第79話 黒い貴族
かつてのトラディション伯爵領は今よりもかなり狭く、周囲を山脈に取り囲まれた、かろうじて農耕が可能な小さな盆地に過ぎなかった。
そのためトラディション伯爵家は、伯爵家としては貧しく、下級家族からも同情される始末だった。
ところが、数百年前に幸運が訪れた。
ある冒険者が、領地を囲む山脈で黒い鉱石を見つけ、それを買い取った商人が当時のトラディション伯爵に、その鉱石には、純度の高い貴重な金属が含まれていることを教えたのだ。
しかし、その鉱石が採れた場所は、伯爵領の外にあり、山岳民族の暮らしている土地だった。
伯爵は、寡兵ながらも兵を起こし、山岳民族からその土地を奪い取り、鉱脈を我がものとした。
その鉱脈から採掘される鉱石によって、伯爵領は豊かになった。
その後、さらに2つの鉱脈を見つけたトラディション伯爵は、それらの土地も山岳民族から取り上げ、他の貴族からも羨まれる程の栄華を極めた。
しかし、いつしかその鉱石を掘り尽くし、次々と鉱脈が枯れ始めた。2つの鉱山からは、今なお、細々と鉱石が採れるが、1つの鉱山は完全に枯れた。
豊かな鉱山からの収入により、王族並みの贅沢を享受していた先代のトラディション伯爵家当主は、減少してきた収入を補うために、従来からやっていた奴隷売買を拡大させた。
王国では、奴隷売買は違法ではなく、各領内での奴隷の扱いに関する全ての権限は各領主にあるので、領主自身が手広く奴隷売買をすることに何の問題もなかった。
しかし、奴隷の売買は、人手と手間がかかり、トラディション伯爵家の懐は、鉱山経営ほどには潤わなかった。そこで、奴隷管理の経費を浮かせるために、子供の奴隷を主に扱うようになった。
しかし、商品になる子供の奴隷は数が少ない。そこで目を付けたのが、山岳民族だった。彼らの子供を誘拐することにしたのだ、
山岳民族は、トラディション伯爵領を囲む山脈に、数千人がいくつもの小集団に分かれて暮らしており、大抵は50〜60人の小集団で山の中を移動しながら暮らしていた。
その部族から子供を誘拐しては。奴隷として売る。それを、普通の奴隷売買と並行することで、伯爵家の収入はようやく従来並みに回復した。
先代のトラディション伯爵家は、山岳部族の子供を誘拐する為の組織をつくったが、その組織が、他領の子供も誘拐するようになるまでに時間はかからなかった。
トラディション伯爵家は、いつしか他領の奴隷売買組織や犯罪組織と手を組むようになり、ストリートチルドレンが多い王都で子供を誘拐し、他領へ売却することで、より大きな利益を得るようになっていった。
王国の貴族が治める多くの領地では、子供の奴隷売買が許されており、子供狩りと称して、ストリートチルドレンを一斉に捕縛することが定期的に行われている。ここで捕縛された身寄りのない子供達は、そのまま終身奴隷にされて、奴隷商に売られ、売り上げは領主の懐に入って来る。
しかし、王都では、家事奴隷以外の子供の奴隷売買を禁じているので、子供狩りのようなことが出来ない。その為、王都では、スラムで暮らすストリートチルドレンの数が、他領に比べて圧倒的に多い。
そして、王都では厄介者と見なされているストリートチルドレンを誘拐しても、世間の反発はない。
そんな負の感情に上手く乗って、トラディション伯爵家は、王都で子供を誘拐し、他領で奴隷として売るという黒い商いに力を入れるようになった。
そして、いくつもの領地に、王都の子供を売り払っているうちに、各地の領主との繋がりが深まり、いつしか、王都の子供を誘拐しては奴隷にして売買する裏のネットワークが出来上がった。
当初は、王都で誘拐する子供はストリートチルドレンだけに限っていた誘拐組織だったが、もっと儲けたいという欲望に負けて、一般の平民の子供まで誘拐するようになり、王都の裏社会勢力の主流を占めるようになっていった。
そうなると、その力を勢力争いに利用しようと考える貴族が現れ、敵対する貴族や潰したい貴族の子供の誘拐の依頼が、誘拐組織に舞い込むようになった。
しかし、この組織は、元はトラディション伯爵家から発し、さらに、この裏ネットワークに参加している領主の多くが、従来からあった貴族の同盟の一つであるフスタール同盟のメンバーと重なっていた為、その誘拐組織が、フスタール同盟に敵対する者に対する刃になったのは自然な流れだった。
こうして、いつの間にか、王都の子供の誘拐は、フスタール同盟が黒幕であるというような状態になっていく。そして彼らは、事情を知る者から、いつしか黒い貴族と呼ばれるようになっていった。
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