6月生まれの魔女の娘

成若小意

6月生まれの魔女の娘

第1話 アレクサンドリア

 アレクサンドリアは今日も残業をしていた。

 仕事の内容は、古代魔法の古書を解析して写本すること。


「アレクサンドリア、まだ残ってたのかい?」

「ええ、キリのいいところまで終わらせてしまいたくて」


 心配した上司が声をかけてくれる。

 ノルマが決まっているわけではない。でも今の作業を終わらせないと、明日お手伝いに来てくれる見習いの子たちに渡す仕事がない。そう思うと、ついつい遅くまで残ってしまうのである。


「仕事熱心だな」

「明日あの子達が来て、すぐに渡せるようにしておきたいの」


 母が高名な魔女であったおかげで、魔法に関する知識は豊富にある。そしてそのおかげでこの仕事を紹介してもらえた。

 紹介してくれた今の上司は、かつては母の仲間であり、今でもあれこれと世話を焼いてくれている。


「それに、私この仕事好きなの」

 アレクサンドリアは作業の手を止め、上司に振り向く。ふわふわの、透けるような銀髪が揺れる。


 写本の作業は楽しい。羊皮紙のこすれる音、インクの匂い、目にする不思議な魔法陣の数々。

 それらに触れているだけで、あっという間に時間は過ぎていく。


 自分としてはとても好きな作業なのだが、アレクサンドリアは見習いの子たちに、写本という単調な手伝ってもらっていて申し訳ないとも思っていた。


 彼らはやがて魔法省に入り、国の重要な仕事を任されることになる。そんな優秀な子たちなのだ。もっと後々に役に立つ仕事を任せてあげられたらいいのに。


 アレクサンドリアはそう心配するのだが、実際はこの仕事の手伝いができることは彼らにとって幸運であった。


 この仕事の手伝いにはある程度の魔法の基礎知識が必要だ。しかし、そのような知識のある現役の魔道士たちはすでに国の機関で重要な役割を担っている。


 基礎の知識はあるが役職のない、見習い達に必然的にこの仕事はまわされた。そして貴重な魔法陣に豊富に触れられるこの仕事の経験は、将来宝となるだろう。


 そうとも知らず、見習いの子たちに少しでもいい仕事を渡してあげようと、黙々と仕事をこなすアレクサンドリア。





 彼女は職場で人気があったが、すでに結婚していた。相手は救国の魔女と呼ばれる母の仲間である若い騎士。彼も国民に人気があった。その為、そんな人気者に敵うわけがないと皆早々に諦めて、影から見守るだけだ。


 職場は国軍が使用する施設の一部を改装して作られた場所にあった。たまたま遺跡から発掘された、大量の古代魔法の本を解析するために新設された部署だ。アレクサンドリアが所属する前から職員は数名いたが、本業との兼任の者も多く忙しいらしく、今では解析の殆どをアレクサンドリアが担当している。





「アレクサンドリア様、まだ仕事してらっしゃる」

 部屋の入口に頭が3人分縦に並ぶ。まるで団子のようだ。

「しー、静かに! アレクサンドリア様に気づかれてしまうよ」

「そうだ。せっかく早く帰してくれたのに、まだ残っていると心配されてしまう」

 見習いの3人組である。

 優しいアレクサンドリアの下で働けることを誇りに思っている。なんなら、彼女に心酔している。


 見習いの3人組同様、皆多少なりとも彼女に好意を寄せているのだが、熱烈にアピールする者はいないため、アレクサンドリアはそれに気が付かない。ただ単に、気のいい者たちの集まった職場に就職できたと、上司に感謝している。


「もう少し進めたら今日の分は終えるわ」上司にそう言ってアレクサンドリアは作業を再開した。


 アレクサンドリアの仕事の中心は、魔法に関する古書を写本するだけでなく、分析することである。ボロボロになった本の魔法陣を丁寧に書き写し、そこに書き込まれている呪文の内容を読み取り、そして魔法を実際に再現する。さらに、その魔法が何にどのように使われていたのか分析していくという作業だった。


 本来この作業は、上級魔道士たちが集まり、知恵を絞って一つ一つの魔法陣を読み解いていくものだ。


 しかし、アレクサンドリアは基本的には一人で作業をしていた。上級魔道士たちが、本業で忙しいというのもあったが、知識量がそもそも違っていたのだ。大魔法使いである母に連れられて、あちこちで使われる魔法を目の当たりにしていたアレクサンドリア。それこそ世界中の魔法の知識を得ていた。知識だけでなく、応用方法や、世界各地での珍しい魔法の使い方も目にしていた。


 そのため、柔軟な発想をもって古書解析にあたり、今までの魔術師たちでは成し遂げられなかった、目覚ましい発見を数々達成していた。


 そのことを、彼女自身はあまり自覚していない。


 そのため、発見した内容の権利に特に固執せず、次々といにしえの謎に包まれた魔法陣を解き進めていた。そうして解析まで終わった魔法陣は、見習いたちによって複写、製本され、世に出回っていった。


 巷の魔法技術が近年凄まじい勢いで発達しているのも彼女の成果だったのだが、それも知らない。


 



 もちろん、その古書編纂へんさんに対する正当な収入を彼女は得ている。アレクサンドリアは、この仕事についた最初の頃に、上官に作業のノルマについてこう聞いていた。


「簡単なものは一万ゴールドの報酬で、やって欲しい作業の目安は魔法陣30枚程。中級は10万ゴールドで、目安は3つほど。上級は100万ゴールドで、できれば取り組むという形でいい」とのことだった。


 しかし、そこでアレクサンドリアは勘違いをしてしまった。上官は一ヶ月のノルマとしての目安を語ったのだが、彼女は一日のノルマと捉えた。そして簡単にこなしてしまった。


「アレクサンドリア、目安の30と言うのは、一ヶ月での目安なんだよ? 」

 上官はひきっつった笑顔でつげるが、

「そうなのですか? でも、楽しいのでこのままこのペースで続けてもいいでしょうか? 」

 と懇願されてしまっては、上司も否とは言えない。


 こうしてこのまま、膨大な量の古書解析が進んでいった。


 アレクサンドリアは思う。編纂の仕事は楽しい。

 しかし、当時どのように使われていたのかまだわかっていないものが多い。

 例えば火の魔法陣でも、身の丈を超える火柱が上がってしまう。


「投げつけるのかしら…? でも、置いたまま使うみたいだから、炎が真上に上がってしまうわ。このままでは攻撃に使えるわけでもないし…。魔物の丸焼きにでも使ったのかしら」

 

 救国の魔女とよばれる、大魔法使いの母。

 その仲間の上司や夫。

 そんな特殊な環境で育ったアレクサンドリアが、職場である国軍官舎の中庭で炎柱やら氷柱を上げるのはよくあることだった。

 また素晴らしい研究をしているのだなと、皆仕事や訓練をしながら暖かく見つめ、今日ものどかに時が過ぎていた。

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