ラブコメな青春したいけどヒロインがいないから自分で産む

亜蒼行

第一話その1「あいきゃんふらーい!」

【前書き】

本作は下ネタ満載のコメディとなりますので、念のためのR15です。

読んだ人の知能指数が下がっても作者は一切の責任を負いません。






 暗闇を切り裂く強烈な光は自動車のヘッドライトだった。それを真正面から浴び、目が眩んで何も見えない。光は加速度を上げて強く大きくなり――それに呑み込まれる寸前、横っ飛びで避けた。アスファルトの上で身体が数回転。倒れたまま顔を上げると、その自動車は随分と通り過ぎてからようやくブレーキをかけた。そしてバックで切り返しをし――再びこちらへと向けられたヘッドライトがまた急速に迫ってくる。


「な、なんなんだよ!!」


 悲鳴と罵声を上げながら這うように必死に逃げるが、身体はこれっぽっちも思うように動かない。轢かれる寸前に顔面から倒れ込んでかろうじて避け、至近を通り過ぎた自動車はそのままコンクリートの電柱に突っ込んだ。鼻を強打し、大量の鼻血が噴き出すが今は些末事だ。前方部分が大きく壊れた自動車はそれでもバックをし、切り返しをし、三度襲いかかってくる。


「くそくそくそ!」


 手にしていた杖はどこかに行ってしまっていたが、探すこともできない。まともに動かない足を引きずるようにして必死に逃げ、自動車はそれを追ってきた。ただ前方クラッシュの影響で真っ直ぐ走らせるのが難しいらしく、それは右へ左へふらふらと蛇行する。そのおかげで少しの間は逃げることができた――ほんの少しの間、ほんの数百メートルだけだ。


「はあ、はあ、はあ……」


 心肺機能がストライキを起こして足が止まってしまった。過呼吸になりそうな勢いで酸素を貪り、何年ぶりかのフル回転で心臓は痙攣を起こしている。百キロを優に超える図体を壊れた足でここまで運んできたのはそれ自体が奇跡だったが、それもここが限界だった。身体を支えるのはガードレールの支柱、その向こうには真っ黒な水面が広がっている。その水面が光で照らされた。

 振り返ればその光源が、ヘッドライトが、自動車が眼前まで迫っている。逃げなれけば、と考えるが心臓と肺を筆頭に全身が凍り付いたかのように、指一本動かない。自動車はブレーキをかけるどこかさらにアクセルを踏み込み――真正面からガードレールに突っ込み、そのまま空中へと飛び出した。

 ガードレールと自動車に挟まれた両脚は骨が砕け、肉は潰れ、多分ほとんど引き千切れたことだろう。だが痛みは感じなかった。跳ね飛ばされて宙を舞い、落下する一瞬の間、意識は一つのことに集中している――ハンドルを握り締めた人間に。

 その女は嗤っていた。長い髪を振り乱し、フロントグラスにぶつけた頭部から血を流しながら、ぶくぶくと醜く太った顔を歓喜に歪めていた。その顔は……知った顔だった。どれだけ憎んでも飽き足りない顔だった。殺してやりたいと夢にまで見た顔だった。だが殺すことはかなわず、こうして逆に殺されようとしている。


「――」


 肺を振り絞って罵詈雑言を吐き出そうとし、その前に身体が水に突っ込んだ。助かるかも、という一瞬浮かんだ甘い考えを嘲笑うかのように、頭部が何かに強打されて西瓜のように砕ける。多分水底に沈んだコンクリートブロックか何かだろうが、結局そんなことはどうでもよかった。確かなのは頭蓋骨が微塵となって脳漿が水にかき回され、流れていったことだけだ。それと同時にこの意識もまた急速に永久(とこしえ)の暗闇へと呑まれていき――






「そして今、気が付けばこうしているわけなんだけど」


 えっと、みなさんこんにちは。わたしは姫宮百佳ひめみや・ももか……という名前らしい。石川県大歳寺だいさいじ市在住。年齢は一五歳、近いうちに一六歳……とのこと。周りの人がそう言っているからそうなんだろうと思っている。

 今いるのは「姫宮百佳」の自室、時刻は朝八時前。目が覚めて、ベッドから身を起こしたところだ。周囲を見回すと、障子の窓に設置されたカーテン、漆喰の壁、押し入れの襖、畳の上のカーペット。勉強机、本棚、衣装箪笥。古い和室に設置された子供部屋だ。同世代の女の子と比較すれば持ち物は少ない方と見られ、女の子らしい華やぎにいまいち欠けるように感じられる。……自分のことなのにまるで他人事のような物言いなのは、まさに今そんな状態だから。

 布団から抜け出したわたしはパジャマ姿の自分を大きな姿見の鏡に映し出した。髪は腰まで届きそうな長髪で、無茶苦茶なくせっ毛が顔の半分くらいを隠している。正直言ってうざったくて仕方ないので早いところばっさりと切りたいと思っている。暖簾みたいな髪を両手で割って顔を映すとそこにいるのは……まあまあの、いや、相当の美少女と言ってよかった。表情が暗いのがいまいちだけど造形自体は傑作の部類で、アイドルだって務まりそうだと思う。身長は平均よりもちょっと高いくらい。おっぱいやお尻は同世代の平均より一回り大きく、結構なナイスバディだ。ただ、その分お腹周りにも余計な贅肉が付きつつあってこれ以上放っておくと色々とピンチだから、少しは運動しなくちゃいけない。

 わたしはパジャマを脱いで私服に着替えた。私服は、同世代の女の子と比較するとどう考えても数が少ない。選べるほど持っていないし、どれを選んでもあまり変わらない。黒っぽいワンピースの上に白いカーディガンを羽織り、これで良しとする。

 襖を開けて自室から出ると、薄暗い廊下が驚くほど長く続いている。ぱっと見だけで非常に年季の入った、古い日本家屋だということが自明である。どんなに近くても戦後すぐ、おそらくは戦前からの建物だ。窓の外には壮麗な日本庭園と、その向こうに防砂林と、その向こうに海。

 長い廊下を歩いてようやく到着した洗面所で顔を洗い、歯を磨き、髪をブラッシングし――どんなに頑張っても「寝起きすぐの貞子ですか?」と訊きたくなるような状態には変わりないので、適当なところで諦める。そしてわたしはその家の台所へとやってきた。


「……おはようございます」


「あ、おはようございます。すぐに朝ごはんにしますね」


 台所では四〇代の女性が朝ご飯を作っているところで、食卓には同じく四〇代男性が席に着いていて新聞を読んでいるところだった。彼もまた立ち上がり「おはようございます」とわたしに頭を下げる。一五の小娘に対して大仰なくらいに丁寧な、他人行儀な態度だ。


「おはようございます」


 わたしもまた他人行儀に挨拶をし、その男性の向かいに座る。男性はわたしとの対面を避けるように新聞を立てて読み、わたしはその紙面を遠くから眺めた。


「白川議員秘書に商品券」


「介護保険スタート」


「地下鉄サリン事件きょう五年」


 なお新聞の日付は「平成一二年(西暦二〇〇〇年)三月二〇日」。わざわざ古新聞を引っ張り出して読んでいるわけではない。それが今日の日付なのだ!

 つけっぱなしのテレビからはデビ夫人とサッチーのバトルだとか若乃花引退だとか、どうでもいいニュースが流れている。そのにぎやかしくも空々しい音声をBGMとし、沈黙に満たされたまま食事が進む。朝食を早々に終えて何もやることのないわたしは散歩へと出かけた。

 玄関はトラックが入りそうなくらいに大きく、畳よりも大きい無垢板の衝立がでん!と鎮座している。玄関を出、振り返って見上げても目に入るのは玄関庇だけ。ずっと離れて、城門みたいな数寄屋門までやってきてようやくお屋敷が視界に入ってきた。


「はあ……」


 別に今日初めて見るわけじゃないけどその大きさ、その荘厳ぶりはため息しか出てこない。数寄屋門をくぐり、石畳の階段を降り、かなり歩いてようやく敷地の外に出る。わたしは幹線道路の方へと向かってのんびりと歩いていった。天気は快晴、麗らかで柔らかな春の日差しは暖かく、桜のつぼみは今にも解けそうになっている。

 さて。わたしの名前は「姫宮百佳」、中学を卒業し、間もなく高校生となる女の子……という話なんだけど、わたしは「姫宮百佳」に関する記憶をこれっぽっちも持っていない。わたしにあるのは、夜に自動車に轢き殺されて死んだ記憶――多分これは前世の記憶ってやつじゃないだろうか。でも前世の自分が何をして殺されることになったのか、それも判らない。それどころか前世の自分の名前も素性も、何も覚えていない。一つだけ確信をもって言えるのは、前世のわたしがことくらいだ。


「知らない、覚えてない、記憶にない! 何一つなーんにも判らない!」


 わたしは万歳をして天を仰ぎ、大声を出して自嘲した。でも、今のわたしは不安とか心細さとかをそこまで感じているわけじゃない。朝ご飯を一緒に食べたのはわたしの、「姫宮百佳」の両親なのだが、その二人が言っていたのだ。


「目覚めたばかりの『大歳おおとしの巫女』が混乱し、記憶が混濁するのはいつものことと記録にあります。どうか焦らず、ゆっくりと気持ちを落ち着けてください」


 わたしはひとまずはそれを信じ、「そのうち何とかなるだろう」と気楽に構えて、今は現状の把握に努めているところだった。どうも今生の自分は前世と比較すると随分とお気楽で能天気な性分らしい。

 さて。今わたしがいるのは大歳寺市宮前町、海に面した小さな町だ。この町には「大歳おおとし神社」という、千年の歴史を持つ古い神社が存在する。姫宮家はこの大歳神社の宮司の家系で、わたしはそこの一人娘。そして今代の「大歳の巫女」である。

 姫宮一動さん――大歳神社の宮司でわたしの父親だが、彼の説明によれば、


「姫宮家には代々神託を授かる娘が生まれてきました。それが『大歳の巫女』です。『大歳の巫女』の神託は外れることがありません。今年は日照りとなる、今年は台風で大きな被害が出る――その神託を元に備えを講じることでこの町は、大歳寺市は繁栄してきたのです」


 江戸時代に入ってからは分家の時任家に廻船問屋を営ませ、神託により指針を与えることで大いに商売繁盛。明治には生糸製造、戦後は機械工業、直近は観光業。その方向転換は全て「大歳の巫女」の神託に基づくもので、その結果として時任グループは県下最大の財閥として君臨し続けている。その時任グループの影の支配者が姫宮家で、その真の主君が「大歳の巫女」――つまりは今のわたしなわけだが。


「神託ねえ……そういうからくりなわけね」


 わたしが「大歳の巫女」として覚醒し――中途半端に前世の記憶に目覚めて、それと引き換えに「姫宮百佳」の記憶を全て失い、今日でもう一週間。焦るわけじゃないけど早く記憶を取り戻すに越したことはなく、何かのきっかけにならないかと思って数日前からこうして外をぶらついている。今日もまた、一昨日昨日に引き続きバスに乗って町の方、大歳寺市の中心部にやってきた。大歳寺市は古くからの町並みが残る県内有数の観光地で、今日もまた観光客で大混雑だ。

 姫宮一動さんの説明によると四〇年以上前、目覚めて間もない先代の「大歳の巫女」が町の再開発を禁止し、景観をこのまま保存するよう命じた、という。


「先代の巫女、十和とわ様はこう言われたそうです――


『せっかく古臭い、チョベリグな町並みが残ってるんだからこのまま残さないともったいないじゃん! 二、三〇年も経てば観光地になるし、百年このままなら世界遺産だって狙えるから! ちびまる子ちゃんとか人気なのはそんだけレトロ趣味が強いってことだし!』」


 ……まあそんなわけで。大歳寺市の中心地は景観保存地区として、昭和三〇年代の町並みがそのまま残っている。西暦二〇〇〇年の今日では全国から観光客が訪れる一大観光地となっていて、先々には中国をはじめとする海外からの観光客も押し寄せるけどコロナで大打撃を――


「……コロナって何?」


 こういうことが時々、頻繁にある。知っているはずなのに思い出せないことが。他には例えば、「町中ではガラケー使ってる人をよく見るけどスマホは全く見かけない」……ガラケーって何? なんで携帯電話のことをそう呼ぶの? スマホって何?

 突然大きな音で音楽が鳴り響きわたしはちょっとびっくりする。それはモーニング娘の「LOVEマシーン」のサビで、わたしのすぐ隣で若い男が「もしもし」と携帯電話で通話を始めた。これが話に聞いたことのある着メロか――そんな話いつ聞いたの? 未来のニッポンは世界が羨むどころか哀れまてるよ――なんでそんなこと知ってるの?

 町中を散々ほっつき歩き、やがて夕方。バスに乗って帰路に就いたわたしは、車窓を流れていく光景をぼけっと眺めた。混乱することは多いけど思考を整理する時間もたっぷりとある。そうして推測を重ねて、得られた結論は――。前世のわたしはこの時点よりもずっと未来を生きていた……はずだ。だから本来、この時代で知るはずのないことを知っている。

 おそらくは歴代の「大歳の巫女」もそうだったのだろう。その未来知識を神託と称し、この町を、人々を導いてきた。未来の、前世の記憶は今は思い出せない。でも歴代の巫女がそうだったようにわたしもそのうち思い出せるはずだ。そして実際、思い出せそうな兆候がある。それが日に日に強くなっている。

 バスは川沿いの国道を海へと向かって進んでいる。この川、この町並み、この風景――わたしはそれをよく知っている。それはかつての日常、それはとてもよく見慣れた、魂にまで刻み付けられた光景だった。

 そうして約三〇分バスに揺られて戻ってきた宮前町のバス停。バスを降りたわたしは姫宮のお屋敷に向かって歩いていった。左右を見回せばそこは特別変わったことのない、ただの古臭い田舎町。でもわたしはこの町並みを、この光景をよく知っている。わたしの魂がそれを確信している。どう考えてもわたしはこの町に住んでいた。この「姫宮百佳」ではなく、前世のわたしが。その確信は日を追うごとに断固たるものとなっていく。思い出せそうで思い出せない、そのもどかしさも強くなる一方だった。わたしの内側で、出口を求めてさまようそれが渦を巻いている。その圧力もまたどんどんと高まっており、きっと何かきっかけさえあれば一気に噴き出し、記憶を取り戻せるはず……


「――」


 姫宮のお屋敷の向かい――お屋敷はちょっとした丘の上にあってここからは見えないんだけど、その前の車道を挟んだ、お向かいさんの家。「お向かい」と言っても敷地の幅が全然違うので該当するのは何軒にもなるわけだけど、中央に位置するその一つ。姫宮のお屋敷が古式ゆかしく荘厳で文化財にもなりそうな豪邸なのに対し、それはその対極の、何の変哲もないただの小さな建売住宅だ。ちょっと変わったところがあるとするなら門の表札が「善那ぜんな」という、非常に珍しいもので……

 ふらふらして倒れそうになり、その門に手を突いて身体を支える。思い出せそうで思い出せない、その圧力が急激に高まって脳が破裂寸前となったかのようだ。サウナにのぼせたかのように思考回路がまともに動かない。一昨日もこの家を見ていて、そのときはただ引っ掛かりを覚えただけだった。多分そのときよりもずっと覚醒が近くなったせいだろう。わたしの魂が大声でわめいている。この家を知っている、絶対に知っていると。むしろこの家に住んでいた……?


「あの、大丈夫ですか? 具合が悪いんですか?」


 そう声をかけてきたのは、その家から出てきた女性だった。年齢は三〇の手前くらい、どこにでもいそうな、ごく普通の女性で――


「動けますか? 家まで送りましょうか? すぐ目の前ですし」


 顔を上げたわたしが硬直したまま彼女を凝視。彫像のように固まってしまったわたしに、その女性は困ったような顔となった。


「姫宮さん? 聞こえます?」


「おかあさん……」


「姫宮の奥さまをお呼びすればいいんですね? すぐに呼んできますね」


 彼女がお屋敷に向かおうとしたのでわたしはその腕を掴み、骨ごと握り潰さんばかりに握り締めた。もっとも前のおれならともかく貧弱なこの身体じゃどんなに力を込めたところで彼女は痛がりもせず、ただ困った顔をするばかりだったけど。


「おかあさん……おかあさん」


「姫宮の奥さまをお呼びすれば……」


「ちがう! あなたがおかあさん!」


 激昂するおれに彼女は困惑する一方だ。


「……ええ、はい。あと七ヶ月もすればわたしも母親ですが」


「その子のなまえは?」


 彼女は空いた左手で自分のお腹をさすりながら、


「男の子なら悠大ゆうたと名付けようかと……」


 善那悠大――それは、おれの、名前で、


「あああ、ああああああああ!!!」


 全ての記憶を一気に取り戻したおれが腹の底から絶叫。お母さんはおれの手を振り払って数メートルの距離を取った。おれに向けるその目は狂人を見る目で、実際そのときのおれは気がふれたとしか言いようのない状態だった。

 おれはお母さんに背を向けて走り出し、石畳の階段を全速力で駆け上がって一気にお屋敷に戻ってくる。左右を見回し、日本庭園の片隅に物置を発見。そこへと向かい、その中をあさり、頑丈そうなロープを発掘した。


「よし、脚立もある!」


 おれはロープと脚立を担いで移動。庭園の中心の、一番高くて丈夫そうな松の木の前へとやってきた。脚立を立て、それに登り、一際太い枝を選んでロープを結び付け、輪っかを作る。これでよし、とその輪っかに自分の首を通し――そこにおっとり刀でやってきていた姫宮夫妻と目が合った。


「あの……一体何をされているのですか」


「今から死にます!」


「そんなことをいい笑顔で宣言されましても」


 と困惑の極みとなる姫宮夫妻。でもおれはそんなことには一切構わない。


「ともかく早まるのはどうかお止めください。どうして自殺などを、理由をお教えください」


 おれは少しの間思案する――


「この『姫宮百佳』が『善那悠大』を殺そうとして失敗してまともに動けない身体にし、最底辺の悲惨な人生を送らせ、さらに数年後に今度は本当に殺してしまったから。もう二度とこいつに殺されないためにはこいつを先に殺すしかない」


 ――その説明をこの二人が理解し、納得するとは思えず、そもそもわざわざ手間と時間をかけて理解を求めるのは面倒だったし、その必要があるとも思えなかった。


「問答無用! あいきゃんふらーい!」


 おれは脚立を蹴って身体を宙に浮かし、全体重がロープにかかってこの細い首をへし折る――その寸前に姫宮妻の方がおれの身体を、両脚をがっちり掴んでホールドした。その間に脚立を駆け上がった姫宮夫が隠し持っていたカッターでロープを切断、おれと姫宮夫妻は脚立ごと地面に倒れる。


「あいたた……」


 痛みで動けないその隙をつき、姫宮妻がおれの上に馬乗りとなる。昔取った杵柄でそこからはあっさりと抜け出すが、姫宮夫がそのおれを突き飛ばして転がした。さらに夫妻は二人がかりでおれを拘束せんとする。男女の差、人数の差、体重の差、体力の差、全てに負けているおれが二人に勝てるはずもなく、ロープやらビニールホースやらで身体をぐるぐる巻きにされ、おれは身動き一つままならなくなった。


「はなせ! ほどけ!」


 陸揚げされた魚みたいにぴちぴちと暴れるおれを姫宮夫妻が見下ろし、油断なく警戒し続けている。


「……どうしますか?」


「ようやく目覚めた巫女を絶対に死なせるわけにはいかん……人手が足りん、応援をよこしてもらおう」


 おれはロープでぐるぐる巻きのままお屋敷の中に運び込まれ、その一室、地下の座敷牢へと放り込まれた。この家本当に座敷牢があったんだと、ちょっとびっくりである。

 以前のおれは「姫宮百佳」のことを「座敷牢おばさん」などと呼んでいたのだが、どうやら今日がその始まりのようだった。おれはロープで拘束されたまま眠れぬ一夜をその座敷牢で明かすこととなった。

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