第二一話 再会、そして

   二章 志



 ――次第に顔面中へと広がる灼熱感、痛みで遠のく意識を必死で繋ぎ留めながらも、地に膝を着く。

 薄れゆく意識の中、ぼやける視界に映るイニールドがゆっくりと口を開く。


「ほう……まだ、耐えるか。君ならあるいは……いや」


 迫る凶刃をすんでの所で、立ち上がり躱しながら再び正面に剣を構える。

 ゆっくりと此方へ近づき、剣を振り上げるイニールドがその顔に悲嘆の表情を浮かべる。


「本当に残念だ」


 足が、手が、身体が動かない。

 ぼやける視界は更に明瞭さを失い、目の前の人影を捉える事すら困難になる……此処までか――


 

 ――赤黒く染まり行く視界に突如、無数のが奔る。



 それが空から降り注ぐ、無数の矢だという事に気付くのに時間は要さなかった。

 枷でも装着したかのような重い足をなんとか動かしながらイニールドから距離を取り、状況の把握を急ぐ。


 イニールドの背後に先程まで有った、クルダーを取り囲んでいた人だかりは無く、槍斧を支えに立つクルダーの姿が映る。

 僅かに耳へ届く地面を激しく叩く音、再び薄れゆく意識の為か、それとも立ち込める砂煙のせいか……景色、状況を視界に映す事が難しい。

 

 そして、完全に視界が閉じたと同時に身体が浮遊感に襲われる。

 浮遊感……いや、誰かに抱き抱えられている。


 激しい揺れで、彼方かなた此方こなたを意識が彷徨う最中、途切れ途切れに声が聞こえる。


「……生きてるか?……よし、三人いや四人共、無事だ」


 次の瞬間、首への強い圧迫感と凄まじい息苦しさを感じる。


「すまないな……少し、大人しくしていてくれよ」


 その言葉を最後に俺の意識は深い所へと落ちていく。



 ◇◇◇◇◇◇



 ――気持ちの悪い浮遊感……まだ、誰かに抱えられて……いや、背中に地面の固さを感じる。

 夢からうつつへ、ゆっくりと意識が立ち戻る。


 此処は何処だ、所々の記憶も少し曖昧だ。

 顔面の痛みと全身の熱感の中、身体が動く事を確かめる。


 宛も無く動かした手元には、弓と矢筒そして長剣が置かれている。


「ん?目が覚めた様だね?」


 何処からか聞こえる声の主を確かめるべく、重く怠い体をやっとの思いで起こし辺りを見回す。


「酷い怪我だ。まだ、あまり動かない方が良いよ」


 声の聞こえる方へ視線を向けると其処には、何処か違和感を覚える装いの見知らぬ男が、地面へ腰を下ろし不安げな表情を此方へ向けている。

 男の傍らに焚かれている炎の明かりで確認できる景色には立ち並ぶ木々、何処かの森だろうか。


 俺の違和感の正体は、この様な森に出向くには向かない、まるで貴族がまとう様な上等な衣服のせいか……。

 未だ状況を理解できない中、突如として木々の足元に生い茂る草むらが、音を立てながら揺れ始める。


 揺れ動く草木をぼんやりと照らす灯りが此方へ近づくと同時に、俺の体は自然と動く。

 手元に置かれた弓に矢を番え、迫る灯りの方へと狙いを定める。


 やがて露わになる人の姿……覚えた緊張は、鼓動を早める。


「おーい……金持ちのオッサン……勝手に出歩かれると困るんだが」


「はぁ……全く、何度言ったら分かるんですか?」


 緊張を一瞬で解す様な、気の抜けたぼやきを発しながら草むらから姿を現したのは、又も見知らぬ男女……いや、女性の方には何処か見覚えがある。

 少し、ぼやける左目を擦り、改めて其方を注視する。


 俺は、確認できた女性の姿に驚愕した。


「リアムさん……弓を下ろして下さい。大丈夫です、私達はあなた方の敵ではありません」


 そう、此方へ呼びかけるのは以前に怪我の治療で世話になったレイラだった。


「ペイルさんもライドさんが居るとは言え此処は極彩の森なんですから、あまりフラフラと何処かへ行かないで下さい……獣に襲われても知りませんよ」


 呆れた様な口調で放たれたその言葉の中に有った名前に俺は又も驚愕を隠せなかった。

 監視所制圧の際に目にした指令書、と言う旨の書状に記されていたその名前……。


 指令書あれの内容から推測すれば、エヴェルソル若しくは魔族の中でもある程度の、権限や指揮権を持っている人物。


「どうされましたか?そんな怖い顔して……きっと、まだ傷が痛むと思うので横になられて下さい……」


 沈黙の中、流れる風の音だけが聞こえる。

 俺は自身の置かれた状況にある程度の推測がつきながらも、意を決し問いかける。


「レイラ何故、此処に居る?……そして、先程……其処に居る男をライドと言っていたな……まさか」


 俺の問い掛けに対して間を空ける事無く、ライドと呼ばれていた男が答える。


「詳しい事は、後で話してやる……今は彼女の言う事を聞いて大人しくしてな……でないと、死んじまうぞ」


 平坦で何処か冷たさを感じる口調で男は、そう答えるともう一人のペイルと呼ばれていた男を連れ何処かへ去ってしまう。


 流れる静寂の中、少し気まずそうな表情を浮かべながらレイラが俺の顔を覗き込む。


「体の具合は如何ですか?……失礼しますね」


 そう言いながら、俺の額にレイラが手をあてがう。


「熱はだいぶ下がりましたね……傷の方は……出血は収まっているみたいですね」


 顔の半分、視界の半分ほどを覆う包帯を取り去って尚、狭い視界。

 悲しみ、いや心苦しそうな表情を浮かべながらレイラが俺の左目を手で覆う。


 開いている筈の右目……世界は闇に包まれている。


「見えますか?」


 少し震えた声で尋ねるレイラに俺は、何一つとしてその視界に捉える事が出来ていない事を伝える。


「……刃が、深く眼球を裂いてしまった様で……その、視力はきっと……すみません」


「大丈夫だ」


 俺は、一つ深く息を着き言葉を返す。

 衣服の裾を掴み俯きながら呟くレイラの瞳には零れんばかりの涙が溜まる。


「身体も心もきっと、疲弊しきっている筈です……今此処に居る私達の事も信用できないかもしれません……ですが、せめてその傷が癒えるまでは、その御身体どうか委ねては頂けませんか」


 静けさの中、俺はその言葉にどんな返事、どんな表情を返せば良いのか分からず声を発せず表情を固めたまま唯、レイラの瞳を見つめていた。

 そしてその静けさを破り、忘れさせる様な声が突如響く。


「やぁ!お熱いねぇ、愛の告白かい?……元気そうで何よりだよリアム!」


 にやけた表情を浮かべながら立ち木に寄りかかるサイディルの姿が映る。

 再開の安堵、喜び……いや、これは間違いなくそんな感情ではない。


 俺は大きく溜息を着いた。


「サイディル……あんたは本当に嫌な奴だな……あんたは逆に少し怪我でもして来たらどうだ?」


「ち、違いますってば……また、からかいに来たんですか?……心のお世話も私の役目です、邪魔をするなら帰って下さい」


 俺の皮肉とレイラの呆れた様な返事を聞き、サイディルは何故か嬉しそうに笑みを浮かべている。


「じゃあ次の、三度目の正直と言う物に期待するよ……そんな事よりリアム、君が心配で様子を見に来たんだ……具合はどうだい?」


「サイディルさん……やはり、右目は全く」


 レイラの発した言葉を聞き、サイディルは唇を噛みしめながら浮かべる表情には悔しさを感じる。


「そうかい……もし可能なら、少しリアムと二人きりにさせてくれないか?」


「分かりました」


 レイラはサイディルへそう返すと、俺の傷へ手早く処置を済ませ再度各部へ包帯を巻き直す。

 一通りの処置を終えたレイラは巻かれた包帯の隙間から覗く俺の瞳を見つめる。


「くれぐれも安静にしていて下さい……」


 そう呟きながらサイディルの横を過ぎ、何処か寂しそうに去って行く。

 過ぎ去る背中へサイディルは『大丈夫』と声を掛け、此方へ歩み寄る。


「リアム、大丈夫かい?」


「目……傷の事か?」


「それも心配だけど、君の精神……心の方さ」


 イニールドとの会話で様々な思考、感情が巡ったのは事実だが、まだその内容はこの男には話していなかった筈だ……。

 黙り込む俺の顔を見つめながらサイディルは再び口を開く。


「君を助け出してくれたライド達と合流した時、君は酷く取り乱していた……ギルドマスターとの戦闘の最中、君は何を聞いた?」


 何を聞いた?か……サイディルのその問いに俺は、自分自身での整理をする為にも、戦闘の際に交わされた会話の内容、その全てをサイディルへと伝えた。


「国王が求めた平和、そして平和の実現に必要な悪……そしてその悪と言う存在を揺るがし兼ねない私達の行い……イバンの言っていた通り、何かが見えない所で渦巻いているのかもね」


「イバン……そうだ、アイツやクルダーはどうなった?……確か、突如矢が降り注いで……」


 会話の中で曖昧だった記憶が少しずつ繋がり始める。


「大丈夫だ。遺跡あそこでの戦闘の最中、私達はライド達によってあの場から全員助け出されたんだ。あの二人も当然無事だよ」


「そうか、良かった……サイディル、それから……」


 俺は更に『ライド』と言う名前について問い掛けた。


「あの名前、監視所で見つけた指示を伝える旨の書状に有った名前だ。覚えているか?」


 サイディルは暫く、記憶を巡る様な素振りを見せる。


「あぁ、覚えているよ」


「アイツに何か聞いたか?……俺達を助けた理由や、あの場に居合わせた理由……」


「いや、君の意識が戻ってから君と一緒に聞こうと思ってね……まだ、何も聞いていないよ。大丈夫、どんな真実を聞かされようとも、君には私達が付いている……何も心配は要らないよ」


 サイディルはそう言いながら、俺の肩を優しく何度か叩く。


「そうか……心強いな」


「さて、じゃあ彼を探して来ようかな?ゆっくり色々、洗いざらい全てを聞かせて貰うとしようか!」


 そう言いながら、サイディルが立ち上がると再び草むらから、まるで頃合いを見計らっていたかの様にライドと呼ばれていた男が姿を現す。


「おぉ、サイディルさん此処に居たか」


「奇遇だね、丁度探しに行こうと思っていた頃合いだったよ。彼の意識も戻った事だ、色々聞かせて貰っても良いかな?」


 サイディルのその言葉に、大きく溜息を着き近くの切り株へ腰を下ろしながら呟く。


「全く……堪え性の無い奴らだ……後で話してやると言っただろうに」

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