#215「壮麗大地日記」



 後日談というか翌日の話。


 リュディガーは大人しく縄についた。


「……好きにしろ」


 終末の巨龍を復活させ、カルメンタリス教世界もとい人界の徹底破壊を目論んでいた灰色の魔術師。

 しかし、退廃の嵐は淡いの異界に完全に封印され、終末は再度阻止された。

 古龍の神という最大の切り札を以ってしても計画が阻まれたコトで、大罪人は敗北を認め抵抗の素振りも見せずに捕縛を受け入れたのだった。


「ああ。やはり、オリジナルを使えなかったのが決定打だったな」

「……負け惜しみか?」

「フ。ただの事実確認だとも。貴様の言った通り、あの術式ではダメだった。伝説をなぞる魔術は、伝説の流れに縛られる」


 すべてはオリジナルの森羅斬伐を継承されてしまった時点で、見えていた結末だったかもしれないと。

 リュディガーは魔術師らしく、自身の敗北した理由を振り返って俯き、深く息を吐いた。

 天を仰ぎ、地に俯き、老いた男は粛々と結果を咀嚼していた。


「連合王国に戻れば、アンタはたぶん死刑になるぞ?」

「言ったはずだ。命など惜しくはない。私の人生は、妻と子どもたちが殺されたあの日から、無味無臭の灰色だった」


 どれだけ美味いと評されるワインを飲んでも。

 どれだけ美しいと評される女を抱いても。

 熱はなく感動はなく温かさはどこにもない。

 だから、我が子を模した人造生命を道具として扱っても、何も感じるコトない。

 あるのはただカルメンタリス教世界への怨恨のみ。

 灰色の異称は〝心が死んでいる〟事実を以って闇社会から贈られたモノだと。


「それに、無念ではあるが時間も残されてはいない。知っているか? 魔術というのは非常に金がかかるのだ」


 準備も計画も、蓄え込んだ私財も。

 リュディガーはすべて注ぎ込んで壮麗大地テラ・メエリタに来た。

 ニンゲンの寿命は短い。

 老人には再起を図る気力も残っていない。

 未来は無い。

 なら、せめて自分を打ち負かした敵へ敬意を払って、最後くらい処遇を受け入れる。


「そうか。じゃあ、同情はしない。アンタがやってきたコトの報いは、アンタに轢き殺された被害者遺族が与えるだろ」

「……」

「悪事は悪事だ。アンタにどんな過去があったって、その事実は変わらない」


 裁きは下るだろう。

 老人との会話は、それで終わった。

 やり方さえ間違えなければ、リュディガー・シモンは弱者の味方たりえた男だった。


 不当な悪意に苦しむモノ。

 謂れなき差別と偏見に貶められるモノ。


 半魔や生成り、俺みたいなイレギュラーどっちつかず


 彼らへの救いを、何かひとつでも道が違っていたなら。

 リュディガーは与えられた。

 少なくとも、それだけの原動力は持っていたはずだった。

 世界を滅ぼす方向に車輪を回すのではなく、弱者を拾って掬い上げる方向に舵を切っていれば。

 また別の出会い方も、あったかもしれない。


 現実はそうはならなかったが。


 けれど、おかげで教えられた事実もあった。

 リュディガー・シモンとの対決がなければ、俺は今も気がついていなかっただろう。


 狭苦しい生き方を強いられる世界。

 居場所が無いなら、新たに作ればいい。


 我慢はもう止めにする。


 思えばリンデンでの失敗も、ベアトリクスの力を隠さないでいられる〝居場所〟があれば、違う結果になっていたはずだ。

 だから秘密を抱えるのは止めにしよう。

 俺は俺だ。

 もう隠さない。

 今回の旅で思い知った。

 自分が自分のままでいられるコトの、気持ち良さと居心地の良さ。

 禁忌の力を受け継いでいたって、俺自身が白嶺の魔女なワケじゃない。


 堂々としよう。


 周囲は恐れ慄くかもしれないが、悪いコトは何もしていないのだ。

 過去の悲劇も、虐殺の罪も、向けられる呪いはそれこそ数え切れないかもしれなくとも。


 俺は俺として、この人生を歩き続ける。


 ベアトリクスの力も借りて、必要ならいろんな闇を切り払う。

 そうしていつか、白嶺の魔女の名が少しでも感謝とともに語られるなら……


(──ああ)


 それ以上の幸福は無い。

 想像するだけでも、なんて嬉しい未来だろう。

 旅は途上だけど、長い道のりには夢や目標が複数あった方が人生にはやりがいがある。

 信頼できる仲間と一緒なら、喜びは倍になる。


 リュディガーのおかげで、俺は今回そう思えるようになった。


(最初はマジで、ふざんけんなよと思ったけど……)


 とんでもない経験をさせられたおかげで、人生観はまたひとつ変えられてしまった。

 この世は合縁奇縁。

 いつだったか、薔薇男爵がそんなようなコトを言っていたか。

 おどけた様子の変なエレメンタルだが、意外とああいうのが深い言葉を放っていたりする。


 精霊たちには感謝しよう。


 結果的にではあるが、壮麗大地テラ・メエリタでのあれこれは彼らの助けに支えられていた。

 特に巨龍とのラスト・バトルだが、まさかユリシスの本性があんなにもデカい蝶だったとは。

 東方に棲む麗しの蝶。

 ヴォレアスのリビングで、ベアトリクスが青と緑の糸を使って刺繍していたのを覚えている。


(あれ、絶対にユリシスがモデルだっただろ……)


 二人はひょっとすると、会ったコトがあるのかもしれない。

 気になってユリシスに聞いてみたが、「さて……そんなコトも、あったような……?」と返答は曖昧だった。

 とぼけている様子では無かったから、真相は不明だが。


 何にせよ、さすがは皐月女王の童話の森メイクイーン・フェアリーテイル


 退廃の嵐との衝突で、ユリシスは霊力を損耗した。

 一時とはいえ滅びを抑え込んだのだ。

 被害がゼロとはいかなかったし、精霊圏全体もかなり異界としての強度を下げた。

 それでも、彼女は守り抜いた。


 六枚翅から三枚翅。

 妙齢の美女から、十代半ばほどの美少女に。


 代償として霊格を落としながらも、時が経てば回復すると云う。


「獣神王は地上を去り、巨龍圏もまた中核となる柱を失いました……」

壮麗大地テラ・メエリタの全土は今や我らが女王のもの! すなわち花と緑! 童話と詩! 雨と神秘の楽園謳歌! 我らの天下は来ました! 第四世界再興も夢ではありませんなッ!」

「と、男爵は言いますが……獣神王は復活します」

「え、そうなのか?」

「彼の黒鴉は神話ですから……有象無象の環境神ならまだしも、闇夜鴉の幽冥界は第一級の中でも別格のそれ……」

「むぅ! 業腹ですが認めましょう! 女王に伍するとは小癪な鳥め! しかして鴉の鳴き声ある限り! 一枚残った夜羽はいずれ……!」


 信仰が神話を。

 夜天の名の下に死界の王を地上に呼び戻す。

 その証拠に、加護は失われていなかった。

 薔薇男爵が「フ」と笑い、


「ただ、復活するエンディアが果たして我らの知るエンディアなのか。そこは時が来なければ分かりませんがな」

「……記憶を引き継ぐのか、あるいは二代目として新生するのか……」


 どちらにしても、長い時間がかかるのだけは間違いない。

 その間、せいぜい好きにやらせてもらうと。

 精霊女王ディーネ=ユリシス、薔薇男爵は楽しそうに笑っていた。

 なんだかんだ言って、良いライバル関係なのかもしれなかった。


(まぁ……)


 単に六千年分の鬱憤を晴らすという意味で、〈領域合戦〉に完全な勝利を果たすつもりだけかもしれなかったが。

 そこはまあ、仕方がない。

 獣神圏は大きく版図を減らすだろう。

 壮麗大地テラ・メエリタの主権は、今や精霊たちのものになったのだから。


 薔薇の地精は花を咲かし、蝶翅の水精は樹海を慈しむ。

 付き従うのは白詰草の君や種々の妖精たち。


 見目麗しい第四世界の眷属。


 彼らが作り上げる異界景色の真ん中には、きっと黎明の時代の国遺跡がいつまでも残り続け、偉大な先人たちの墓を華やかに飾るだろう。


 それはとても、美しい物語だった。


 孤独な英雄の影法師に、そっと寄り添う御伽話。

 幻想的で、少しだけ物悲しいけれど、胸を打つハッピーエンドは永遠で。


 所詮はゲストに過ぎない俺たちに、物語の行方を知る資格はない。


 というか、立ち入るのは酷く無粋だろう。

 英雄現象はユリシスを守った。

 行間を読む必要なんか無い。

 答えは充分、それで与えられている。

 したがって、


「じゃあ、これは返すよ」

「……ええ。大切に扱っていただき、ありがとうございます」

「とっても綺麗なので、手放すのがちょっと惜しいくらいですけどね」

「フフ。でも、私のですから……」


 ブローチは返した。

 フェリシアはやや名残惜しそうにしていたが、それにより彼らとの時間も終わった。

 リュディガーが造った三本目の森羅斬伐は、精霊たちが破棄する。

 目的は達し、危難は去り。

 もはや壮麗大地テラ・メエリタに留まり続ける理由はどこにも無い。


 渾天儀暦6028年1月14日。


 俺たちは休息と身支度を済ませ、後は北方大陸グランシャリオに帰るだけだった。


(とはいえ、もう少しだけ補足は必要だな)


 日記にペンを走らせながら、俺は出立前の自由時間、昨日のコトを振り返る。


 古龍原語ドラゴン・バベルの書によって隷属状態にあった純龍は、巨龍圏のどこかに飛び立って消えたらしい。

 いずれは巨龍圏も、ユリシスの異界法則に呑まれて消え去るだろうが、ドラゴンは自由な獣だ。

 鎖から解き放たれれば、何処へなりとも飛んでいくだろう。

 ゼノギアは「羨ましい限りです」と呟いていた。


「結局、私もまた復讐に囚われていました。リュディガー・シモンを殺す。裁かれぬ罪に報いをと代行を気取り、しかしそれは、さながら奈落に身を投げるかのごとく易きに流れていただけ……」


 魔物に堕ち、負の感情に身を任せ、呪いと殺意に霧烟る。

 曇った両目。

 灰色の精神。

 リュディガーとの違いは、果たしてどれほどあったのでしょうか? と。

 汚れた法衣に視線を投じながら、丸眼鏡の神父は「申し訳ありませんでした」と頭を下げた。


「神の門を叩き、聖職に就きながら……私はずいぶん長いあいだ、大切なコトを見失っていたようです」


 メラン殿下。

 貴方のおかげで、それに気づけましたと。

 ゼノギアは両膝を着いて俺を見上げた。


「貴方のおっしゃった通りでした。私は神父として、救われぬ者に救いの手を差し伸べるべきだった。魔物に堕ちている暇があるのなら、一人でも多くの誰かを助け、傷ついているモノがいれば癒しを与えるべく奔走すべきだった……」


 感謝を、と。

 ゼノギアは泣きながら宣誓した。


「我が信仰と祖国の槍に誓います。私はきっとやり直す。そしてどうか、手伝わせてください」

「……もう勝手に、暴走したりは?」

「しません。だからどうか、伏してお願いいたします」


 貴方が作ると言ってくれた優しい世界。

 今ある世界に居場所が無いと感じているモノたちにとって、福音となる理想郷。

 私にとってもそれは、必要な世界ですからと。

 ゼノギアは言った。

 眉を下げたいつもの柔和な笑みで、


「雨はもう止みました。貴方が晴らしてくれたのです」

「……そっか。じゃ、今後も頼りにさせてもらうってコトで」

「! はい……!」


 握手。

 俺はゼノギアと握手をして、諸々の文句を飲み込むコトにした。

 結果良ければそれで良しとは言わないが、ゼノギアの魔法は最後に巨龍の嵐さえ貫いた。


 夜明け前の群青は、雨上がりの嚆矢によって朝日をもたらされたのだ。


 魔法は詠唱者の心そのもの。

 あれだけの奇跡を見せられて、その決意や反省を疑うワケにはいかない。

 リュディガーもたぶん、眼前であんな魔法を見せられてさぞかし魂消たんじゃないだろうか。


(それにしても……)


 マジで三日である。

 壮麗大地テラ・メエリタに来て三日で、めちゃくちゃ様々な事件があった。

 とりあえずの課題として、大罪人捕縛の任務は達成できたが、新しい課題も増えている。


 特にフェリシア。


 愛すべき我が後輩。

 彼女に関しては、一応、元のニンゲンの姿にも戻れたので安心したが、神人として覚醒した事実は変わらない。

 トライミッドに戻ったら、刻印騎士団の本部というかフェリシアの師匠あたりに、詳しい話を聞かなきゃならないだろう。

 今後、フェリシアを騎士団員の一人として扱うのか、それともそうじゃないのか。


 事と次第によっては、俺も出方を考えなければならない。


 本人は「あ、先輩! 薔薇男爵さんからたくさんお土産もらっちゃいました!」とか呑気そのものだが、神の憑代ってかなり凄いコトだぞ……?


(カプリにはしたり顔で肩に手を置かれたし)


 ──ワタクシの申した通り、やっぱり普通のニンゲンではありませんでしたな。

 ──そうですね。

 ──あと、やっぱり恋仲ではありませんか。

 ──……


 不思議なものだ。

 羊頭人シーピリアンとニンゲンの感情表現は顔の造形からもかなり違うのに、ニヤニヤと笑われているのがハッキリ分かった。

 ポロロンポロロン、あの吟遊詩人わざとらしく恋物語とか歌い始めるし。


 旅の仲間が全員、命を落とさずに済んだのは喜ばしい話ではあったけども、カプリには少しくらい怖い目に遭ってもらった方がいい気がする。


(具体的には、ミドガルズオルムの前に突き出すなりして……)


 ともあれ、最後の〈領域合戦〉ではカプリの説得によって、白詰草の君が勇気を出してくれたようだ。

 古代圏で決戦の推移を見守っていた吟遊詩人は、そういう意味ではMVPに推挙してもいいかもしれない。

 俺だけじゃエンディアの代わりを果たすには、少し力不足だったからな。

 精霊たちとゼノギアの後押しがあって、ようやくルゥミオリアを封印するコトができた。


(そういえば……)


 フェリシアが古龍原語ドラゴン・バベルの書について、カプリに訊ねていた。

 ドレイクとの戦闘中に、フェリシアはリュディガーが禁忌の叡智を利用している可能性に気がついたのだという。

 そこで、風の精霊の祝福を得ているカプリに情報を共有してもらおうと、戦場で精一杯に声を張り上げ続けたが、結局、俺のもとにメッセージは届かなかった。


 カプリ曰く。


 ──祝福も万能ではなく、フェリシア殿の声は聞こえませんでした。


 とのコト。

 まぁ、あの時の状況的に、どっちにしろ古龍原語ドラゴン・バベルの情報があろうと展開は大きく変わらなかったと思うので、フェリシアとカプリにはドンマイと言うしかない。


 三日間いろんなトラブルがあったなかで、俺たちは最善を尽くした。


 その結果、旅の目的を叶えて世界まで救えたなら、万々歳の結果だった。

 俺個人としても、得るものは大きく噛み締める喜びもまた大きく。

 自信を持って冬の荒れ野に帰れそうだ。


(なんか禁忌も追加で拾うコトになっちまったけど)


 死界の王の加護。

 魔力喰らいの黒王秘紋。

 白嶺の魔女。

 森羅斬伐。


 これだけのラインナップに今さら何かが増えたところで、誤差の範囲内かもしれない。

 リンデンを出た時は普通のニンゲンだと思っていたフェリシアでさえ、今じゃ神人なのだ。

 ゼノギアはもちろん生成りだし、カプリは依然としてミステリアスだし。

 類は友を呼ぶってのは、こういうコトかもしれない。


「けど、悪くはない気持ちだ」


 ページにピリオドを打ち終え、日記を閉じる。


「あ、先輩。そろそろ出発しますか?」

「おや、もうお帰りですかな!? 吾輩お土産をまだまだ包み足りないのですが……!」

「自重しなさい、男爵……」

「タハハ。さすがに大荷物が過ぎますね……」

「いえいえ。むしろ救世の英雄への褒美と考えれば、まったく足りないくらいだとワタクシは思います」

「じゃあな、コワニンゲンども。せいぜい元気にやってろ」

「ぁ、ツメちゃん! ツメちゃんも元気でねっ」


 異界の門扉を解錠したら、ぞろぞろと見送りが集まって来た。

 ユリシス、薔薇男爵、白詰草の君。

 その他にも、大勢のエレメンタルとフェアリーが顔を出す。


「気が向いたら、俺はいつでもここに来れるんだけどな」

「であれば、なおさらに感謝をお伝えします。あなたがたであれば、わたくしどもはいつでも歓迎しましょう……」

「ン〜ン! 素晴らしき英雄譚でした! 語り継ぎたい英雄譚でした! 皆様の道行きに、どうか花の祝福ぞあらんことを!」

「あ、あはは。なんだかちょっと、気恥しいですね先輩」

「あの、私は迷惑しかかけなかった気がするのですが、それでも構わないのでしょうか……?」

「神父殿はたぶん、含まれてないと思いますぞ」

「ですよね!?」


 ガーン! と凹むゼノギアに、複数の笑いが送られる。

 俺も苦笑しながら、


「それじゃ、またいつか」

「ええ、またいつか……」


 壮麗大地テラ・メエリタに背中を向けた。

 仲間もその後に続く。

 リュディガーと、大人しくついてくる。


(──そう)


 今回の話は、日記を書くだけでは終われない。

 過ぎ去ってみれば夢のようにも感じる壮麗大地テラ・メエリタでの三日間だったが、本来の主目的は連合王国との取り引きにある。


 依頼は達成した。


 さあ、対価を貰い受けなければ。




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tips:壮麗大地Ⅱ


 もはや終末の兆しは無い。

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