#037「屋根裏の狩猟空間」



 極北の大気はひどく乾燥している。

 ヴォレアスでの暮らしもそれなりに長くなってきたが、今日、俺は久しぶりにの空気に身を浸していた。


 ──パキリ、パキン。


 あたりから時折り聞こえてくるのは、白樺箱柳ポプラーチの収縮音。

 ノタルスカの山林でも、たまに耳にしていた樹木の呼吸。

 それと、木立の合間を縫ってサラリと流れ飛ぶ、雪煙のせせらぎ。


(天気はそこそこ、視界も悪くない)


 夜目を凝らし、少し遠くの峻険な岩棚に視線を集中させる。

 すると、そこには二頭の畜犛牛オーノック

 バイソンともノヤクとも呼べる、渾天儀世界産の高地棲息牛が、のそのそと野生の苔桃を食んでいた。

 俺は斧を握る右手に、グッと力を込める。


 ──ラズィ用の狩猟空間を作ったわ。


 思い返すのは、先日ママさんから言われた驚きの一言。


(……魔法ってのは、本当にすさまじいな)


 今日こうして空間に足を踏み入れるのは、実は六度目。

 しかし、何度経験しても、この〝狩猟空間〟は信じ難い。

 ドラ〇もんの四次元ポケット。

 あるいは、ドラ〇ンボールの精神と時の部屋とでも表現すれば分かりやすいだろうか。

 いずれにしろ、どういう理屈で作られているのかサッパリ分からない。

 が、とにかく広かった。


(これが屋根裏の物置部屋だって?)


 背後を振り返り、ズッと空を仰げば、そこには天より伸びる石の階段。

 およそ五十メートルほどの上空に達すると、不自然に地面と平行する『扉』が浮かんでいる。

 俺はあそこから、足を使って普通に降りてここへやって来た。

 よって無論、戻れば即座に家の中へ帰れる──否。


(帰るもなにも、べつに家の外には一歩も出ちゃいないワケなんだが)


 曰く、ラズィもそろそろ男の子として、いろいろと訓練をしていきましょう。専用の部屋は作ったわ──と。

 

「で、蓋を開けて出てきたものが、コレなんだもんな……」


 口の中で小さく呟く。

 北方の男なら狩りができて当たり前。

 ダークエルフなら尚さら恵まれた身体能力を活かすべき。

 女の子には花嫁修業があるように、男の子にはいずれ一家を養うに足る仕事の知識と武芸百般を。

 でも、残念ながら狩りの仕方や武芸に関して、ママさんは何も教えられない。


 ──ママは何だってできるけど、男の人じゃないからね。


 とはケイティナの言。

 つまり、この世界では一般的に狩りなどの肉体労働は、男性が担当するものという価値観が当然なのだろう。

 時代観的にも、地球でいう近世差し掛かり? といった具合だし、西暦2020年代のいっそ病的なまでに平等を訴える社会圧力とはどこまでも無縁。


 男ならば男の。

 女ならば女の。


 あくまでも適材適所としての働きが求められる。

 それ以外の余分はお互いにとって、オーバーワークであるし負担に繋がる。

 何事も溢れるほどに豊かだった世界ではない。

 一日の内にするべきコトは決まっている。

 ヴォレアスに来る前の生活がまさにそうだった。

 魔法が使えない大多数の者にとって、日々の時間とはこれ、生きるために消費されていく。

 怠けた者に待つのは冷たい死だ。


(そう考えると、ママさんの魔法は本当に最高だよな!)


 ファンタジー最高! 魔法最高!

 科学が成長していない異世界では、魔法こそが暮らしを豊かにする近道だと完全に確信したね。

 実際、魔女のママさんの様々な呪文によって、この家の生活水準は明らかに高いところで保たれている。

 石造りの家がある時点で、何でも素晴らしく見えてしまうが。


(……それだけに、残念だ。ああっ、残念だ!)


 俺は魔法が使えない。

 何でも、魔法を使うための魔力が、ひとっかけらも無いのだという。

 ついでに言うと、ケイティナも同じくミソッカス。

 仲間がいてくれて、俺はとても嬉しい。


 ──言っておくけど、魔力が無いのはべつに珍しい話じゃないんだからね!


 とは、これまたぷりぷりしたケイティナの言。

 俺などよりよっぽど長くママさんの魔法を間近にしてきた彼女は、魔法に対する憧れもなるほど、尋常ではないらしかった。


 しかし、残念なことに魔法は選ばれし者にのみ授けられる特別なパゥワァ。


(『魔法使いと魔術師』にも書かれてたけど、魔法は魔術と違って、完全に天賦の才能と来たもんだもんなぁ)


 生まれながらに魔力という不思議エナジーを持っていないと、呪文を唱えたところで何の超常現象も起こらない。

 半分神様だというケイティナですら魔力が無いのだ。

 ガワはともかく、中身がホモサピに過ぎない俺では、まさしく然もありなん。


(……っと)


 風向きが変わった。

 俺は夜陰に紛れながら、巧妙に立ち位置を変えつつ獲物との距離感を詰める。

 六日かかってようやく見つけた肉だ。できれば逃したくはない。

 斧を投げて十分な威力を期待できるギリギリの位置まで、目算約二十メートル。

 慎重に慎重に、なるべく音を立てぬよう、ゆっくりと一歩を踏んでいく。

 緊張と期待がドクン、ドクンと心臓を跳ねさせた。


(魔法が使えればな、なんてのは)


 所詮、無い物ねだりの高望みでしかない。

 無いものは無いし、有るものは有る。

 誰だって、自分が持って生まれたカードで、ブツクサ文句を言いながら、どうにかこうにかやっていくしかないのだ。

 その点、俺とケイティナは明らかに幸運だろう。


(ママさんっていう、立派な親代わりがいるんだからな)


 彼女は俺たちに、必要なものを与えてくれる。

 衣・食・住。

 安定した生活はもとより、大人になった時に確実に役立つだろう諸々の教え。

 いま進んでいるだって、俺の未来を慮ってくれていなければ出てこない代物だ。


 魔女であるママさんは──女性。


 おどろおどろしい外見や、種族としての能力(類まれな魔法の御業)を考慮から外してしまえば、その内面は驚くほど人間と変わらない。

 ケイティナに対する熱の籠った教育ぶりから、知性と教養に関してはいささか非凡(少なくとも中世の庶民レベルでは明らかにない)なものを感じるものの、


(豪商の娘、あるいは貴族の子女)


 たとえ中世ヨーロッパであっても、ある程度上流の出自であったと考えれば納得がいく。

 そして、旧世界の価値観に沿って考えるのであれば、男童が通常手習いとして師事を請うべきは、やはり父であり兄であるのが真っ当な流れ。

 間違っても女性ではない。

 繰り返しになるが、女性と男性とでは求められる能力と役割が違う。

 となれば、必然、


(女性世界の住人であるママさんには、男性世界の内実が分からない)


 そんな彼女が俺への〝教育〟を考えるにあたり、いったいどうしたものかと首を何度も傾げるほどに思案した結果、


 ──ラズィ。自然から学び取るのよ、自然から!

 ──大丈夫だよママ。ラズくんはノタルスカの山でひとりで生活してたんだよ? 余裕に決まってるよ! あ、でも、後で慰める準備だけはしておこうね。


(うん)


 真剣に俺の成長を期待してくれているママさんはともかく、ケイティナには何としてでも男の意地ってものを教えてやる必要がありそうだ。


(恐れおののくがいい……)


 こうして、「せめて環境くらいは……」と最高水準の勉強部屋まで用意してもらったのだ。


 ノタルスカ山より気温は高い。

 周囲には土壌が露出した凍原ツンドラと、白樺箱柳ポプラーチの森。

 峻険な岩山には水の流れる雪渓と、幾つかの砂州。

 気候・環境条件は、間違いなく〝激甘〟に設定されている。

 一面の白しかなかった地獄ではない。

 

(放し飼いにされた、はぐれ畜犛牛オーノックの一頭や二頭──)


 一週間とかからず狩ってみせる。


「もちろん、渾天儀世界この世界標準でなッ!」


 だってもう六日経ってるし。

 あと一日じゃ二頭は厳しいかもしれない。

 俺は誰ともなく言い訳がましいことを口にして、思い切り斧を投げた。


「ブモ!?」

「あ!」


 が、牛は頭を動かし不運にも角で斧を弾く。

 片割れの畜犛牛は慌てて岩棚を駆け降りていった。

 角を打たれた方は脳震盪を起こしたのか、フラフラとよろめきドシンと転倒する。


「しまった……」


 頭蓋をカチ割り楽に逝かせるつもりだったが、うまくいかなかった。

 俺は素早く斧を拾い上げ、今度は狙いを外さぬようしっかりと近づくと、真っ直ぐ得物を振った。


 硬質な頭蓋をたしかに割り砕く手応え。


 脳への一撃は残虐な行為に見えるが、即死を与えるためには仕方がない。

 逃げた一頭を追うのは一旦やめにし、俺はさっそく事後処理を開始した。

 これだけ大きければ、肉はもちろん皮も骨だって大いに利用できる。

 毛皮はなめすのは大変だし、肉をこそぎ落とすのも重労働。

 解体の際に誤って内蔵を傷つければ、せっかくの肉が台無しになりかねない。

 胃腸を除き取るのには細心の注意を払う。

 生命を奪ったからには、余すことなく『糧』としなければ不敬だ。


「今回は……ラッキーだったな」


 罠猟ではなく直接の狩りの練習として〝投擲〟を選んでみたが、案外思ったような結果にはならない。

 斧の扱いであればこなれているし、投げる速度も狙いも自信はあったが、予期せぬトラブルは時として起こり得る。

 今回はたまたま頭蓋を震わせて脳震盪を誘うことができたが、次もそうであるとは限らない。


「次からは二本目、三本目の斧を予備で持っとくか」


 一本目で仕留め損ねた場合でも、二本目三本目があればどうにかなるはず。

 それか、弓や槍なんかを試してみるのもいいだろう。

 斧ほどに使いこなせるかは分からないが、幸い、屋根裏には何丁か古びた武器が仕舞われていたからな。


「ま、とりあえず今日のところはコイツを運んで、みんなでワイワイやるかね」


 六日目にして大物の獲得。

 ママさんの祝福と、ケイティナのストレートな驚き様が実に楽しみだった。







────────────

tips:北方の動植物


・蛙蜆(カワズシジミ):動物界尋常道

 デドンシジミとも。デドン川全域に分布する小さくて黒い二枚貝。

 生存戦略としてひたすら不味くなることを選んだが、川の主である獣神には効果がなかった。


・鋏甲虫、鋏尾虫(スティラプニア):動物界尋常道

 デドン川に棲息しているエビならぬ虫。

 見た目はカブトガニやアノマロカリス、ウミサソリなどに似ているが、正体は水棲の虫。

 ああ、なんということだ。

 旅人は驚き呻き、最終的には「美味ければそれでいい」と結論した。

 なあ、そうだろう?


・畜犛牛(オーノック):動物界尋常道

 〈渾天儀世界〉に広く分布する家畜向きの毛牛。

 元は高地に棲息する種だったが、低地にも適応可能だったため便利に家畜化されている。

 毛皮は衣服に肉は食用に。まったくオマエってヤツは……最高だぜオーノック!


・白樺箱柳(ポプラーチ):植物界麗容道

 シラカバとアスペンに似た落葉樹。

 白色の樹皮は頑丈で即席の椀や包に向いている。

 常緑針葉樹である黒松錐檜(ピヌスプルース)と並び、グランシャリオの黒白の景観を形作る一因の木。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る