第三十五話 求めたモノ

 辺りを包み込む夜の帳、鳥の鳴き声と荒れた街道が不気味さを際立たせる。

 忘れる筈が無いこの景色。


「ライド、何処へ向かっているんだ?」


 問い掛けに一番で返って来たのはライドが鼻を鳴らす音。


「お前は本当にシラを切るのが下手だな。この道を、そしてこの先にある物をお前が忘れる筈、無いだろう?」


「確かにそうだな。じゃあ、聞かせて貰うが何故、王城に向かっている?」


 ライドの言う通り忘れる筈が無い。

 張り裂けそうな胸を抱えながら、走り抜けた王城へ続くこの道。


「言っただろ?会わせたい奴が居るって……其れに、ソイツへ色々と報告しなきゃいけない事もごまんとあるんだ」


 そうだ、出発前にそんな事をいていたな。

 詳細を聞かずに此処迄、来てしまったが……。


「新たな協力者か何かか?」


「まぁ、そんな所だ。一応、事前にお前達の事も伝えてあるから安心しろ」


「……そうか」


 退屈しのぎの短い会話が終わった途端、辺りで喚いていた鳥の声が止む

 夜闇に、広がる気味の悪い静寂。


 ふと、辺りを見渡せば未だに残る馬車の残骸や、地面に突立つ矢と錆びた剣。

 記憶が鮮明に蘇る。


 込み上げる胃液を押しとどめ、只管進めば次第に顕になるのは瓦解した石壁と、其れに囲まれる荘厳な建造物。

 徐々に速度を緩めた馬車は、やがて静かに停車する。


「さぁ、到着だ。付いてこい」


 馬車を引く先頭の馬から飛び降り、荒れた地面を慣れた足取りで迷いなく進み始める。

 着々と進むライドに続き、俺達はランプの灯りを頼りにゆっくりと、朽ちた街道を往く。


 数年ぶりに訪れたこの場所、目前に聳える石壁を見上げ、一歩を踏みしめる度に続々と記憶が沸き上がる。

 苦悶に満ちた従者の表情、真っ赤に染まる絨毯……。


 其所に沈む……。

 押し戻した筈の胃液が再び込み上げ、喉を焼く。


「リアム、大丈夫?」


 囁く様に発するミーナの顔には翳りが映る。


「大丈夫……少し嫌な記憶を思い出しただけだ。お前は……大丈夫か?」


 浮かべる、少し寂しげな表情で俺は悟った。


「殆ど思い出せないから……」


「んー、無理に思い出す必要も無いんじゃないか?」


 闇夜に響き渡る明るい声音。

 軽率とも取れるその言葉に俺はだと分かっていても、微かな怒りが込み上げる。


「おい、いい加減に――」


「ほら、よく言うだろう?世の中には知らない方が幸せな事もあると。それと同じで思い出さなくても良い事だってあると思うんだ……今を生きる君達なら尚の事だろう?」


 確かな怒りを覚えるにも関わらず、何故かその言葉に深く納得してしまう。


「おい、お前等。随分と楽しそうだな……何か月か前に来ていれば此処は、敵地の真ん中だったんだぜ。呑気な物だな」


 口には出さない物の、馬鹿バカしいとばかりに一つ溜息を吐き首を横に振って見せる。


「兄弟喧嘩か、親子喧嘩かどちらにしても、仲がいいのは構わないが程々にしてくれ。これじゃあ、暮れた日が登っちまうぜ」


 先を往くライドは城門を目の前に、此方へ背を向けたまま差招く仕草をして、俺達を煽る。

 僅かながら足早に進めた歩で辿り着いた逞しい城門。


 錆びた蝶番、歪みで随所が破断した鉄柵の門が、耳に残る嫌な音で啼きながら開かれる。

 変わらず先を進むライドに続き一歩、門を潜った先で目に映る光景に驚愕を覚える。


「ライド、お前が目指しているのは、なのか?」


 映る景色はさながら、小さな集落。

 所々に明かりを灯す簡素な屋台では、人と魔族が共に食事を楽しむ。


 言葉こそ聞こえないが、その様子はまるで確かに意思の疎通を交わしている様にも見える。

 その光景は俺にとっては異様でありながらも、まさしく其れは一般的な人間の生活風景。


「まぁな。驚いたか?」



「――ライドさん!戻られましたか!」


 初めて目にした光景に目を奪われている最中、突として何処からか声が……そして、バタバタと此方へ駆け寄る足音が耳へと届く。

 あぁ、この男か、見ないと思ったらこんな所で再開できるとは。


 しかし……。


「イバンじゃないか!どうして此処に?」


 そうだ、当然の疑問だろう。

 今更、何故裏切った等と詰め寄るつもりも無いが。


「前にも言っただろう?ギルドの中には俺達の仲間が他にも居ると……こいつもその一人って訳だ」


「支部長、すみません……密偵の様な――」


「いや、良いんだ。其れに君が居なければ私達は、恐らくあの場で死んでいただろうからね」


「サイディルさんの言う通りだ。コイツからの報告と内部での時間稼ぎが無ければ、俺達の準備もままならなかったからな……感謝しろよ?」


 言葉を放つと同時に此方へ、刺す様な視線がライドから向けられる。

 イバンを羽交い絞めにし、短剣を突き付けた、今となっては胸を締め付けられる様な記憶が蘇る。


「イバン、あの時は済まなかったな」


「いえ、あの様な状況でしたからね……冷や汗をかいたのは事実ですが、気にしていませんよ」


 何時か見せた表情からは想像が出来ない程に屈託の無い笑顔で更に、後ろめたさを感じてしまう。

 しかし、こうして打ち解ける機会を得た以上、引きずっていても仕方が無いか……。


 俺は無意識の内にイバンへと腕が伸びる。

 伸ばした腕が掌に包まれ、離される。


「わだかまりも解けたみたいだな。じゃあ悪いが、イバン引き続き、暫くの間は頼むぞ」


 一言、その場を纏め、ツカツカと建物の方へと再び歩き始める。

 僅かに視界へおさまる程度に此方の様子を確認し、後ろ手で『早く来い』と手招きを見せる。


 俺はイバンへ小さく頭を下げ、後を追いかける。

 十数歩先を往くライド、その傍らには常にと言っていい程に、誰かが付いて回っている。


 人、魔族を問わず幾つかの言葉を交わし、そして去って行く。

 言葉を交わすその表情には何時も、眩いばかりの笑みを浮かべている。


 其れは、ライドの傍に立ち寄った者も同様で、人には笑顔が、表情を変える事の無い魔族は離れる際の嬉々とした足取りで歓楽を表していた。

 その光景を目の前に俺は、ライドに対する周囲からの信頼の強さを感じたと同時に、凛々しく歩く後姿へ、亡き国王の影を重ねてしまう。


「さて、着いたぞ」


 響く声が俺の思考に歯止めを掛ける。

 焦点を合わし映る景色は、とは幾分か変わってしまっていた。


 装飾の施されていた、とば口は朽ち果て室内が顕になっている。

 天井から吊るされる光を灯す事の無い照明、壁に掛けられた色の褪せた絵画……一歩足を踏み入れ、目に入る物の一つ一つが記憶を呼び起こす。


 月明りの射し込む廊下を暫く歩き辿り着いたのは、一際大きな扉の前。

 今にも壊れてしまいそうな音を響かせながらゆっくりと、押し開ける。


 広間の中央、寂し気に置かれた玉座。

 腰を下ろしていた何かが此方へ近づいてくる。


 手に持ったランプの灯りで次第に照らし出されるその異形の姿。

 見上げる程の位置から感じる視線、獣の角の様な物が生える頭部、そして美形と言える顔立ち。


 衣服の上からでも分かる位に発達した上身の筋肉、伸びる脚部は細くも強靭な羚羊の足を思わせる。


「ライド、此奴等は何者だ。返答によってはお前の、息の根もろとも止めてやろう」


 高圧的な口調に意識が向かない程に、鋭い光を放つ縦長の瞳孔。


「何だよ、機嫌悪ぃな……こいつ等が書状に記した協力者だ」


「ほう?……して、王の忠臣と言う者はどれだ?」


 此方に向けられる一本の指。


「あんたの目の前に居る、外套を羽織った奴だ」


 にやりと不気味に口角を吊り上げる異形の表情、全身が嫌な汗で濡れる。


「其処の巨体……背中の獲物を寄越せ」


 クルダーへと伸びる長く太い、鈍器の様な腕。


「おいおい、礼儀ってもんを知らねぇのか?」


 ぼやきながらも槍斧を手渡す、その手は小刻みに震えている。


「おい待て!一体何のつもりだ?」


「何、少々の戯れだ。忠臣よ剣を抜け」


 戦闘?こんな所で?。

 しかし、ライドの言葉に対する冷淡な返答……上手くこの場を収められるか?。


「良いか?俺達は此処へ争いに来た訳じゃない」


「承知している。おれとて、争いを望んでいる訳では無い。言っただろう?唯の戯れだと」


「……おい、ライド。この状況、説明して貰おうか」


 浮かべる表情は困惑、頭を掻き毟りながら、絞り出した様な声を発する。


「いやぁ……お前達の事は伝えておいたんだけどな」


「はぁ……で、此奴は一体誰なんだ?」


「そうだな……永らく魔族達を束ねて来た、長の様な存在。言うなれば『魔王様』だな」

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