#038「薬草採取を兼ねたデート」
「最近のラズくん、かなりクサイ」
「なん、だと──?」
ある日のことだった。
俺が屋根裏部屋で
(俺が、クサイ……?)
クサイとは、〝臭い〟の意か?
(だとしたら、心外にも程がある……)
これでも衛生観念にはかなりの気をつかっている。
ニドアの林じゃ、粗末ながらも自作の湯船だって作ってたんだぞ。
(未知の病原菌とか超絶怖かったからな)
無論、今でも怖いが。
とはいえ、ヴォレアスにやって来てからは毎日入浴もしている。
ママさんが徹底しているのだ。
この家で暮らすようになってから、俺は本当に一日たりとも風呂を欠かしたことがない。
(それに……)
この世界じゃどうやら、樹木だけじゃなく疫病の類いも
シャンプーもボディソープも無い世界で清潔感を保つには、必然、長い時間をかけて汚れを流し落とすしかない。
だというのに、そんな俺が……
「クサイだって?」
フゥ、と溜め息を吐いて、アメリカ人みたく肩を竦めてみせる。
「臭いものは、臭いよ?」
「スぅ──うそだね」
やれやれケイティナよ、バカを言っちゃあいけない。
俺は内心の動揺を必死に誤魔化しながら、平静を装った。
すると、そんな俺の態度に、ケイティナは一瞬胡乱なものを見る目つきと変わり、されど数瞬、ニッコニッコの笑顔でド正論をかましてきた。
「だってラズくん、この頃ずっとお肉の解体してるじゃん。毎日お風呂入ってても、毎日お肉触ってたら、そりゃ臭くなるよね」
「バババ、バッカッ! オマエっ、肉は人生の彩りだるぉ!?」
俺はしゃぶっていた干し肉を、ゴクンと飲み込んで吠えた。
狩猟空間が解放されてからこちとら、捕れた獲物は屋根裏部屋で保存食に加工している。
外に置いておけば自然の力で勝手に冷凍保存されるため、ぶっちゃけ干し肉を作ったり燻製肉を作ったりする必要はまったく無いが、もはやこれは魂に染み付いてしまったクセなのだろう。
獲物の解体作業に取り掛かると、無性に干し肉と燻製肉を作りたくてたまらなくなった。
なので、
「いいですかケイティナさん。お肉というものには鮮度があります。時間が経てば経つほどに、お肉の旨味とは死んでいくものなのです。だから人の手が必要なのです」
「う〜ん……言わんとしていることは何となく分かるけど、でも、屋根裏を屠殺場の血抜き室みたいにされるのは、同じ家に暮らしている住人として、正直どうにかしてほしいの一言しかないんだよね」
「ぐぬぬっ」
完璧な正論にぐうの音しか出ない。
俺もたしかに、家の中から獣血臭が漂いはじめるのは嫌だった。
その原因が屋根裏部屋──もとい、俺自身だというのなら、なおさらに。
「……一日一回の風呂じゃ、誤魔化しも効かなくなっちまってたか」
「というか、鼻マヒしちゃってたんじゃない? 仕方がないんだろうけど」
言いながら、ケイティナは天井から吊るされた
「っと、そこ気をつけて」
「え?」
「今朝捕まえた
「……うわぁ。外でやればいいのに」
「凍っちまって無理。それより、夕飯は木の実の風味のカリュオネスシチューとかどうだろう?」
「木の実の風味?」
「そいつの肉、クルミとかナッツ的な香りがするんだよ。本によると、ベリーの香りのヤツもいるらしい」
「へ〜? さすが狩人さん。いいね。悪くないかも」
ケイティナは感心した様子で微笑む。
畜犛牛を狩って帰ってきてからというもの、ママさん含めこの家の女性陣は、すっかり俺を一端のハンターとして認めてしまった。
(そりゃ、驚いてもらうのは愉快だったけど)
正直なところ、俺としてはそこまで自分を認めてやるつもりにはなれない。
たしかに、『北方の動植物』を読んだことで幾らかの獲物の生態を学び、その特性を利用した効率的な罠だったり狩りの仕方を構築しつつはある。
たとえば、今しがたの
けど、それ以外の直接的な戦闘による狩りだと……
(ただ斧をブン投げて、雑に殺してるだけだからなぁ)
狩人って言葉の響きからは、かなりかけ離れた
ダークエルフの肉体が脳筋すぎるのもいけない。
まだ十一歳くらいだが、第二次性徴の初期? を迎え始め、なんというか筋密度がギチギチに上がっていってるのが分かる。
弓や槍も一応試してはみたのだが、
(弓は弦がちぎれて、槍は危なっかしすぎて下手に扱えない)
前者は単純な強度不足。
というか、劣化していてダメだった。
後者は逆に、想像していた以上の凶器になりそうだったので、使うこっちがビビってしまって振り回すのをやめた。
少なくとも、現状の狩りで必要な武器じゃない。
突くのならまだしも、薙ぎ払いは遠心力もかかって不必要に獲物を傷つけすぎてしまう。小型の獲物をぐちゃぐちゃに叩き潰してしまった感触は、今でも拭いがたい。
その点、斧はコントロールが楽だ。何より手に馴染んでいる。
自分でも不思議なほどだが、斧という道具は今では自分のカラダの延長のように一心同体だった。
きちんとした手入れのためにも、麻実油か亜麻仁油が欲しい。
この世界だと、植物油というと芥子油が一般的らしいが……
「──ぇ。ねぇってば!」
「っと、悪い」
「もうっ! ラズくんのそれ、悪いクセだよ? そうやってよく物思いに耽るの」
パシッ、とはたくように肩を押された。
俺は軽く謝りつつ、そういえば、まだケイティナが屋根裏にやって来た理由を聞いていなかったなとハッとする。
「あー、それで、ティナさんここに何しに来たんで?」
「まるで私が来たらイヤみたいな言い方!」
「いや、そんなことはないけど」
ただ悪臭の文句を言うだけなら、わざわざより悪臭のキツい空間に足を運ぶ必要はない。
悪臭の主は、どうせ必ず降りてくるのだ。
服を汚すリスクまで負って、ケイティナが屋根裏に上がってくるメリットは無いように思えた。
「ま、いいけどね」
「?」
「それよりラズくん、早く準備」
「準備?」
いったい何の?
思わず呆気に取られて聞き返す。
すると、ケイティナは急に満面の笑みになって、ずずいと勢いよく顔を近づけてきた。
「決まってるでしょ。デートだよ!」
「…………ぱーどぅん?」
この小娘は、また何を言ってるのかな?
「──つまり、ママさんに頼まれたお使いか」
「……まあ、そうだけど」
ラズくんって、ひどい男の子だったんだね。
五十メートルほどの石階段をおっかなびっくり
ケイティナは地上に下り立つと、恨みがましい眼差しでボツリ呟いた。
どうやら降りてくる途中、何度も〝転びそうなフリ〟でからかってしまったのがよっぽど腹に据えかねているらしい。
俺は再び謝りつつ、風に煽られ緩んだストールの巻きをしっかりと直す。
「ほら、ちゃんと巻いとけ?」
「……むぅ」
口元をすぼめて唸るところはまだまだ子ども。
まったく、こんな口で何がデートか。生意気を吐かすのは十年早い。
話を問いただせば、要は単なるお使いでしかなかった。
事の運びは実に簡単。
──ママがね、薬草を採ってきて欲しいんだって。
──薬草?
──うん。軟膏とか薬液とか、そろそろ新しいのを作っておきたいみたい。
(つまるところ、最近になって地味に生傷が絶えない誰かさんのためだわな)
要するに俺だ。
身体を動かしてるんだから当たり前だが、擦過傷や打撲だったり、そういう小さな怪我の手当てには、これまでも幾度となくママさんの世話になっている。
曰く──魔女の軟膏、魔女の飲み薬。
魔女の、とつけると途端に何でもファンタジーな感じに聞こえてしまうが、実際はただの軟膏だし、ただの薬液だ。
前に一度、材料を使って作っているところを見せてもらったことがあるが、ファンタジー的な要素は本当に何一つとしてなかった。
鍋でグツグツ、擂鉢でスリスリ、出来上がったら小瓶に入れて保管。
(てっきり、RPGのポーション的なものを作ってるのかと思ったんだけど)
──右足を治した時の薬? 残念だけど、アレは違うわ。あの秘薬は快復を早めてくれるだけ。それなりに貴重だし、私じゃ作れないけど、霊薬ほどの効能は無いの。
ママさんはどこか哀しげにそう答えた。
俺は「秘薬。それに霊薬? なるほど、そういうのもあるのか」と納得し、この世界がよくあるゲーム的な異世界でないことを改めて心に刻んだ。ポーションじゃなかった。
だからこそ、怪我や病気はおっかない。
ママさんの軟膏と薬液は、大きな怪我などには効かないだろうけれど、日頃の擦り傷や赤切れ、打ち身などには、めっぽうありがたい必需品と言えた。
なので、
「──んじゃま、ぼちぼち探しにいきますか」
この狩猟空間に採ってきて欲しい薬草があるというなら、そりゃあ誰より喜んで探しにいこう。
「案内よろしくね、狩人さん」
「へいへい。足元に気をつけるんだぞ、お姫様」
「うんっ!」
ケイティナに先行する形で、雪道を進んでいく。
「で、なんて薬草だっけ?」
「えっとね……たしか
「アイシーメリッサか」
植物界麗容道。
氷の張った池や川の近くに生える、〈渾天儀世界〉に特有のハナハッカのことで、汁液を煎じると安眠や咳止め、湿疹などの肌荒れにも効果があるとされる薬草である。
地球のハナハッカとに極めて酷似した多年草だが、その色は葉や茎まで淡い白緑色をしている。
きっと土地柄、どうしても色素が薄くなるのだろう。
ここはジャングルじゃない。色鮮やかな緑色は生まれない。
「空暗いけど、探すの大丈夫か?」
「? ラズくんは平気なんでしょ?」
「そうだけど……おいおい、まさか俺一人に探させる気じゃないよな?」
「まさか。私は
(めぼしい水辺までは、それなりに歩くことになるんですがねぇ……)
見たところランタンの中の蝋燭は心もとない短さしかなかった。
「じゃ、ほら」
「ん?」
「危ないから、おてて握ったる」
「え、ほんと? わあ、ありがとう」
「かわいらしいガキめ」
「ムッ!」
どういう意味かなラズくん!?
騒ぐケイティナをテキトーにあやし、俺はそうしてやれやれと道案内を開始した。
ケイティナの手は小さくて冷たい。
こりゃあ途中で、火を焚く必要がありそうだな。
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tips:北方の動植物Ⅱ
・白貂鼠(カリュオネス):動物界尋常道
イタチとジリスの間の子のような見た目をした四足獣。
木の実を主食としているためか、その肉は風味豊かでとてもヒンナ。
・氷渓花薄荷(アイシーメリッサ):植物界麗容道
ハナハッカは別名オレガノとも云い、イタリアではハーブとしてチーズなどとよく組み合わされる。
渾天儀世界では
余談だが、ユトラ・メラクではアイシーメリッサをリースに加えて飾る家もあるそうだ。
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