#127「存在の心意形象」



 ノエラとの精神同調は、いつもノエラ側の精神世界を投影した場所が舞台になる。


 鬱蒼と生い茂った深い緑。

 深山幽谷、山門異界、嵐影湖光、柳緑花紅。

 見渡す限りの大自然に、噎せかえるような星の息吹。

 ノエラはそれを、東方大陸の故郷だと以前語ってくれた。


 ──少年の精神世界は、堅く守られているからな。


 同調するならば、ノエラの精神世界へ招いた方が早いのだそうだ。

 北方大陸グランシャリオの殺風景な景色とは違う。

 色鮮やかで濃厚で、ここへ招待される度に俺は「ほぅ」と圧倒された。

 踏みしめる土の、立ち上る煙にさえ何だろう。郷愁をくすぐられる。

 しかし、呑気に立ちぼうけしている暇はない。


「では、おさらいといこうか」


 ──“樹木アルボス

 ノエラが呪文を唱え、地中からメキメキと『木』を誕生させた。


「魔法は呪文を通した、超常現象を指す言葉だ。

 我々は呪文を唱え、その呪文の原義に紐ずく〝新存在〟をこの世へ生み出す」

「ああ、そうだな」

「呪文は言葉であり、意味であり、名前。

 どのような魔法も、呪文を通さなければ決して超常現象足り得ない。では」


 ノエラはそこで、チラリと俺へ目配せをする。

 毎度毎度の恒例儀式のようなもののため、俺は特に躊躇いもなく呪文を唱えた。

 どうせ精神世界だ。

 実際に魔力を消費しているワケじゃない。


「“樹木アルボス”」


 ノエラの生んだ木の横に、今度は俺の作り出した木が現れる。

 しかし、その木はノエラの木と比べると、何か精彩を欠いていて。

 次の瞬間、ノエラの作り出した木に絡みつかれると、抵抗する間もなく一瞬でへし折られてしまった。


「ひでぇ」

「これは、私と少年の間で、“樹木アルボス”という呪文について、理解度の差があるから起きてしまった事象だな」

「呪文の原義理解の話は、もういいんじゃないか?」

「基礎を疎かにしてはダメだ」


 中性的な声で、ノエラは諌めるように首を振る。


「魔法は呪文を通した超常現象。

 まずはそこを深く抑えておかなければ、魔法は現実の紛い物、劣化物しか生み出せないだろう?」

「そりゃそうだが」

「ゆえにこそ、呪文の原義理解。「観察」「体験」「反復」の三過程が重要なんだ。

 これを疎かにする魔法使いは、どんな呪文を唱えても、存在密度が極めて薄い空虚な偽物しか生み出せない」


 だから基礎を固める。

 これにより初めて、魔法は現実に匹敵する重厚な存在感を持って、出力可能になるから。


 存在の単純出力。


 “イグニス”を唱えて火を生み出すだけの簡単な魔法も、まずは『火』を理解していなければ、虚しい幻想なだけ。

 無論、そんな基本は重々承知しているが、とはいえ、こうした〝おさらい〟はまさしく呪文の原義理解に必要な工程そのもの。

 若干うんざりしているきらいはあるが、耳を傾け真剣に講義を聞く。

 すると、


「それでいい」


 ノエラは生徒を褒める教師のような顔になった。

 そしてそのまま、


「“樹木アルボス”」


 再び同じ呪文を唱える。

 だが、今度の魔法は先ほどのとは違った。

 木は木なのだが、


「ッ、おい!」

「逃げ出したいなら、火をつけてもいいぞ?」


 俺の足元から蔦草のような樹木が伸び、全身へ絡みつく。

 拘束は強力で、力づくでは抜け出せそうにない。

 ……恐らく、呪文を唱えたんだろう。

 となると、普通の火ではなかなか燃えてくれない。


「──“イグニス”」

「おや。破られてしまったか……だけど、さすがだね少年」


 ノエラは自身の魔法が破られたのに、嬉しそうに口端を歪める。

 褒められたが、別に大したコトはしていない。


「〝魔法は意図した通りの効果を第一義とする〟だろ?」

「そうだね。我々は魔法を使う際、呪文の原義に則した超常現象を作り出すが、時には呪文の原義より〝側面〟の方を強調するコトもできる」


 存在意義の確定。

 存在の側面抽出。

 呪文の原義理解をクリアした後に、その呪文について、明確な存在意義を設定して魔法を発動するコト。


 “イグニス”であれば、「照明」「熱源」「災禍」

 “樹木アルボス”であれば、「根付き」「地固め」「不動」


 といった具合に。

 呪文には原義に紐ずき、複数の意味が備わっている。

 魔法の奥深さとでも表現すべき部分だ。

 俺はいま、「燃焼」を強調して呪文を唱えた。

 だが、


「「ここまでは、凡夫でもできる」」


 重なった言の葉に、ノエラの瞳がゆっくりと三日月型に撓んだ。

 本題はまさに、ここからである。


「“樹木アルボス”」


 繰り返し唱えられる樹木創成の呪文。

 然れど、それは今回樹木ではなく、虚空に水を生んで液状の不定形植物を形作った。


「──うん、意味分かんねぇ」


 こんなものが、〝樹木〟の呪文言葉で創り出されていいのかよ?


 と、思わず反感を覚えてしまいそうになるが、これこそが、魔法使いを凡才と秀才とに分ける分水嶺。

 呪文の原義理解に縛られた者には、こういった非常識な超常現象は生み出せない。

 魔法という非現実的な才能を与えられておきながら、俺たちは誰より自身の脳味噌に才能を限定されている。

 しかし、


「これはどう見ても、“アクアリア”の呪文だろ? って思えるけど、ノエラの理解力……いや、記憶や知識の中には、実際にこういう『木』があったってコトなんだもんな」

「その通り。私の故郷では、水が樹木のカタチを成すのは当たり前だった」


 ゆえに“樹木アルボス”の呪文で、このような液体樹木が創成可能になる。

 魔法には、そういう〝揺らぎ〟を許容する寛容性もが含まれている。


 なぜなら、魔法は魔術と違って、一の意識を映し出す水鏡。


 存在意義の確定には、どこまでも個の意識が決定権を有している。

 俺たちはその点で、万物を自在に生み出す、神のごときチカラを有していると言っても過言ではない。

 もちろん、現実はそう便利なものではないが、俺たちの主観、人生、経験の中で、


「世間一般的に、こんな樹木は有り得ない。

 しかし、私はたしかにこの目で見たし体験した。

 つまり、魔法は解釈次第で、無限の可能性を秘めている……!」


 うっとりと恍惚に。

 ノエラは陶然と、自身の生み出した液体樹木の輪郭をなぞる。

 その指先が少しだけ艶かしかったため、俺は「ぅっうん!」と咳払いをひとつ挟んだ。


「無限の可能性、ってのは少し言い過ぎな気もするが、たしかに〝自由〟ではあるよな」

「どんな魔法も──いや呪文も、その呪文が持つ原義以外の要素を含めて、超常現象を成し得る。

 私はこれを、存在の心意形象……個々の主観、心象風景、死生観の具現として定義づけているよ」


 呪文の原義理解。

 存在の単純出力。

 初期段階をここまでとすれば。


 存在意義の確定。

 存在の側面抽出。

 ここからは明らかに段階が上がった上級者の魔法運用。


 そこに、そのさらに上を行くモノとして──存在の心意形象。


「俺も覚えはあるぜ」


 “イグニス”の呪文を唱えて、復讐の陽炎を作り出し、それを大剣のカタチで放出した経験。

 アレは確実に、呪文の原義外の要素を含んだ魔法発動だった。


(“グラキエース”を唱えて、飢餓の霜柱を、一面に走らせたりもしたっけな……)


 もう十年も昔のコトか。

 あの時は、我ながらずいぶん冴えた魔法の使い方をした。

 俺にとっては、どちらも強烈なインパクトを残した記憶に由来している。

 ああいう魔法は、極めて強力だし存在密度も濃い。


「……強い感情と結びついた記憶。

 想念、情動、想い出は、人生の一場面と同義。

 ならば、己が生涯の一欠片を切り取った魔法。それが強力にならない道理は無い」


 したがって──


「……ふぅ。待たせたな、少年」

「ああ。待ちくたびれたぜ」

「そろそろ〝再開〟しようか。私も興味は尽きない」


 果たして、


「ニドアの妖木を取り込んでいても、少年の頭脳では彼らの記録を読み解けない」


 人間と植物とでは、カラダの構成も感覚器官も、魂のデザインだってまるきり異なる。

 魔法使いの世界において、理解、共感、把握できないモノは無意味なのと同じだ。

 俺が秘紋によって存在を奪い取ったモノは、現状ニドアの妖木とベアトリクスのみ。

 ベアトリクスの方は、魔物ではあったが元は人間。

 理解、共感、把握するのに特別な困難は無く。

 しかし、ニドアの妖木は存在力そのものは継承できても、ベアトリクスのように〝すべて〟を継承したとは言い難かった。


 ならば、どうする?


(簡単な話だ)


 樹界人ドルイディアンという翻訳機を通じて、強引に読み解いてしまえばいい。

 成功した暁には、俺は魔法使いとして、確実に高次の階梯へ進める。

 すべては、そのための師弟関係。

 もっとも、ノエラには弟子というより、半ば研究対象のように見られているきらいもあったが、どちらにせよそこは持ちつ持たれつ。

 互いにメリットを見出しているので、構いはしない。


「──よし、やってくれ」

「ああ」


 精神世界で行う、更なる精神同調。

 樹木のセカイとは、如何なるものなのか?

 解読は繊細な集中力を要するため、遅遅として進まないものの、八年間でだいぶ深いところまでは来ている。

 後はただ、決定的な核心にさえ触れられれば……


(俺は“樹木アルボス”の呪文を、完全に獲得できるだろう)


 それも、地精霊に匹敵する域で。

 魔法の修得は、だから面白いし難しい。




 ──夜が更けていくのは、それから体感、あっという間の話だった。





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tips:精霊流


 まつろわぬ民の武術における一流派。

 精霊の名を取る精霊流は、古来、元素系の超常現象を戦闘に絡めたバトルスタイルを指すものではなかった。

 精霊流派の源流。

 それは、精霊や妖精と精神を同調させ──古くは口付けや交合等によってパスを繋ぎ、特別な絆を結ぶコトで──精霊や妖精と同じ世界観を理解するところにあった。

 人の身を超えた人外の奇跡。

 ──汝、力が欲しいか?

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