#074「とんだ休日」
怪人道の種族と遭遇するのは、これで二度目になる。
(一度目は忘れもしない)
霜の石巨人。
ノタルスカ山麓のフロスト・トロール。
ヤツらのコトを思い出すと、俺の脳裏には常に歪んだ嘲笑が浮かび上がって憎悪が止まらない。
剥き出しになった黄色い歯。
獲物をいたぶる下劣な知性。
怪物的な人類。
人かどうかも怪しいと貶されたところで、何も不思議には思わない。
少なくとも、俺の知っているトロールって種族は、とんでもなく度し難い性質をしている。
たとえ
(間近で接して、肌で感じる悪意……)
実際に攻撃され、右足がグチャられたのだって忘れちゃいない。
だから、正直に告白しよう。
俺は怪人道の種族が嫌いだ。
怪人道というだけで眉間に皺が寄る。
トロール? クソ喰らえ。
「でも、偏見はよくないから念のため。俺ラズワルド! アンタ名前は!?」
「プルァァァァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ッッ!!」
「ああ、エルノス語はできない感じ?」
「──ば、バカなの!?」
メラネルガリア語で発せられた、ティアドロップの愕然とした声にかぶりを振る。
分かっているさ。
今のはただの最終確認。
オークとは一応初めて対面するから、とりあえず話しかけてみただけ。
正気が無さそうなのは一目見りゃ察せられたし、言うなればダメでもともと。
結果は出たので、そう責めなくともボチボチ気合を入れる。
「三、二、一」
「!? ちょっ、アナタなんで逃げっ」
ないのか。
そう続くと思われた言葉は、強制的に切断した。
「後で謝るから許してくれ」
「──きゃッ!?」
「プルルァァァァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ッッ!!」
オークの咆哮。
苛立ちの混じるそれは、間一髪で獲物を取り逃した自らへの叱責か。
俺はティアドロップを抱え、真っ直ぐに逆方向へ疾走する。
温室塔の出入口はひとつしかない。
逃げろというなら、当然ティアドロップも連れていく。
少女は腕の中で、パチパチと目を瞬かせていた。
「ど、どうやって? いえ、というより……どうして私を!?」
「喋るな! 舌を噛むぞ!」
「ッ!?」
スピードを上げ温室塔内を駆ける。
背後からは早速、「プルァァァァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ッッ!!」という雄叫び。
オマエは人造人間の亜種か何かか。
(いったい何だってんだ?)
あのオーク、完全に我を失っているぞ。
(毛も無いし新種?)
分からないが、本で知ってるオークの特徴と合致しない。
体毛などゼロに近かった。
パッと見はやはりハダカデバネズミ。
しかし、交差した瞬間に目の当たりにした薄桃の外皮は、どちらかというと象の足裏を連想させる。
その一方で、
「……軽いな! ちゃんと食ってるのか!?」
「は──はぁ!? なに!? なんなの!?」
ティアドロップの体は、思っていたより大分軽めだった。
ダークエルフの女性は種族的にムチムチしやすいので、俺はてっきり、ちょっとくらいは重さを感じるかと想像していたが。
(やはりいろいろ成長途中か……)
ティアドロップの体は、
(いや、それとも……これは俺がおかしいのかな)
自分の体がどの程度の膂力を持つのか。
今じゃまったく、把握し切れていないのだ。
とはいえ、
「どっちにしろ、穏やかじゃあないな」
「だから! さっきからアナタ、何を言っているの……!?」
「プルルァァァァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ッッ!!」
ドシンドシンドシン!
地響きにも似た足音で怒り狂うデカブツ。
その突進はまるで、1Tトラックの激突か。
鉄柵や煉瓦の花壇を粉砕して、オークはたじろぐことなくこちらを追う。
ダークエルフがいかに丈夫な種族といえども、こんなのは俺ですら潰されてしまう。
ティアドロップなら文字通り、ぺちゃんこだ。
俺は段々イライラして来た。
「警備はどうなってんだ警備はッ」
仮にも王侯貴族の通う学校だぞ。
厳重な警備体制で、侵入者対策とかされてるんじゃなかったのか?
あのオーク、相当まずい。
俺は精一杯舌打ちを堪える。
そこに、ティアドロップが頭痛を堪えるように言った。
「──ねえ、ねえってば!」
「なんだ!」
胸を叩かれたので返答する。
「止まって。それと下ろして!」
「なぜ!?」
「警備に期待しているなら無駄! あの奴隷は主人の命令を果たすまで、決して足を止めない!」
「はぁぁ!? どういうことだ!」
状況が一気に七面倒臭いものに変わる。
「これは私を狙った
「なんでそんなコトに!?」
「いちいち説明が必要!?」
ティアドロップは自身の髪色を指し、うんざりした面持ちを作った。
マジかよ。本当にそんな程度のことで、ここまでされなきゃならないのか。
「分かったなら、さっさと私を置いて逃げて!」
「できん!」
「なんでよ!?」
「俺は他とは違う!」
「ッ〜〜!?」
狼狽えるティアドロップをしっかり抱き締め、鉄柵を踏む。
障害物を利用すれば、少しは距離を離すことができるだろう。
そんな俺に、腕の中の少女は意固地になったように暴れ始めた。
「こら暴れるな!」
「いいから! アナタのことはセラスからも聞いてる! 貴族の世界も陰鬱な暗闘も、何も分かっていないんでしょう!? アナタは私たちに関わらなくていい!」
キッ、と鋭い眼差し。
姉と違って柔らかめの眦のため、いまいち威圧感には欠けるが、どうやらこの娘はこの娘なりに、こちらを気遣ってくれているようだ。
(この──似たもの姉妹め!)
俺は「チッ」と舌打ちした。
元より見過ごすつもりは欠片もない。
だが、これではますます選択肢が限定されてしまう。
それに、
「
「そうよ!」
「……心外だな! これでも俺は、そういう
なので、評価を決めつけるにはちょっとばかし待ってもらいたい。
「──クソ」
足を止める。
ティアドロップを慎重に下ろす。
「あ、え?」
「分かったよ。これが君の言う通り、仕組まれた展開だってんなら、どのみち逃げ続けていたところで状況は変わらない──怪我はないか?」
「え、ええ。大丈夫」
「よし。なら、これから起こることは俺たちだけの秘密ってことで、よろしく頼んだ」
「アナタ、急になにを……?」
困惑する少女に、背中を向けて首を鳴らす。
パキリ、ポキリ。
「プルルアアァァアアァァァァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ””ァ”ァ”ァ”ァッッ!!」
「まったく」
とんだ休日だよ。
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────────
────
──
その日の夜。
セラスランカはオブシディアン邸で、不可思議なものを見た。
「ティア?」
「…………」
妹のティアドロップが、何かひどく考え込んでいる。
椅子に座り左手で右肘を支え、
それだけなら、別に日頃からよく見かける何でもない光景だが、〈学院〉から帰宅し数時間経っても、食事も取らずお茶も飲まず。
一言も喋らないで延々黙り込んでいるとなると、明らかに様子がおかしい。
(ティアは今日、王碩院に呼ばれて、薬物塔の導師に
セラスランカから見ても、それは道理の通らないまたもやな嫌がらせだったが、ティアドロップは「いつものコト」と特段気にした様子もなく馬車へ乗った。
そこまでは把握している。
大雨の中、冷たい風に晒されて、風邪を引かなきゃいいけどと心配もしたからだ。
しかし、
「…………ねえ、セラス」
「あら。やっと口を開いたわね。なに? どうしたの?」
「……スピネル君のことだけど」
「? スピネル? それって、ラズワルド・スピネルのこと?」
「ええ」
「アイツがどうかした?」
「……………ううん。やっぱり、なんでもない」
物憂げなティアドロップは、どこか当惑した気配で口を噤んだ。
いったい何だというのかコレは。
(怒ってる、ってワケじゃ……なさそうよね)
敵意があるでも害意があるでも。
だからこそ、セラスランカには見当がつかなかった。
ふたりにとって、他人とはおしなべて敵である。
誰かについて思い悩むとき、それは大抵、どう報復したものかと手段に逡巡している場合か、どう罠に陥れようかと画策している場合。
だというのに……
「まさか、あの田舎者に何かされた?」
「違うわ。むしろその逆」
「……逆、って……じゃあ、いったい何があったのよ?」
「悪いけど、言えないわ」
ギュッ、と。
胸を押さえて黙り込む最愛の半身。
その様子は、市井の間で昨今流行り始めた、趣味本のような
(……嘘でしょ? この子、自覚はあるワケ?)
セラスランカは途方に暮れて思った。
よく分からないが、どうやらあの変人、とんでもないことをしてくれたらしい。
雨の日の〈学院〉で、何があったのだろう。
こんなコトなら一緒に、朝ついていけばよかったとセラスランカは後悔した。
まあ、いい。
(私たちの感情を乱すなら、何であれ『敵』と考えるわ……)
明日からは、そういう態度で臨んでいく。
弁明があるなら、言ってみればいい。
────────────
tips:王碩院
一つのメイン塔と複数のサブ塔で構成される。
〈学院〉では最も渡り廊下が多い。
中心にある講堂塔を、車輪のような形でサブ塔が取り囲む。
書庫塔、研究塔、薬物塔、温室塔、政経塔、神智塔などなど。
時代によって、必要な分野のサブ塔が必要な分だけ解錠される運営。
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