#112 「朝の身支度と職安」
仮屋で起きると、朝は暖気灯のチェックから始まる。
天井に吊るした
オシャレな硝子のドアを開けて、中に入っている蝋燭を確認。
交換が必要であれば、買っておいた替えから何の変哲もない蝋燭を差し直す。
マッチを使い火も点ける。
すると、相変わらずの謎原理だが、カルメンタリス教の女神様の祝福によって、ランタンが徐々に暖かな空気を発するようになった。
部屋の中も明るくなり、朝の冷え込む時間がストーブをつけたくらいマシになる。
「うっ、冷てっ」
寝台から床に足を下ろし、半ば飛び上がりそうになりながら、我慢して水甕へ。
暖気灯で部屋の空気を暖め始めたら、さっそく身支度を開始だ。
桶で必要な量の水を掬い、サッと顔を洗って口を濯ぎ。
うがいを三回やって、どうにか自分の中の妥協点となる清潔感を口の中に与えてやる。
石鹸や歯磨き粉が高価なこの世界では、下々民は何事も水洗いが基本だ。
メラネルガリアを出たことに後悔はないが、こういうところでやはり貴族の生活が恋しくはなるよな。
「あー……頭かゆ」
昨晩はあのまま風呂に入らなかった。
なので、身体がやはり汗臭さと不快感を醸している。
トロール退治で七時間以上は歩き回っていたからな。
不潔なまま街に出るワケにはいかない。
俺は自由民だが、人に会う時は身嗜みを整えるのが当然の元貴族(もどき)。
肌着の上に外套を羽織り、ちょっと寒いが外に出て、ドラム缶型の風呂釜をよいしょと持ち上げ運搬。
俺が寝床にしている仮屋は、瓦礫街の中でも最も外縁。
リンデンを囲む美しい河川──白緑川にも近いため、コイツをそのまま川原のところまで持って行き、水を汲んで湯を沸かせば、簡易的な浴槽の完成だ。
湯の沸かし方はちと手間だが、そこら辺の石を焚き火で熱し、充分アツアツになったところで水の中にボチャン。
それを何回か繰り返し、風呂釜の水がいい感じに熱くなったところで、タオルを取ってきたら服を脱いでいざ入浴。
「……ぁぁ」
気持ちいい。
やっぱり風呂は最高だ。
両手でお湯を掬い、バシャリと顔にかけて肩まで浸かり。
こうしていると、精神と肉体がリフレッシュされていくのを感じる。
頭まで潜って百秒。
お湯の中で、毛穴という毛穴から、すべての汚れが溶け出ていくのを祈る。
「ぶはぁッ」
ダークエルフは体質的にのぼせやすい。
寒冷地に強い分、もしかすると暑さに弱いのかもしれない。
なんであれ、シャンプーやボディソープは無いので、自分でできる洗体としてはこのあたりが限界だ。
サッと上がりタオルで体を拭き、肌着と外套を素早く身につけたら、ほかほかと湯気をあげつつ仮屋へ戻る。
そして着替え。
古着市で買った掘り出し物の頑丈な傭兵服に袖を通し、その上からいつものごとく、狩猟者用の防護服を重ね着していく。
着膨れするが、どうせ防寒対策も必要だ。
あとは
自前の装備品を一通り身につけていったら、最後に手甲付きの手袋を嵌めて準備万端。
髪は着替えている内に、部屋の暖気で乾く。
天井付近は本当にストーブの前かってくらいあたたかい。
でも、髪少し伸びてきたかな……まだちょっと湿っている。
「散髪かぁ」
自分でやるのは懲り懲りしている。
いざとなれば紐で結んでオールバックにでもするが、ロン毛って衛生的に良くないからな。
ルカに今度、切ってもらえるよう頼み込もう。
俺は清潔感を大事にしたい。
「まぁいいや。とりあえず今日は金だ」
瓦礫街の自由民とて、街の一員であるからには何事も金が入り用になる。
服の洗濯、家の改修、日用品の買い出しや装備類のメンテナンス。
その気になればサバイバルも可能だが、文明圏がすぐそこにあるのに、何が悲しくて縛りプレイをしなきゃならんのか。
俺はマゾじゃないので、可能な限りは文明人として生活していく。
この仮屋も、最初に造った時より、だいぶ
初めは廃材で組んだ骨組みしかなかったのに、今では石やレンガの壁、屋根まで備えている。
「瓦礫街、マジ恐るべし」
過去、リンデンがドラゴンや何やらに襲撃された際に、破壊された城壁や家屋の瓦礫。
廃棄されて誰も使わなくなった建材等を、スラム民が流用し始め作られたボロっちい街並み。
自分で建てれば、金も取らないというのでつい頑張ってしまった。
ベッドと洗面所と、土を掘っただけのぼっとんトイレがあるだけだが、我が子のように愛おしいぜ。
「でも、水道くらい瓦礫街にも引いて欲しいよな」
身分社会は上に立っている時は快適だが、下に落ちるとどんどん不便が増していく。
魔法でたまにズルしてなきゃ、俺も革命のひとつくらい起こしていたかもしれない。
冗談はさておき。
「──っし! 行くか!」
朝日が上がり空は明るくなった。
曇り空は変わらないが、今日はまだ天気がいい。
白色の薄雲越しに、ところどころ天使の梯子がかかっている。
斡旋所に向かう道すがら、露天で串焼きでも買って、適度に腹ごしらえを済ませよう。
城塞都市リンデンでの一日が、今日もまた始まる。
「で、なんか良い仕事あります?」
「ゴミ処理場のシャドーマン退治」
「嫌ですよ! クセェし汚ねぇし!」
「じゃあ、地下下水道のスライム退治はどうだ」
「旦那、もしかして俺に病気になって欲しいの?」
せっかく軟膏持ってきたのに、ひどくない?
「フン。薬はありがたいがな、俺としては真面目に、こういう仕事もやってもらいたいんだよ」
ザックの旦那は、不機嫌な顔で溜め息を吐く。
自由民の担当管理官兼、職業斡旋所の所長。
何かと面倒ごとの処理に
それは十分、分からなくはない。
「けど、斡旋所に着いて、シャーリーさんに湿布渡して、旦那には特別に自家製の軟膏まで譲ったんだぜ?」
「ああ。日頃の感謝の印ってヤツだろ」
「それにほら、俺いま斧が無いしさ。退治系は勘弁して欲しいです」
「大丈夫だ。オマエなら素手ででもイケる」
「いや無理だから! シャドーマンもスライムも、不定形生物だし!」
菌界・蠢動道。
極小の菌類や、分類不詳の謎生物が分類される生物学分類。
シャドーマンは真っ黒い蠅が人型になって蠢き出したような見た目で、スライムは典型的なネバネバドロドロした粘体。
どちらも病原菌の塊である。
意思を持って動き出した病原菌。
接触したら、間違いなく体調を崩す。
「別の仕事でいいの無いの? ねえ、シャーリーさん!」
「うふふ。所長?」
「チッ、分かったよ。残ってるのでオマエ向きなのは、ほれ、これだ」
旦那がシャーリーさんから一枚の依頼書を受け取り、そのまま無造作に俺へ投げ渡す。
「おっととっ」
「リンデン林業組合、
「ティバキン!」
依頼書を読むと、丁寧なエルノス語で仕事の内容が書いてあった。
アルバイトとして、どうやら材木の運搬や伐採作業を手伝って欲しいらしい。
斧使いにはまさに、打って付けの仕事である。
依頼主の名前も、馴染みのある名前だ。
報酬も相場通り。
一日働いて、大銀貨二枚と大銅貨二枚。
一食換算だと、五日分ちょいってところになる。悪くない。
「ありがとう。これにするよ」
「あいよ」
「シャーリーさんもありがとう!」
「はーい。いってらっしゃい。お気をつけて」
斡旋所の敷居を背にし、俺はいそいそ組合の元まで向かった。
────────────
tips:連合王国の貨幣
トライミッド連合王国では、六種類の貨幣が流通している。
基本は金銀銅のコイン型貨幣であるが、秘宝匠が鋳造した『聖鋳貨』と、一般の鋳造師が造る『普通鋳貨』の二分類。
表面には、エルノスの三種族を象徴する三叉槍と連合の三王家を。
裏面には、カルメンタリス教の女神を圧印している。
以下はそれぞれの日本円換算した際のイメージ額。
▼聖鋳貨(主使用者は聖界、王侯貴族)
・小金貨:3000000円
・小銀貨:1500000円
・小銅貨:100000円
▼普通鋳貨(主使用者は俗界、一般人)
・大金貨:30000円
・大銀貨:1500円
・大銅貨:100円
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます