#033「希少な日輪と生物学」



 夏が来た!

 太陽の明かりが雲間よりヴォレアスを照らす!


「おお……おお……!」


 重い曇天を貫いて、幾つもの光の裾がまるで奇跡!

 見るがいい、皆のもの!

 永遠に続くかと思われた暗黒の帷、極夜の冬はついに過ぎ去ったのだ!


「太陽って、素晴らしい……!」


 頬を濡らす一雫の涙。

 気がつけば自然と膝を折り、窓から見える圧巻の絶景に、俺は心から感謝の祈りを捧げていた。

 朝日のぬくもりが肌を撫でる。

 燭台の灯火や、暖炉の熱とは比べ物にならない偉大な光熱。

 今年もまた、無事に冬を越せのだという純然な事実に、ああ、そうとも……どうして喜ばずになどいられようか。


「夏、サイコー!」

「大袈裟だなぁ、ラズくん」

「──でも、はじめて、だもんね?」

「どうせ一ヶ月もせず元通りなのに」


 ふあ〜あ、と欠伸を漏らし呆れた様子のケイティナ。

 対して、ママさんの方は幾分かリアクションが暖かい。

 微笑ましそうに肩を揺らしていて──スタスタと朝食の用意に移っていく。

 ……どうやら今朝は、雪豚スノウポルコの塩漬け肉を薄焼きにしたカリカリベーコン。

 それと、駄鳥ドルモアの目玉焼きのようだ。

 香ばしい匂いが、瞬く間に家の中を充満していく。


(た、淡白ぅ〜!)


 ひとり感動して涙まで流している俺がバカみたいだった。


(けど、別にいいもんね)


 この二人はヴォレアスでの暮らしに慣れ切っているからこんなだけれど、俺からしたら、太陽というのはそれだけで一種の希望だ。

 およそ十七ヶ月ぶりにお目にかかれる光景である。

 むしろ、拝み倒すくらいが普通の反応だろう。

 ケイティナの言う通り、一ヶ月足らずで消える恩恵というなら、余計に有り難がって然るべきだ。

 朝食ができあがり、リビングのテーブルに並べられるまでの数分。

 俺はさながら、映画『ショー○ャンクの空に』のポスターのようなポーズで、思う存分に太陽と戯れ合った。

 なんなら、これを宗教画にしてくれたっていい──それにしても。


「もう十七ヶ月も経ったのかぁ」

「ふふ。どう? あっという間だった?」

「そうだなぁ……長かったようで、短くもあったって感じかな」

「おべんきょう、いっぱい、がんばったもの、ね?」


 優しい声音が耳朶を響く。

 ヴォレアスでの暮らしもついに一年近い。

 去年の今頃は、こんなことになるとは露ほども想像していなかった。

 ヤマネコと縄張り争いをしていたなど、思い返すと夢のような記憶である。

 それが、今じゃこうして、ベッドから飛び起きてすぐさもベーコンと目玉焼きにありつけると来たものだ。


 エルノス語も話せるようになった。

 セプテントリア語もどうにか聞き取れる。

 

 この世界の一週間は十一日。

 曜日はスフィアの数だけある。

 一ヶ月は三週間。

 三十三が十七回で、五百六十一日。

 もう、それだけの月日が概算で経過してしまった。


(そりゃあ長くもあったし、思い返せば短くもあった。そんな感覚だよ)


 俺は生きている。

 時折り嘘じゃないかと、目の前の現実が半ば信じられない感覚にも襲われるが、頬をつねれば痛みは本物。


 ──夏、サイコーだぜ!







(さて)


 しかしながら、夏のヴォレアスがどうなるかと言うと、実はこれといって大きな変化などは無かった。


「うーん、寒い」

「そりゃそうだよ。ヴォレアスだもん」

「クソが!」

「──わるい、ことば、だめ」

「ご、ごめんなさい……」


 ママさんに怒られる。

 良識ある親というのは、いつだって子どもに汚い言葉を使わせないものだ。

 とはいえ、人間ならば反射的につい悪態をつきたくなる時もあるというもの。

 エルノス語とセプテントリア語両方の言葉を学ぶにあたり、俺はこっそりとFワード類もチェック済みだった。

 小説を読んでいると、登場人物のセリフに時々出てくるのだから仕方がない。

 ヴォレアスのクソ寒さは、まさにクソクソのクソである。


「でもま、少しは暖かいか」

「そうだよ? 今年はちゃんと太陽が出てきてくれたから、すごく暖かいよ」

「おひさま、ぽかぽか、ね」

「氷柱の伸びが、いつもより割かし長い程度の、微妙な暖かさだけどなぁ」


 溶けた雪氷が家のひさしをツゥー、と滑り落ち、氷柱の伸びを長くしている。

 横から「せいっ!」と衝撃を与えれば、簡単にポキポキ地面へ落下していきそうだ。

 今日は天気が許す限り、丸一日除雪作業に取り掛かろう。

 最近は良い天気の日に限り、屋根の上に登ることも許されている。

 体力づくりの一環で、足腰も鍛えられるからちょうどいい。

 ハシゴとスコップ。

 薪割り用の鉄斧に加え、家の道具の中でも次第に愛用と呼べる品が増えてきた。


「ママが魔法を使えば、雪掻きなんてすーぐ終わっちゃうのに」


 ケイティナは理解できないといった顔で不満げにしている。

 この姉は、俺が敢えて非効率な作業に手間ひまを費やすことを、ナンセンスと捉えているようだった。

 たしかに、ママさんが魔法を使えば雪掻きなんて秒で終わる。

 実際、これまでも悪天候の日は“雪融けディソルティオ” の呪文が大活躍し、便利なものだと驚きもした。

 でも、


「魔法にばっかり頼ってる生活じゃ、そのうち人間がダメになっちまうぜ」

「男の子って、どうして無闇矢鱈と体を動かしたがるんだろう」

「それはね、おとこのこ、だから」


 ママさんはさすがに理解が深い。

 ああ、そうだとも。男の子ってのは、誰だって一度や二度、力自慢に憧れるのさ。

 そんで、いつか誰かに「すごーい!」とか言って貰えるだけで、簡単に機嫌をよくする。


 異性であればなおのこと良し。


 男ってのは単純な生き物だよ。

 ダークエルフはムキムキな体型の男性が多かったから、俺も小さい内に身体を動かしまくって、いつかアメコミみたいな超絶ヒーローボディを獲得するのが理想だ。

 女子どもには分からない世界だろうな。くくく……!


「よいしょ、よいしょ」


 ハシゴを登り、屋根の上へ。

 長柄のスコップをナイフのようにして積雪へ切り込みを入れ、クイッ、と押し込んでそのまま滑落させる。

 これといって面白みのない単調な作業。

 だが、だからこそ運動としては最適である。

 人間、日々の暮らしの中で自然と体を鍛えられるのであれば、その方がよっぽど、健全な生活に繋がるもの。

 朝飯に食べた雪豚と駄鳥。

 あれらにしたって、一食に際して必要以上に食べはしない。

 生きていくのに必要なだけの量をもらって、ただ必要な分だけ生きていく。

 元々が都会人だった記憶があるからか、俺はこういった不便だけれども〝綺麗な〟暮らしに、心から好意を寄せていた。

 あれほど悲惨なサバイバルを経験したというのに、自分でも意外なものの、俺はきっと根本的なところで自然が好きなのだろう。


 大雪原での感動は、今でも忘れていない。


 ディ〇カバリーチャンネルとかも、前世じゃよく見てたワケだしな。


「この世界にも、ああいう番組って……ハ」


 言ってて苦笑。

 電気照明器具すら無いのに、テレビ放送やインターネット配信などこの世界に有るワケがない。

 エド・〇タッフォードやベア・グ〇ルスのような、ああいう冒険家人種はいてもおかしくないだろうが、期待できるメディアとしては、せいぜい自叙伝といった書物程度。

 動画と字幕つきのドキュメンタリー番組なんて、望むべくもない。

 家の書棚にある本でも、『北方の動植物』が一番そのあたり詳しいしな。

 

「えいっ、しょっ!」


 なかなか滑り落ちないカチカチの雪氷を蹴り飛ばし、ふぅ、と一息。

 図鑑には、〈渾天儀世界〉特有の一風変わった生物学も書かれていて、様々な動植物のことがスケッチイラスト付きで載っていた。

 その中には、俺がこれまでテキトーなネーミングセンスで名付けて食糧としていたものも。



────────────


 ◇動物界

  尋常道/森羅道/天地道

 ◇植物界

  麗容道/神秘道/浸蝕道

 ◇菌界

  胞子道/蠢動道

 ◇人界

  人間道/亜人道/怪人道


────────────



(さすがにファンタジー色が強かったなぁ……)


 神によって世界が創られたと大真面目に信じられているだけあって──というか実際事実なんだろうけど──この世界ではどんな動植物にも、それぞれの世界観・死生観があると考えられているようだった。


 思想としては、仏教の六道輪廻に近いだろうか?


(修羅道とか畜生道とか)


 〈渾天儀世界〉におけるすべての生命は、それぞれ〇〇界にある〇〇道という生き方レールに従って、天寿を全うする。

 んで、天寿を全うして死んだ後は、食物連鎖の仕組みのように他の生命の一部となって、結果的に輪廻を循環している……的な考え。


 生物学というよりかは、宗教観に近い。


 けど、図鑑には実際、これらの分類に沿う形でイロイロとまとめられていた。

 もちろん、あくまで〇〇界〇〇道というのは大きな括りで、細かく追っていけばさらに〇〇種、〇〇族といった定義がされている。

 全部を覚え切るのは到底無理だ。

 なので分かっている範囲で噛み砕くと、



────────────


 ◇動物界

  尋常道……普通の動物(渾天儀世界産)

  森羅道……環境に擬態(自然環境と半一体化)

  天地道……ドラゴン(龍と竜)


 ◇植物界

  麗容道……普通の植物(渾天儀世界産)

  神秘道……魔法植物(世界樹とか不死の林檎とか)

  浸蝕道……突然変異(液体樹林などの埒外の生態)


 ◇菌界

  胞子道……キノコ(胞子系種族含む)

  蠢動道……分類不詳不定形生物(スライムやシャドーマンなど)


 ◇人界

  人間道……普通の人間(ホモサピエンスと近似)

  亜人道……動植物の特徴(獣人や魚人)

  怪人道……ほぼ怪物(ゴブリンやトロール)


────────────



 だいたいこんな感じだった。

 個人的には、エルフやドワーフなどが亜人道ではなくて、人間道に含まれるのが興味深かった。

 ダークエルフも人間道の生き物らしい。

 人間と比べて寿命にだいぶ差があるが、それでも同じ括りに入っているのは素直にありがたいと思った。

 今さら、オマエは人間じゃねぇ! とか言われても、ぶっちゃけ困惑するしかないからな。


 俺がサバイバルで狩ってきた魚や貝類、地栗鼠などは動物界の尋常道だ。


(最初の内は魔物かもしれないって怯えたりもしていたけど……)


 あいつら普通の生き物だったし、地球の動物と比べてたしかに変わった見た目をしているのは事実だったが、それも世界が違うのだから当然の差異だった。あと、ヌコ太もここに入る。美獣ノタルスカヤマネコ。図鑑でまで褒められていた。


 あとは雪豚スノウポルコ……ノタルスカ山で見つけた哀れなほど狩りやすかった豚のみ、唯一、森羅道か。


 今朝も美味しくいただいているが、この豚は雪景色にほとんど肉体ごと擬態する。

 そのため、肉の歯触りなどが驚くほど柔らかくて──溶けやすい。

 雪のような、という比喩表現が、半ば事実となっている動物だった。


 それと、ニドアの林で遭遇したオバケツリー。


 あれは植物界の神秘道で、要は妖怪化した大木だな。

 ハリ○タにおける暴れ柳みたいなもんで、オバケツリーって呼び方が奇跡的に本質を突いていた。

 他の植物はほとんど麗容道だ。

 どうもこの世界じゃ植物ってのは〝美しくあろうとするモノ〟って認識らしく、普通の植物なのに動物界の尋常道とは違って、麗容道だなんて特別な名前の括りになっている。


 そして……


(……フロスト・トロール)


 霜の石巨人。

 ヤツらは人界の怪人道。

 なるほど、その暴虐性と野蛮な知性は、たしかに怪物そのものだった。


(イケオジを殺したドラゴンでさえ動物界だってのに)


 やはりあれか。

 そこに邪悪な香りが漂っているかいないかが、分水嶺なのだろうか。

 クソトロールどもはたしかにクソだったので、怪物と言われても納得しかない。

 個人的には同じ人界からも外してもらいたいくらいだ。

 まあ、それは置いておくとして。


「やっぱいろいろと、覚えることは多いよなぁ……」


 剣だ魔法だと考えるより先に、常識として覚えるべき事柄が山のように多い。

 異世界で生きるってことの意味を、イヤでも実感してしまう。


「ラズくーん? そろそろお昼!」

「お、もうそんな時間か。あいあい! いま降りますよっと!」


 黙々と考え事をしながら作業をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。

 玄関から聞こえてきたケイティナの声に返事をして、苦笑いを深めながらするりとハシゴをくだった。


「ゆき、おわった?」

「んにゃ。まだ途中」

「そう。あまり、むりは、しないで、ね」

「大丈夫だよ、このくらい」


 そ? と首を傾げて、ママさんは微笑みながらこちらの頭を撫でてくる。

 白い指先、冷たい体温。

 思わずブルリと背筋が震える。

 首筋に氷柱を差し込まれたような生物的反射。


 ……デーヴァリングのケイティナは、半分人間だから人界の人間道だ。


 けれど、魔女であると云うこのヒトは、果たしてなのだろう?


(角があるから亜人? それとも──いや)


 答えを知るのが少しだけ、俺は怖い。






────────────

tips:曜日


 〈渾天儀世界〉は十一曜制。

 それぞれのスフィアにちなんで、以下のような順番で曜日が制定されている。


 中枢渾天球:渾神の曜

 第一円環帯:水神の曜

 第二円環帯:星神の曜

 第三円環帯:火神の曜

 第四円環帯:蒼神の曜

 第五円環帯:夜神の曜

 第六円環帯:砂神の曜

 第七円環帯:海神の曜

 第八円環帯:魔神の曜

 月    :月神の曜

 太陽   :日神の曜

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