第三話その2「キスとおっぱい、どっちが好き?」
「……どういうつもり?」
「どうって何が?」
さて。その日の夜、エイラが夕食を用意する一方わたしとちーちゃんはテーブルを挟んで対峙している。まあ、ちーちゃんが一方的にわたしをにらんでわたしは笑っているだけだけど。ゆうくんはちーちゃんの隣にいるけど我関せずという態度だ。蓮ちゃんは仕事に戻るために泣く泣く金沢へ。
――そう言えば言い忘れていたけど、わたしと蓮ちゃんは結婚してからずっと、半別居というべき状態が続いている。蓮ちゃんは人気漫画家として活躍中なんだけどそのアシスタントは主に大学の後輩の中から集めていて、彼等に手伝ってもらう都合上どうしても大学のすぐ近くに仕事場を置かないといけなかったのだ。
専属アシスタントはいるけどそれは一人だけで、他はみんな期間契約みたいな感じ。学生の間だけか、自分が漫画家デビューするまでの間の契約だ。東京や都会で仕事をしている漫画家よりもずっとアシスタントメンバーが高回転をしていることだろう。
大歳寺市から金沢なら充分通勤できる距離なんだけど、それに時間を取られるよりはその分仕事を進めた方がいいと判断。週のうち四日は金沢で原稿をバリバリと仕上げ、三日は大歳寺でネームや下書き等の一人でできる仕事をするか、または休養ご休憩愛の時間!という生活ペースである。それにわたしも週のうち二日は金沢の仕事場に顔を出しているから、会えない時間はそこまで長くないのだった。それに距離があることが功を奏しているのか、未だに新婚気分でラブラブだしね!
あと、ついでに説明しておくとエイラも結婚してからずっと旦那さんと半別居状態が続いている。旦那さんの京極高彦さん――今では時任高彦さんだけど、京極傘下の企業で経験を積んだ上で時任グループに転職。今では幹部会の一員で、将来はグループを担うことが期待されている。この人も仕事人間で、エイラとは時間を作ってたまに会ったりしているみたい。籍は入れているけど夫婦というよりは恋人のような付き合い方だった。
エイラの方は、その気になればいくらでも時間を作れると思うんだけどね。わたしにべったりじゃなきゃ。昔ならともかく今のわたしが無茶をするはずもないのに。
……さて。話を戻そう。ちーちゃんはわたしをにらみ続けている。
「いつの間に学校の先生になんかなってるのよ」
「大学通っていたのは知ってたじゃない」
「何のために先生に」
「本当はわたしもゆうくんみたく、オリンピック目指して頑張りたかったんだよ? でも姫宮の血筋はあんまりスポーツ向きじゃないのよね」
肩をすくめるわたしにちーちゃんは沈黙する。スポーツで頂点を極めるにはそもそも優れた肉体を持って生まれることが必要不可欠で、努力はその大前提があった上での話――多くの人間にとっては不都合で残酷なことだけど、それが真理だ。そしてわたしにはその大前提が欠けていた。ちーちゃんだってそれは常日頃実感していることだろう。
「わたし自身はオリンピックに行けないけどそこを目指す人達を手助けすることはできる。そう思ってスポーツ医学を専攻したの。当面の目標は、ゆうくんインハイ制覇!かな」
「やっぱりこいつのためか」
ちーちゃんの呟きにわたしは慌てて「いやいや」と手を振る。
「もちろん学校の子は全員まとめて面倒見るよ! でもゆうくんはこんなちっちゃい頃からオリンピック目指して頑張っているのを知っているから! 他の子よりも思い入れが強くなっても仕方なくない?」
「他の奴等だって頑張ってるのに俺だけ優遇されるのは」
「差別やひいきはしない! ゆうくんが頑張ってるのをこっそり電柱の陰から見つめて応援するだけだから!」
星明子か、とちーちゃんが突っ込む。よく知ってるね、そんな古いネタ。蓮ちゃんの教育の賜物?
それっぽい良い話にちーちゃんも一応納得したのか、それで引き下がった。よし、上手くごまかせたと、内心でガッツポーズ。いや、別に何一つ嘘はついていないけどね。スポーツ医学を専攻したのは頑張っている人を手助けしたいからだけど、じゃあそもそも何で教員になったのか? ――そんなの、ゆうくんとちーちゃんをラブラブにするために決まってるじゃないか!
青春ラブコメの本番はやはり高校の学園生活から。子種を仕込む前からわたしはそれを見据え、何が必要かを考えてきたのだ。わたしが産んだヒロインと善那悠大が早くからラブラブとなってくれればそれでもいいけど、昔の自分を思い返すとそう都合よくことが運ぶとは、ちょっと考えられない。ならばどうするか? ラブコメの本番、高校の学園生活に直接的に干渉できるようにする必要がある。それに何より、実際にラブコメやってるところをこの目で見たい! そのために学内に入り込むのはもはや必然というものだった。
最善は善那悠大やヒロインの同級生となることだけど、ヒロインの母親が同じクラスにいたらなんかラブコメとは別のスラップスティックコメディになってしまいそうな気がする(あるいはエロ漫画か)。だから次善の、学校の先生として入り込むことを選んだのだ。大検を取るために育児の合間を縫って勉強して、勉強している間に大検がなくなって高認試験になっててそれに合格して、ちーちゃん達が小中の間に大学に通って八年かけて卒業し、教員免許も取得し、今日この日を迎えたのである!
黙って話を聞いていたゆうくんが不意に、わたしに一つの質問をした。
「理尽の講師になるのを黙っていたのは?」
「そんなの、びっくりさせるために決まってるじゃない」
「死ねばいいと思う」
ちーちゃんは論理展開抜きにしてそう結論を述べた。
さて。高校では授業が始まり、学園生活は本格的にスタートした。わたしも講師一年生として慣れない授業を担当して、失敗を連発しているところである。まあ、担当する保健体育の授業数は最低限にしてもらっているから負担は知れたものだけど。エイラは保健師として保健室に君臨。おばかな男子生徒が保健室に殺到したそうだけど、そのうち落ち着くことだろう。
そして放課後、部活動の時間。わたしにとってはこっちこそが学園生活のメインである。
「柔道部副顧問の姫宮百佳ですっ! みんな、よろしくね!」
華やかな笑顔であいさつをするわたしに柔道部員が「ヴォーーーオオッッ!!」と獣じみた雄叫びを上げた。彼等の奇声が武道場を揺るがしている。
「ああ、生きていてよかった」
と涙ぐむ部員の一人。もしやこれは夢じゃあるまいか、と自分ではなく隣の部員に張り手をする者。
「痛いぞ! 夢じゃない!」
と張り手の応酬をする部員のペア。しかも一箇所じゃく、あちこちでぺちーん!ぺちーん!と景気のいい音が響いている。わたしは笑顔を保ちながらも「えー……」とちょっと引き気味だった。でももし前世の自分だったら、こんな若くて美人で爆乳な副顧問が突然現れたら、やっぱりこんな風に浮かれ騒いだかもしれないな。
「お前ら、いい加減落ち着け!」
三年生の一之谷君の叱責に即座に部員が静まり返った。うん、さすが理尽最強の男、部長としてしっかり部内を掌握している。わたしのときよりも部員も強い選手も増えているけどそのときと変わらず彼が部長なのは、嬉しいことの一つだった。
そこは敷地の端っこに建っている柔道部専用の武道場。形は普通の体育館をそのまま小さくしたような感じで、小さいながらも鉄筋コンクリの、ちゃんとした建物だ。わたしは二〇人余りの全部員をぐるりと見回した。わたしがテコ入れした結果理尽は県下でも一二を争う強豪校となり、柔道部目当てで遠方から通う生徒もいるという。こうして見回すと懐かしい顔の他に知らない顔も結構混じっている……彼等の視線がわたしのおっぱいに集中した。いや、男がそういう生き物だってことは実体験としてよく判ってるんだけどね。ジャージのスポーツウェアだから身体の線が判りやすいし。
「わたしはスポーツ医学を勉強してきましたのでそれに基づいて皆さんのトレーニングの指導をしていきたいと思います。基礎体力・筋力強化の方ですね。筋肉というのはただやみくもに負荷をかければいいってわけじゃないです。そのせいで故障したら元も子もありません! だから安全第一、効率第二でトレーニングしていきたいと思います。目指すは最小限の努力で最大限の効果!です!」
わたしの言葉に「何を甘いことを、これだから女は」という顔の部員が半分と、もう半分は「強豪校だけどそこまできついわけじゃないみたいだ」という安堵の顔。後者は新一年生が多いみたい。ゆうくんは例外で、次にわたしが何を指示するか理解しているみたいだった。
「それじゃ、これが基礎体力向上のトレーニングメニューです!」
発表されたその内容に部員全員が青ざめた。一人ゆうくんは諦めを通り越して悟りの境地みたいな顔である。
「……あの、これ今までのメニューの倍以上」
「大丈夫大丈夫、故障しないぎりぎりを狙って組んだメニューだから」
死刑宣告を受けた囚人のようになっている一同を見回し、わたしがとびっきりの笑顔を向ける。
「さあ! がんばれがんばれ、男の子っ!」
「……い、行くぞお前らあああっっ!!」
がむしゃらに叫ぶ一之谷君と、それに煽られて雄叫びを上げる部員一同。どう見ても自棄になっているとしか思えないけど、元気なのはいいことだった。
……約二時間を経て、武道場には死屍累々といった体で部員が倒れ伏している。その全員が一年生で、二年三年はふらふらしながらも何とか立っていた。
「それじゃここからは特別講師に技術指導をしてもらいます。動けない一年は隅っこで休んでいてください。今日は初日だから仕方ないけど、早く体力つけないと乱取りにも参加できないよ?」
あ、ゆうくんが意地でも立ち上がろうとしている。うんうん、いいね男の子! そのくらいの根性がなきゃオリンピックなんて恥ずかしくて公言できないよね!
「それじゃ、入ってください。特別講師の
わたしの声を受けて扉を開け放ち、一人の男性が武道場へと入ってくる――身長二メートル近く、体重一三〇キロを超える、金髪の白人男性。年齢は判りにくいけど今四〇代半ばだったはず。その圧倒的な質量を前に、部員全員が静まり返った。
「七熊スラヴァ、でぇース! ヨロシクお願いしまース!」
発音は大分怪しいけど充分上手な日本語だった。にこやかに笑う七熊先生――でも部員は全員、ヒグマに牙をむかれたように硬直している。
「……ももかさん」
「めっ! 姫宮先生でしょ?」
わたしに叱られてゆうくんが言い直す。
「あの……姫宮先生」
「何かな?」
「その人、バルセロナだかアトランタだかの金メダリスト……」
「さァ、なんのことデショー?」
とわざとらしくすっとぼける七熊先生。わたしもまた素知らぬ顔を作って、
「ヴラディスラフ・ショスタコーヴィチなんてロシアの国民的英雄の金メダリストがこんなところにいるわけないでしょ? よく似た他人じゃないかしら?」
本人じゃねーか!!という無言の絶叫が武道場を満たした。
「ともかく! 七熊先生は週何日も来てくれないんだからしっかり指導を受けてね!」
「それジャーいきまース!」
そこからはもう、七熊先生の独壇場だった。本当、面白いくらいにぽんぽん投げられる部員達。ゆうくんはもちろん理尽最強の一之谷君だって子供扱いだ。指導が終わってみれば、武道場に立っている者はわたしと七熊先生の二人だけとなっていた。
――ヴラディスラフ・ショスタコーヴィチ。柔道に詳しくなくてもロシア人なら、誰でもその名を知っていることだろう。圧倒的なパワーを誇りその怪力でロシアに君臨した、地上最強を謳われた柔道家。「熊」だとか「重戦車」だとか「ヘラクレス」だとか「赤いサイクロン」だとか、数々の異名を奉られている。でも彼は親族がウクライナにいることもあり、クリミア危機をきっかけに政府批判を強めるようになった。そのせいで当局ににらまれて、身の危険すら感じるようになってついには出国。移住先として選んだのが日本である。
彼はその昔武者修行で日本に長期滞在したことがあり、そのときに日本人女性と恋に落ちて結婚。彼女をロシアに連れ帰っていた。ロシアにいられなくなって移住先に奥さんの故国を選んだのは何の不思議もないだろう。で、その娘さんがスヴェトラナ・ショスタコーヴィチ、日本名七熊ラーナ。ロシアにいたときからの日本アニメオタクで、「将来は日本に行って声優になる」と元から日本語と演技の勉強をしていて、両親とともに日本に移住して本当に声優になって――父親が世界的な有名人だからその七光りというか、話題性を期待された面もあったんだろうけど。ヒット作にも出演してそこそこの成功を収めている――というのがわたしの前世知識。それを元に働きかけをして、七熊一家の日本移住は本当はもっとずっと先のことだったんだけど、それを何年も前倒ししたのである。
なお七熊ラーナちゃんはちーちゃん達と同学年。理尽の新入生で、クラスも同じにしておいた。
さらになお、前世知識があっても彼の招聘は簡単な話ではなかった。大変な手間暇をかけて、札束を積み上げて交渉しても彼はなかなか首を縦に振ろうとしなかった。理由は単純、「田舎高校の柔道コーチ」という立場がお気に召さなかったのだ。その気持ちもよく判るからわたしは一計を講じ、金沢大学と交渉して「金沢大学名誉教授兼特別講師兼柔道部特別指導員」という肩書を用意してもらい、それをエサにしてどうにか彼を釣り上げたのである。
メインは大学の方でこっちには週のうち何日か顔を出してもらえるだけ。専属じゃなくなったのは残念だけどその代わり大学の柔道部と縁ができて、うちの部員を出稽古させる約束もしている。現時点ではこのくらいで満足しておくべきところだった。
「今日はここまでです! みんな、おつかれさま! また明日も頑張ろうね!」
「うぃーす……」
わたしの呼びかけに返ってくる、ゾンビのような声。部員のみんなは未だぶっ倒れたままで、立ち上がって片付けにかかるまではまだ時間が必要そうだった。わたしと七熊先生は苦笑して肩をすくめる。
「どうでしたか? 先生。うちの子達は?」
「まだまだデース」
七熊先生は笑顔だけど、それで辛辣な感情を隠しているように感じられた。でも、
「デモ、鍛えがいありマース。特にあのコ」
と彼が視線で指し示すのは、ゆうくんだ。
「ちょット投げにくかったネ」
「ありがとうございます」
今の時点のゆうくんにとってそれ以上の誉め言葉はきっとないに違いなかった。ここで満足しないようわたしの内心にしまっておくけれど。
さて。あっと言う間に二〇一六年四月も半ば。高校生活のペースも掴んで、授業にも大分慣れてきた頃である。柔道部も軌道に乗ってきたと言えるだろうか。
基礎体力作りは継続実施中。一年生も大分慣れて、乱取りにも参加できるようになってきた。七熊先生には当然勝てずにぽんぽん投げられているんだけど。それでも脱落者は未だに一人もいない。理尽が強豪校で練習が死ぬほどきついと、「理不尽柔道部」なんて呼ばれるくらいと、最初から判って入部したメンバーばかりだからだろう。
それでも、不満が全くないかと言えばそんなこともないわけで――
「それじゃ休憩終わり! 次のメニューに移ります!」
わたしがそう呼びかけても畳の上でへたばっていた部員達はなかなか動こうとしなかった。これまでのメニューに慣れてきたようなので今日からちょっとばかり増量したところで、最初のうちは仕方ないとは思うんだけど。それでも一之谷君はいち早く立ち上がり、ゆうくんもそれに続いた。でもその横で寝転がる部員の一人はぴくりとも動かない。
「ほら、山武君。早く起きて」
「キスしてくんなきゃ起きれない……」
「なるほど、じゃあ一之谷君お願い」
わたしの指示に一之谷君が「押忍」とうなづき山武君に覆いかぶさろうとし、山武君は慌てて飛び退いた。
「なんだ、起きれるじゃないか」
「俺ストレート! おっさんにキスしてほしいわけじゃない!」
「俺は一七だオルァ!」
一之谷君が山武君を払い腰で思いっきりぶん投げて畳に叩きつけ、一同が明るく笑った。なお一之谷君もストレートだけどノリのいい性格なのでこういうことは進んでやってくれる、いい子である。また山武君もお調子者で阿呆の子だけど、一年の中心となっているムードメーカーだった。
「それじゃ次のメニューに」
「お、お願い、もうちょっとだけ休ませて」
「じゃあ一之谷君」
「押忍」
迫り来る一之谷君に慌てて逃げていく山武君。
「俺は女の人とキスしたいの! おっぱい揉みたいの! たとえば柔道部の顧問やってる先生とか!」
山武君の心からの雄叫び。ふむ、とわたしは首を傾げ、ゆうくんは機嫌を傾げさせた。
「これだけきついメニューに頑張って耐えてるんだから、この先も頑張るには何かそういうご褒美の一つもあってもいいんじゃないでしょうか! ももちゃん先生!」
「なるほど、一理あるわね」
ふむふむと頷くわたしに山武君は自分で言い出してびっくりした顔をしている。
「飴と鞭じゃないけど、人間鞭だけじゃ動かなくってモチベーションを維持するにもご褒美が必要っていうのはよく判る話だしね」
部員の間に期待と懸念、半々の空気が広がっていく。山武君は期待とスケベ心でいっぱいになって鼻の下を伸ばしているけど。
「ちなみに山武君はキスとおっぱい、どっちが好き?」
「おっぱい! おっぱいでおなしゃす!」
猛然とわたしの前までやってきて盛りのついた犬のように息を荒げる山武君。ちなみにゆうくんはそのすぐ後ろに回っていて「指一本でも触れようものなら即締め落とす」と言わんばかりの形相だ。部内の空気が期待の方に大きく傾き――わたしは山武君と彼等ににっこりと笑いかけた。
「でもそういうことは好きな子にやってもらった方がよくない?」
顎を打ち抜かれたように膝を屈する山武君。彼は震える声で、
「そ、そんな相手がいるなら最初から……」
「そう、今はキスとかおっぱいとかしてくれる子がいないと。判ったわ任せて! この学校には何百人も女の子がいるんだから一人くらい山武君の相手になってくれる子がいるはず!」
固く拳を握り締めるわたしに山武君がおそるおそる、
「あの……何をするつもりですか」
「エイラ!」
「はい、奥さま」
と即座に参上するエイラに部員達がのけぞった。
「とりあえずチラシを作って女子生徒全員に配布するのはどうでしょうか。こんな感じです」
とエイラが掲げるタブレットには山武君の間の抜けた笑顔の写真と、「おっぱいしてくれる女の子大募集!」というにぎやかしいフォントの大々的なコピー。
「うん、いい感じね!」
「いや待って!! これいじめの一種!」
「これなら頭のおかしい子が一人くらい引っかかるかも!」
「頭おかしいって言ったこの人!」
山武君は半泣きとなり、他の部員も顔を青ざめさせている。
「お願い待ってください! こんなチラシまかれたら学校に来れなくなる!」
「なるほどつまり、おっぱいしてくれる女の子は学外で求めたいと」
「いやそうじゃなく!」
「それなら特設サイトを開設しましょう。こんな感じです」
とエイラの掲げるタブレットには、「山武九十九のおっぱい殿堂」という名のホームページが。表題は勘亭流っぽい
「何これ?! 二〇年前の個人サイト!?」
「これでおっぱいしてくれる女の子を全世界から募集します」
「素晴らしいわ! これで山武君の顔を全世界に売り込むわよ!」
「お願いやめて! こんなサイトで顔を知られたら外を歩けなくなる!」
「それならこれでどうでしょう」
とエイラが言うと、ホームページの山武君の顔写真は目の部分にモザイクがかけられた。
「薄い! 意味がないほどモザイクが薄すぎる!」
「文句が多いですね。それならこれで」
とエイラがページを更新すると、今度は黒く太い四角い目線で目の部分が隠される。
「なんか犯罪者っぽい!」
その途端追加される「この顔にピンときたら一一〇番」の文字。
「それ指名手配! 通報されることはしてないです!」
「確かに、こちらでないと意味がありませんでした」
と、今度は一一〇番が誰かの携帯電話の電話番号へと変更された。
「……あの、なんで俺の携帯を」
「もちろん氏名と携帯番号だけではなく、生年月日・住所・メールアドレス・SNS、全てサイトに記載済みです」
「個人情報おおぉーーーっっっ!!」
山武君の断末魔じみた絶叫が武道場を揺るがした。
「とりあえず学内の知ってる女の子全員にこれのリンクを発信しましょうか。すぐに山武君のSNSがにぎやかになるわよ!」
「お願いですやめてください! もう女の子と付き合いたいなんて言いませんから!」
「何でそんなに簡単に諦めるのよ! もっと熱くなろうよ!」
「だからって炎上させてどうするんですか!!」
半泣きから九分泣きくらいになった山武君がその場に倒れ伏すようにして土下座する。
「ごめんなさい! 調子に乗りました! どうか、どうかお許しを!」
「あの、姫宮先生」
「何かな? 善那君」
「もしそんなことで炎上騒ぎが起こったら場合によっては柔道部がインターハイ予選に出場辞退ってことも」
その指摘にわたしは「それは困るわね」と考えるそぶりをし、
「ひとまず止めておきましょうか。山武君も反省しているみたいだし」
「はい、反省しています! もうこんなセクハラはいたしません!」
よし、と頷くわたしに山武君は心底安堵の顔となり、全身から力が抜けた様子となった。彼はゆうくんの手を借りて何とか立ち上がり、わたしは彼を含む全員を見回して言う。
「キスしたいとかおっぱいしたいとか、そう思うだけならわたしも何も言いません。でもそれを相手に求めるのはちゃんと恋人になって、それだけの関係を築いた上での話! そこまで親しくもない相手に性的接触を要求するのは強制わいせつ! 判りますね?」
全員が神妙な顔で頷き、山武君は特に何度も首を縦に振っていた。
「特に君達は全員有段者で、暴力では女の子の側は到底かないません。君達がちょっと声を荒げて暴力に及ぶ、その素振りだけで充分に相手を怯えさせることができます。この中にそんな子はいないと思うけど! もしここで覚えた柔道を使って相手を脅して無理矢理従えさせて、強制わいせつだとかレイプだとかしようものなら――自ら死を選ぶまで追い込みかけちゃうぞ?」
飛びっきりの笑顔と(はぁと)付きで極太の釘を刺すわたし。山武君は杭に心臓を貫かれたドラキュラみたいに顔を青くしながら、首を何度も縦に振っている。
全然関係ない話だけど、時任ってヤクザ屋さんともお付き合いがあるのよねー。江戸時代からの二百年来のつながりだとか、今でもこっそりと色々仕事を回しているだとか、広域暴力団がこの町に入ってくるよりは百倍マシだから警察ともなあなあだとか、全然これっぽっちも何一つ関係のない話だから!
「君達が柔道をしているのは、大切なものを、好きな子を守るためです。今、毎日毎日汗を流してきついしんどい思いをして身体を鍛えて技を磨いているのは、全てそのためなのだと――いいですね?」
「押忍!」
一之谷君が腹の底からの返答を轟かせ、全部員がそれに続いた。わたしは彼等ににっこりと笑いかけ、
「まあそれはそれとして、ご褒美はちゃんと考えておくからね? どこか女子の多い他の部と合コンとか」
「おおーーっっ!! 行くぞ合コン!」
一之谷君が拳を突き上げ、部員全員がそれに唱和。そのままの勢いでトレーニング再開、次のメニューに突入した。合コン!合コン!と筋トレをする部員達。
「阿呆ばかりですね」
とエイラが冷静に評する。確かにその通りだけどそこが可愛い……と言えないこともないと思えなくもないかもしれなかった。
「でもいきなりで急で意味判んないお願いだったのにいい仕事してくれたね」
とわたしはエイラのタブレットに目を向けて言う。そこには山武君の特設サイトが表示されたままだけど、これはエイラが時任グループのシステム部に連絡して今作成させたものだった。どこかのサイトから外装だけパクってきて写真を入れ替えただけの、コラージュ同然の代物だけどほんの数分でこれをでっちあげたのだから大したものである。
「システム部にもご褒美というか、ちゃんとお礼はしないとね」
「女子高生との合コンですか?」
「喜びそうだけど問題になりそうだなぁ」
そちらはエイラに任せるとしても、ほんの思い付きで言っただけのご褒美だけど部員全員がそれでやる気になっている。実際どうするかはちゃんと検討する必要がありそうだった。
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