#012「氷の蛙神とサーモンラン」



 ──食糧事情が厳しい。


「まずいな。マジで飢える」


 基地作りを終えた三日後。

 俺は渋い顔をして焚き火の前に座っていた。

 今朝の収穫はゼロ。

 罠による食糧調達は、案の定、当初から懸念していた通りに最悪の事態をもたらしている。

 イタジリスが捕まらない。

 すなわち、ストックしておける肉がない。


「林の内奥に罠を仕掛けられれば、まだ結果も変わるんだろうけど……」


 残念ながら、それはできない。

 この林には、あのバケモノツリーが潜んでいる。

 再び侵入して、アイツの機嫌を損ねれば、俺は今度こそ息の根を止められるはずだ。

 そうでなくても、あんな太くてゴッツい枝で体をブン殴られるのは、何回も経験したい体験じゃない。

 リスクを負うのも気が引ける。

 石斧一本でどうにかできる相手じゃなかった。

 屋久島の屋久杉ほどではないにしろ、結構な大木だったからな……


「すぅ──となると、やっぱ川か……?」


 初心に帰り、水の恵みに期待を馳せるべきか。

 最近は気がついたら水面が完全に氷を張っていて、水を飲む以外じゃ顔を向けるのもイヤなくらい水温が冷たいが。

 釣りは期待薄だし、追い込み漁はしんどいし。

 エビカリスが姿を消してしまったいま、確実に捕れる獲物はシジミモドキだけだ。

 シジミモドキ。シジミモドキ……


「オイラ、腹壊しちまうよ」


 とはいえ、林に生えているごくわずかな野草へ舵を切るというのも、リスキーといえばハイリスキーな気がする。

 ベリーなどの果実と違って、野草の類は食べられる草かどうかの見分けが、まったくできない。

 専門家じゃないのだ。

 なんとなくイケそう! ていう直観すらも俺は自分を信じられない。

 ま、しゃーなしである。

 前世じゃスーパーに行けば、いつだって見栄えのいい野菜を手に入れられた。

 個人的に野菜に興味が深かったワケでもないし、今だって、もしジャガイモの葉っぱが地面から飛び出ていても、そうとは気づけない強い自信がある。ジャガイモって葉っぱあるんだっけ?

 ともかく。


「──ウナマズ。俺の希望は、オマエに託された!」


 ウナギのようなナマズのような。

 ただ似ているだけで全然違う生態の魚かもしれないが、何にせよ、あの川魚であれば冬でも普通に活動しているはずだ。

 ナマズは冬でも釣れるらしい。

 逆に、ウナギは冬釣れないとも聞くけど……


「ま、なんとか頼むぜそこんとこ!」












 ダメだった。


「どうにもならんか……」


 午前中いっぱいを費やし、俺はガクブルと震えながら焚き火の前に座り込む。

 おかしい。これだけ凍えそうな思いをしたのに、状況が何一つとして好転していないだなんて。

 さては、またしても孔明の陰謀か? サイテーだな孔明。


「アホなこと考えてる場合じゃねえ」


 川の氷はずいぶんと分厚くなっていた。

 叩き割るというより、もはや地団駄を繰り返して何とか蹴り割ったというレベルである。

 当然、氷が割れれば水中へ落下したし、それはまぁ、想定していた分、ある程度仕方がないと納得もできたが。


「いったいなぜ、シジミモドキまでいなくなっているんですかねぇ……?」


 最悪の場合は、ヤツらで飢えを凌ぐことも考慮に入れていたため、急な状況の変化に理解が追いつかない。

 バカな。あれほどたくさんいたのに、ヤツらどこに消えたというんだ……!?

 餌として有用なシジミモドキが消えた以上、ウナマズ捕獲の見込みも消失している。

 俺は諦めたくない一心で、体を温め終わった後、再度川へ向かった。


 すると、



「……は?」



 川が、凍っていた。

 それは見事に、元通り。

 あれほどバキバキに破壊して、つい数十分前までたしかに水面が露わになっていたものが、何事もなかったかのように時間を巻き戻していた。

 嘘でしょ? そんなに気温下がってる?

 にわかには信じられず、「え?」と戸惑いながら氷に触れた。


「……」


 厚さには何の不審もうかがえない。

 少なくとも、肉眼でたしかめられる範囲ではなにもおかしいところがない。

 違和感が無さすぎて、逆にそれが違和感。


「…………」


 念のため、頬をつねって現実を確認。

 いかに氷点下といえど、水の流れる川がこんな短時間で凍りつくはずはない。

 つまり、これは〝異常〟ではないか?

 そう。

 毎度お馴染み、異世界ファンタジーの時間──


「────っ」


 血の気が失せた。

 ゾッ、として周囲を警戒する。

 だが、あたりには特段危機を感じさせるようなものは確認できない。

 耳を澄ませても、目を凝らしても、確認できる情報はここが見慣れた地獄であるという最悪の現実……否!



「……いた」



 視線の先、川の中、

 ソレは、まるで精巧な氷像のような『蛙』だった。


(……カエル。カエルだ。間違いなく、カエル)


 だがデカい。

 記憶にある世界最大のカエル、ゴライアスガエルよりも大きく、おそらく大型犬であるゴールデンレトリバーくらいのデカさがある。

 半透明で、ガラスのような、あるいは水晶とも呼べるような。

 とにかく無機的で、ツルツルした見た目をしながらも、まるで川の水にするように悠々と泳いでいる。


 疑問なのは、なぜ泳げるのか?


 川面は確実に凍りついているのに、ソイツはその氷を、なにも苦にしていないようだった。



(……というより、これは、ヤツ自身が……『氷』であって、『川』でもある──?)



 意味不明な、そんな直観が脳裏に去来する。

 けれど、もしもその直観が正しければ、川面が凍った原因はこのうえなく明白だ。


 ──つまり、あのカエルが、原因である。


 アイスフロッグ。

 いや、クリスタルガエルは、やがて俺の目の前、堂々と岸に上がってきた。

 途端、ソイツの踏んだ裸の地面──除雪作業により苔の地面が丸見えになったところ──が、サァァ……! と氷に覆われる。


(シシ○ミ様!?)


 ビジュアルは似ても似つかないが、記憶の中のかなり類似した現象に、思わず某有名アニメ映画の恐るべき神の名が浮かびあがる。

 違うのは、シシ○ミ様は草花を芽吹かせ枯らしたのに対し、クリスタルガエルは大量の冷気と川の氷面のような『道』を生み出したことだ。

 半透明のカラダには、内臓も筋肉も存在していないように見える。

 しかし、怖い。

 ドラゴンやオバケツリーとも違う、物理的な脅威だけじゃない、なにか得体の知れない概念的な恐さがあたりに充満していた。


 ──ヤベェのが現れた。


 俺の所感は、ただそれだけ。

 根源的な恐怖に縛られ、それ以外の思考が一切削ぎ落とされたとも言える。

 蛇に睨まれたカエルならぬ、カエルに圧倒された棒立ちの人間。


(いったいどんなコトワザだよ……!)


 カラダの大きさなら俺の方が若干上だ。

 なのに、生殺与奪を握られた感覚がする。

 一歩も動けない。

 息を呑んでカエルを視るコトしかできない。

 俺は、気がつけば『死』をも覚悟していた。


 ──だが。


「………………」


 カエルはなにも攻撃的な気配は見せず、小さくアクビをし、こちらを軽く興味なさげに一瞥すると、そのまま特に意に介した様子もなく、ただ元来た道を戻った。

 そして、再び川の中へトプンと半身を沈ませると、川上へ向けてスゥっと泳ぎ去っていく。

 姿はもう、見えない。

 どうやら、突然の危機は去っていったようだ。


「──ハァッ! ハァッ!」


 荒く呼吸をし、ドッと肩を下ろす。


「い、意味分からねぇ……! な、なんなんだよアレ……!?」


 よく分からないが、間違いなく尋常の存在ではなかった。

 幻獣、とカテゴライズするのは違うだろう。

 おそらく怪異的な、神的なナニかだったのは間違いない。

 ただの緊張から、こんなに汗が吹き上がったのは、前世を含めてもおそらくこれが初めてのことだ。


「つか、なんで岸に……!」


 しかも反対側でなく、まさかのこちら側。

 てっきり、すぐそばまで近づいて来たので、俺は完全に獲物としてロックオンされたのかと思ったが、そういうワケでもなかったみたいだし。

 あのカエルは、何を目的に岸に上がって?

 恐る恐る好奇心に駆られ、俺は慎重にカエルが通ったあたりをうかがう。

 すると、


「ヒッ!」


 そこには、が転がっていた。

 氷の中に圧縮され、不可思議なほど小さくなっているが、たしかに魚と思しき骨の残骸。

 見慣れたシジミモドキの、ひどく粉々になった抜け殻の集合──排泄物。

 つまり、あのカエルは、とんだ大飯食らいだったということか。



「クソ、がよ……」



 尻餅をつき、シンプルな呪詛。

 ウナマズがいなくなっていた理由は分かった。

 シジミモドキが姿を消していたのも、カエルに喰われていたからだろう。

 俺の食糧事情は何も解決していない。

 川の中から、ありとあらゆる食糧が消え失せた原因は理解できたが、同時に、どうにもならない現実までもが疑いようのない結果として確定してしまった。


「ふざけやがって……なにしてくれてんだ、あのカエル……」


 ビビらされた苛立ちも合わさり、俺は「クソッ」と頭を抱えた。

 しかし──ばしゃん、ばしゃん。



「──ん?」



 川下から、何かが来た。

 耳をぴくっと動かし、音の方に意識を向ける。

 バシャバシャ、バシャバシャ。

 近づいてくる水音は徐々に大きくなって、氷面までもがバキバキ内側から割られていた。

 魚影。

 しかも複数。


「え? ええっ? えええええッ!?」


 サーモン・ラン。

 鮭の川上り。

 真っ先に思い浮かんだのは、前世でも聞き知った有名な回遊魚の帰巣行動。

 鮭かどうか知らないが、とにかく大量の魚が川上を遡上している。

 次から次に、息つく暇もなく移り変わる急展開。

 俺はバカみたいに動揺するしかなかった。


 な、なんか知らんが、大量の魚がこっちに向かってくるぅッ──!



「お、おおっ!? おおおおおおおおおおおおおおお──ッ!?」



 それでも、賞賛すべきは生物の生存本能。

 なにが起きているのか、サッパリ状況が分かっていなくても、エネルギー不足に悩みまくっていた我が肉体は、大量の栄養補給チャンスに歓喜の叫びをあげて勝手に動き出していた。

 つまり、川へ飛び込み、がむしゃらに魚を掻っ攫おうとしたのである。

 それはさながら、北海道のお土産名物、木彫りの熊のように……



「神よ! この恵に感謝いたしますぅぅぅぅッ!!」



 俺はカエルに、気がつけば感謝の絶叫をブチ上げていた。

 















 だがしかし。


 たとえ大量の魚を確保し、燻製にして長期保存を可能にしても、この世界の本当の『冬』には、まるで準備が足りなかった。


 俺はこの一ヶ月後、人生で最大の『飢餓』を味わう──








────────────

tips:氷の蛙


 デドン川に棲息する謎多きカエル。

 その見た目から、明らかに尋常の生物ではない。

 現段階で分かっていることは、とんでもない大食漢であること。

 また、水と氷に極めて高い親和性を持ち、デドン川の実質的支配者であると呼べることのみだ。

 登場から直後の展開によって、メランズールはカエルを冗談まじりに福の神と捉えた。

 が、このカエルにそのような性格は存在しない。信仰も持たれない。

 実際の因果関係としては、カエルの行動によってデドン川から魚たちの天敵が消え失せることに端を発している。

 魚たちの帰巣。それはあくまで、カエルの生態を利用した種族保存のための生物的本能である。

 ──しかし、〝本能〟に組み込まれる。

 それはいったい、どれだけの年月を存在していれば可能なのだろうか……

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