#018「野生牽制・焼き猫の罠」



「そうだ。毛皮を剥ごう」


 冬越えに向けてやっておくべき残された仕事。

 それは、あのヤマネコのもふい毛皮を使って、防寒着を作ることだ。


「許しちゃおけねぇ……許しちゃおけねぇよ……!」


 あれから数日。

 俺はもう何度目かも分からない〝横取り〟をやられ、堪忍袋の緒がブツリと断裂していた。


「やってくれやがるぜ、猫畜生……」


 変わり果てた罠を見下ろし、ヒクヒクと頬を歪ませる。

 どうやらあのヤマネコ、この山の食物連鎖における元々の上位者だったようで、俺の存在がかなり気に食わないらしい。

 今まではたまたまこちらと遭遇せず済んでいたが、自らの縄張りに同じ獲物を狙う競争相手が現れたと分かった途端、来る日も来る日も〝攻撃〟を仕掛けてきている。

 知能が高い。

 初遭遇時からこれまで、見慣れぬダークエルフが脅威かどうか判じかねてはいるんだろう。

 今のところ直接的な切った張ったの大騒動にはなっていないが、最近は物陰から穏やかでない視線を感じるので、結構危機感を覚える。

 罠も幾度となく荒らされ、イタジリスやホッキョクウサガルーは、無惨な姿で見つかるようになった。


 山と森に仕掛けたいくつかの三角罠。

 石と枝の単純な仕組みゆえに、罠そのものは壊されたとしてもそれほどのダメージはない。


 しかし、肝心の食糧。


 罠にかかって身動きができなくなっているジリスやウサギを、ヤツはほとんど食い荒らす。


 ひどい時は、本当に『一部位』しか残っていない。


 そしてやはり、敢えて部位を残すのは……


「完全な天敵認定。宣戦布告だよな」


 向こうからしたら、突然現れた俺に「なんだァ、テメェ……?」と思っているんだろう。

 自分の家に見知らぬ他人がやってきて、勝手にキッチンを使っている。

 現代日本なら即座に通報ものだし、カチンと頭にくるのも無理はない。

 野生のルールに則り、あのヤマネコが俺へ宣戦布告をするのは、当然の成り行きだろう。

 第一、向こうも生死がかかっている。

 厳しい自然界で来年の春を謳歌するには、冬越えにあたり極力外敵を減らしておいた方がいい。

 獲物の横取りは、そもそも横取られる方が悪いのだ。


「……ライバル出現の直観は、正しかった」


 山の探索などしなければよかったかもしれない。

 けれど、同じ山に暮らして同じ獲物を食糧としているんだから、どの道ヤツとは遠からずエンカウントしていた。

 まだ余裕のある夏の間にお互いの存在を知ることができて、ここは不幸中の幸いだったと考えよう。

 問題は、今こうして受けている攻撃に対し、どうやって対処するかだ。


「まず、肉弾戦は避けるべきだろうな……」


 ヤマネコの体格は成人男性ほどあった。

 翻って、俺の体格は齢二桁にも及ばない幼童のそれ。

 ダークエルフの筋力補正を考慮に入れても、今の腕力じゃそれでも敵わないだろう。少なくとも、素手の戦いじゃ絶対にムリだ。


 獣ってのは、自分より下だと判断した相手にはとことん舐めた態度をしてくるからな。


 不利な土俵で戦って負けてしまえば、最悪、俺はそのままペロリといかれる可能性も無きにしも非ず。

 現状、獲物の横取りという形で結構な挑発を受けていることもあるし、対応はなるべく早い方がいい。

 なので、ここは仮に勝てないにしても、こちらが決して油断していい存在でないと徹底的に相手に刻み込める作戦が必要だ。


「──よし」


 脳裏に浮かんだのは、動物の油。

 それと、こんもり積み上げた焼き魚の香り。


「うまくいくか分からんけど、とりあえずやってみるか」


 その晩、俺は久しぶりに寝ずに夜を明かすことにした。





 ──

 ────

 ────────

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 夜、異邦の獣が眠りについた。

 今宵はどうやら、いささか早めにねぐらに戻ったらしい。

 巨木の虚に入り込み、物音ひとつ立てずじっとしている。

 さては日に日に獲れる獲物が減っていき、体力気力ともに衰え出したのだろうか。

 見慣れぬ出で立ちに内心かなり警戒を強めていたが、存外、大した存在ではないらしい。


「Grururu……」 


 喉を鳴らし、ヤマネコは上機嫌に雪上へ降り立った。

 樹上は身を隠すのに向いている。

 はじめに会った時、異邦の獣はそれはそれは驚いた様子でヤマネコを見ていた。まるで、ヤマネコの登場を一切予期していなかったように間抜けな反応で。


 思うに、見かけほど優れた獣ではないのだろう。


 あの様子では、ヤマネコがここ数日ほど、遥か木上から異邦の獣を観察し続けていたことにも気づいていないに違いない。


 白ではなく黒という異質。

 本能を引っかく謎の圧迫感。


 ヤマネコ自身、自分でもどういうワケか分からない妙な躊躇いから、こんなにも時間をかけて様子見に徹してしまったが、そろそろ本格的な〝狩り〟に移行しても何も問題ない頃合いだ。


 異邦の獣は確実に衰弱している。

 今宵はねぐらの周囲で絶えず徘徊してやり、あからさまな物音やヤマネコ自慢の唸りで、たっぷりと恐怖を植え付けてやろう。

 朝まで耐えられれば大したものだが、その時は異邦の獣のねぐらに、ヤマネコの排泄物が転がるだけ。

 完全な宣戦布告に、異邦の獣のヤツ、翌日は生きた心地もしないで震え出すかもしれない。


 ヤマネコは上位者のゆとりで嘲った。


 そしてそのまま、ゆるりと巨木に近づき、わざとらしく喉を鳴らす。

 さぁ、どうだ……恐ろしいか!


「Grururu……ru?」


 その時、ヤマネコはふと、付近からとても良い香りがすることに気がついた。


「…………!」


 ──肉。

 それも、かなり香ばしい。


 だが、これはいったい、どういうことだ?


 これほどの肉の香り、ヤマネコは今まで一度だって嗅いだ経験がない!


 あまりの香り良さに、ヤマネコはつい肉のありかを探してしまった。

 鼻をスンスンとひくつかせ、目でも辺りを調べる。

 すると、


「!」


 巨木の虚の先に、ほかほかと熱を発する獣肉があった。

 しかも、パッと見た感じで、一度には食べきれないほどの量が山になっている。

 あれはたしか、喉を潤す時に水場で見かける……妙にぬるりとした獣だろうか?

 ヤマネコが顔を近づけると、いつだって冷たい水の中を素早く逃げていくため、今まで一度も食べてみたことがない。

 食欲をそそる素晴らしい香りに釣られて、ヤマネコは魔法でもかけられたみたいに引き寄せられた。

 そして、とうとう肉のすぐ近くまで歩み寄る。


 ──瞬間



「掛かったなネコめ!」

「ッ、!?」



 大声と同時、ヤマネコの周囲を突如としてとてつもない熱が取り囲んだ。


 ブワァ……ッ!


 赤く揺らめく見たこともない光熱。

 肌をジリジリと焦がす陽光のような痛み。

 ヤマネコはそれが、『火』と呼ばれていることを知らない。

 これまでの山の暮らしで、こんなにも熱く身を焦がすようなモノとは出会ったことがない。

 ただひとつ分かったのは、この現象がつい先ほどまで、自身が獲物と侮っていた異邦の獣の登場によって起こったこと。

 生まれてはじめて目の当たりにする炎は、ヤマネコに凄まじい驚愕と恐怖を与えた。


 思わず跳躍し、多少毛皮が焦げ付くのも無視して逃走する。



「フハハハハ! 人類の叡智を思い知ったか!」



 背後からは、異邦の獣の高らかな勝利宣言が聞こえていた。







────────────

tips:野生の掟


 ワイルドルール。

 自然界における弱肉強食と敗者淘汰の定め。

 ときにグランシャリオでは、恵まれた環境をいかに独占するかが生存の肝となる。

 旅人はゆめ忘れるな。

 手にした安寧は、いつだって思いもしない外敵の襲来によって、呆気なく奪い取られることを。

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