#050「アレクサンドロの述懐」



 洞窟での暮らしは、およそ快適とは程遠い。

 異界渡りによる不時着から、およそ三ヶ月。

 冷たく硬い地面の感触に、アレクサンドロは呻き声を漏らしつつ身体を起こした。


「……ぬぅ」


 洞窟での朝は、いつも変わらずこの忍耐から始まる。

 パキポキと音を鳴らす関節。

 寝ている間に、石のように凝り固まった節々。

 それらを慎重に解きほぐしながら、痛みとも快楽とも呼べぬ独特な感覚にしばし身を浸し、あくびと一緒に体を覚醒へ導く。


「……はぁ」


 やがて、深呼吸をし角水筒を顔へ。

 貴重な飲み水だが、じきに補給が来るので惜しみなく水で顔を洗う。


「ッゥ〜……!」


 シャキッとしたところで、次にアレクサンドロはここの生活における生命線、焚き火をチェックした。

 壁と屋根があるとはいえ、洞窟での寝泊まりはれっきとした野宿。

 追加の薪を焚べて、熱源を維持したら、続いて手持ちの携行暖房器具──暖気灯の手入れへ移行する。


「……フン」


 問題なし。

 記憶の中の暖気灯と比べ、やはりずいぶんと小型化されているが、不思議なことに授けられている『祝福』は本物だ。


 ──創造の女神カルメンタ。


 人類とその文明を愛し、アレクサンドロたちに〝聖域〟の加護を授ける善神。

 世界を見捨てたエル・ヌメノスの席を奪い、次代の世界神と奉じられしモノ。

 渾天儀教を駆逐した新世界宗教……カルメンタリス教の絶対神は、どうやら今もなお人類圏を強く支えているらしい。


「ありがたいことだ」


 呟き、感謝の気持ちを神へ捧げる。

 いまのアレクサンドロは、あいにくとここ数千年の記憶を損なっている状態ではあるが、それでも、全てを失ってしまったワケではない。

 女神カルメンタを信仰していた事実は、幸いにも記憶していた。


「しかし、いまの時代の秘宝匠は……どれだけ技術を発展させているんだ……?」


 これほどに小さな暖気灯など、古代では想像すらできなかった。

 ましてや携行可能にし、旅人や行商人に安堵を与えるなど、信じられないほどの技術革新。


(退魔、降魔、破魔)


 聖具には三つの格付けがあり、この暖気灯はせいぜいがお護りアミュレット程度の、小さな〝聖域〟しか作ってくれないものの、それでも十分な魔除けである。

 少なくとも、亡者の念に代表されるを近寄らせない程度には、きちんと効能を発揮していた。


(現代の職人たちは、きっと、さぞや地位を向上させて儲かっているんだろうなァ)


 人類文明を愛する女神は、人類の文明に惜しみない祝福を与える。

 神のお眼鏡にかなうほどの類まれな腕前を持つ職人であれば、カルメンタ神はいっとう深く寵愛を注ぎ、一芸を極めた職人は文字通り、いつでも己が創意のもとに〝聖なる作品〟を創造できる。


(……秘宝匠)


 神の祝福を得て、〈聖具〉を造る資格を得た清廉なる職人。

 彼らの技巧とその業の精緻は、決して軽々しく余人には明かされない。

 神の寵愛を授かるほどに洗練された〝工程〟は、文字通り命よりも重い秘密。

 職人たちは自身の研鑽、その結晶である〝作品〟を何よりの宝と承知しているし、その価値を生涯をかけて誇りに変え、また証明していく──ゆえに。


(誰が言ったか、ってな)


 カルメンタリス教圏では、ときに一介の鍛治職人が、国王よりも発言力を持ったという逸話まで存在している。

 なので、現代においては、いったいどれほどの高権威になっているか……


「……複雑だな」


 過去、アレクサンドロは街の衛兵から豪族の傭兵、最終的には地方領主の騎士という形で国に仕えた経験を持つ。

 そうすると、カルメンタリス教の信徒として、秘宝匠には当然それなり以上の敬意を持つのだが、ときにそれが要らぬいざこざを招きもした。

 国に仕える以上、王侯貴族や主君の命には、どうしたって従う必要がある。

 されど、


 ──支払いが足りない? バカを言うな。いいからさっさと品を受け取ってこい!

 ──愚かな領主め、十分な金が払えぬなら絶対に品は渡さぬぞ!


 人間はなぜ、どうしてあんなコトで揉めるのだろうか。


(ああ……)


 まったく以って、ままならない。


(……ままならないと言えば)


 アレクサンドロの仕えた国が、現代ではとっくのとうに滅びているというのも、にわかには信じ難い感覚だった。


「偉大なるセプテントリア。史上で唯一、北方大陸グランシャリオを統一した貴き王朝がな……」


 時の経過は無情である。

 アレクサンドロはいま、『知識』として祖国の滅亡を記憶しているが、その当時に得たであろう諸々の感情──自分なりの折り合い、〝区切り〟というものがすっぽりと頭の中から失われてしまっている。


 果たして、失われた記憶の内に、この寂寥を打ち破るだけの〝何か〟が存在するだろうか?


(あるといいんだが)


 でないと、長寿種族はおりのように感情を堆積させるだけ。

 アレクサンドロはべつに、自分を愛国の徒とは思っていない。

 国に対する帰属意識がすこぶる強いかと言えば、まあ、人並み程度だと感じるくらいだ。

 貴族として生まれたワケでも、何か大きな役職を担う大人物だった、というワケでもない。


 一介の衛兵。

 傭兵上がりの田舎騎士。


 恐るべき魔物を退治したことも、取り立てて胸の張れる鮮烈な武功を挙げた戦歴も皆無。

 今ある記憶を頼りに、自分がどういう人間だったかを考えると、ただ身の周りの安全、周囲にいる人々の幸福な笑顔。

 穏やかな暮らしを少しでも守れればと思い、実際、三百年以上はそうして過ごしていただけの凡庸な男に過ぎない。

 だが、それでも、


「あの国の一員だった者として……やはり寂しくはある、か」


 たったいま失ったと思ったものが、実はとっくに失われていた。

 そういうどうにもならない失意の鳥籠には、なるべくなら入りたくない。

 まるで自分だけ、誰も彼もに置き去りにされてしまったような錯覚に陥る。


「いや」


 錯覚ではなく、事実としてそうか。

 記憶の喪失は、繰り返さなくていい寂寥を繰り返させる。


(早いところ、どうにかして取り戻さないといけないな……)


 しかし、三ヶ月ほど経っても〝必要なもの〟がまったく思い出せない。

 本当ならアレクサンドロは、今頃はとっくに体力と記憶を回復させているはずだった。

 自分自身でも何故そう思うのかは分からないが、たしかな実感としてその確信がある。

 他人に説明することは難しい。

 そのくらい、不可思議な確信ではあるが……


(──単なる直観というだけじゃない。

 いったい何だ? この、は……)


 まるで肺胞を内側から掻き毟りたくなるような。

 姿の見えない騎兵に、数十人がかりで追い立てられているような。

 背中から覗き込み、心臓の裏側、脳髄すべてを鷲掴みにされるような如何ともし難い焦り。


 ──つまり、どうあっても逃れることができない。


 目を覚ましたその瞬間から存在し、こうしているいまも、眠っている夜でさえもアレクサンドロの安息を脅かし続ける。


 ゆえにこそ、この洞窟を出るのはダメだと即断していた。


 この焦燥の原因は分からないが、もしアレクサンドロが異界渡りを行ったコトに関係していた場合、なにか、ひどく重大な真実を忘れているコトになる。

 第一、アレクサンドロは、自分が死線にいる気がしてならなかった。

 けれど、


(この身は、そうした〝危険〟に慣れている……)


 戦士としての自覚。

 死線を行き来することが常であるならば、必然、それ相応の備えをしていて当然。

 おそらくではあるが、アレクサンドロにはこの焦燥に対する特別な対抗策があったはずである。

 しかし、それがいったいどんなものだったのか、まるで思い出すことが出来ない。


(ああ──)


 もどかしすぎて、吐き気がする。


(……だが、まあ)


 それを、この土地で得た新たな友人に気取られる不始末だけは、少々いただけない。

 ダークエルフの幼童。

 名はお互いのため、敢えて聞かないままにしているが、そろそろ彼の子どもが様子を見に洞窟ここへやって来る頃合だ。

 いろいろと複雑な事情を抱えていそうなダークエルフだが、アレクサンドロはあの子どもをかなり気に入っている。


「ハッ……そりゃそうだ」


 助けられておいて、恩義を感じないほどアレクサンドロは礼儀知らずではない。

 まつろわぬ民ならば、生活の厳しさは知れている。

 そのうえで、あの子どもはアレクサンドロを匿い、且つ食事の面倒まで見てくれる親切ぶり。

 性格も特段悪いところところは見受けられないし、それどころか、あの歳で大した気構えだと感心すらしている。


(未知のものへの警戒と慎重。何を優先し何を守るか。最低限の一線は意識しつつ、けれども、可能な限りは他者に救いを差し伸べる)


 およそ二桁に届いたばかりの幼童とは思えぬほどに、できた人間と言えるだろう。

 外見的特徴は貴種中の貴種としか思えないが、王侯貴族の落胤でその辺りの所作を身につけるなど、きっと生半な人生を歩んでいない。

 年齢に見合わぬ苦しみは、人を早くに成長させてしまう。

 言い換えれば、それは幼年期の剥奪ではあるが。


「ま、珍しい話じゃない」


 不幸など何処にでも転がっている。

 親のいない子どもも、幼くして一家の長にならなければならない子どもも、世には腐るほど氾濫している。


 戦争、略奪、天災、飢饉、疫病、怪人、地竜、魔物。


 死は常に身近であり、だからこそ、男たちは強くならねばならない。

 大切なものを守るには、どれだけ力があっても足りないからだ。


(その点で言えば……)


 あの幼童は、なかなかに筋がいい。

 打ち合いの最中、アレは頻りに「怖ぇよ!」などと叫ぶことがあるが、末恐ろしさで言えばアレクサンドロの方こそ激しく感じている。

 あれから、かれこれ二十を超える実戦式の稽古を続けているが、対戦中、アレは常に瞳孔がカッ開いているのだ。


(脳でヤベェ物質、ドパドパ分泌してやがんだろうな……)


 最初は瞳の力かとも思ったが、あれは半分、当人の特性だろう。


(いるんだよなぁ、鉄火場に身を置いた瞬間、ウソみたいに自己を切り替えちまえるヤツが)


 意識の交代スイッチ

 自己暗示による潜在能力の解放。

 集中力が一時的に限界まで向上する時間帯ゾーンへ、意図して潜航する異才。


(……呼び方は様々あるが、ありゃおそらく、生存本能のたががバカになっちまってやがる)


 いったいあの歳で、どんな地獄を体験したのか。


(何か……そう)


 人生観をひどく引っくり返すような、絶体絶命の窮地にでも陥り、間一髪で命を拾った。

 そういう経験をしないと、あの手の切り替えはなかなかできるようにならない。

 斧を握ったかと思うと、途端に動きのキレが変わるのだ。

 本人に自覚があるか、そのうち確かめてみたいと思っているところだった。


「……凡庸なオレには、何とも教えづらい限りだよ」


 正直、始めは子どもと思ってかなり手加減をしていたが、いまじゃ基本的な身のこなし──臨機応変に使えるオールマイティな山猫流を、ほとんど自分の物にされてしまった。


(天賦の才能があるワケじゃない)


 どちらかというと、もともとの才能それそのものは、凡愚の域を出ないはずだ。

 しかし、前述した生存本能の先鋭化。

 斧と一緒に肉体の枷を解き放つあの特異性が、およそ吸収力という面でも、驚異的な成長率を叩き出している。


(追い込めば追い込むほど伸びる)


 おもしろい。

 ただ、惜しむらくは盾が無いこと。

 そのせいで、完全な山猫流でなく、変則的な山猫流になりつつある。


(けど、ありゃ大丈夫そうだな)


 多少の不足を補ってあまりあるほどに、本人の伸び代が凄いのも事実。

 特に、瞬間的な〝見切り〟と、攻めると決めた際の〝緩急〟……


(動きそのものは、山猫の柔軟性と敏捷さを保持している。それでいながら、振るう一撃は大狼にも迫りかねない強攻撃)


 斧という元々の武器の特性もあるが、は間近に接すると、かなり恐ろしかった。

 剣などと違い、斧はその用途がほとんど『割断』に一極化している。

 おかげで、食らえば即座に致命傷だという危機感が半端じゃなく大きい。

 ダークエルフの筋肉量と筋密度が、人間道のなかでも上位に位置することも脅威性に拍車をかけている。


(ありゃ、将来は〝動ける重戦士〟だろうな)


 成長すれば、縦横無尽に戦場を駆け跳ねる死神になりかねない。

 ひとつひとつの一撃が信じられないほど重く敵を打擲ちょうちゃくする、金剛のような斧戦士だ。

 ハルバードやバルディッシュを持たせれば、どこまで化けるものやら知れない。

 今現在の実力でも、並のゴブリン程度であれば複数相手にしたところで、何の問題にもならないだろう。

 一対一であれば、トロールでも倒せる可能性がある。

 少なくとも、そのくらいの将来性を期待する程度には、伸び代を感じていた。


(だが)




「うーっす。朝飯だぞー、アレクサンドロ」




「……」


 洞窟の入口から、間延びするように届く聞き慣れた声。

 瞬間、大気温がガクンッ! と低下していく。


(……やはり、気のせいではない、な)


 底冷えのする洞窟内が、さらに寒さを増していく。

 炎の勢いに変わりはない。

 それなのに、たしかな現象として焚き火の熱が急激に弱まった。

 反面、暖気灯の熱は徐々に強まる。


「……チッ」


 アレクサンドロにはそれが、日に日に無視できない問題に変わっていた。

 ともすれば、今すぐにも立ち上がり、問題の源を力づくでどうにかしたくなるほどに。


(なぜだ……?)


 この身は、幼童を手にかけたいと望む鬼畜なのか。

 それとも、喪失された記憶の内、真実の己が懸命に告げている?



 ──そうだ。其処だ! オマエの敵は、其処にいる!

 ──オマエの運命は、すぐ其処に横たわっているぞ!

 ──█を探せ。█を取れ!

 ──オマエの人生目的は、█████を█すコトだったはずだ……!



「ッ!?」


 激しい頭痛。

 コメカミに走った耐え難い痛み。

 アレクサンドロは思わず顔をしかめ、近づいてくる軽快な足音に急ぎ平静を取り繕った。



「……? あれ、もしかしてまだ、寝起きだったか?」

「──いや」



 なんでもない。

 アレクサンドロは糧食を受け取り、努めて何事も無かったように焚き火に薪を追加した。

 頭の中は、なおもザラついている。

 瞳の神秘だけで片付けられる話ではない。

 これは異常だ。

 明らかな異界の徒だ。


(……小僧。オマエの全身からは、なぜ、そんなにも『第八』の悪臭が漂う──?)


 事と次第によっては、アレクサンドロは真性の外道クズに堕ちなければならない。

 その予感が、ハッキリと、胸の底を震わせていた。







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tips:〈聖具〉


 聖なる職人が創り出す工芸品類全般。

 創造の女神カルメンタによる護りの祝福が宿っている。

 人類文明を愛するカルメンタ神は、人類文明を守るために〝聖域〟の加護を与えた。

 その特徴は分かりやすく言うと、機能の増幅および結界。

 よって工芸品とはいうが、その対象は普段使用している日用品類から、大きいものでは建築物までと非常に種類が広範。

 貴重な文化遺産、都市遺跡、誰もが認める芸術。

 目に見える『奇跡』は、容易く旧き信仰を駆逐した。

 なお、三つの格付けは以下の通り。


 上質:退魔

 高級:降魔

 至高:破魔


 秘宝匠製であるという時点で、品質は確実に保証されている。


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