#015「春の恵と新天地」
春は安らぎと憩いの季節。
暖かな陽射しと軽やかな涼風に包まれて、一斉に草木が芽吹きだす。
色鮮やかな四季の国、日本。
あいにく、2020年代のそこそこな都市部で暮らしてた一般社会人としては、春も秋も、いつの間にか気づいたら始まっていて、気づいたら終わっている。そんな、何とも漠然としたイメージしかない。
温暖化だとか異常気象だとか、とにかくそんな理屈で、四季のうちの半分もがロクに体感できぬまま一年を繰り返していた。
もちろん、自然豊かな土地や田舎に住んでいれば、そういう感覚とはある程度無縁だったんだろう。
俺があまり、外へ出歩くタイプでなかったのも理由のひとつだと察している。
けれど、文明が発展して何事も便利な都市生活を送っていると、日本の四季がハッキリしてたのは、昔の話じゃないの? と考えてしまったりもするものだ。
さて。
「──ここも、ある意味じゃ、四季なんてないようなものだしな。でも、うっすらとしたピンクや青はあるか」
相変わらず自分がどこにいて、何という地名を彷徨い歩いているのか。
冬眠を挟んだせいで、すっかり時間感覚もぶっ飛んでしまった今日この頃ですが、俺はいま、ごくささやかな春を感じています。
早朝に降り注ぐ太陽の淡やかな光。
日没間際にかかる深い青のグラデーション。
見てください。
なんと綺麗な光景でしょうか。
遥か頭上に描かれた雄大な自然のアートに、地球の巨匠たちもさぞや舌を巻いているでしょうね。
真っ白な雪の大地も、思えばこれほどのキャンバスはありません。
早朝になると、ピンクとオレンジの狭間のような、うっすらとした光のカーテンが描かれます。
実に心が和みますね。
昼間は天気が良ければ、目に眩しいほどの強烈な光の反射です。
これは人によっては、賛否両論といったところ。
一方で夜が近づけば、今度は息を呑むほど真っ青な世界が広がり、空には満点の星。
世界遺産認定は確実に待ったなしと言えます。
本当に綺麗です。
でも、それ以外に春らしいことは一切感じられません。
雪溶けで顔を覗かせる地面はなく、木々は遠慮がちに侘しく姿を現すのみ。
鳥や獣も無駄な体力を消費しないために、ひっそりと活動していて、音の震えはあちこちに積もった大量の雪に吸収されて。遠方にまでは届かない。
ここは常冬の万年積雪地帯なのだと、改めて思い知らされる。
(冬しかないんじゃ。ここにゃぁ)
あれから八日後。
「……山。それに、森もか」
俺はついに、新天地へやって来ている。
「木の感じは、前いたとことあんま変わらないな」
ザッ、ザッ、ザッ。
スキー板を外し、森の中を探索する。
例によって例のごとく、川の遡上を続けることでまたしても豊かな土地を発見することができたが、森の中は然して変わらず、あのオバケツリーがいた林と似たような植生をしている。
違いがあるとすれば、樹木の根本的な数と全体的な背の高さ。
天気なんて、ただでさえ鈍色の空模様が多いのに、森に入ると一瞬で薄暗くなる。
ここが林でなく、森であるという歴然とした証拠だ。
規模が大幅にスケールアップしている。
あ、あの林にはなかった、白樺っぽい木もチラホラ散見されるな。
「つまり、唐突に動き出すヤツがいても、何もおかしくないってことだ」
とりあえず、これだけ深い森だとまたぞろ暴力的な木がないとも言い切れないので、いったん、俺はそそくさと森の外へ退場する。
ひとまず、使える木材資源がたくさんあるのは素晴らしい。
「川は……山から流れてきてるみたいだな。湖もあるのはすごい」
山麓は森に囲まれ、いかにも理想のキャンプ地のような趣だった。
コテージハウスの一つや二つでもあれば、立派な別荘地にも見えたはずだ。
湖面は厚く氷を張っているが、穴を開ければワカサギ釣りの要領で魚を獲れるかもしれない。
ここが日本であれば、きっと大勢の観光客を呼んだだろう。
「ワカサギ、いるかな?」
比較的氷が薄めのところを探して、後で釣りが可能かどうかたしかめてみよう。
余裕が出てきたらリベンジだ。釣り糸も作らなきゃダメだな。
「食い物は……たぶん、問題なさそうだ」
川もあるし、道中、春になったことでかシジミモドキとウナマズも見つかった。
シャケマスはいなかったが、どうも稚魚らしき小魚はいる。
そして、サソリとムカデを合体させた感じの、これまた新たな種のエビもいたので、一日一日の食糧補給にはしばらく困らないだろう。
山と森に行けば、きっと別の獲物とも遭遇できる。
「じゃあ次は……基地と工場か」
安全な住処と保存食の生産工場。
一度目の冬越えはよく分からない内に終わってしまった。
だが、前半の苦しみは忘れたくとも忘れられない。
子どもの体格と筋力でどうにかできるレベルの建築では、とてもあの冬を越えるコトはできない。
できれば洞窟とか、そういう天然の家屋を利用した頑丈な住居が欲しい。
あとは、燻製肉と干物を大量に生産できる『工場』スペースも必要だ。
イカれた飢餓の苦しみで、なんだかんだ、食べられる野草の類も記憶にある。その辺の木の根っことか、意外にイケるんだなコレが。
可能だったら、『農作』にも挑戦するか。
「いやいや……あんま高望みしても、無駄に時間を失うだけだし、まずは絶対に必要なものだけ考えないと」
できれば、三日くらいで良い条件の立地を発見したい。
俺は山の麓に向かって、どこか良さげなポイントがないか、いそいそ探し回った。
水が近くにあるのは必須。
なので、水辺からそう遠くない、けれど多少の空間があって、理想を言えば屋根と壁があるところを探す。
(まぁ、壁は最悪なくてもいいが、屋根は欲しいよなぁ……)
ブッシュクラフトマスターの道は険しい。
そんなことを考えながら、俺はやがて、山の下腹であるものを発見する。
「これは……」
倒木。
しかし、ただの倒木じゃない。
まるでトンネルのような、大きな穴の空いた筒状の巨木だった。
樹皮は分厚くて頑丈で、ためしに蹴ってみてもビクともしない。
中の広さも余裕があった。
これは本当に、トンネルそのものじゃないか。
「はぁ〜〜? 最高かよぉ〜〜!」
屋根と壁を作る必要はなく、両端の穴に扉かカーテンみたいなものを用意するだけ。
たったそれだけの手間で、立派な保温効果を持った基地が完成する。
樹皮の外側と内側には、ありがたいことに苔まで生えているので、天然の断熱材つき。
しかも、苔が生えているといことは、相当に古くからここにある。
すなわち、あの冬の猛威にさらされて、それでもなお雪の重みや雹に耐え切っている頑丈な砦。
基地として、相当に信頼できる環境。
「すごいな……でも」
唯一の欠点は、倒れている地形がやや緩やかな傾斜のため、中を移動するのには多少の注意が必要な点。
慣れない内は、少し躓いただけでうっかり転びそうになる。
だがそんな欠点を補ってあまりある住環境。
これほどの好条件を、みすみす見過ごす理由はどこにも見当たらない。
「港区の高級マンションより快適だぜ〜」
住んだこと一回もないけど。
ま、そんなことはどうでもいい。
俺は三つ目の拠点を手に入れた。
新天地一日目にして、これはかなりの好スタートだ。
必然、モチベーションがググンと高まる。
──それから。
俺はだいたい五日ほどをかけ、トンネル基地を住みやすいように改良していった。
苔を床に集めて寝っ転がりやすくしたり、葉っぱの簾を作って両端の穴を塞いだり、川辺の土を使って、泥の竈も作った。
直焚きは火事になるかもしれないから、専用の焚き火スペースとして石の暖炉も用意する。
寒い夜も、これで安心。
次に、俺はトンネル基地からやや下山した、森の端っこのところで、伐採の作業場を定めた。
というのも、近くにこれまた同じような倒木があり、小さいながらも倉庫として利用できそうな、小空間があったためだ。
木材を乾燥させて保管しておく場所に、これは活用できる。
いちいち拠点と伐採場で無駄な行き来をせず済むのも素晴らしい。
トンネル基地が山の下腹に位置するため、樹木の保管(運搬)には相当な重労働が待っていると後から気付いたからな。
伐採の作業場と保管場所の行き来が、坂道を経由せずに済むなら、そりゃあそうした方が楽でいい。
とはいえ、林にいた頃よりかはやっぱり行動範囲は増えた。
山と森と川と湖。
利用できる自然がひとところに集まっているため、自ずと一日に移動する距離が増える。
万歩計があれば、どれだけ歩いているのか計上したい。
消費カロリーの目安にもなる。
無理をして動きすぎると、貴重な
「お。これは」
やがて、俺は湖のほとりに、裸になった地層の壁をも発見した。
たぶんだが大昔、山の一部が地すべりか何かで、崩れるように削られたのだろう。
ちょうどそこだけ、ショベルカーでも使われたみたいに断層が顕になっている。
「ふむ」
俺はこれを、食糧保管庫兼生産工場として利用することに決めた。
壁に穴を掘って空間を作り、だいたいクローゼット程度の奥行きを生み出したら、いくつかの枝を横に差し込み固定。
あとはまんまクローゼットみたく、魚や肉を枝に刺してぶら下げて、真下には焚き火をセット。
煙が空間内に充満して、燻製の成功率が圧倒的に爆増する。
蓋には伐採した木の枝を、立板に見立てて置いとけば完成だ。
天気がいい日は日当たりもいいので、日干しにもちょうどいい。
──ここまでの進捗に、だいたい二週間から三週間弱かかった。
一方で、
「オマエは、まさか、エンドウ豆……!?」
森の外縁部にはささやかながらも野菜が存在し、米粒ほど小さいサイズだったが、豆っぽい植物も見つかった。
他には、セイヨウネギとセロリの中間みたいな草が生えていたため、俺はこれらも、何とか自力栽培できないか頭を悩ませる。
しかし、当初抱いていた農作への展望は、即座に諦めへと変わった。
というのも、土が固く、どこを掘っても、ロクに耕せそうな場所がなかったのだ。
いちいち除雪もしなければならず、俺は野菜を、見つけたら即採取し、冬に向けては乾燥保存していくしかないと方針を転換するしかなかった。
それでも、野菜を食べれるだけ恵まれている。
そうそう。
食べられる植物という点では、果物類は大いに期待を寄せたところだったけれども、残念ながら時期が早いのか、新天地では未だ見つけることができていない。
代わりに、川沿いに幾つかの小花を咲かせている低木があったので、フルーツなどは夏に期待しようと思う。
そして、肝心のメイン食糧となる肉類に関しては……
「ブフォッ、ブフォブフォ」
(イノシシ──いや、ブタ……?)
イタジリス用の罠を仕掛けている際、山の中腹で妙な四足獣を確認した。
全体的に白い毛皮をしていて、じっとしていると背景と同化して非常に見つけにくい。
だが、背中から妙な突起──見間違いでなければ、黒いシイタケのようなキノコを生やしており、何か物音を聞くと、すぐさま雪の中に潜って隠れる臆病な動物だった。
「なんか……カモネギの亜種みたいなヤツだなぁ」
鴨がネギを背負っているならぬ、豚がキノコを背負っている。
略すなら、ブタキノコ?
「まあいいや。豚ってことは、食える動物だろ?」
「ブッ、フィィィンンッ!」
「悪いな。けど、見過ごすワケにはいかないんだ」
狩った。
そりゃまぁ……狩るしかなかった。
大声をあげて威嚇すると、逃げもせずひたすらうずくまって動かなくなるのだから、そんなのは狩らずにはいられない。
地球のブタに酷似した姿をしていたのも、衝動の一因だった。
罪悪感に胸が痛んで仕方がなかったが、背に腹は代えられない。
俺は石斧を振るい、結果、久しぶりにたいそう美味しい〝食事〟を楽しむことができた。
「肉うめぇ。それになんだこれ」
口当たりが信じられないほど柔らかい。
まるで高級な、かき氷のようにフワフワで溶ける。
背中のキノコも、どういうワケか本当にキノコであり、食えるかどうかは分からなかったが、とりあえず焼いてみた。
「クぅぅ……!」
炊き込みご飯が無性に食べたくなったと言えば、味は伝わるだろう。
春の滑り出しは、このようにかなりいい感じのスタートを切った。
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tips:ノタルスカ山
北方大陸グランシャリオで最も自然の恵みに感謝できる山。
デドン川はここより始まり、山麓には長い年月をかけて貯水された非常に澄み切った湖がある。
ノタルスカに辿り着くことのできた旅人は、大いに安堵するがいい。
しかし、忘れるなかれ。
恵みが多いということは、すなわち〝何者〟にとっても同じく魅力的な土地なのだ。
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