#157「翡翠島で魂の洗濯」
最初の寄港地である島の名前は、どうやら島の守り神であるカワセミにちなんでいるらしい。
〈大海のポータル〉を越えて到着した美しき海は、獣神『エスメラルダ』の権能によって作られたものなのだと島の住民たちは語った。
南海の孤島に棲息していた
カワセミ神はおよそ五百年か四百年前に島に舞い降り、元は草の一本たりとも生えていなかった岩島を、数日の内に自然豊かな緑の島に変えたのだと云う。
それに伴い、周辺の海にも多数の珊瑚が生えてくるようになり、海底の砂は白く変じ、綺麗で澄んだ水が島を囲うようになった。
以来、島は名を〝翡翠島〟と変え、たくさんの人が暮らす有人島になったのだとか。
「また何を思って故郷を離れて……」
「カワセミかぁ。私、鳥の神様に縁があるのかなぁ」
「神父、大・復・活ッ!」
久方ぶりに陸に降り立った俺たちは、思い思いに島の風景を観察していた。
俺は呆れるほどのリゾート景色に頭を掻き、フェリシアはリンデンから引き続き何かしらの因縁を感じるのか、ボソっと独り言を呟き。
船酔いから解放されたゼノギアは、喜びのあまりか、両腕を開いて全身で島の空気を浴びていた。
巨人艦トーリー号は積荷の荷下ろしやら、補給物資の買い付けやら、船員たちの休息やらで一時的に航海を休止中だ。
島の規模はパッと見た限りでも、かなり大きい。
風景は完全に南国トロピカルだが、気温はさすがに再現しきれなかったのか。
視界から入ってくる色覚情報とは裏腹に、比較的過ごしやすい空気が肌に気持ちよかった。
ただ、さすがに防寒着は脱いだ。
邪魔な荷物は船室に置いておき、しばしの余暇である。
「
「あ、問題なく使えるみたいですよ。さっき商人さんが露店で果物を買っているのを見ました」
「お、そうか。じゃあひとまずは安心だな」
船旅では忍耐を強いられた風呂や食事。
まずはそのあたりをリフレッシュしたいと望むのは、男女関係なく当たり前の気持ちである。
特にゼノギアは、カルメンタリス教の法衣から何か酸っぱい匂いまで漂っているため、一刻も早く諸々を清めたい様子だった。
「お二人とも、洗濯屋さんってどこにあると思います?」
「……さあ? 水辺だとは思いますが、そのへんは住民に聞き込みをするしかないですね」
「……」
「あ、あの? お二人とも少し距離が遠くないですか……?」
「「気のせいですよ」」
「絶対に気のせいじゃない!?」
ゼノギアはショックだったのか、ガーン! という顔で震えていた。
だが仕方がない。
俺たちの中で、ゼノギアはすっかりゲロ神父の印象である。
体調のことなので仕方がないとは思うが、せめて酸っぱさが改善されるまでは距離を取りたかった。こう、物理的に。
「とりあえず、桟橋で屯っていても仕方がありません。テキトーにぶらぶらしながら、各自必要なものを探して行きましょう」
「身を清めたいのは、私たちも同じ気持ちですからねっ」
「うぅ……なんだかお二人のなかで、私の印象がすごく残念なコトになっている気が……」
「そんなコトないですよ」
「本当ですか!?」
「あ、ちょっと近づかないでもらって」
「嘘をつきましたね……!」
ゼノギアがすっかり愉快な疑心暗鬼に包まれたところで、島の散策開始である。
三人で歩いて行くと、やはり目についたのは旅人向けの商店街だった。
見慣れないフルーツを売っている店や、それを直接絞り立ててジュースにしている店。
焼き魚や海産物の干物を売っている店もある。
食事には困らなそうな島だ。
が、腹ごなしよりも先に風呂や洗濯。
ゼノギアほどではないにしても、俺もフェリシアもサッパリと身体を清めたい欲求に駆られていた。
軽食を売っている露店の主人に声をかけ、どのあたりで願いを叶えられるか聞いてみる。
すると、
「船旅の人だね。だったら、エメラルドの館に行くといいよ」
「エメラルドの館?」
「アンタらみたいな旅の人向けに、島の温泉から水を引いて、風呂屋をやってる店の名前だよ」
「温泉!? せ、先輩! 先輩!」
「落ち着けって。そこ、洗濯もできたりしますか?」
「あー、たしか別料金になったはずだけど、やってたんじゃないかな」
「おお! ならばこれぞまさしく女神様の思し召し!」
俺たちは礼として、三人分の軽食──魚のすり身を団子にしたもの──を購入し、エメラルドの館へと向かった。
島の道路は丸石で舗装されていて、少しデコボコしていたが風情を感じさせた。
教えてもらった道順を進み、商店街を奥に進んでいくと、しばらくして緑色の瓦屋根をした建物が目に入る。
暖簾をくぐり店先を確認すると、
「せ、先輩──!」
「なんてこった……!」
「文明の光、いと聖なる光の炉、偉大なるカルメンタ様……!」
「? い、いらっしゃいませ〜」
石鹸が売られていた。
しかも、複数種類。
フローラルな香り付きのものや、大容量まとめ買いパックまで。
今の俺たちには、何より輝いて見える生活必需品が、棚の上で所狭しと並んでいる。
「値段は……!?」
「いくらなの!?」
「クッ、高い──!」
「お、お客様……?」
石鹸の値段は、一個当たりトライミッド通貨で大銀貨三枚に設定されていた。
香り付きのものは、さらに高値だ。
旅人が何を欲して金を落とすか、理解して商売をしているのだろう。
普段ならグッと堪えて我慢するが、潮風や皮脂やらでベタベタキシキシになった体は、今後も石鹸が絶対に必要不可欠だと訴えている。
東方大陸までは、まだ三ヶ月近くかかる見込みなのだ。
三人で顔を見合わせ、路銀のチェック。
「──とりあえず、ここで風呂と洗濯をするのは確定として」
「残った額は、どれくらいに?」
「心許ないですね。それなりの準備はして来ましたが、乗船代が浮いてしまった分、私は他に注ぎ込んでしまいまして」
「実は……俺もです」
「わ、私も……」
「そうですか。となると、三人分の石鹸をここでできるだけ買うとなると、事態は非常に由々しい展開です……」
ズバリ、金を稼ぐ必要が出てきた。
二、三日の停泊期間中に、どうやって石鹸代を稼ぐ?
生きている以上、生活に付随する諸般の問題もまた俺たちには悩みの種。
「……いったん、温泉に浸かりながら考えるというのは?」
「「異議なし!」」
ゼノギアの意見に賛成し、俺たちは後で考えようと決めた。
石鹸の輝きについ目を奪われてしまったが、温泉を前にして細かい金勘定なんかしていられない。
風呂ッ! それは魂の洗濯ッ!
「男二! 女一!」
「ご、ごゆっくり〜」
店員にやや引かれていた気もするが、エメラルドの館の奥へ颯爽入場。
男湯と女湯でもちろん別れ、受付で脱衣所と入浴着の説明を受けた後、大浴場へ向かった。
旅人の多い島だからか、特にダークエルフだからという理由で差別もされない。
しかし、種族的に珍しくはあるためか、先に入っていた客から何人か「うおデッカ!」とは驚かれた。
「メラン殿下……」
「なんです?」
「やはり、凄まじい肉体ですね。これが〝
「まあ、血筋ですかね。けど、そういうゼノギア神父も、聖職者の割には引き締まったカラダをしていますが」
「フッフッフ。ダークエルフの方に褒めていただけるとは恐縮です」
神父の裸体は、法衣の上からではまったく予想もつかない戦士のそれだった。
特に腕や肩回り、背筋のあたりはとても鍛えられている。
細身に見合わぬ大弓を持っているとは思っていたが、なるほど。虚仮脅しではないらしい。
メガネを外した姿も、普段とは打って変わって急に精悍に見える。
生成りという事実を踏まえても、ただの神父とは欠片も思っていなかったが、これは相当デキるのでは……?
「傷痕が多いんですね」
「おっと。お見苦しいものをすみません」
「いえいえ。俺も本当はそれくらい傷があって当たり前なんですが、例の
「……そういえば、素肌を晒してしまっていますが」
「ああ、今は頭皮に移動してもらっているんで、大丈夫です」
余人の目にはつかない。
秘紋はやや窮屈そうに縮こまっているが、俺の髪の毛の下で綺麗に身を隠している。
皮膚の上を蠢く刺青。
肌を他人の前で晒す際は、いつもこうしていた。
「なるほど。奇怪ですが、ある程度そうした融通が利くとは便利だ」
「ハハ」
談笑しながら洗体を済ませ、温泉に浸かる。
水はとても澄んでいて、翡翠石の浴槽に張られていた。
エメラルドの館と言いつつ、本物の翠玉で外観を構築するのは、さすがに無理だったのだろう。
まぁ、どちらの石も緑色であることに違いはない。
湯の温度は、熱過ぎず
のぼせやすいので注意はしながら、しかし出来る限り長めに入浴する。
「嗚呼、気持ちいい……」
「極楽ですね」
男二人、「ほぅ」と息を吐いて温泉を楽しんだ。
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tips:翡翠島
〈中つ海〉の北部海域中央に位置する島。
本来は荒々しい黒海に覆われ、寒々しい岩肌を晒すだけの無人島だったが、北方大陸沿岸から流れ着いたまつろわぬ民が次第に集まり、現在では活気ある有人島になっている。
旅人が来るようになってからは、カワセミの木彫り人形や、翡翠と貝殻のアクセサリーなども売られている。
温泉の泉質は極めて良い。
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