第90話 アンテローヌ
トラディション伯爵領とランズリード公爵領の境にある、それほど高くない尾根を目指して登り始める。俺達とスケルトンの群れ、オーク、スタンジーがそれぞれ子供を抱っこしながら歩いているのは、奇妙ながらも、どこかほのぼのとした光景だった。
夕方になると歩みを止め、野営の準備をする。といっても焚火をして、晩飯にする肉を焼くだけだ。
肉はフィアが召喚したケルベロスが、森で狩ってきたものだ。狼や熊の魔物、野鳥の魔物などの肉があり、5人の大人と30人の子供の腹を満たすのに十分な量があった。飲み水は俺が水魔法で出している。
子供には、眠るのに寝床が無いと可哀そうだと思たので、フィアに頼んで、ケルベロスに腹ばいになってもらった。その両側に子供達をもたれかからせる。体長3メートルもあるケルベロスの巨体が、30人の子供達のベッド替わりになった。
俺達の中にいるリッチを恐れて、魔物達が近寄って来ることはない。
伯爵家からの追手もなく、2日目に山の尾根を越えたところで、
「お迎えに上がりました」と女の声がした。
「えっ」と驚いて身構える。
気配察知にも、熱感知にも、何も引っかからない。もちろん、周囲を見回しても誰もいない。
「私は、ランズリード侯爵閣下にお仕えしている者です。これから姿を現しますので、攻撃しないで下さいね」
そう言って、空中から姿を現したのは、青い髪をした、軽鎧に身を包んだ美しい女性だった。
彼女は、俺の前で片膝を付き、
「ダブリン殿のお姿は、王都の第3騎士団本部で拝見致しております。私のことは御存じないと思いますが、ランズリード侯爵家の長女、アンテローヌと申します。以後、お見知りおき下さいませ。ランズリード侯爵閣下の命により、城下までご案内致します」と言った。
「驚いたな。俺達の動向を把握しているのか?」と聞くと、
アンテローヌは子供達の方をチラリと見て、
「子供達を救出されたことは存じております。日中は、結界を張られておられるのか、我らでは把握できないでおりましたが、野営のときや休憩のときに結界が消えますので、その間に事の次第を把握致しました」
『把握と言えば聞こえはいいが、千里眼みたいなスキルで、盗み見しているということだよな』と思いつつ、
「それで、ランズリード侯爵様は、事情が分かっていて、俺達を迎えてくれるのか?」
「閣下は、子供達を救い出されたお働きを、大層評価されておられます。是非とも、城に招いてもてなしたいと仰せで御座いました」
「俺達を招くと、伯爵家から追手があるかも知れないんだが」と警告すると、
「侯爵家の部隊をこの尾根に伏せていますので、伯爵家の追手の心配は無用で御座います」と、アンテローヌと名乗った女性は鮮やかな笑みを見せた。
『この女性が、テレナの言っていた影なのは間違いなさそうだ』
「それなら、案内してもらおう」
「では、付いて来て下さいませ」とアンテローヌは、先頭に立って、尾根からランズリード侯爵領に向かって歩き出した。
暫く歩くと、30名近い女性ばかりの軽鎧の一団が姿を現し、
「子供達のことはお任せください」と言って、俺達から子供達を受け取ってくれたので、スケルトンやオーク、スタンジーなどの召還を解除した。
子供達は、女騎士達に抱っこされたり、手を引かれたりして、俺達の後ろを歩き出した。
何事もなく山を下り、侯爵領内の街道まで来ると、馬車や荷馬車が待っていて、俺達4人は、アンテローヌと一緒に馬車に乗り込んだ。
フィアは普段は姿を消していて、まだ、アンテローヌの前に姿を現していない。
子供達は、女騎士達に付き添われて、荷馬車に乗り込んだ。
「テレナリーサ様とのご関係は伺っておりますわ。テレナリーサ様がうらやましい限りです。ダブリン殿は、私のような女人はどのようにお思いですか?」
と、正面に座ったアンテローヌが、いきなり直球を投げて来た。
「あ、その、何だな、美しい人だと思います」と、面食らいながら答える。
アンテローヌは満面の笑みになり、俺の手を取って、
「それならば、私は、ダブリン殿のお好みと考えてもよろしいですか?」
と畳みかけて来る。
『この攻勢は、何だ?』と戸惑っていると、
「失礼ながら、アンテローヌ様には殿方はおられぬのか?」とクレラインが、横から割って入った。
『ナイスだクレライン。しかし、その話題は、地雷を踏むかもしれないぞ』と思っていると、
「あなたは、確かクレラインとおっしゃったかしら。よいご質問ですわ。私の殿方は、今、見つけましたわ。こうして手をお繋ぎしておりますものね」
アントワーヌはそう言って、悪戯っぽく、大きなウインクを俺に放った。
「はははっ、これはクレラインが1本取られたな。このような御仁なら、我らのご主人にふさわしいかも知れない」とルビーが笑う。
「あら、あなたはルビーさんかしら。今後とも、よろしくして下さいな」
どうやら、女達のコミュニケーションが始まったようで、俺は会話から弾き出されてしまった。
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