#110「自由民メラン」
メラネルガリアを出て十年も経つと、〈渾天儀世界〉の常識もある程度馴染んでくる。
最初の二年はいろいろ不慣れなコトも多かったが、
永久凍土地帯ヴォレアス。
瀟洒なる黒の王国メラネルガリア。
生まれてからこれまで、思えばずいぶん特殊な環境に置かれていた俺も、裸一貫で改めて世界に飛び出れば、〝一個の人〟として大いに学ぶところが多かった。
主なところだと、やっぱり〝一般の価値観〟を知れたのは大きい。
ヴォレアスじゃ身の回りにいたのは、たった三人の古代人だけだった。
メラネルガリアはほとんど鎖国状態で、ダークエルフの価値観ばかり身の回りを覆った。
だからこそ、旅をするコトで新たに実感した──いや、再確認できた圧倒的事実。
この世界というか大陸、やはりめちゃくちゃ広いしスケールがとてつもない。
渾天儀暦6027年11月28日。
季節は秋が終わり、冬へと滑り出す厳寒のシーズンの幕開け。
城塞都市リンデンは、〈大雪原〉から少しばかり離れた辺境の大都市。
ここは丘陵と森林と、河川に囲まれている。
人が多いのも納得の土地で、ゆえにこそ、俺もあまりの暮らしやすさについ腰を下ろしてしまった。
そして八年。
すでに大凡、それだけの年月をここで送っているが、先ほどのように仕事の都合で、街をかなり離れるコトもまぁまぁある。
その度に思うのだが、いや遠い。道が長い。人里が少なすぎるし、未開の土地が多すぎる。
これは二年間の小国巡りでも、存分に痛感させられた話だが、この世界、人類の生活圏が
基本的な文明水準が中世レベルなのだから仕方がないのかもしれないが、グローバル化など夢のまた夢。
自然は厳しいし、脅威は多いし、ホワイトアウトを抜けてようやく見つけたと思った村が、よく見たら
エルフなどの長寿種族が存在して、世界規模の統一暦まで浸透しているクセに、どうして文明の進み具合が中世(良くて近世)止まりなのか。
前々から疑問に思わなかったワケでもないが、答えは蓋を開けてみれば至極単純。
空から突然災害みたいに降ってくるドラゴン。
開拓地に潜む環境の守り神、獣神。
同じ人界の住人でありながら、ほとんど怪物に等しいトロールなどの怪人ども。
物理法則ではなく、異界法則が優先される〈領域〉および第八の係累。
そりゃ、これだけ障碍が多ければ、発展を阻止されてしまうのも致し方ない。
人界として強固な基盤を築き上げている大国を除いて、人類の生活圈は未だ吹けば飛ぶような儚さだった。
リンデンはそう考えると、かなり善戦している。
やはり自然に恵まれているのがいい。
俺もいろいろ街を回ってきたが、リンデンは今のところ一番居心地のいい都市だ。
連合王国の他の領も、同じように居心地がいいかはあまり詳しくないので知らないが、少なくともリンデンは過ごしやすい。
領内の治安も比較的安定しているし、何より自由民にも、金払いのいい仕事を紹介してくれる。
自由民。
そう、俺は自由民という身分だ。
字面的には、なんだか良さげな響きが伴う立場に聞こえるだろう。
だが、実態はそんなにいいものじゃない。
トライミッドじゃ、一般市民と奴隷の中間。
正式な市民として登録されたワケじゃなく、あくまで旅人や出稼ぎ等の、一時滞留者って扱いだ。
連合王国の国民ではないから、戸籍管理もされないし、まあそのぶん、幾つかの納税義務とかからも解放された『自由』な立場ではある。
けれど、市民の義務をきちんと果たしていないってコトは、公共福祉・医療施設などの使用も、自由民は何かと制限されがちで優先権も低い。
市場の値段も、自由民だけは気持ち割高に設定されていたりしてな。
なのでまあ、何事も自給自足、自己責任って感じで生きなきゃいけないのが、自由民の身分ではある。
そんななかで。
リンデンは、先ほど寄った職安──自由民専用職業斡旋所なども開設されていて、他の都市に比べてみると多少は自由民への風当たりが柔らかい。
紹介されている仕事は、トロール退治などの危険な物や、あまり人がやりたがらない下水道掃除だったりが大半だが、探せば普通にリンデン内の都市商工業も短期アルバイトとして勧めてくれる。
もっとも、そういうのはやはり面接をクリアして、一定の手続きを踏んだり契約内容の確認をしたり、もろもろ煩雑な書類に署名をしたりと、ちょっとだけ面倒くさい……
しかし、まともな仕事で金を稼ぎたいなら、こういうのはやっぱり、何処に行っても必要だな。
むしろ仲介職員の事務作業がしっかりしている分、信用度は高いと言えるかもしれない。
俺の場合、旅人ってスタンスは崩す気がないので、比較的目先の金にありつけやすい肉体労働系。
特に、トロール退治等の厄介ごとの処理を引き受けて、金を稼いでいた。
担当官のザックってオッサンと、報酬管理者のシャーリーさんとは、なのでそこそこ長い付き合いになる。
(ふたりともニンゲンだから、会った時より老けたよなぁ……)
〈渾天儀世界〉のニンゲンは、地球のホモサピエンスより寿命が長い。
こっちじゃ一年間は十八ヶ月だが、ニンゲンの平均寿命はそれでも五十〜六十年。
十二ヶ月×六十と十八ヶ月×六十じゃ、だいぶ差がある。
俺としちゃ、顔見知りが長生きしてくれるのは素直に喜ばしいが、ダークエルフに比べればニンゲンはやっぱり短命。
(ザックの旦那にはまた、腰痛に効く軟膏でも作ってやるか)
シャーリーさんはまだ若いものの、仕事のしすぎかどうやら最近肩こりがひどいらしいので、湿布でも作って渡してみる。
ふたりとも流れ者のダークエルフに、珍しく親切な部類のニンゲンだし。
日頃の感謝っていう袖の下を通しておくのも、処世術のひとつとして悪くない方法だ。
ま、それはさておき。
「クックック……」
大銀貨二十枚。
トライミッドの大銀貨は一枚あたり、おおよそ千五百円くらいの価値を持つ。
それが二十枚。
合計三万円程度の収入だ。
おっと。
いま、え、それだけ? って思ったヤツがいるな?
仮にも命を危険に晒した仕事で、三万円しか貰えないなんて、かなりブラックじゃないか? とも。
だが、異世界は物価が違う。
大銀貨が二十枚もあれば、リンデンじゃ一日三食、最低限の食事で、なんと一ヶ月半は食いっぱぐれずに済むのだよ。
一回の食事は大銅貨二枚くらい。
少量の肉と野菜が入ったスープ粥を一杯分。
大銀貨一枚は、大銅貨十五枚分のレートと考えてもらえばいいから、つまり俺は今日、ちょっとした小金持ちになったと言える。
金が入った日は気分がいい。
「けど、残念ながらすぐにお別れだな……」
ザ、と軽く雪を踏みつけ、斡旋所から離れた馴染みの鍛冶屋へ。
店先にぶら下がる看板には、ハンマーと金床の絵が描かれている。
絵にはエルノス語で『ゴーゼルとジゼル』と店名も添えられていて、中には腕のいい職人の父娘。
屈強なドワーフ鍛冶、ゴーゼルとジゼルがお待ちかねだ。
扉を開けると、案の定、むわっ! とした熱気とともに見慣れた父娘の姿が目に入る。
「──またトロールか?」
「違う、って言いたいところだけど、合ってる」
「フン。オマエはいつもトロールだ」
チラリ、とこちらを一瞥したゴーゼル親方が、鼻を鳴らして立ち上がる。
どうやら、タイミングよく休憩終わりだったらしい。
娘のジゼルともども、ふたりでカウンターの方までやって来た。
(うーん、圧力)
ドワーフは種族的に体格がかなり大きいので、ふたり一気に近づかれると、まるで肉弾戦車にでも迫られている錯覚に襲われる。
ドワーフと云うと、つい小柄な種族を連想しがちだが、〈渾天儀世界〉のドワーフはいつ見ても目を見張るほどの恵体だ。
そうだな。
例えばダークエルフが、アメコミのガチムチキャラだったとしたら、ドワーフはさながら格ゲーのスモウレスラーってな具合だろう。
あとは髪の量と髭の量が多いコトが特徴か。
髭が生えているのは男だけで、女性は男性ドワーフに比べると、体格も筋量もふたまわりくらいは劣るようだが、とはいえ親方の娘であるジゼル。
ニンゲンに比べれば、充分に丸太のようなたくましい腕を持っている。
金髪の後ろ結びと三つ編みのおさげが、今日もとってもチャーミングだね。
「おい。娘に妙な視線をやるな」
「妙な視線ってなんだ。別に普通だったろ?」
「ならん。ワシは〝
「お、親方! い、今のは、ひどいです。メ、メランさんも、好きで
「ありがとう、ジゼル。でも、全然気にしてないよ」
「ぅぅ……」
「ゴーゼル親方は優しい方さ。俺の
申し訳なさそうに俯く心優しいドワーフの娘にニッカリ微笑み、よっこらせっと得物をカウンターに置く。
「──ったく。よくもまぁ、平気な顔で持ち上げる」
「春と夏のあいだ、あんまり顔も出さなかったからな。いっちょ冬に備えて、例年通り頼むよ」
「
「へいへい。料金はいつもと同じでいいか?」
「ジゼル」
「あ、え、えっと……はい。このくらいなら、いつもと同じで」
「了解。じゃ、大銀貨二十枚、よろしく頼んだ」
「うむ。明後日には仕上げる」
「メ、メランさん、こ、これ……」
「お、ありがとう」
代用品の
「ま、またのご利用を〜……」
「ハハ、明後日には来るよ」
「そ、そうですよねっ、すいません!」
「ジゼル。カンテラに灯りをつけておけ。変なのが近くにいないとも限らん」
「お、親方ッ」
父娘の対照的なやり取りに思わず苦笑。
しかしこのふたり、鍛治職人として腕は確かだ。
重厚鋼のドワーフ斧。
全長は柄の長さを含めて、約二メートル。
重さは刃だけで、百キロはあると言っていたか。
正直、見つけたときはバカみたいな武器があると思ったものの、使わせてもらえば予想以上にちょうど良かった。
L字型の頑丈な刃も、トロールの石肌と石骨をスパスパ切ってくれるしな。
リンデンに来て良かったコトのひとつが、これである。
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tips:重厚鋼
別名ドワーフ鋼。
大量の鋼鉄を、何層にも重ねて鍛えられる重量感のある鋼。
ドワーフの蓄熱技術と、極めて高度な〝百万鍛錬〟という手法によって生み出される。
ドワーフ鍛治の作る武器でこれを使っているものは、一目でそうと分かる分厚さと大きさを兼ね備え、見た目以上に重い。
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