第四十四話 崇高な思惑

「随分と好き勝手にやってくれたようだな」


 極限の怒りが篭った其の言葉を耳にし、不敵に頬を上げるライド。


「あぁ、やってやったよ」


「さて、エラルド・リーバスさん……承認印の押された書類、全て出して頂きましょうか」


 返って来る沈黙、民衆の声が部屋の中にまで響き渡る。


「領民が……いえ、この国の民が出した答えです。最早逃れる事は出来ませんよ」


 老人はゆっくりと振り返り、遂に此方へと怒りに満ちた、其の表情を向ける。


「よもや……と、思ったが……随分と息子が世話になって居たみたいだな、サイディル。どうにも君達は勝ち誇っている様だが、此方にもまだ打つ手は有るのだよ」


 息子?……リーバス……。

 そう言う事か、まさかとは思ったが、この老人……イニールドの父親か。


 俺が従軍していた時は、確か王政次席高官とか言う立場だったか?。

 今の今まで、この様な上位の立場に居たとは……いや、其れを維持するための隠蔽、とも取れるか。


 己の地位の為だけに、全ての民を巻き込み……奴が知ったらどう思うだろうな?。


「アンタの息子は潔かったぞ。最後は自身の地位を惜しむ事無く、全てを未来に託した」


「潔かった?……フッ、笑わせてくれるな、信念が弱かっただけの事だろう?儂は、そんな愚かな息子と同じ道を辿るつもりは無いのでな……己の信念を貫かせて貰うぞ」


 聞くに堪えない言葉の後に、声を張り上げ誰かを呼び寄せる。

 すると間も無く、現す人物の姿を目に、俺の全身から血の気が引いていく。


 目の前の光景を信じたく無いのは恐らく俺だけでは無い筈だ、夢であって欲しいと願ってしまう……しかし、これは紛うことなき現実。

 やっとの事で、声を絞り出す。


「キーンメイク……何故ここに?」


「この人となら僕の目的を達成できると思ったんだ」


「おい、冗談だろ?……お前の目的は多くの人を、怪我や病気から救う事だろう?」


 隠しきれない動揺を見せながら、震えた唇を動かすライドの顔からは生気が消え失せている。


「そうだよ……でもね、僕一人じゃ到底、救いきれないんだ……だから僕は、争いを無くす事にしたんだ」


 恍惚とした其の表情を目の前に俺は、不確かながらも、と言う思いに駆られる。


「争いを無くすのは、俺達だって――」


「儂の目的は国の、そして世界の支配だ。しかし、其れには力が必要だ……強力な力が有れば争いすら支配できるのだ!」


「だから僕は、この人に協力しているんだ」


 世界を支配できる程の力、思い当たる物は有るが……まさか。


「再び悪夢を望むのか?」


 問い掛けるも、一つの言葉も発しないまま、キーンメイクは小脇に抱えた木箱から、小さな瓶とガラスの筒を取り出す。


「悪夢?……違うよ、遂に完成させたんだ。今までの欠陥品とは違う、身体能力、生命力、全てにおいて最上の魔族を生み出せるんだ」


 見開く瞳はまるで狂気が宿っている様に見える……此方に伝わる息遣いですら、以前とはまるで別人だな。

 豹変してしまった……そんなキーンメイクへ、俺を押しのけライドが歩み寄る。


「後悔する事になるぞ」


「ライド……其れは無いさ!そんな言葉で揺れる位の覚悟で、此処に居ると思っているのかい?」


 更に一歩詰め寄るライドの顔には、静かな怒りが表れる。


「……昔、とある腕の立つ薬師が居てな……呆れる程にこの国を愛している奴だ。そいつは多くの民の、この国の平和を願って、人間を異形へと変えたんだ。其れによってこの国は、他国からの侵攻を退ける事が出来た」


 充血した瞳を僅かに潤わせ、キーンメイクの胸ぐらへと掴み掛る。


「しかし奴は後悔していた!異形となった人間は魔族と罵られ、迫害を受けていた事を心の底から……お前の親父は……ジルベルトは悔やんでいた」


「うるさい!君に何が分かるんだ!」


 荒げた声と同時に、キーンメイクがライドを突き飛ばす。

 

「いってぇな……お前の気持なんか分からねぇよ……だがな、お前がこの先どんな道を歩むのかって事くらいは分かるぜ」


「……」


 沈黙、平静を思わせる其の面持ち……しかし、俺には分かる。

 揺れ動いている其の心情が。


 次第に両の瞳は左右へ泳ぎ出し、手が小刻みに震えだす。


「何をしている?争いを無くすのだろう?」


 言葉にならない声を上げ続ける、その様にエラルドは更に煽り続ける。

 何度も、何度も……世界を救う、理想の為と。


 嗚咽を上げ、崩れ落ちるキーンメイク……痺れを切らしたエラルドが小瓶を奪い取り……。

 握り潰す。


「何を……」


 意図が分からないその行動の直後……血液の滴る掌が変貌を見せる、其れは大きく、見るからに強靭な物へと。

 瞬く間に其れは全身へと広がり、老体であったはずの身体は大きく隆起した筋肉の塊へと変化を遂げる。


 圧倒的な威圧感、身体が硬直する……目の前で丸太の様な腕を振り上げていると言うのに体が動かない。

 叫べ、声を上げろ……でなければ。


 部屋が、建物が揺れる。

 振り上げた腕の餌食となり壁に叩き付けられたキーンメイクは、ピクリとも動かず床へと崩れる。


「キーンメイク!」


 硬直が解けた……しかし、既に目の前には剛腕が迫る。



「――兄ちゃん……さっさと剣を抜きな」


 盾となったクルダー……屈強な体は瞬き一つの間に、窓の外へと投げ出される。


「チッ」


 思考よりも早く動いた腕は、剣を握り異形へと変貌したエラルドを斬り付ける。

 しかし、分厚い肉の鎧が刃を弾き返す……ようやく本能に思考が追い付く。


 すかさず二本目を抜剣、首筋へと振るうも、いともたやすく指先のみで受け止められる。

 一筋縄にはいかない……この狭い室内、充分に距離を取るのも容易ではない。


 ならば、最優先は―――


「ライド!一先ず部屋を離れろ、コイツは俺が対処する。書類はお前が何とかしてくれ」


「あぁ、分かった……死ぬなよ!」


 さて、どうしたものか……振るった刃は二本とも、ビクともしない。

 距離を取ればミーナからの援護も考えられるが……。


「――失礼するよ」


 腰の辺りに何かが触れる感覚の後に、目の前に躍り出る人影。

 以前と変わらぬ、軽やかな身のこなしで棚を踏み台に跳躍、そしてエラルドの眼球へと短剣を突き立てるのはサイディル。


「があぁっ――」


 雄叫びと共に崩れる体勢……好機。

 

「ミーナ、援護は頼むぞ!」


 僅かに食い込んだ刃へ更に力を、全体重を乗せ徐々に部屋の隅へ、そして空になった窓枠から空中の二人旅へと。


「おっと、置いてけぼりは勘弁してくれ……私はこう見えても寂しがり屋なんだ」


 腕を掴まれ、三人仲良く空の旅へと……そして数秒後、身体に凄まじい衝撃が伝わる。

 だが身体は動く、問題は無い。


「まったく、相変わらず無茶をするね」


「アンタもな」


 短剣を片手に公園で、はしゃぐ子供の様な笑みを見せるサイディルに懐かしさ、そして嬉しさが込み上げる。

 しかし、感慨に浸っている暇は無いらしい……。


 起き上がり、此方を睨み付けるエラルドの身体には傷の一つも見当たらない。

 あの高さから下敷きにしても無傷か。


「さぁて、囮は私が引き受けよう。君は存分に立ち回ってくれ」


 この男の存在が、こんなにも心強いとはな。


「頼んだぞ!」


 剣を構え直し、エラルドとの距離を詰める。

 間合いに入ると同時に振り下ろされる、巨木の様な腕を二本の刃で受け止める。


 ハザックベアの比にならないな……腕、一本でこの力……迫るもう一方はどうするか。


「歳を食って、勘が鈍りましたか?」


 声を上げながら背後へと回り込むサイディルに気を取られたのか、一瞬腕の力が減少する。

 これなら……押し返し、すかさず前転。


 股下へと潜り込み、そのまま背後へ……あの男、流石だな。

 立ち替わる様に、正面へ移るとは……目標もサイディルへと変わったか。


 ならば、このまま背後を……そうだな、後頭部付近が妥当か?其れに奴の正面には今――

 キラリと瞬く一筋の光、其れから一瞬……大きく頭をのけ反らせるエラルド。


 ミーナからの援護……短剣の刃が通るのなら勿論、矢で射貫く事も可能だ、この好機を無駄にするな。

 地面へ迫る上体、構える切っ先は下後方、力一杯に振り上げる。


 巨大な頭と刃が逢着を果たす、落下物を下方から斬り上げるような物だ……威力は申し分ない筈。

 皮膚を斬り裂き……頭蓋を、砕けない……。

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