萬華仏
肩ぐるま
1話
秋が深まる山道を、一人の仏師が急いでいた。背中には、大きな木箱をくくりつけている。麓の寺に、仏像を奉納しに行く途中であった
ほぼ三カ月もの間、山中の岩穴に寝起きし、一心不乱で掘り続けた仏像の出来栄えは、仏師を得意にさせていた。
明け方に出発したが、いくつもの尾根を越え、谷を渡ってさえ、まだ寺までの道のりの半ばにしかならない。
後ろから、人のつけてくる気配を感じたのは、その日の昼過ぎであった。仏師は不安げに時おり振り返ってみたが、気の迷いであったのか人の姿は見えない。
仏師は、気味の悪さをつのらせて、足を急がせた。
後ろに気を取られていた仏師は、前方に躍り出た人影に、いきなり太い木の枝で頭を横殴りされてその場に崩れ落ちた。
「後ろに気を取られて、前を見ないとは愚かな奴」
肉は落ちているが、大柄で骨張った体つきの賊が言った。
「牛王、殺したのか?」
仏師の後を隠れながらつけてきた、もう一人の賊が駆け寄ってきて問うのに、大柄な賊は首を振った。
「こんな柔い松の枝で殴られたぐらいで、死ぬ奴はなかろう」
と、手にした太い松の枝を近くの茂みに投げ込んだ。そして、仏師の背中に木箱をくくりつけていた紐をほどきにかかった。
「本当に、こいつには値打ちがあるんだろうな、猿丸」
男は木箱を軽々と脇に抱えて立ち上がりながら、もう一人の男を顧みた。
「間違いねえ。里の寺の坊主どもに確かめた。何でも、この男に彫り物を頼むと、何カ月も待たされるというのに、頼む者が絶えないという話だ」
猿丸と呼ばれた男は、倒れた仏師の息をうかがっていたが
「まだ息がある。とどめはどうする」と大柄な男を見上げる。
大柄な男は、「わしは殺生は好かぬ。このまま置いてゆく」と、木箱を抱えて道の脇の茂みに入っていく。
「待ってくれよ、牛王。顔を見られておったら、まずかろう」と、猿丸が問うのに
牛王と呼ばれた賊は、「そんなへまをするものか」と、茂みのなかをずんずん進んでいく。
猿丸は、その大幅の歩みに遅れまいと小走りに続きながら
「牛王は、強くて仕返しが恐くないから殺さぬのだ。わしなんか、相手の息の根をとめなくては、仕返しが恐くてたまらぬ」と、つぶやいた。
二人の賊が棲みかとしているのは、山奥の洞窟であった。天然のかなり大きな洞窟で、 上の方には、あちらこちらに鍾乳石がはえている。
里人には知られていないこの洞窟の奥に落ち着くと、二人は、さっそく木箱を開けにかかった。
木箱の中には、頭部、左右の腕、胴足の四つの部分に分けられた仏像が納められていた。
牛王は、仏像の頭部を持ち上げて見入りながら、
「こいつは良く出来ている。まるで生きてござるようじゃ」と、感心する。
「だから言ったじゃねえか。腕の立つ仏師だと評判だって」と、猿丸が応じる。
牛王は、猿丸にうなづいてから辺りを見回し、
「こいつはここに置いて拝むとしよう」と、明かりを灯す油皿を乗せてある木の棚の上に、仏像の頭部を立てかけた。そして、数歩後ろに下がって、さらにしげしげと仏像を見やりながら、
「たまげた腕だ。ほんとうに生きているみたいじゃ」
牛王が仏像の顔に見とれているうちに、猿丸は、別の棚の下から壺を取り出してきて
「きっと高く売れるにちがいない。祝い酒にしようぜ」と、平たい岩の上に、欠けて汚れた二つの椀を並べ、濁り酒を注いだ。
二人の賊の話は、最初は仏像がいくらで売れるとか、どこに売ればいいかといった目先の算段が中心だったが、酒が進むに連れて、あのときはこんな儲けがあっただの、こんな風に人を脅しただの昔の自慢に話が移り、やがて、しんみりとした、互いの身の上話に及ぶようになった。
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