#034「子守唄と夢の話」
暖かい季節がやって来ると、人はやはり幾らか陽気になってくるらしい。
永久凍土地帯ヴォレアス──ただいま夏。
もっとも、夏とはいえ、気温がマイナス八十度からマイナス三十度になったくらいの、え、冗談だろ? ってくらいの違いでしかないが、季節としてはたしかに夏ではある。
傍目には何も変わらない、無謬の冬色。
けれどここも、決して変化が無いというワケではない。
季節は移り、時は流れ、歳上の少女の新たな一面だって、知ることもある。
──今日、ケイティナは庭先で、歌を歌っていた。
“眠れ 眠れ かわいい子”
“ひと夜 ふた夜 さん夜とこえて”
“夜は 暗く 冷たく恐ろしい”
“鳥の 羽ばたき 耳を澄ませ”
“白の 風が おまえをさらう”
“ゆえに 眠れ 眠れ かわいい子”
“ひと夜 ふた夜 さん夜とこえて”
“いつか 真昼の 花を 咲かせましょう”
“太陽の 車輪 追いかけるため”
「──歌、上手いんだな」
「! やだ。聞いてたの?」
思わず声をかけると、ケイティナはビクンッ! と肩を跳ねさせて勢いよく振り返った。
びっくりした顔には、瞬く間に朱色が増していく。
どうやら、誰かに聞かせるつもりでの歌ではなかったようだ。
「そう恥ずかしがるなよ。歌、かなり上手かったぞ?」
「……そんなこと、ないもん」
「なんで。本当に上手かったって」
「……ラズくんは、この歌知ってるの?」
「いや、知らない」
「じゃあ! 上手いかどうかは分からないじゃない!」
からかわないで! もー!
ケイティナはマフラーに顔を埋めて、牛のように唸った。
俺は本心からの感想だったので、少しだけムッとする。
「……オイオイ。そりゃ、歌のリズムとかメロディーとかは知らないけどさ。そんな俺が、本気で感心するほどの歌だったぜ?」
ケイティナの歌は、誰かを感動させる力を持っている。
少なくとも、俺は感動した。
聞き惚れたと言ってもいい。
「初めて聞いた歌を、もう一度聞きたいと思わせたなら、それってかなり上手いってことだと思うけどな」
「……本当? 本当に上手だった?」
「ああ。嘘じゃないよ」
「そ、そっか……えへへ。そっかぁ……!」
純粋な賞賛に、ケイティナは照れたようにはにかむ。
なんだかかなり嬉しそうだ。
おっかない歌詞とは裏腹に、少女の周りからはぽわぽわしたタンポポの綿毛を幻視した。
(たしか、
歌っている時は普段の雰囲気とは異なり、結構大人っぽい様子だった。
しかし、こうして見ると歳相応の少女にすっかり戻っている。
民族舞踊らしきダンスの練習や、ハープのような楽器の演奏をしているのは何度か目にしているので、ケイティナが才能豊かであることは、だいぶ前から知ってはいたものの、まさか歌まで上手だったとは。
「普段からもっと歌えばいいのに」
「ダ、ダメだよっ! 恥ずかしいんもん!」
ケイティナはいやいやをするように首をブンブンした。
ま、無理強いするつもりはない。
「それにしても、ずいぶんとおっかない歌詞の歌だったな」
「真昼の唄って云うんだよ」
「真昼の唄?」
「北方で昔からある子守唄のひとつ」
ほら、『昼知らぬ小さき王』のお話があるでしょ?
ケイティナは突然、童話のタイトルを口に出した。
「あの後味微妙な御伽噺か」
「ははは。たしかに、あれは人によって納得しきれない部分があるかもだよね」
昼の世界を知ろうとして羽ばたいた鴉。
太陽に焼かれて死んでしまい、冥府の王として蘇る。
鴉をイジメるものはいなくなった。
けれど結局、鴉自身は昼の世界を知らないまま。
嫉妬と羨望の裏返しから、厳しい法を敷いて皆に畏れられる。
幼子に読み聞かせるにしては、何とも後味が苦味のある結末だろう。
この世界における『死』というものへの認識が垣間見えたのと同時に、『夜』に対する根源的な恐怖感情も、読み取ることができた。
「真昼の唄はね、親が子どもに健やかに育って欲しい、って想いから歌われるようになった唄なの」
「じゃあ〝鳥の羽ばたき〟ってのは」
「鴉の王様のことだね」
夜と死の象徴である闇夜の鴉。
その羽ばたきに耳を済ませ、決して注意を怠るな。
さもないと、あちらの世界へ連れ去られるぞ。
「……なるほど。子守唄と言いつつ、躾の唄でもあるのか」
「親が小さい子を寝かしつける時に、いい子にしてないと鴉の王様がやってくるぞ! って言ったりもするからね」
「へ〜」
少しだけ、鴉が可哀想でもあるな、それは。
夜は暗くて冷たいから、お家でじっとしてきちんと眠って過ごしましょう。
そうすれば、恐ろしい夜の世界ではなく、明るくて楽しい昼の世界だけで生きていける。
でも、それじゃあ、鴉は完全な忌み嫌われ者だ。
「……ふむ。じゃあ、〝白の風〟ってのは?」
「それは……冬のことだね」
問いかけると、ケイティナはスっと声を落とした。
(ん?)
が、こちらが明確な不審を覚えるよりも早く、すぐにいつもの爛漫とした様子に戻る。
「ほら、見てよこの景色! 真っ白でしょ?」
「ん。まあ、たしかに白いわな」
「北方大陸じゃ風は雪とほとんど一緒くただから、厳しい冬の寒さを厭わしく思って、だからこういう歌詞になってるんだよ」
「あー……なるほどね」
言われてみれば、たしかにそうかと納得する。
これだけ寒い土地じゃ、凍え死んだり飢え死にしたりは、常に起こり得ることだ。
そりゃあ人間の感情として、〝真昼〟や〝花〟が恋しくなるのも頷ける。
(空を覆っている分厚い凍雲の向こうじゃ、太陽が変わらず回っているはずでもある、か)
太陽の車輪を追いかけるためとは、そんな焦がれの感情も含まれてのことかもしれなかった。
「ところで、この唄はママさんも歌うの?」
「え?」
「いや、子守唄ならそうなのかなって」
「あ、うん。そうだね。私もママから聞かせてもらって覚えたから」
「ほーん」
母娘揃ってお歌が上手なんですね。
ケイティナがこれだけ上手いのは、ママさんの手本が良かったからだろう。
俺はたぶんだが音痴だと思うので、ちょっぴり羨ましい。
そんなことを思っていると、
「……実はね? ラズくんにだけ教えるけど」
「ん?」
「私、いつか吟遊詩人になるのが夢なんだ!」
キャー! 言っちゃった!
ケイティナは唐突にぴょんぴょんとジャンプして、夢の話を語り始めた。
俺は目をパチクリさせて、鸚鵡のように言葉を繰り返す。
「吟遊詩人?」
「そう!」
喜色満面。
イエローゴールドの琥珀目が、爛々と光り輝いた。
「ねえねえラズくん。ラズくんは、吟遊詩人ってすごく素敵だと思わない?」
「ん、んん?」
「世界のいろんなところを旅しながら、いろんな話を見聞きして、歌にするの!」
そして、街の酒場や大通りの噴水広場などで、たくさんのお客さんを相手に
知らない場所で、知らない誰かと、皆んなが私の歌でひと時の幸福を共有する。
それはとても──そう。とても。
「きっとね、とぉっっっても! 楽しいことだと思うの!」
「お、おう」
「ラズくんもそう思うでしょ!?」
「も、もちろんだぜ!」
吟遊詩人の素晴らしさを懇々と説き始めたケイティナに、俺はやや圧倒されながらも首を縦に振り下ろした。
否定的な返事をしたら、向こう一ヶ月は口を効いてくれなくなる。
推測だが、ほとんど確信じみた直観で察してしまった。
キティという禁句。
ケイティナの幼かった頃の〝お可愛いエピソード〟をからかうより、危険度が高い。
(小さい頃なら舌っ足らずなのは当たり前なんだから、別に恥ずかしくも何ともないだろうに)
自身の名前をケイティナと言えず、キティと言っていた過去だなんて、余人からすれば微笑ましいだけだ。
もっとも、ケイティナはその周囲の反応がイヤなのだろうが。
「しかし、吟遊詩人か。ティナさんなら、すぐにでもなれそうだけどな」
「え」
「だって、今の年齢であれだけ上手いんだ。大人になったら、きっと大人気の吟遊詩人になれると思うぜ」
吟遊詩人という職業が、この世界でどれだけ安定した職かは知らないが、一芸は身を助く。
ましてケイティナほどの多才ぶりなら、早々お金に困るってことも無いだろう。
俺がそう将来の話を続けていくと、
「……ありがとう、ラズくん」
ケイティナは何故か、少し寂しげな笑顔でありがとうと返した。
「な──」
俺は驚いて、数瞬だが二の句が継げなくなる。
しかし、それもわずかな落陽。
風が吹き、雪がチラつき、
「──クチュン! ううぅ、いけない。長く話しすぎちゃった! そろそろ戻らないと」
「あ、ああ……」
「さっきの話、ママには秘密だからね?」
今日の晩御飯、何かなぁ。
少女はいつも通りの、いっそ能天気とすら呼べる子どもらしさで後ろ姿を覗かせる。
錯覚か、幻か。
俺は首を捻りながら、程なくして後を追う。
太陽の明かりは雲に隠され、ヴォレアスには重く影が落ちた。
きっと、そのせいで妙な錯覚を得たのだろう。
「おかえり、なさい」
「ただいまー。ママ、今日の晩御飯なぁに?」
「きょうは、
「ホント!? 私、あれ好き!」
家の中はいつも、こんなにも暖かい。
────────────
tips:真昼の唄
子守唄。
北方大陸では大昔からある民謡。
親が子の健やかなるを望み、悪しき魔物から遠ざけようと祈りを込めて歌われる。
──眠れ、眠れ、かわいい子。
夜は暗くて冷たい死の帳。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます