#143「伝説の魔物」



「は?」


 その戦慄を、何とたとえよう。


「……は?」


 完全な勝利だった。

 久方ぶりの宴だった。

 勝利の美酒に酔い痴れて、たくさんの屍を優勝台に飾り、真紅の空に浮かぶ煌々と照る満月を誇りに思い。

 悪心に染め上げた城塞都市を、ゆっくりとしゃぶり尽くそうとゲラゲラ愉しんでいた。


 ひとり、またひとりと。


 捕まえた人間の生皮を、頭のてっぺんから爪を入れて、縦にまっすぐ引き裂いて。

 粘ついた血と肉を、強引に引き剥がしてベリベリ破く。

 男の悲鳴は満足感を充溢させ、女の悲鳴は小気味のいい音楽。

 お楽しみはまさにコレからで、邪魔な敵はすべて捻り潰した──なのに。


「な、んで……」


 オマエが此処にいるのか?

 なんで、斧使いのダークエルフがそんなコトになるのか。

 地竜の咆哮で、オマエは半身が消し飛んだだろう?

 言葉は続けられない。

 信じたくない。

 興奮で逆立っていた体毛が、枯れる前の草花のように萎れていくのが分かった。

 冷水を浴びた哀れな痩せ犬。

 自分が突然、ひどく惨めで愚かな存在に思えて死にたくなる。


 カチカチとカチカチと。


 打ち鳴らされる歯が次第に、ガクガク全身を揺らして。

 足元から広がる一面の冷気に、吐いた息が白く凍っていくコトで、血の気がサァァ……! と消え失せる。

 目の前にはいま、〝魔女〟がいた。


「は、白嶺……」


 白嶺の魔女。

 見紛うはずはない。

 嘘であって欲しいと、どんなに願っても。

 深層貴種ハイ・ダークの骨面。

 白い膚。

 陰鬱な葬儀服。

 闇の瘴気。


 まるで『死』が、二つ足で歩むがごとき恐怖の双眸!


 古代を識る者に、がどんな意味を持つかなど、鉄鎖流狼には語るまでもない。

 敬愛する主人にも、コレには決して手を出すなと厳命されていた。

 言われずとも、そんな気にはならなかった。


(だってコイツは……!)


 

 古代北方大陸を、恐怖で震撼せしめた暗黒の御伽噺……!


「バカなッ」


 慌てて空を見上げる。

 満月はまんまると照っている。

 赤黒い空に覆われて、鉄の監獄はリンデンから取り払われてはいない。

 鉄鎖流狼の〈領域〉は続いている。

 破裂パンクしそうな吐き気を感じるが、先にリンデンを乗っ取ったのはこちら。

 奪われるにしても時間はかかる。

 だが、それならばなぜ、気がつかなかった?


「ここにオマエは、いなかったはずだ!」


 存在していたならば、鉄鎖流狼が気がつかないはずはない。

 鉄鎖流狼に限らずとも、魔物であるならばどんな極小でも察知できる。

 白嶺の魔女は大魔。

 しかし大魔にも格は存在する。

 発生年数がそれを物語る。

 鉄鎖流狼は古代末期に生まれた。


 闇の公子、白嶺の魔女。


 この二者は、古代の最初期に生まれている!


 つまり、どう少なく見積もったとしても五千年。

 逆立ちしたって、楯突こうなどとは思わない。オーラが違う。

 しかも、白嶺は完全な〝子ども狂い〟であり、魔女が子どもと認識するモノ以外は、すべて殺戮の対象。

 壊れたココロの千々に破れた断片を、悪心に染め上げるコトなど出来はしない。

 というか、干渉を試みた時点で呪い返される。魔女に魔法で適うはずがない。


 だから──殺される。

 

 殺される殺される殺される。

 きっと間違いなく殺される問答無用で殺される必ず絶対殺される例外なく殺されるオレは助からない完全に終わった。


 そ ん な の イ ヤ だ !


「うおおおァァァァァァァァああああッ!!」


 攻撃する。

 鎖で近くの瓦礫を巻きとって、力のままに投げつける。

 倒壊した建物を、飾っていた死体を、とりあえず何でもいいから、手に取れる物は何でも拾ってがむしゃらに投げた。

 「“グラキエース”」

 氷でできた剣と槍の戦士が、すべてそれらを真正面から粉砕した。


「ヒッ!」


 恐怖。

 恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。

 恐ろしすぎて、耐えられない。

 奈落に堕ちた仲間だからこそ、肌で感じる絶望がある。

 殺意を抱かれている。

 敵意を向けられている。

 昏い眼窩の闇の底が、オマエを絶対に殺すと無言のままに宣言している。


(死霊術の虜になんか、なりたくない……!)

 

 イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ!!


「あっちへ行けッ、白嶺──!」


 埒が明かず、鉄鎖流狼は堪え切れなくなって、地竜と獣神を呼び寄せた。

 白蛾虎竜はこのあたりの獣の王。

 小夜啼鳥は森の神。

 やれ、やってしまえ。

 とにかく殺し尽くせ──!

 時間を稼ぐ壁役くらいにはなって見せろ。

 強大な手駒を、文字通り捨てる覚悟で指嗾しそうし、


「──“雪渓氷瀑メラク”、“樹霜木華フェクダ”」

「な──」


 獣の王たる地竜が、アイスグリーンの光沢の、長大な蛇に呑み込まれて氷像になった。

 森の神たる獣神は、氷雪の剣山とも云うべき水晶鹿角に地面から刺し貫かれて、百舌鳥モズの速贄になった。

 〈領域〉が凍てつき始め、霊核が凍傷を負う。

 そんなバカなことが、あっていいのか。

 北方の旧き七神?

 巫山戯るなよ、理の逸脱者め……!

 

「なんなんだよッ、オマエはあァァァァァーーッ!!」


 やぶれかぶれで絶叫。

 満月に魔力を注ぎ、悪心萌芽の月光をこれでもかと強める。

 が、やはり届かない。

 鉄鎖流狼の伝説と、白嶺の魔女の伝説では、あまりにも深度が離れすぎている。

 まるで遮断。

 光を通さぬ不可視の壁を、何重にも隔てているかのよう。


「はァ、はァ、はァ、はァ……!」


 が、伸びる。

 気がつけばすぐそこに、白髏の面が立っている。


 メキリ、ゴキリ、バキッ、グチャッ。


 何かにカラダが拘束される。

 軋みをあげて全身が痛くなった。

 魔女は黒の衣から白い指先を伸ばして、鉄鎖流狼に触れようとしている。

 おぞましい死の呪いが。

 穢らわしい冬の凍気が。

 パキパキと霜を鳴らし、凍える終わりを近づけて来る。

 よせ、よしてくれ。

 それ以外なら何でもいい。

 だけど、白嶺の魔女の手だけは、相性とか関係ない。

 頼むからこんな、嘘だろう? 戦いにもならないなんて……!


(オ、オレは、こんなところで、終わるワケには……!)


 使命がある。

 闇の公子を地上に取り戻す崇高な使命。

 成し遂げずに死ぬ?

 会えぬままにくたばる?

 許されていいはずがない。

 世界がそこまで身勝手ならば、どうしてあの時、そのまま終わらせなかった。


「オレになぜッ! ヒーローを教えた!?」


 助けてくれ。助けてくれ。助けてくださいご主人様!

 オレをあの日、救ってくださったようにもう一度!

 アナタのように悪を振り撒きたい!

 憧れてしまったから、今度こそ一緒に身を捧げたいんだ!

 エリヌッナデルクみたいにもう一度!

 だから、


「助けて、助けてよォ! !!」


 魔女の指先が鉄鎖流狼に触れる直前。

 叫びは、〝願い〟となってリンデンの空に谺響こだました。



















 そのとき。


「喜べテッサ。その願い、たしかに聞き届けられたようだ」


 リンデン城、地下。

 隠された尼僧の墓所。

 ウィンター・トライ・リンデンライムバウムの首を締め上げながら、月の瞳が心の籠らない声で「おめでとう」と祝福した。


「囮の役割、ありがとう。君ならば必ず、成し遂げられると思っていたよ」

「おのれ、バケモノめ……!」

「静かに。闇の公子がお目覚めだ」


 美貌の伯爵を、ギチギチと酸欠に追い込みながら、クラシカルブラウスの千の眼差しサウザンドアイズが囁くように忠告する。

 秘文字の奇蹟は暴かれた。

 古代の大魔が襲来したとなれば、秘密を知る守り人は、必ず封印をあらためようとする。

 すべては月の瞳が思い描いた絵図通り。

 無数の未来をひとつに収束させ、恣意的に手繰り寄せる。

 深淵の叡智、脳吸いの究極、月暈の啓蒙光とはこれまさに。


 だからこそ、闇が〝ぴちょん〟と地上に雨を呼んだ。


 血の雨である。


 ──





────────────

tips:鉄鎖流狼の紅い満月


 人狼は満月の晩、必ず正体を明らかにする。

 で、あるならば、性悪説礼賛主義者の鉄鎖流狼が、己が死生観を開示するにあたって、満月を象徴とするのは必然だった。

 〝さあ、愚かで醜い人間どもよ。今宵は満月、本性を晒す刻だ……!〟

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