第二十七話 帰還
――暖かな陽の光が、頭の真上から降り注ぐ。
どれくらい馬車に揺られて居ただろう……教会を発ってから、此処迄の道中は欠伸が頻発してしまう程に穏やかな道程だった。
そして、今現在も陽気に誘われ、うつらうつらと瞼を閉じ、最大限の油断を見せていた所だ。
ただ、座って景色を見つめているだけ、と言う事もあるだろうが、そんな平和な道程にもそろそろ限界を迎える程に退屈していた。
鳥のさえずり、そよぐ風に揺れる草木の葉擦れの音色。
ゆっくりと時間が流れる、退屈ながらも心地の良いこの瞬間。
「――いやぁ、あの防壁を拝むのも何だか久しぶりな気がするね」
声のする方へ視線を向けると、静かで平穏なこの地に陽光が射し込む迄、随伴していた黒い巨体の姿がいつの間にか無くなっている。
其れに跨っていたサイディルも今は馬に跨り、大きく背伸びをしていた。
久しぶり……か。
リングランデを離れてから、そう日数は経過していないが、怒涛の様な日々を過ごした事もあり、確かに少々懐かしさを感じる。
「退屈そうだね?」
「穏やか過ぎてな……周りに付いていた、スケルトンやマッドスパイダーはどうしたんだ?」
問い掛けるとサイディルは少し残念そうな表情を此方へ向ける。
「君にも是非、跨って欲しかったんだけどね……流石に目立ってしまうから、森を抜ける前に別れたよ」
サイディルは、そう返答すると幾つか深呼吸をして見せる。
「本当に穏やかだね。きっと全ての事が済んだら、こんな日々を毎日送れるんだろうね……君も彼女と、ゆっくり流れる退屈な日々を満喫すると良いよ」
「彼女?……ミーナの事か?」
日々を満喫……。
戦いへ身を投じる決意をした、その日に交わした約束。
その目の真実を――
交わした約束を果たしたいと言う気持ちは有るが、其れは俺自身の目的。
ミーナは果たして、全てを知る事を望んでいるのだろうか……。
「どうしたんだい?何か変な事を言ったかな?」
サイディルは俺が沈黙していると、怪訝そうな表情で此方の顔を覗き込む。
「――嬢ちゃんに、打ち明けるかどうか悩んでいるんだろう?」
まるで、思考を読み取ったかの様な言葉。
其れより、
「そんな所だ……」
「お前は、真実を知っても再び歩み出す……いや、立ち止まる事をしなかった。だが全ての人間が、お前と同じって訳じゃねぇ」
そうだ……俺は知って良かったと、思えたかもしれないが……。
「お前と違って、その真実に絶望する者も居るだろう。知らない事、知ろうとしない事、その全てが悪いことって訳じゃ無い……知っても尚、行動しないと言うのならば、其れは間違い無く良い行い、良い判断とは言えない」
ライドが放つ其の言葉が一層、真実を告げる事への迷いを深くする。
「それに、真実を……全てを伝えるって事は、その相手に呪縛を与える様な物だ」
「呪縛、か」
「それに加えて、相手は王女様と来たもんだ。じっくり考え、お前が……嬢ちゃんが後悔しない選択をすると良い」
後悔の無い選択……未来で悔いる事は出来ても、過去を変える事は叶わない。
ならば、せめて今出来る最善の判断をしなければな。
刃を向けた相手ではあるが、
だが、気になる言葉が一つ……。
――其方も、同感だったか。
「では、君は呪縛を与えると分かっていながら、多くの、いや全ての民へ真実を晒すのかい?」
「そうだ」
サイディルの問い掛けにライドは間髪入れずに返答し、続ける。
「……サイディルさん、あんたはどんな死に方をしたい?」
唐突な問い掛けに、当人では無い俺も驚きを覚える。
そんな質問に、暫し悩まし気な表情をサイディルは浮かべる。
「死に様って事かい?そうだね……私には家族が居ないからね、共に背中を預け、戦った仲間に……リアムやクルダーに看取ってもらいながら、安らかに逝けたら良いね。君はどうなんだい?」
「俺も同じだ。……俺は、この目論見を必ず成功させるつもりだが、成功する確信は無い……だからこそ示すんだ、魔族は悪じゃないと」
確信が無いからこそ出来ることを……最善の選択を、か。
「そうすれば、もし全てが上手くいかなくとも、少しは安らかに……誰かに憎まれながら死ぬのは嫌だろう?少しでも、アイツ等が感じた苦しみに憐みを抱いて欲しい……さぁ、俺が同行出来るのは此処迄だ。お前達に掛かっているぞ?」
まったく……最後に重圧を掛けて来やがって。
「随分と重荷を背負っちまったな」
「ハハハ、間違いないね。でも、ライドの言う通り手は尽くそう……何も行動しないより、きっと幾倍もマシだろうからね」
「頼んだぞ」
サイディルと俺、今此処に居る人物に視線を向け、放つライドの一言。
その言葉には重圧、そして切な思いが強くのしかかる。
そしてライドはその言葉を最後に、その場へ立ち止まり、進む俺達の背を見送る。
サイディルは後ろ手に手を振りながら、ライドへ呟く。
「大丈夫。私達に任せなさい」
――ライドと別れ、また暫し退屈な時間を過ごした。
◇◇◇◇◇◇
目前に迫る大門と傍らに控える番兵。
少しばかり、鼓動が早まる。
門下に差し掛かった所で、番兵は掲げた槍を此方へ向け、停止を促す。
即座に行動したのはサイディルだった。
馬を降り、ゆっくりと番兵の下へと歩み寄る。
腰に携えた剣帯を番兵へ差し出し、抵抗の意思が無い事を伝える。
「
番兵はサイディルの差し出した物を戻すと、大通りへ歩を進める。
「さて彼等も、ああ言っている事だ。行くとしよう」
再びガラガラと音を立て馬車が動き始める。
見慣れた風景、聞きなれた喧騒。
想像していた様な混乱は見受けられずに、感じる少しの違和感。
高まる緊張を抱え、暫く番兵に追従し辿り着いたのは、俺が居座っていた宿屋だった。
だが、其処の風景だけは、何時もと違っていた。
建物の前に有った、少し拓けた土地に張られている幾つかの天幕。
周囲には鎧を纏い、剣を携える……恐らくギルドの者達が多数確認できる。
馬車を停め、降りた途端に一斉に降り注ぐ視線。
その、どれ一つにも敵意は感じられない。
そして、注目の的となりながら案内された、一際大きな天幕の前。
「少々お待ち下さい」
そう言い残し、先導していた番兵は天幕の中へと消えていく。
注目を浴び、少々気まずさを感じながら暫く待っていると、先程の番兵が天幕の中から顔を出す。
「中へどうぞ」
番兵に促されるままに、天幕の中へと足を踏み入れる。
異常な程に緊張が高まり、更に鼓動が早くなる。
焚かれた小さな暖炉による暖かさが広がる内部には、外に居た者と同様の装いをした人物が数名と、上流の貴族が纏う様な質の良い衣服を着込んだ人物が一名。
サイディルはその、上等な衣服を纏う人物を見るなり声を上げる。
「何故、領主である君がこんな所に居るんだい?」
「久しいな、サイディル。何年ぶりだ?少し
その言葉にサイディルは微笑を浮かべる。
「色々あってね……まぁ、話せば長くなる」
領主と呼ばれる、その男はサイディルの返答に鼻を鳴らす。
「構わんよ。誰かが流した噂によって生じた、混乱を治める為に昼夜働き詰めで、限界なんだ……丁度、気分転換をしたくて堪らなかったんでね。その長い話とやら、思う存分付き合ってやるぞ」
人々、都市の中の落ち着いた、この様子はこの男のお陰か……。
しかし、領主と呼ばれている様な人物が出張って来ているとなると、
更に情報を開示すれば、民衆は再び大きな混乱に陥る可能性がある。
其れが、国内全土となれば、その影響は計り知れないだろう。
だが、再び其れを治め、統制し蜂起を迫る事が出来れば……。
新政府の転覆とやらも現実味を帯びて来るな。
其れが叶えば、隠蔽されている全ての情報の開示も夢物語と吐き捨てる程、遠い物では無くなる。
「――勿論、全てを話すのは構わないけど……
視線を感じる。
休む?……まだ、そんな必要は無いが……。
突如視界が揺らぐ。
「おっと……大丈夫かい?」
支え無くしては立っていられない程に、全身から力が抜けていく。
身体が熱く、酷く怠い。
「確かに、酷い顔色だ……彼と、其方の女性も離れて貰って構わない」
周囲の音も、次第に篭った様に聞こえ始める。
「レイラ、其処の宿屋に兄ちゃんの部屋が有る。其処に連れて行ってやれ」
「は、はい!」
――足元がおぼつかない、声も上手く出せない。
「……彼の部屋が……はい……」
「あぁ……其処の階段を……お母さんに湯を沸かす様に……」
微かに届く店主とレイラの会話。
お母さん……あぁ、無事に家族と再会できたのか。
あぁ、何よりだ。
脳内を埋め尽くす、安堵の気持ち……体の力は全て抜け、支えに身を委ねる。
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