#205「森羅道」



 最初の激突は、獣神たちと薔薇男爵だった。

 精霊圏を北側から呑み始めていた〝夜〟は、ふらり、と軽やかな足取りで姿を現した大精霊の登場によって動きを止められた。

 土地の従属化、環境同位、還元法──それら一切が薔薇の異形の一歩によって、ぴくりとも侵攻を進められなくなったからである。

 異変を察した二柱は、小眷属を下がらせ自分たちが前に出た。


「──来たか、薔薇の悪魔」

「相変わらず何と臭い……」


 甘やかな花の香り。

 茹だるような蜜臭。

 精霊圏もまた女王の庭師が前に出たコトで、小精霊や妖精が一気に後方へ下がっていく。


 山の月夜を司るモノ。

 森の陰影を司るモノ。


 二柱の獣神の前では、壮麗大地テラ・メエリタをして異様な〝緑気〟が溢れ出ているも、その威圧を一体の精霊が正面から押し返していた。


「臭い? 臭いとはまた異なコトを……いや、六千年経っても所詮は〝獣上がり〟……言葉を得ても畜生には分かろうはずもないか。など」

「痴れ言を!」

「貴様の在り方は、第八の魔と何ら変わりないわ!」

「──愚かな。それこそ痴れ言だぞ」


 肩を竦め両手を上げ、やれやれと薔薇男爵は嘆息する。

 遥か昔、こうして三者が戦場でまみえるのは非常によくあった。

 だが、本来ならばもう一柱、獣神はいた。

 山陵の地滑り。

 荒々しい気性をした熊の神だ。

 今はもう古代圏によって討ち取られている。

 無駄死にとしか言えない特攻をして。


「始める前に聞いてやろう。負けると分かっていて、なぜ盟約を破った?」

「莫迦が。聞くまでもなかろう。我らは勝つために戦うのだ」

「王の勝利を疑わぬから挑むのだ」

「──フン。結局はそれか」


 薔薇男爵は心底から呆れ果てて、声を低くした。


「曲がりなりにも神の座に至っておいて、オマエたちはいつまで経っても抜け出せない。転生てんしょうしても業に囚われているなど、どちらが第八の理に引き摺り込まれているのか」

「獣でもなければ自然カミでもないモノが、我らの定めを語るでないわッ!」

「我らの屈辱、我らの怒り、我らの誇りを愚弄するのは断じて許さぬ……!」

「ならば始めよう。見せてみるがいい。荒熊なき二柱の神威、吾輩に敵うものではないと今再び教えてやる」

「「望むところよッ!」」


 月が燃ゆる。

 影が深まる。


 猛る獣神の〈領域レルム〉が、本気の異界法則を展開する。

 薔薇男爵の周りには、山怪が顕現した。


 ──ペタ、ペタ。

 ──はっ、はっ!

 ──おーーい、おーーい。


 木立の隙間から顔を出す、複数の影。

 野人や山犬、遭難者の幻影。

 風に揺れる木々のざわめきに、ふと入り交じるのはクスクスと笑われているように感じる囁きの音。

 空に輝くのは煌々と照る黄色い満月。


 山麓の麋鹿王──照月の真名鹿が、戦場を冥府への入り口に変えた。


 山裾は古来より異界の始まり。

 安易に踏み入り月光に迷えば、帰らぬモノを呼び込む〝あやし〟の世界。

 エンディアに仕える獣神に、夜に連なるカミがいるのは自明の理。

 山とはヤマ──夜魔さえ包括する原初の異界なれば。

 ゆえに名は、


「 “山門煌々異界イルミーナ・ケルウス” !」


 獣神圏が山門異界たる所以。

 すべては照月の真名鹿の〈領域〉ゆえ。

 エンディアの腹心にして二番目の格を持つからこそ、鹿神は美称として王の一字を許されている。

 規模は獣神圏にほぼ等しく、〈領域〉から発生する精神霊にとっては、これほどの大異界、存在意義を保つのは不可能に近い。


 精霊にとって〈領域レルム〉の上書きとは、そのまんま魂を傷つけられるようなもの。


 法則を書き換えられ、景色を塗り潰される。

 人間で例えれば、それは手足を捥がれ五臓を抉られるにも相当する。

 だというのに、この場にはもう一柱のカミがいる。


 冥府の入り口を駆け抜ける姿無き殺し屋。


 斜陽の陰影──黒の森の樹冠。

 彪虎クァール神の権能とは、次第に濃くなっていく森の暗黒に、対象をとぷりと沈みこませるコト。

 エンディアに仕える獣神に、夜陰に連なるカミがいるのは自明の理。

 黒の森とは古来、神隠しとして知られた原初の異界なれば。

 光なき牢獄で、どんな多彩な花々も見目を誇る余地は無い。

 ゆえに名は、


「 “樹冠潜影界ミュルクヴィズ・コローナ” !」


 獣神王エンディアには届かずとも、どちらも

 原初の自然とはすなわち彼岸の異名だと、森羅の元に還りし獣たちは、ついには〝擬人化された神格〟に至って叫んでいた。


「貴様に分かるのか!? 我ら敗者の屈辱が!」

「擬態などと云う惰弱な手段を以ってしか、生存競争に挑めなかったモノの怒りが!」

「獣たるを捨て自然に還り、カミの座に到達した誇りが……!」


 所詮は宙からの異邦者に過ぎない精霊羽虫に、知ったような口を叩かれる筋合いは無いと。

 獣神たちは怒鳴る。


 そも、獣神とは何故生まれたのか?


 巨大彗星の衝突によって、〈渾天儀世界〉の礎たる〈中枢渾天球エルノス・センタースフィア〉には八つの世界の理が流れ込んだ。

 崩壊した秩序律が仮初の修復を終えるまで、実に万を超える時を必要とした。

 エルノスの星にもともとあった動物界は、そのせいで変化を余儀なくされた。


「荒ぶる獣たるドラゴンがいてさえ、我らは生まれる必要は無かった! 生と死のサイクルは円滑に流転し、均衡は保たれていた!」

「しかし、宙より来たる脅威! 貴様らの来訪によって、美しかったエルノスの姿は消えていく!」

「母の泣く声が聞こえるのだ! 我らは抗った!」

「なのに、貴様らの方が強い! ゆえに『森羅道』を開くしかなかった……!」


 動物界・森羅道。

 森羅還元擬態。

 すべての獣神は、生きながらに転生の準備を済ませて死後に自然霊へ変わる。

 土に還りて霊となり、土地の神となってやがては環境をも所掌する一本道。

 だがその生き様が、何の屈辱も伴わない〝自然の摂理〟だとでも?


「我らが王は闇夜鴉だ……」

「元は小さく、夜にしか飛べない哀れな鳥だ……」

「然れど、王は我らのいずれにも勝り偉大だった」


 『昼知らぬ小さき王』という童話がある。


 夜にしか生きられない鴉の主人公。

 彼は昔から、みんなに虐められていた。

 暗くて冷たくて日陰者。

 闇夜の鴉は不吉で仕方がない。

 主人公の鴉は、「ならば」と奮い立って。

 そんなに昼の世界が素晴らしいなら、ぜひとも見てみたいと夜空の向こうを目指して飛んでいく。

 やがて、ゆっくりと空の色が白みはじめ、朝日の光が鴉を包み込むと、当然のように激痛が体を苦しめた。

 彼は夜にしか生きられない。

 しかし、それでも飛ぶのをやめなかった。

 ようやく対面した太陽の輝きに向かって、彼はその美しさと明るさにたしかに圧倒されながらも、反骨心から絶対に負けるものかと突っ込んでいった。


 普通に考えれば鴉は死ぬ。

 実際、太陽の光に耐えられずに鴉は焼け死んだ。


 けれど、そこからの返り咲きは人界においても有名な話。


 主人公の鴉は結局、昼の世界を知ることができない。

 その代わり、鴉は夜を統べる王となって、死後、自分の王国にやってきた昼間の住人を絶対的力で支配するようになる。


 闇夜に還り夜のカミとなり、死界の王として転生した逸話だ。


 すべての獣神の中で、最も初めに神話となったモノだ。


 ──その生き様を、その雄大な飛翔を、同じ森羅道としてどうして認めぬままでいられよう?


「我らが忠誠を誓う理由は充分だった!」

「王のように不屈になりたい! 王とともにいつまでも在り続けたい!」

「同じ夢を見ていたいのだ! 同じ世界で覇を唱えたいのだ!」


 その羽ばたきが、たとえ終末の巨龍を呼び起こさんとする無謀なものでも。


「擬態などと云う惰弱な生き方は、生きていた間だけで充分すぎる!」

「仮初の平穏! 封印などと云う情けない手口!」

「後悔は六千年だッ!」

「我らが王は必ず勝つッ!」


 そのための〈領域合戦〉。

 獣神王エンディアの存在規模イデア・スケールを、少しでも巨龍に並ぶ偉容にするため精霊圏を食い潰す。

 獣神圏は本気だった。


「「貴様ら虫は、王のエサとなるがいい──ッッ!!」」


 二つもの準神話に圧力を受けて、地精霊は消滅の危機に瀕する──が。

 

「──やはり足りぬ。山陵の地滑りを欠いたオマエたちだけでは、吾輩の終焉おわりにはどう考えても力不足なのだ」

「「…………!?」」


 薔薇は倒れず。

 折れず曲がらず。

 それどころか、二柱の神威に軋みを上げさせ始めた。

 ダメージは少なからず負っている。

 しかし、姿勢を崩して膝を着くなど、美しくはない。

 薔薇男爵はただその一念を以って、精霊法を披露する前準備に入っていた。


 異界にヒビが入り、強権を発動した別種の異界法則が蠕動する。




────────────

tips:擬人化された神格


 神として存在を確立したモノが、後の世に信仰によって性格を得るコト。

 普通の獣神は言葉を持たないが、神話に至ったモノは人語を解するようになる。

 自然現象に限らず、すべての神に共通したルール。

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