く誘ってくれて、ゆうくんもくり返し頷いていて、後ろ髪は引かれたんだけど、
「また今度ね」
とわたしは笑顔でそれを振り切った。「善那」と表札の出ているゆうくん宅を出たわたしは、すぐ隣の「姫宮」と表札の出ている家に素早く入り込む。
「こんにちは、お邪魔します」
言うまでもなくそこはわたしの血縁上の両親、姫宮一動さん三代さん夫妻が住んでいる家で、わたしは二人に声だけかけてすぐに二階へと上がった。ゆうくん宅のお庭が見下ろせる部屋に行くと、そこでは既にエイラがスタンバイしている。みんなに気付かれないようカーテンを閉めたまま、わたしとエイラはスマートフォンのアプリを起動させた。
『それじゃ始めようか、練炭パーティ!』
『それ何か違う、危ない集まりとしか思えない』
『飲物は行き渡った? それじゃ乾杯しようぜ!』
『何に乾杯するの?』
『善那の個人戦出場を祝して、あと今日のこの出会いを記念して!』
『クラス同じじゃない』
『今日の俺は昨日の俺とは違うのだ! ともかく、かんぱーい!』
かんぱーい、おめでとー、という声がアプリと窓の外から重なって聞こえてくる。わたしとエイラはそれを聞きながら缶ビールをあおった。
――さて。ことの発端は昨日の夕方。インターハイ予選個人戦出場者選抜戦のあと。
「でも何とか勝てたのはみんなが助けてくれたからだし、お礼は必要だよな」
これから飯でも食いに行くか?とゆうくんが提案。みんな異存はなさそうだけど一番乗り気だったのが山武君で、
「おっ、いいねぇ!」
「お前にはおごらねーぞ」
「判ってる判ってる」
ゆうくんの首に腕を回して笑う山武君。彼は課題のシートを探してくれたわけじゃないからね。仲間外れにされないだけ恩の字ってところだろうか。
「それじゃどこに行こう。ラーメン屋でいいか?」
ゆうくんのその案に女性陣は「えー」とブーイング。
「マクドかファミレスで、その後カラオケじゃないの?」
「それでもいいけど、カラオケまではおごれないぞ」
「今からじゃあまり長い時間遊べなくない?」
「それなら明日集まり直す? その方がたっぷりおしゃべりもできるし」
「でもファミレスとかじゃいられる時間限られるよね」
「いっそ誰かの家に集まるとか?」
「あ、それなら俺の家、親が出張でいねーわ」
「どうせなら庭でバーベキューとか!」
「バーベキューセットはないけど七輪なら貸せるわよ」
そんなわけでゆうくん宅で、ご飯をおごる代わりにゆうくんがお昼ご飯を用意することとなり、バーベキューならぬ七輪パーティをすることとなったのである。七輪と鉄板を提供したのは姫宮家で、わたしも食材の用意やその他の準備を手伝った。
その用意された野菜とかお好み焼きとか焼きそばとかを鉄板で焼いていくゆうくん。こういう集まりだとゲストの側もお土産の食べ物を持ち寄るのが普通であり、ラーナちゃんは三段の重箱全部におにぎりを詰めて持ってきた。
『これ全部おにぎり? 食べられるのこんなに?』
『だって柔道部員が二人もいるんだよ?』
さすがに判ってるねラーナちゃん。柔道選手を夫にしているお母さんのアドバイスがあったかな?
『これ自分で焼いたの? すごい!』
『時間がなくて二つしか作れなかったけど』
彩羽ちゃんが用意したのは二本のパウンドケーキ。これはデザートにするので食べるのは後回しだ。
『はい、どうぞ』
唯月君のお土産は自作のサンドイッチ。差し出されたそれをちーちゃんは「ん」と無造作に受け取って口にし、
『どうかな?』
『普通においしいわよ』
『そう、良かった』
と唯月君は嬉しそうに笑っている。……いや、いいのかそれで。君は。
――説明を後回しにしていたけど、彼は八尾唯月君。身長が一六〇センチと少ししかなく髪が長めで女の子のように可愛らしい顔立ちで、私服だと本当に女の子にしか見えない。一〇年くらい前にこの町に引っ越してきて、そのときからゆうくんとは仲の良い友達だ。一歳下の妹共々、ゆうくんやちーちゃんにとっては幼なじみと言っていい。わたしのときにはいなかった子である。
わたしが早いうちから大歳寺市の子育て支援政策を拡充させた結果多くの子育て世帯が大歳寺市に流入していて、八尾家はそんな家庭の一つだった。両親はお隣の福井県あわら市で大学講師をしているという。
『この向かいが姫の家? 山しか見えねーけど』
『その山の上よ。お城みたいなものすごいお屋敷でねー』
『へえ、行ってみたい!』
『俺も俺も!』
『あー、山武君はちょっとあれかなー』
『えー』
『いや、僕だって入ったことないくらいだし』
『そうなん? こんなご近所で幼なじみなのに』
『ああ、うん。僕姫宮先生に嫌われているから……』
『いや、別に嫌っているわけじゃないぞ、絶対に』
『嫌っているわけじゃないと思う』
二人の言う通り、嫌っているわけじゃないんだよ唯月君! 納得してないみたいだけど!
基本人見知りでコミュ障気味のゆうくんがぼっちにならずに済んだのは君がいてくれたからで、その点ではとてもとてもありがたく思ってるんだよ? ただ問題は……どう見ても君、ちーちゃんを狙っているよね? 今日もちーちゃんと一緒に遊ぶ非常に久々の機会だから張り切っていて、サンドイッチもちーちゃんの好物ばっかりだし、何かと甲斐甲斐しくちーちゃんの世話を焼いているし。
幸いちーちゃんの方は唯月君のことをただの古い知り合いくらいにしか思っていないみたいで、今の二人も初々しいカップルというよりは「ご主人様と執事見習い」にしか見えない状態だった。あるいは「病人と介護士」か。ちーちゃん線が細すぎだし。
ただそれでも、わたしとしては警戒を怠るわけにはいかないのだ。ストイックにオリンピックを目指すゆうくんと、非常に自堕落なちーちゃんは相性に難があり、喜んでちーちゃんの世話を焼く唯月君の方がずっとお似合いかもと思えてしまう。世話を焼かれているうちに易きに流れて、ちーちゃんが唯月君を選んでしまうことだってないとは言えない。でもわたしはゆうくんとちーちゃんのカップリングでなきゃ嫌なんだ! 絶対に! だからできる限りちーちゃんには近付けさせない! 悪く思わないでね!
『善那、肉食おうぜ肉。せっかく持ってきたんだし』
『おー、この不健康そうな脂の塊よ』
そう言いながらも喜んでフライドチキンにかぶりつくゆうくん。山武君のお土産はフライドチキンのバレルと菓子袋。見た目の通り自炊スキルはないんだろう。なおゆうくんの自炊スキルは結構高く、これはわたしのときからだ。両親があの通りなのでご飯は自分で作らねばならず、インスタントラーメンやコンビニ弁当ばかりじゃ身体は作れず強くなれないから自炊する必要に迫られ、試行錯誤しているうちにまあまあ得意となったのだ。
この時間軸でも、教えればちゃんと覚えることは判っているから早いうちから料理を叩き込み、今では主夫として及第点を出せるくらいの実力を有している。なおわたしは前世の経験を引き継いでいるから主婦として上位レベル。エイラはさらにその上のプロレベルである。
『それじゃこれも焼こう。わたしが作ってきた』
『包んできた、だろ?』
ちーちゃんのお土産は大量の餃子だけど、ネタを作ったのはエイラである。ちーちゃんの料理スキルは多分山武君と同レベルで全くできず、覚えようとすら思っていない。ただ手先が器用で細かい作業を黙々とやるのは苦にならない性質なので、エイラの用意したネタを皮に包むくらいの手伝いはしたのである。
『うん、いい感じに焼けてる。おいしい』
『これチーズ餃子? とろっとろでおいしい!』
『ぎゃー! 辛い!』
何個もの餃子を口にした山武君がいきなり叫んでみんなびっくりする。ちーちゃんが「ああ」と今思い出したように、
『そう言えばエイラさんが辛子とかわさびとかの塊を何個かに一個に仕込んでいるって言ってた』
『えぇえ……』
『ほら、焦げてる。ちゃんと食べて』
『いやー、それは……』
『頑張れ柔道部!』
『なんでだよ柔道部関係ねーだろ。お前等も食え。ノルマは一人五個だ』
『えー』
『えーじゃねえ、作ってきた張本人』
『わたし包んできただけだし』
ゆうくん達はエイラ謹製のロシアンルーレット餃子を食べて、当たったのなんのと大騒ぎしている。わたしはビールをあおりながら、
「うう……みんな楽しそう……わたしもあの中に入りたい、みんなと一緒に遊びたい!」
「入ってくればいいでしょう」
エイラはそう言いながら付き合いでビールを口にする。
「みんなも歓迎してくれますよ。特にゆうくんと山武君」
「他の子も嫌な顔はしないだろうけどね。ちーちゃんは別として」
ゆうくんと山武君はきっと大喜び。ラーナちゃんも笑顔で受け入れてくれるに違いない。彩羽ちゃんや唯月君は、内心微妙だけど表面上は笑顔を保つことだろう。わたしはこういう集まりで場を盛り上げることに関してはそれなりの腕と自負している。みんなを楽しませて、自分も楽しく過ごす、そうできる自信はあった。
「でも違うのよ! 子供同士の集まりに大人が首を突っ込んでくるのは! それは青春じゃないのよ! せっかくゆうくんが青春しているのにわたしが邪魔してどうするのよ!」
だからこうして盗聴……じゃなく、会話を聞かせてもらうだけで我慢しているのだ。エイラは軽く吐息をもらし、
「確かにそれは野暮ですね。仕方ないので大人は大人同士で楽しみましょう」
エイラがそう言って缶ビールを差し出すのでわたしはそれを一息で飲む。わたしはあまりお酒に強くなく、それなのについつい缶を開けてしまい、いつの間にかエイラに寄りかかって眠っていた。気が付けば日差しは傾き、もう夕方。七輪パーティも後片付けに入っている。
「もう後片付けやってるの? 手伝いに行かなきゃ……」
「そんな酔っぱらった状態でみんなの前に顔を出すつもりですか? 手伝いはわたしに任せて、奥さまは先にお屋敷にお戻りください」
確かにまだ酔いが残っていて、とても眠い。わたしはその言葉に甘え、一足先にお屋敷に戻ることにした。みんなに見つからないよう注意してその家を出てお屋敷へと向かう。夕方の涼しい風が火照った身体に心地よい。わたしはふわふわした足取りでその短い道程を歩いていった。
――言い訳をさせてもらうなら、酔っぱらっていたからだ、としか言いようがない。あるいは気の迷いとか、魔が差したとか。
七輪パーティの後片付けはエイラに任せて、わたしは自分の家の家事の方を片付けておくことにした。大抵のことはエイラが終わらせていたんだけど、乾燥上がりの洗濯物が乾燥機に入ったままだったのでそれを畳んでいて……
「ちーちゃんの体操服か。パジャマは前に買った可愛いやつを着せて、これは捨てないと……」
――つい、着てみました。捨てるんだったらその前に試しに一回くらい、ってつい考えちゃったんだよ! アルコールで脳がやられていたとしか思えないよ自分でも!
「うわ、きつい、全然入らない。でもなんの! わたしを舐めるな!」
全然小っちゃくてこれっぽっちもサイズが合わずむちゃくちゃ苦労したのに、それでも頑張って無理矢理着ちゃったんだよ! なんで途中で諦めなかったんだよわたし!
で、何とか強引に袖を通して……綿の体操服が何だかレザーのボンデージみたい。おっぱいはぱつぱつだしおへそも出てるし、お尻もまたとんでもないことになっている。
「うーん、想像以上にやばいな」
「そうですね。そのお姿もそうですが、奥さまの脳も」
不意にかけられた声に、わたしの全身は塩の柱と化した。壊れたロボットみたいになりながら振り返るとそこに立っているのは、ものすごく冷ややかな目をしたエイラ。
「え、エイラ、いつから」
彼女はそれに答えず、無言のままスマートフォンを取り出してそのレンズをわたしに向け、
「いやー! 待ってー! 撮っちゃだめ!」
「奥さまは一度客観的に、冷静に、今の自分のお姿を目にする必要があるかと存じます」
「お願いやめて、多分死にたくなるから」
「いっぺん死んだ方が良いのではないかと愚考する次第」
「……あの、わたしご主人様」
「その主従関係を見直したいと心から思っているのですが」
ごめん、それだけは絶対にだめ。エイラに逃げられたらわたし生きていけないから。
エイラは頭痛を覚える額を抑えつつ深々とため息をつき、
「その体操服がブルマじゃなかったことがせめてもの救い……と思っておきましょうか」
「三〇過ぎてブルマは犯罪でしょ」
蓮ちゃんが大好きだから昔はよく着ていたけど、さすがに今はたまにしか着てないし。
「そのお姿が犯罪ではないとでも?」
「いやまあそれは……でもゆうくんとかに見せるんじゃないなら」
そのとき発せられる誰かの足音。振り返るとそこにいるのはゆうくんで、彼は唖然愕然としながらもわたしの姿に釘付けとなっている。
「百佳さん、その格好……」
「いやあのそのほらあれよ」
あれって何なのよ?! どうしよう、どう言い訳したらいいの? 頭の中真っ白にしてうろたえるわたしにエイラがそっと耳打ち。
(奥さま、下手な言い訳をするよりもいっそ平然としているべきです。別に恥ずかしくはない、これが普通なんだと)
(なるほど、さすがエイラね!)
その的確なアドバイスにわたしはぱつぱつのおっぱいを思い切りそらして、
「これは、あれなのよ!」
堂々と言い切った! ゆうくんは、
「……あれなんですか」
「そう、あれなのよ」
だからあれって何なの?! ゆうくんもそれで納得するわけ!? でも自分で言っていることだし突っ込みなんかできない。わたしはそのまま、
「さーて、今日の晩御飯はどうする?」
「えーと、さっきまでたくさん食べてたし軽く鶏の照り焼きとか」
「それは軽くなの?」
普段と変わらない調子で会話をしようとした。でもゆうくんは顔を赤くしてちらちらとわたしの身体を盗み見し、わたしがその視線に気付くとすぐに目を逸らし、それがくり返される。……なんだかとっても死ぬほど恥ずかしいんだけど?! これなら素っ裸を真正面から見られた方がまだマシだよ! でも今さら身体を隠すのも不自然すぎるし、本当にこれでよかったのエイラ?!
「うくっ……うぷぷっ」
そのエイラは真っ赤にした顔を俯かせて必死に笑いをこらえていて――謀ったなああぁぁ!!? 騙したなああぁぁ??! どうすんのよこの始末を! ゆうくんだけならまだ我慢するとしても、ちーちゃんだってもう帰ってくるはず……
「なにしてるの?」
そのとき発せられる、絶対零度の声音。わたしがおそるおそる振り返るとそこに立っているのはちーちゃんで、彼女はゴミムシを見るかのような目をわたしへと向けている。
「いやあのそのこれは……あれなのよ!」
「お母さんの頭が?」
「……はい、その通りです」
何があれかと言えばアルコールにやられたわたしの頭しかなく、わたしはしょんぼりと身を縮めた。でもちーちゃんの刺すような視線に変わりはなく――険しさをさらに増したそれがゆうくんへと向けられた。
「いつまで鼻の下伸ばしてるのよ! 見んな! 帰れ!」
ゆうくんの尻を蹴って居間から追い出すちーちゃん。
「いやでも俺、悪くなくない?」
その言い訳にちーちゃんの蹴りがさらに強くなったようで、そんな音が聞こえてくる。でもそれも遠ざかり、そのまま玄関まで移動したようだった。やがてちーちゃんが一旦戻ってきて、
「あの、ごめんね?」
「何に対して謝っているの? 生まれてきたこと?」
「はい……生まれてきてごめんなさい」
露となって消え入りそうなわたしの謝罪にもちーちゃんは「知らない」とそっぽを向くばかりだ。
「好きなだけ変態的な格好してればいいんじゃないの? わたしのいないところで」
そう言い捨てて立ち去っていく。ああちーちゃん、とわたしは手を伸ばすけどそれはどこにも届きはしなかった。がっくりと肩を落とすわたしにエイラがスマートフォンを見ながら、
「ちーちゃんからです。『今日は家出をする』と」
「そう……遠い方? 近い方?」
「明日は学校ですし、近い方に」
そう、と頷くわたし。ちーちゃんの家出はまれによくあることで、家出先も決まっている。「遠い方」は蓮ちゃんの仕事場。「近い方」はお向かいの、あの子の祖父母の家だった。さて、あの子の機嫌が戻るまでどのくらいかかることか。わたしは深々とため息をついた。
「はあ……とりあえず着替えてくる」
「いいんじゃないんですか、そのままで。わたししかいないことですし」
「エイラもこの格好するならそれでもいいわよ」
「わたしも実家に帰りますよ?」
こうしてわたしはエイラと二人だけの、寂しい夜を過ごしたのでした。なむなむ。
「今日泊めてもらうわよ」
「別にいいけど……お前俺にも怒ってなかったか?」
「怒ってない。いらっとはしたけど」
「それはどう違うんだ?」
「知らない。いつもの部屋借りるわよ」
なお、「近い方」の家出先には祖父母宅だけではなく実は善那宅が含まれるという事実は、姫宮千尋と善那悠大と時任エイラと伊青蓮華と姫宮祖父母だけの秘密だったという……。
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