#085「日常は与えられず」



 巨人ティタノモンゴット語はカクカクしい言語だった。


「さて。こんなところで、よろしいでしょうか」

「おう。ありがとうな」

「いえいえ。むしろ、本当にこの程度のことで良かったのです?」


 〈学院〉、書庫塔。

 シャーマナイト邸訪問より二日経った放課後。

 俺はフィロメナから、ティタノモンゴット語について軽い手ほどきを受けていた。

 目の前には書棚から取ってきた幾つかの堅板本ハードカバー

 それぞれ大きさが一メートルほどもあり、見た目に相応しいだけの重厚さを持っている。

 おかげでテーブルに並べるのに、少々難儀したと言わざるを得ない。

 けれど、


「この程度って言うがな、俺にとっては十分おもしろかったよ」

「本格的に学びたいなら、わたくしより王碩院の導師の方を頼ったほうがよかったと思いますが」

「そこまで本腰入れたいワケじゃない。まずは様子見。入門編って感じでな」

「はぁ。まあ、ラズワルド様がそうおっしゃるなら」


 奇特な方ですわね。

 と、フィロメナが小さく呟くのを横目にし、俺はホクホクした気分で手帳にメモを書き殴る。


 ティタノモンゴット語は、ダークエルフと同じで〈第五円環帯ティタテスカ・リングベルト〉出身の種族である巨人たちの公用言語。

 パッと見は、俗にいう楔形文字。

 しかし、普通の楔形文字と少々特徴が異なるのは、ところどころに丸みを帯びた文字もあること。

 一文字一文字の印象はメラネルガリア語と同じで、文字というよりかは記号に近く、連続した文章になるとアイヌの刺繍にも似た紋様に見えなくもない。

 初心者向けの参考書も紹介してもらったし、先日の礼としては十分な対価を支払ってもらった。


「では、今日はこのあたりで」

「ああ」


 フィロメナが楚々と立ち去っていく。

 その様子を何とはなしに見送り、俺も「ふぅ」と首を回した。


 ひとつの用事が終わり、しばしの日常。

 トルネイン・シャーマナイトとの対談は、結局何だったのか。

 フィロメナもあの後、「とんだご迷惑をおかけしてしまいましたわ」と妙にしおらしく頭を下げてきたし、どうにも単なる見舞いではなかった気がする。

 老人の意味深な言動。

 ウェイトのある心情の吐露。

 ……もしかすると、俺が気がついていないだけで、何か壮大な陰謀にでも巻き込まれかけていたのだろうか?


(初対面のガキに、だいたいどういう話題のチョイスなんだってツッコミもあるしなぁ)


 国の在り方だとか種族の運命だとか、ヘヴィーすぎて神経がどうかしちまう。

 俺、我ながらよく雰囲気に呑まれず言葉を返せたものだよ。

 あの場じゃ正体を探られるような、非常に居心地の悪い時間もあったというのに。


「……やだやだ」


 メラネルガリアはやっぱり、こういうところで疲れるんだよな。

 おもしろいことも楽しいこともあるけど、なんだかんだでちとマイナス。

 早いところ王宮に呼ばれて、ネグロ王の蔵書とやらを読み漁りたいぜ。


(けど、時間は加速したりしない)


 残念だが、時の針は異世界だろうと常に平等だ。


(ま、〈渾天儀世界〉は一日二十六時間だけど)


 とにかく。

 約束の日まで、俺はもうしばしの忍耐を必要としていた。










 てなワケで。


「っぱ息抜きも大事ってワケよ」

「若様。あまり私の側を離れませんように」

「へーい」


 帰宅後、俺はセドリックの護衛付きで、市民街に出ていた。

 まあ市民街と言っても、黒尖晶スピネル領の城下、その旧市街地。

 ここは荘厳な建築物の多いメラネルガリアでも、とりわけ古典的な建築物が立ち並ぶオールドストリート。

 何事も盛況なメインストリートとは違って、なかなかに活気に欠けている。

 俺からすると観光地的な風情を感じないでもないが、鎖国体質の長いダークエルフ。

 観光客などいるはずもなく、地元住民からすると、趣ある街並みというより、単に寂れた都市郊外といった認識なのかもしれない。

 辺りを見回せば、人通りもまばらで、こじんまりとした露天商が、ポツリポツリと点在しているくらいだった。


「お、あそこ。串焼き売ってんじゃん」

「食べますか?」

「いいの? じゃあ食べる」


 セドリックの言葉に甘え、素直に串焼き肉を購入してもらう。

 支払いはメラネルガリア通貨で、『黒賽』と呼ばれるサイコロ型のお金を三粒。

 大きさは一円玉程度、しかして重さは十円玉並み。


(まったく、すげぇ徹底ぶりだよ)


 最初は馴染みの薄い形状のため、何ともオモチャのような感覚が拭えなかったのだが、銅縁、銀縁、金縁の三種類があり、要は硬貨のカタチがサイコロ型に置き換えられているだけだった。

 相場はだいたい、銅黒賽が百円〜二百円。銀黒賽が千円〜二千円。金黒賽が一万円〜二万円といった感覚。

 あいにく、ちゃんとした貨幣相場は知らないため、正味どのくらいこの認識が正しいのかは分からないが、ただ、まあ……


(う〜ん。イケてるねぇ〜)


 セドリックから手渡された串焼き──恐らく野雉羊ウルヌクと思しいロースト肉の大きさ。

 塩まぶしというシンプルな味付けながらも、物足りなさは感じない。

 唐揚げ棒サイズの焼き鳥……いや、ケバブ? とにかく獣肉が三粒で三本分と考えれば、露天で買える軽食としちゃ、まったく文句のつけようがなし。

 精巧で豪勢な料理も悪くはないが、庶民的な味もたまには楽しまないといけないな。


「若様。もう少しだけ仮面を下に」

「え?」

「人目は少ないですが、どこに間諜が潜んでいるか分かりませんので」

「……これ以上下げたら、食いづらくて敵わんのだが」

「すみません。場所を移しましょう。あちらの広場であれば、人目もさらに少ない」


 セドリックの提案に肩を竦めて了承し、俺はテクテク広場へ向かう。

 貴族の世界から抜け出して、少しでも羽を休められるなら、このくらいは別にどうってことない。

 頼れる護衛にガイドされるまま、素直に足を動かした。

 広場の中心には噴水があり、それを囲うようにベンチも設置されている。


「どうぞ」

「ありがとう」


 セドリックが雪を払いのけて毛布を敷いた。

 キザな対応。

 しかし、こういう気遣いをされるのにも、大分慣れてきてしまった。

 今ではいちいち驚きもしない。

 毛布の上に腰を置き、串焼き肉を食らう。


「もぐもぐ……そういえばさ」

「はい」

「スピネル公はあれから、特になにも?」

「?」

「いやほら、そろそろ結構な時間も経つワケじゃん? 俺について、何か言ってこないのかなー? って」

「ああ、そういうことでしたか」


 セドリックは得心がいった様子で微笑む。


「ご安心を。その件であれば、

「何も?」

「はい」

「……意外だな。俺、結構好き勝手してるから、そろそろ何かしら言ってくるかと思ってたんだけど」


 セドリックの答えに戸惑いを覚えつつ、案外そんなものなのか? と首を傾げて仮面を被り直す。

 最近の俺は成長期なので、この程度の肉はおやつ感覚でパクパクいけるのだ。

 油で濡れた唇を舐め、心地のいい後味に喉を鳴らす。

 だが、


黒翡翠ブラックジェイダイトの奴隷の件。ティアドロップ・オブシディアンとの口約束の件。王都で遭遇したセレンディバイト家令嬢、ならびに彼女とのシャーマナイト邸訪問の件」

「……」

「どれも事後報告だったり独断行動だったり……我ながら、止められもしないからって、まあまあ自由に動いてきたけど?」


 スピネル家としてはそんな俺に、そろそろ言いたいことの一つや二つあるんじゃないの?

 見上げる形でセドリックの顔を見る。

 あの屋敷の中じゃ、俺はこのナイスミドルなダークエルフ以外にロクな話し相手もいない。

 死界の王の加護。

 祝福の件もあって、離れの外を出歩くと苦い顔をされてしまう。

 仮面は家の中でもきちんとつけているのだが、つけていればつけているで、不審なオーラ全開なのが今の俺。

 顔を合わせていちいち変な顔されるのも面倒なので、セドリックには申し訳ないが、この男にはいろんな面で窓口になってもらっていた。

 だから、


「まさかとは思うけど、防波堤、やってたりはしないよね?」

「防波堤? ハハハ、まさか。私が若様に嘘などつくはずがありません」


 気負いなく衒いもない。

 相変わらず何という曇りなき眼。


「……ま、いいけど」


 疑う方がバカな気がしてくる澄み切った笑顔。

 であれば、それはそれで、俺にとっては好都合でもある。


(もうしばらくは、今まで通り好きにやっていいってことだろうしな)


 スピネル家が時間を許す以上、俺としても有意義に時間を使わせてもらおう。

 まあ、


(俺の人間性なんか、これ以上なにを見るの? ってな感じだけども)


 底が浅い分、王の器だとか指導者の資質だとか。

 そういうものがまったく足りていないってことは、メラネルガリア基準でとっくに明らかになっているはず。


(それでも)


 スピネル家としてはやっぱり、取り戻せるかもしれない王位継承権を、なかなか諦めきれないってことなんだろうか?


「あきらめろ〜あきらめろ〜」

「? 何をです?」

「なんでもない」


 片手をヒラヒラと振って、気にしないでくれと態度で表す。

 いかんな。今は息抜きで来ているのに、ちょっとした疑問から、ついストレスフルな思考に向かってしまった。

 生活に余裕余分があると、面倒なことを考えてしまうのが人間の欠点。

 まったく、これだから薪も自由に割れない秩序社会はいけない──と、俺がそう胡乱に脳を半回転させていると。


「……若様」

「ん?」

「招かれざる客が来ました」

「?」


 冷徹さをわずかに帯びたセドリックの警告。

 急激な温度変化に、すわ何事かとにわかに顔を上げて周囲を見渡すと、広場の周りを複数の影が囲んでいた。

 数は五、六……いや八。

 どれも大柄で、平均的な成人ダークエルフ男性とまったく変わらないシルエットをしている。

 つまり、身長二メートルはあるゴリマッチョマンの徒党のお出ましである。


「おいおい」


 しかも、手にはどいつもやたらと物騒な得物を抱えていた。

 剣、槌、ナイフ、縄。


(縄?)


 渋い。

 が、中には火かき棒なんてものまで。

 これはとにかく穏やかじゃない。

 しかし、


「……ホームレスか?」

「スラムの住人が何の用か! それ以上近づくなら、こちらも剣を抜くぞ!」


 疑問に思ったのと同時、セドリックが声を張り上げ眼光を鋭くする。

 男たちは全員、たしかにスラム民と言われても納得の格好をしていた。

 ボロい服に薄汚い身なり。

 メラネルガリアでは珍しくも見事なまでの卑俗さ。

 というより、下流市民に比べてもなお劣る落伍者のオーラとでも言えばいいか。

 けれど、


「…………」

「う、う〜ん。あんま『本物』っぽく見えないな」

「はい。偽装の可能性もあるかと」

「チクショウ。よりによって何で今日なんだ?」


 今まで誰も襲いになんて来なかったくせに。

 俺が羽を休めたいと、ちょっと人気ひとけの無い場所に来たら途端にこれかよ。


「いやまあ、そちらさんからしたら、絶好のチャンスだったんだろうけどね」

「…………」


 応答はなし。

 無駄口を叩かないところが、ますますプロっぽくてめちゃくちゃ嫌になった。

 何にせよ、


「単なる物盗りか、物盗りに見せかけたモノホンか」

「やりますか? 若様」

「ああ、やる」


 異世界はなんだかんだで野蛮なんだよなぁ。





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tips:巨人語


 ティタノモンゴットに棲む巨人たちの言語。

 文字イメージはバビロニア楔形文字とパスパ文字の融合である。

 全体的にカクカクした印象を与えるのは、巨人たちが紙よりも、石版に文字を刻む文化を発展させてきたため。

 彼らは雪深い山嶺に暮らしながら、ギガンティスエルクやティタノアルクトドゥス等を狩って暮らし、種族古来の神である黒白の双子巨神を今も敬虔に信仰している。

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