#075「レストランで」



 目が覚めると、すべては夢の中の出来事だった──なんて。

 都合のいい話があるはずもなく。

 翌日、夜が明けると、俺の胸中には「やべぇ……やっちまった」という後悔の念が広がっていた。

 というか、心配のしすぎできちんと眠れてもいない。どうしよう、隈ができてるかも。


「あー、マジか。大丈夫かな、これ……」


 我ながら、昨日はどうしてあんなことをしてしまったのか。


(ティアドロップには一応、黙っていてもらうよう約束をしたけど……)


 だが、口約束なんて今日日、何の保証にもなりはしない。

 メラネルガリアでの暮らしも、まぁまぁ落ち着いて来たと感じていた。

 腹違いの弟の件を除けば、なんだかんだ、どうにかなるだろうとも。

 しかし、昨日のあれはさすがにマズイ。

 無意識のうちに、俺は相当なフラストレーションを溜め込んでいたようだ。ついやっちゃったな☆


「鬱」


 てワケで、今日は〈学院〉をサボろうと思う。

 状況証拠以外は何も残していない。

 ティアドロップも無事に帰した。

 温室塔がやや悲惨なことにはなっているが、陰謀の主たちからすれば、騒動が起こったのは当然。

 〈学院〉全体を抱き込んでいたなら、ヤツらの方で最低限の後始末はするはずだ。

 その過程で、もし俺のコトがバレるなら……仕方がない。

 諦めよう。

 それだけの行いをしてしまった。

 どんな秘密も、最後にはバレるって相場が決まっている。そういうものだと考えよう。しーらね!


「んじゃま、最悪な休日を最悪なままに終わらせていいはずはないよな。俺は今日、徹底的にリラックスするぜっ」


 貴族の特権を味わえるのは最後かもしれない。

 そう考えると、人は途端にゲンキンな物の考え方をしてしまうもので。

 さあ、セバスチャンを呼ぼうか。


 ──チリンチリン。


 ベッド横に備え付けられている、使用人呼び出しのための鈴を鳴らした。

 こうすると、紐で繋がっている地下の使用人控え室まで鈴が連動し、しばらく待つことで、専属の使用人がお湯を張った洗面器などを持ってきてくれる。ああ、なんて怠惰なシステムだろう。素晴らしき貴族暮らし。


「おはようございます。若様」

「ああ。おはよう、セバスチャン」

「セドリックでございます」

「そう言わなかった?」

「ええ。今朝もまた、大変寝ぼけていらっしゃるようで」


 クスクスと笑いながら、一滴もお湯を零さずスムーズに動く完璧使用人。

 イケオジことセドリック・アルジャーノンは、今日も不必要なくらいキマッていた。


雪兎スノウレプスでもイける益荒男と知ってなかったら、思わずチェンジって言ってたところだぜ)


 男として尊敬に値する。

 名前を呼び違えるのは、気心が知れているがゆえの恒例ジョークのようなものだった。


「どうぞ」

「ありがとう」


 差し出された洗面機を使い、顔を洗う。

 ひとしきり終われば、心得ていたようにフワフワの布。

 滑らかな黒色タオルが、ナイスなタイミングでサーブされ、そのまま顔を拭いた。


「目は覚めましたか?」

「バッチシだよ」

「フフフ。それはよかった」

「あ、でも、体調は少し悪い気がするな」

「それはいけない!」


 セドリックは表情をクルリと変えて仰天する。


「お身体の具合は? どこがお辛いので?」

「大丈夫。大丈夫だって。ちょっとダルい程度」

「ホッ」

「でも、今日の〈学院〉は休むことにするよ」

「承知しました。もちろん、そうするのがよろしいでしょう」


 大事なお身体に何かあってはなりません。

 セドリックは大真面目に頷いた。

 この過保護者め。


「〈学院〉への連絡は任せてもいいか?」

「はい。もちろんですとも」

「ありがとう。いつも悪いな」

「何を仰います。若様にお仕えするのは、このセドリック何よりの幸福しあわせでございますれば」

「そう? じゃあ、ついでにもう一個、頼みを聞いてもらっていいだろうか」

「なんなりと。なんなりとお申し付けを」

「肉」

「は?」

「最高級の肉が食べたい。たしか最近、王都には大評判の高級レストランができたみたいじゃん?」


 クズブラックどもが自慢げに騒いでるのを聞いて、一度行ってみたいと思っていた。

 どうせ財布は、スピネル家が持つんだし。


「……若様」


 と、そこで。

 さすがにゲスい目論見が伝わったのか、セドリックは再度表情を変えていた。

 眉尻を下げ、困った顔でこちらを見下ろしている。


「な、なんだよー。別にいいだろ?」

「ハァ……仕方がありませんね。今日は平日ですし、人も多少は少ないでしょう。支度が済み次第、いつものように仮面をつけて下さるなら、王都に向かっても問題は無いかと」

「Yeah」


 貴族の役得。

 今のうちに存分、味わっておかないとな。








 ──で、やってくると。


「おお。こりゃすごい」


 王都に新しくできた高級レストラン。

 そこはまるで、宮殿のような豪華さだった。

 高い天井と煌びやかな装飾。

 全体の基調は黒色で統一され、アクセントにはシックなダークグリーン。

 メラネルガリアの上流が好む伝統的な彩色である。

 どこかから聞こえてくる悠然とした音楽。

 店内の雰囲気は落ち着いていて、華美ではあるが派手ではないオシャレな印象を覚えた。

 暗澹としつつも闇深くはなく。

 それでいて、見るものを圧倒する暗黒の照明美──


「まさに、これぞダークエルフの世界って感じだ」


 貴族御用達店は、さすがに迫力が違う。

 ただ食事をするだけの場所なはずが、こうまで贅沢を凝らすなんて。

 これはきっと、さぞかし上等な肉が味わえるに違いなかろう。

 俺はワクワクして席へ座った。


「若様。改めて注意をお願いしますが、ここ以外では決して仮面を外さないようお願いいたします」

「ああ、分かってる。わがまま聞いてもらったからな。約束は破らないって」


 念押しするセドリックに、安心してくれと頷く。

 外食を望んだ以上、祝福隠しの仮面は当然。

 正体隠しのため、わざわざ人払い済みのバルコニー席まで押さえてもらった。

 ここ以外で仮面を外してしまうのは、さすがにセドリックに申し訳ない。

 神々の祝福は、誰に感じ取られるか分からないからな。俺にはまったくどんな気配なのか分からないけど。

 ホント、厄介な体質で困る。


「では、私はお食事を取って参りますので、しばしお待ちを」

「うん」


 セドリックは給仕まで自分でこなす徹底ぶり。

 ありがたいが、俺は少しだけ心配のしすぎじゃないかと彼の背中を追う。

 真面目でイケメンで、常に物腰穏やか。

 忠実かつ善良。

 そのうえ有能とまでくれば、文句のつけようはない。

 だが、


「……俺が王位を継ぐ気がないって、もう知ってるはずなんだけどな」


 そればかりか、貴族位にすら興味が無いことも。

 だというのに、セドリック・アルジャーノンの態度には、ヴォレアスからここまでいささかも変化が訪れていない。

 無論、気心が知れて多少の打ち解け感は出ているが、根本的なところは微塵もブレない忠臣ぶりだ。


(何つーか、俺が王子であることとか関係なく、それ以外の理由で忠誠を誓ってる感じがするんだよな)


 そして、それは恐らく、メランズール・アダマスの血縁上の母親。

 ルフリーネ・アダマスに関係しているとも。


「……どんな女性ひとなんだろう」


 首飾りに触れて想像する。

 出来損ないだった俺を、国外に逃がす選択をした女性だ。

 決断力があり、勇気を持った強い輪郭を想像したいものの──と、そんなところで、


 カツ、カツ、カツ。


 足音が近づいていた。


「ん? 早かったな」


 一階の厨房から二階のバルコニー席まで、距離はそれなりにあり、往復をすると十分以上はかかると予想していた。

 だが、セドリックは思いのほか、素早く料理を持ってこられたらしい。


(まだ体感、片道五分程度の感覚だったけど……)


 完璧執事は縄張り外でも、ソツなく仕事をこなす?

 おいおい。ムキムキマッチョでドラゴンとも戦えるのに、いったいどれだけ長所を増やしてしまう気だ?

 デキる男の有能性に、メラメラとジェラシーが湧き上がってくるぜ。

 そう、俺が仮面に手をかけ、危うく素顔を晒しそうになった瞬間──


「……いや、セドリックじゃないな。そこのオマエ、誰だ?」

「あら。バレてしまいましたか」


 姿を現したのは長い黒髪の女だった。


「ごめんなさい。覗き見なんて、ついはしたない真似を。どうかお許しになって?」

「オマエ……」

「うふふ。驚きましたね? ですが、わたくしも驚いています。

 こんにちわ。ご機嫌よう。これはまた、珍しいところでお会いしました。仮面の君」

「フィロメナ・セレンディバイト」

「ええ。わたくしです」

「〈学院〉はどうした? なんでここに?」

「まあ奇遇。わたくしもちょうど、貴方様に同じ質問をしようと思っていたところでしてよ」


 相席よろしくて?

 王太子ナハトの婚約者候補筆頭。

 黒深艶家の令嬢は、返答を待たずそのままするりと対面に座った。





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tips:黒き豊穣の芳醇


 メラネルガリアの王都に新規オープンした貴族御用達レストラン。

 新規オープンしたばかりなのに御用達なのは、王都にもうひとつある老舗の系列店なため。

 秘密の会合や密会に使える個室が複数あるのだとか。

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