#009「道具作りは文明への入口」
目を覚ますと、霧が出ていた。
「……濃いな」
雪洞の中までうっすら霧がかっているので、外では相当に濃い霧が発生している。
川沿いの暮らしのため、これまでも何度か、朝方になるとそこそこの川霧に見舞われてきたが、どうやら今朝は相当な濃霧らしい。
パチリ、と目蓋を開けて焚き火をチェックする。
天然素材に頼るしかない生活では、こういった湿気なんかが地味に手強い強敵だ。
なので昨晩、眠っている間に天候が悪化することを考慮し、焚き火の周りには石を積みあげた壁を用意しておいた。
その上に、大量の苔を被せて、真上からの襲撃には林から取ってきた長い枝をかけてあばら屋根の作成。壁も屋根も、同じ要領で苔を被せて防御を固めている。
嵐が来たらひとたまりもない吹けば飛ぶような防衛策だが、まぁ、やらないよりかはいいだろう。
その証拠に、火もちゃんと残っている。
霧のせいで一瞬ヒヤリとしたものの、苔の城塞がきちんと火を守ってくれているようだ。
やはり苔。苔がすべてを解決する。
なんて賞賛に値する苔なのだろう!
「グッボーイ、グッボーイ!」
苔を褒め、俺は雪洞の中からのそりと立ち上がった。
それにしても、今日は本当に霧が濃い。
川霧はいわゆる蒸気霧で、川の水面から蒸発した水が、風に運ばれてきた冷たい空気とぶつかって再度冷却され、霧粒となることで発生するらしいと記憶の片隅にあるが、ひょっとして、今川に入ったら少しは温まれたりする?
無論、入って出た後が地獄なので、絶対に入らないけど。
「ふぁ〜あ」
あくびをして全身を伸ばす。
昨夜の夜更かしのせいで、軽く全身がダルい。
しかし、体を動かさなければ、骨の髄まで凍ってしまいそうだ。
頬を叩き、しゃっきり目を覚ます。
ここでしゃっきりしておかないと、朝食のための川底浚いでショック死しかねない。
冷たい水に足先を漬け入れ、徐々に慣らしてからエビカリスの調達に向かう。
エビカリスは、エビとアノマロカリスの合いの子じみた見た目をしているエビだ。
カブトエビより大きくて、やや俊敏。
けれど、捕まえやすさは何も変わらない非常に残念な夜行性のエビである。
小一時間ほど水の冷たさと奮闘し、無事に二匹を捕まえた。
岸に上がり、さっそく調理を開始する。
「う〜、さみッ!」
水の中は慣れると温かく感じたが、外に出ればやはり風にさらされ死ぬほど寒い。
濡れた足を苔のブランケットで拭き、焚き火の前へ即移動。
枝にブッ刺したエビカリスを、火にかざして素焼きにする。
温度調節が効かないので、これは地味に目が離せない。
でも、エビは赤くなって食べごろを教えてくれるから、とても親切な生き物だ。
異世界でも、こういうところは同じらしい。
よく分からないが、
なんてことを考えながら、三十分ほど経ったところで、加熱処理が終わる。
俺はエビカリスをむしゃむしゃむさぼった。
歯に殻が挟まったりするので、この辺もちょっと気が抜けない。
川に行って水を飲んだら、朝食はこれで終わり。
最近は藻を食べるのをやめた。
よく考えたら、川底の石にへばりついている藻をそのまま食べるなんて、正気の沙汰ではない。頭がどうかしていたんだろう。
「そう考えると、やっぱ鍋が欲しいよなぁ……」
鍋があれば、単純に調理の幅が増えるし、水を沸かせば朝には毎回温かいお湯が飲める。
風呂を作るより、俺は先に鍋を作った方がいいんじゃないか?
「いや、ダメだ。初志を貫徹しろ、俺!」
体の汚れは病気を招く原因になる。
ダークエルフがどれだけ前世の基準に照らし合わせて美形だろうと、不潔なものは不潔だ。
真っ黒い肌で分かりにくいが、脇とか股間とか、確実に汚れているし臭い。
身につけている服は、すでに相当な悪臭を発している。
汚辱に塗れた記憶を封じるには、やはり魂の洗濯がなにより急務だ。
それに、風呂の構想は、すでに頭の中に完成している。
まず、バスタブ型に整形した雪を、川の水で一晩かけてカチンコチンに凍らせるのだ。
もちろん、それだけじゃお湯を張った時にすぐさま溶け出してしまうため、あらかじめ切っておいた木板と、大量の苔を敷き詰めることで、簡単には溶けない氷の湯船ができあがる。
断熱材として有用な苔は、お湯の保温効果すらもたらすだろう。
雪がすぐには溶けないようにする効果も期待できる。
あとは焼石を何個も放り込んで、バチボコお湯を沸かせば、インスタントバスタイムのいっちょあがり。
どうだ? なかなか冴えた考えだとは思わんかね、ワトソンくん。
「一時期DIYブームに乗っかって鍛え上げた日曜大工の腕前。これを活かす時は、今しかない」
地面を掘って、同じく焼石を放ってお湯を張る形式も考えてみたが、それだと結局、泥に塗れて汚れる気がする。
だったら、多少耐久性に難があっても、綺麗なお湯を張れそうな氷湯船を採用してみるコトにした。
そんなワケで。
「ありの〜ままの〜ほにゃらぁららぁら〜」
俺は木材収集のため、石斧作りに着手していた。
なにしろ、木を切り倒す道具がないからね。ガハハ。
「まったく……目眩がするほどのロングプランだ」
迷走かな?
自分でもよく分からない。
思わずクラリとふらつきそうになりつつ、どうにか踏ん張り、えいや! と気合いを入れた。
さぁ、とにもかくにも先ずは〝いい感じの石〟を見つけよう。
どうでもいいが、このなんか〝いい感じ〟を見極めていくことに、俺はサバイバルの妙味を感じている。
「──と、いい石発見!」
頑丈そうな丸石を発見したので、手にとって重さを確認した。
「……まぁ、まぁまぁなんじゃないでしょうか?」
横に長い楕円形の丸石。
これを水をかけつつ、ひたすら研いでいけば、歴史の教科書で習った磨製石器に変貌するはずだ。
打製石器と比べて、どっちが優れた道具なんだっけ?
覚えてないので、テキトーにゴリゴリ磨きながら、時々思いついたように他の石で打ちつけてもみる。
「あ」
一つ目の石が、真っ二つに割れた。
「ッ、スぅ──」
息を吸い、そして吐く。
これはもしかしなくとも、なかなか骨の折れる仕事ですね?
「けれどめげない! 泣かない! 挫けない! 二つ目ェ!」
今度は研ぎオンリーでやっていった。
途中で昼食を挟み、午後も同じ作業に没頭する。
すると、夕方になって、かなりいい感じの石刃が出来上がったではありませんか?
「オオ、ビューティフォー! ユーはベリービューティフォー!」
思わず立ち上がり拍手。
こうして、俺は一個目の石刃を入手した。
石斧作り。
なんて腰と肩と首が異様に疲れる仕事だろう。
だがしかし、石斧作りはなにも刃を作って終わる仕事ではない。
持ち手となる『柄』の部分と、石刃を嵌め込んで固定する『穴』の部分が必要だ。
俺はどちらかというと、こちらの作業の方に苦戦した。
「ガアア──ッ! また失敗した!」
棍棒上の枝がバキリと割れる。
石刃を嵌め込められるほど太い枝はあっても、彫り込む穴の大きさがデカすぎたり小さすぎたりで、いまいちうまくいかない。
翌日、翌々日。
力の入れすぎで枝が折れたり、そもそも単純に穴の作成作業に時間が持っていかれたり。
最終的にどうにかこうにか塩梅を見極め、苦心して石斧を完成させたのは、実に四日後のことだった。
後で気づいたが、石刃を作るのと同じで、先に穴空け用の鑿を作っておけば持ち手作りは楽だったに違いない。
だが、
「──フンッ! ──フンッ!」
自らの手で一から作り上げた石斧の働きは、苦労の甲斐だけあって、とんでもなく目覚ましかった。
およそ成人男性のふくらはぎ程度の太さの木。
それが、時間にしておよそ、十分という短時間で切り倒せる。
「斧やべぇ。斧やべぇよコレ」
語彙力が死亡し、俺は文明の利器の凄まじさを知った。
他にも道具を作ったら、いったいどうなってしまうんだサバイバル生活……!
「これからはバンバン道具を作っていこう」
え、ドラゴン?
あんなもん、端から勝てるワケないんだから、見つかったら諦めるしかないよ。
人間はやっぱり、文明の世界で生きていかないとな。
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tips:苔
苔には意外と優れた断熱効果があり、溜め込んだ水分を蒸発させて乾燥した状態に整えれば、天然の毛布やブランケットにもなる。
ベッドにすれば、きっとふかふかだ(迫真)。
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